プラリネの策略 【今日は久しぶりのE4会! みんなで集まるとサッカーの話ばっかです】
画面の中、そんな一言と共に投稿されたマヌケ面の潔の隣にはオカッパ頭と赤髪男、それから筋肉ダルマが映り込んでいる。
背後の景色は特定されないようにうっすらと加工してあって分かりにくいが、恐らく潔の住んでいるドイツのアパルトマン付近にある、あの店なのだろう。
何度も潔と行った事のある凛にはすぐに分かった。全く、気に入っているからといって、誰でもほいほい連れて行くのはどうなのか。
面白くない思いを抱えながらも組んでいた脚を組み替えた凛は、もたれていたソファーにさらに背中を預ける。
その間にもずっとついていたテレビ画面に映るホラー映画は佳境も佳境であり、冷徹な殺人鬼に遭遇して顔を引きつらせている女が手当たり次第に周囲にある物を投げながら廃墟めいたホテルの廊下を逃げ回っていた。
ホラー映画におけるメインディッシュとも言える場面だったが、今の凛にしてみればそれよりも興味を引くものがあるせいで頭に入ってこない。
あの人たらし男は放っておくとすぐにそこらへんのモブを引っかけてくる。腹立たしいが、それを指摘した所で本人にその自覚が無いのだから余計に性質が悪い。
だからこそ、自身の計画がうまく進んでいるかどうかを逐一確かめる必要があった。
つ、と指先を這わせてスマホの画面に触れた凛はさらにその写真の下にある文字列へと目を向ける。
公式アカウントはおろか、自分のプライベートなアカウントでさえほぼ稼働させていない凛のSNSのフォロー数は両手の指で足りる程度だ。
そして、兄やサッカーの情報を発信しているアカウント以外で、唯一フォローしている潔のSNSは常にコメントであふれていた。
『四人ともずっと仲良しで可愛い!』やら『ここ、どこのお店なのー?』など、少しでも目を引きたいという必死さを感じる文面。
それらは凛にしてみれば、有象無象の無意味な文字の羅列にしか思えない。どうでもいいものを目に入れる暇など無いので、もう一度コメント欄から目を外して写真へと視線を戻す。
各々が帽子や眼鏡をしているが、サッカー業界の知識がある人間が見ればすぐに気が付かれてしまいそうなくらいのぬるい変装。
だが、重要なのはそのファッションセンスでは無いので、どうでもいい。
さらに目を凝らして写真を眺める凛の前髪が揺れる。と同時にぐしゃりという何かが潰れた音と、ひと際大きな悲鳴がスピーカーを通して室内に響いた。
一瞬だけ意識がテレビに向きかけるが、どうせまた後で見直すのは確定しているのだからとそのまま流しっぱなしにする。
画面の中の潔はよく見るお気に入りのオーバーサイズめなパーカーを着ており、袖口をゆるくまくり上げていた。
ささやかなピースサインを掲げている潔の健康的な色味をした手首にキラリと光る物を見つけた凛は、フンと満足げに鼻を鳴らした。どうやら潔は凛の意図を察知してはいないらしい。
それなら好都合だ。スマホをスリープ状態に切り替えた凛はリモコンに手を伸ばし、すぐさま観ていた映画をまき戻した。
□ □ □
生来、凛は自分の人生に必要だと確信している相手には人一倍強い執着心がある。
誰かに取られそうになったり、離れていこうとするだけで信じられないくらいの憎悪や殺意が湧き上がってくるのだ。
その性格のせいで尊敬していた兄である冴との長きにわたる兄弟喧嘩に発展したが、それはそれとして、潔は冴とはまた違う意味で凛の人生に必要な人間だった。
いきなり凛の目の前に現れ、人生をぐちゃぐちゃにかき乱してきたバケモノ。
それなのに、フィールドの外ではいくら年を重ねても乳臭さの抜けないガキっぽい顔と小生意気な態度で凛を翻弄してくる。
挙句の果てに『凛って俺の事好きなんだろ? じゃあ、お試しで付き合ってみる?』などと軽々しく言ってきた時には、どうやって殺してやろうかと本気で悩んだ。
だが、そう言った潔の瞳はピッチで見るのとは違う熱を宿していた上に、軽口の中に潜む緊張が隠し切れていなかったのもあって、一気にアホくさくなった。
だから殺すのは止めてやるかわりに、恥ずかしそうに瞬きを繰り返している潔の襟首を引っ掴んで『ぬりぃ事言ってんじゃねぇよ。雑魚』という照れ隠しの言葉と一緒にファーストキスまで捧げてやったのだ。
