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    SS置き場
    ある程度溜まったら支部に置きます

    ☆quiet follow
    POIPOI 129

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    ☆quiet follow

    凛潔に巻き込まれるザー

    被害者Kの廻想 目の前のドアノブを捻れば最後、非常に厄介な事になるのは既に予見出来ていた。
     たった数センチ弱の厚みしかない筈なのに、かつて自国に存在したベルリンの壁並みの威圧感を放っているのが自宅のドアだとにわかには信じがたい。
     勿論ただのイメージに過ぎないが、生憎と育ちのせいで危機察知能力に関しては自信があるし、これまで生きてきた中でほぼ外した事が無かった。
     本当にクソめんどくせぇ。クソ最悪。クソのオンパレード。湧き出る悪態を飲み込んで、先の対応を思案する。
     でもそんな予測はあって無いようなモンで、結果が分かっているのに考えても仕方が無いともいえた。

     よくよく考えてみれば、今日は何もかもがうまくいきすぎていたのだ。
     ずっと探し求めていた貴重な本が思いがけず見つかったりだとか、久しぶりにつくったラスクがクソ上手く出来たりだとか。
     そういうちょっとした良い事が連続で起こった日ほど、後々になってデカい不幸として返ってきたりする。
     だとしても、ここ最近めっきりこちら側にロシアンルーレットの銃口が向けられた記憶が薄れるほどだったので、すっかり忘れていたのだ。
     それか、自分のあずかり知らぬところで既に何度か爆発が起きていて、ついに他の連中に頼むのが忍びなくなったかのどちらかだろう。

     考えてみたら、その選択肢を取ったっていいのだという事に気が付く。
     あとから文句を浴びせられたとしても、眠っていて気が付かなかったと言えばいいだけ。
     そうだ、そうしようと実行するよりも先に、逃げる事は許さないと今度は連続してチャイムが鳴り響いた。
     近所迷惑になるのも顧みず連打してくるあたり、俺相手だからどうなったって良いと思っているに違いない。
     急かすようなけたたましい機械音は、どうやっても逃れようのない運命を示しているように思えて腹の底から湧き上がる苛立ちを結局は溜息の形で吐き出した。
     仕方なしに鍵を外してドアノブを捻る。
     いささか乱雑に開けたドアの向こう側には、寒さのせいなのかそれとも他の要因なのかは知らないが目尻を赤く染め、柔らかそうなライトブルーのマフラーで鼻先まで覆った世一が立っていた。
     「出るのがおっせぇよ」
     「……あぁ、そうか。クソみてぇなただの幻覚か。俺は何も見てないし聞こえてない」
     「おい」
     あんまりな言い草に舌を打ってすぐさまドアを閉めようとするのを、世一の手が伸びてきて阻止してくる。
     このまま思い切りドアを閉めて"うっかり"世一の手を挟んでしまっても正当防衛になるだろうか? と悩む俺の前で、持っていた長方形の紙袋を揺らした世一は、虫でも噛み潰したように渋い顔をしていた。

     仕方なしにドアノブを掴んでいた手を放して腕を組む。少なくとも手土産のひとつを持ってくるくらいの知性をついに獲得した事に対して感心したからだった。
     そんな俺の感動を他所に、ドアの隙間からするりと玄関に侵入してきた世一は紙袋の上部を開いて中身を見せつけてくる。
     確認できたのはつるりとした表面をしているワインボトルのフォイル部分。側面に貼られたラベルの細部までは見えないが、悪い品では無い事が窺えた。
     「クソお邪魔します」
     「すんな」
     「うっせー。外寒いんだよ」
     とりあえずそう言って拒否を試みるものの、特に気にする必要が無いと判断したらしい世一がずかずかと入り込んでくる。
     こうなってしまってはもう手遅れだ。本気で皮肉や罵倒の雨あられを浴びせれば逃げ帰る可能性もあるが、少なくとも俺の家を選んだ時点で世一も一か八かの選択だった筈だ。
     もしも、行く先を失った世一が早朝に近所の公園で凍死体となって発見されでもしたら、アリバイの無い俺が疑われかねない。その上でコイツは【犯人はカイザー】などのメモをポケットに忍ばせるくらい容易く行うのが想像出来る。
     くだらない理由で二人して破滅するなんてごめんだ。さっさとリビングに向かった世一の背中を見ながら、とりあえず鍵を閉めた。