そうして宿敵兼恋人──明確にラベリングしようにも難しい複雑な関係性を保ったままの凛と潔の交際はもう二年ほど経過している。
互いに活躍する国は違えども、オフになれば何かと理由をつけて会っている二人は周囲の予想を超えて順調に関係を築いていた。
けれど、潔の希望もあり二人の関係は極少数の人間にしか知らせていない。
凛にしてみれば"潔世一は糸師凛のもの"だと全世界に宣言してしまっても構わないというのに、妙な部分で凛を気遣っているつもりの潔の思考は良く分からなかった。
長い期間、交際相手などいないと言っているのもあって、時々好き勝手に書かれるゴシップに凛本人が迷惑しているというのにも関わらず、それでも潔は頑ななまま。
しかも『また変なの書かれてたなー』と吐き気を催しそうなくらい無邪気なセリフを清々しいくらいの笑顔で言われてしまえば、ますます潔の思考回路が凛には理解不能だった。
嫉妬心や独占欲という欲をどこかへ置き去りにしてきているようにしか思えない潔に、ついにしびれを切らした凛はささやかな罠をしかける事に決めた。
三ヵ月前。潔の誕生日に凛はそれなりの大金を払って腕時計を購入し、誕生日プレゼントとして渡した。
本当は指輪やネックレスでも良かったのだが、普段アクセサリーなど殆どつけない潔に贈ってもどうせつけないだろうと思ったからだった。
未だにドイツでも子供扱いをされがちだと文句を垂れていたから、少しごつめのシルバーベルトに、文字盤の色は潔がよく"綺麗"と褒めてくる凛の瞳と同じ色。
箱へ丁重に収められている時計を見た潔は驚いていたようだったが、たいそう喜んでくれて、滑らかな頬をふんわりと桃色に染めつつニコニコと微笑んでいた。
こんな物で喜ぶなら、それこそ指輪を渡したらもっと喜んでくれたのかもしれないと凛が思うくらいに。
でも、指輪だってどうせ渡すのは決まっている未来なのだから、まずは時計くらいが無難だろうと考えもした。
そうして、計画の為には必要だと思ったからこそだったが『どこかに出掛ける時はなるべくつけていけ』というのを、甘えている風を装って潔に伝えたのだ。
珍しい凛からのおねだりを潔が守るだろうとその時点で凛は確信していた。
なぜなら、それを伝えた時の潔はそそくさとサイズぴったりの時計をつけ、ご満悦そうにニヤついていたから。
そんなニヤけ面でもかわいいのは反則だろ、などと思ったのは流石に生涯秘密にするつもりではあるが、なにはともあれ潔は凛の予想通りこの三ヶ月間しっかりと凛の言いつけを守っていた。
こまめに更新されるSNSでも、ちょっとした日常を報告してくるメッセージでも、潔の腕には凛の瞳と同じ色の文字盤が巻かれていたからだ。
人間というのは好いている相手であればあるほど、些細な変化が気になる生き物らしい。それでもって、潔を推しているとのたまう連中は、それこそ星の数ほど居た。
だからあっという間に潔が付けている時計のメーカーや値段が割り出され、世界中の潔ファンに共有されているのを凛は知っている。
高級ブランドのセミオーダー品を質素なイメージの潔がつけているのを不思議に思う連中もいるらしく、しかも誕生日の後から着けているのが余計に怪しいと思われているのも。
だからもうそろそろ良いかと凛は大切にしまい込んでいた箱を開けると、自分の手首にぴったりと馴染むベルトをバックルで止めてから玄関のドアを潜る。
朝の天気予報では一日中過ごしやすい気候であると伝えていたから、あのカフェで朝食を食べるのに丁度いいと思ったからだった。
『お前、なんで何も言わなかったんだよ!!』
コーヒーを啜りながら、声だけで分かる焦りを耳元で聞く。
チーズのたっぷりかかったクロックムッシュを食し、食後のコーヒーを飲んでいる間にかかってきた電話の相手は案の定、潔だった。
ちゃんと凛のSNSを見て連絡してきたのか、それとも誰かから伝えられたのかは知らないが、更新してから十分も経たずに電話をかけてきた辺りは及第点をやっても良いとカップから口を離した凛はフンと鼻を鳴らす。
「あ? 別に良いだろうが。逆になんか問題あんのか?」
『そうじゃないけどぉ……そうじゃなくって……』
「俺が買ったんだから文句言われる筋合いねぇし」
そういった凛は自分の手首を飾る腕時計に目をやる。
シルバーのベルトに少しごつめのシルエット。それから凛が好きな潔の瞳と同じネイビーカラーの文字盤。
三ヵ月もつけるのを我慢していたのだ。日の目を見せてやらなければ勿体ないと、珍しくテラス席を選んだ凛の頭上から降り注ぐ陽光によって、一層鮮やかに煌めいている。
『……ペアウォッチならそうだって言えよなぁ……』
「言ったらお前、つけねーだろ」
『別にそんな事は無いけど! ……いきなりいろんな所から連絡くらう俺の身にもなれって』
「知るか」
『……もぉー……しかもずっとタイミング狙ってたのもズルすぎない?』
「だから知るかって」
はぁ、と吐き出される溜息は呆れだけでは無さそうで、結局はこういう状況なのが満更でも無いんだろうと言いかけて止めた。
だからかわりにわざと少し声のトーンを落として囁きを落とす。
「……嫌だったか」
『嫌じゃないよ。……嫌なわけないじゃん。ただ、凛がこういう事するって思ってなかったから。俺と仲良いとか言われるの、嫌だろうなと思ってたし』
「仲良いってか、お前が俺のだって事実を知らしめるだけだろ。嫌もなにもねぇ」
揺るぎない真実を世間知らずな連中に教えてやるだけで、そこに困惑や嫌悪など存在しない。
だが凛の声を聞いた潔は、スマホ越しでも分かるくらいに絶句しているようだった。
たっぷり十秒ほどの沈黙の後、ようやく聞こえてきた潔の声は不思議と掠れていて、ベッドの中で聞く声に似ていたが少しだけ違う。
自然と潔の言葉を待っていた凛の前に置かれたカップの中では、風にそよいで黒い波を立たせたコーヒーが湯気を薄くしていた。
『……確認なんだけどさ、俺と凛って付き合ってんの?』
「? いまさら何言ってんだ、テメェ」
『だって、俺が告った時に"ぬりぃ事言うな"って言ったじゃん!』
「……それは、お前が"お試し"とかワケ分かんねぇ事言ったからだろ!」
『そうだったっけ……そっか……いや、うん……』
もごもごと言葉を濁す潔はなかなか無い。だからこそ、痛むこめかみと荒げそうになる声色を押さえ付けながら低く呟いていた。
この男が自分に向けられる感情を正しく理解出来ないのは前からで、いまさらそこにキレた所でどうにもならない。
「どうでも良い奴に俺が時間使う筈ないって、なんで分かんねぇんだよ」
『わ、分かってたよ。……途中からそうなのかもなって思ってたけど、お互いちゃんと確認とかしないままここまで来ちゃったじゃん』
「……で?」
『でって……』
いまさら過去の話を蒸し返しても仕方が無い。
勝手に潔が誤解していたのも腹立たしいが、仮にどう思われていたとしても潔はその間も凛の隣から離れなかった。そして、凛のだという自覚がこれまで無かったとしても、もう外堀は埋まっているのだから手遅れだ。
カップを持ち上げた凛はぬるまったコーヒーに口をつける。
晴れ渡った空と白い皿に乗ったクロックムッシュ。それから自分の手首がさりげなく映るように撮った写真をSNSにあげた時点でこうなる事はもう読めていた。計画外のすれ違いが起こっていたのが発覚したが、特に支障も無い。
「ならつけんのやめんのか? つけないなら返せ」
『ちゃんとつけるし……もう俺のだから返さねぇよ』
「じゃあこの話は終わりだ。あとは必要ならお前が説明しとけ」
『はぁ!? なにそれ、丸投げすんなよな! 大体、説明ったって……【凛とはお揃いの時計をつけるくらいの仲良しです】って言えば良いって事……?』
またもやもごもごと言葉を濁した潔に今度こそ、凛の堪忍袋の緒が切れそうになる。
想定よりも早まるが、もうそれくらいしないとダメなのだとようやく理解出来た。
「……来週、そっち行くから家掃除しとけ」
『え? あ……うん。分かった』
まだ何かを言いたそうな潔との通話を切った凛は、そのまま潔の家周辺にあるハイブランドショップはどこにあるのかを調べる作業にとりかかった。
そうして、それからさらに二週間後。
腕時計だけではなく、左手の薬指にシンプルながらも意味深な指輪をつけ始めた潔と凛のSNSや各種メッセージアプリには様々な意見が飛んできたが、やはり凛にしてみればモブ共の嫉妬にしか思えなかったのでどうでも良いものとして扱われるだけなのだった。