     ミュンヘンでも高級住宅地に存在するこのヴォーヌングは、セキュリティと利便性を重視して選んだ。
     郊外の邸宅を購入しようと思えばいくらでも出来るが、どうせ一人で住むのだからと、必要以上に部屋数は多くない物件ではある。たまに来るネスには『これでも十分広いですよ』などと笑いながら言われはするが。
     そんな自分の城とも呼べるヴォーヌングの中央に位置しているリビングは、極力清潔にすることを心掛けている。生活環境を整えるのはプロとして当然の責務だからだ。
     その快適な空間を保つための大変な努力を知りもしないで、最も暖房が行き届く部屋の中央に置かれたカウチソファーで寛いでいる世一の手に持たれたグラスがゆらりと揺れる。
     中身の赤がこぼれないかヒヤリとしたのもあって、大慌てで座っていた椅子から立ち上がると世一の持っていたグラスを回収した。
     「零すなよ。弁償させるぞ」
     小言を発した俺を目だけで追いかけている世一が反論のひとつも寄越さないでいるあたり、相当酔いが回ってきているらしい。
     この男がドイツに襲来してきてからそれなりの年数が経過しているが、ワインよりもビールの方が体質にあっているのだろう。それか、普段の飲み会ではそこまで酔わないようにセーブしているのか。
     回収したグラスに注がれていたシャトー・ラトゥールの深みある赤を眺めながら、仕方なしに声をかけてやる。
     「ったく……クソ野郎が。ソファーで寝るな」
     「んー……」
     「聞こえてんのか」
     家主を無視して一番いい場所に陣取ったかと思うと、すぐさま『ヤケ酒させろ』とワイングラスを所望してきた世一は言葉通りにボトルを瞬く間に空にしていた。
     どうせこうなるだろうと分かっていたのもあり、形式上、一杯だけ自分用に注いだワインを手元に置いたまま近くに座って買ったばかりの本のページを俺が捲り始めてから三十分も経過していないのにも関わらずだ。ペース配分もなにもあったもんじゃない。
     今はクリスマス休暇真っ只中なのもあり、まだしばらくオフだから仕事に支障は無いにしても、二日酔いになる可能性だってあるだろう。
     仮にそうなったとしても完全なるコイツの自業自得なのでこちらにはどうでも良い事ではあるが。

     かけていた眼鏡を外しがてら、うつらうつらとしている世一の脛を軽く足先でつつく。
     これでもチームメンバーなので、勝手に押しかけられたとしても酒以外の原因で体調を崩されたら後味が悪いからだ。
     しかし、その攻撃に体を動かした世一は完全に寝る体勢に入ろうとしているのか、ソファーの上に寝転がってしまう。
     「だから寝るならゲストルーム行けっつってんだろ」
     コートの下に着ていたのは寝巻代わりにでもしているらしいよれたスウェット姿だった世一は、このまま寝てしまっても問題は無いという判断を下したのだろう。
     だが、顔を覗き込んでみると思ったよりも幾分かハッキリとした瞳をしている世一の静かに呟く声が響いた。
     「……凛のばか」
     「……あぁ?」
     ついに始まった。勘弁してくれと思う俺の前で、何度か瞬きをした世一はむずがる子供のように身を丸めると、呪いの言葉でも吐き出しているのかと思うくらい低い声でぶつぶつと一人で喋り始めた。
     「……大ッ体さぁ、なんで俺がいっつもいっつも譲歩してやって当然って顔してるわけ? おかしいだろうが。今日だってずっと待ってたのに……なんで俺ばっか……こんな……」
     俺ばっかり好きじゃんか、というクソの上塗りに上塗りを重ねたようなクソ寒いセリフを聞いて白目をむきそうになる。
     だからコイツを家に招きたくなかったのだ。こうなるのが目に見えていたから。

     最初のうちは興味本位と生意気な世一の弱みを握れるかと考え、ちょっとくらいなら話を聞いてやってもいいと思ったのが大きな間違いだった。
     直接このクソ野郎のパートナーである糸師凛と話した回数は多くない。
     だが、時折聞かされるのろけ話のせいで、大まかではあるがコイツと凛の馬鹿馬鹿しい交際事情について否が応にも詳しくなってしまったのは一生の不覚であり、人生で知らなくて良かった情報ナンバーワンだろう。
     だからこそあえて声もかけずに放置していたのに、結局はこうなるのかと深くため息を吐く。
     そうして近くにあったスマホを手に取ると、一枚だけ写真に収めてから今度は動画モードに切り替えて丸まったままの世一へとカメラを向けた。
     「……このクソ酔っ払いが。全く、そんなだから"愛しの凛くん"と喧嘩するんだろうが」
     「んなの、……ちゃんと、分かってるし……俺だって大人げなかったって……でも今回は凛のが悪いのに……」
     「はーぁ。本当に世一くんはお子ちゃまねぇ。その内に本気で愛想つかされてもしらねぇぞ。アイツ、ベロ出してなけりゃそこそこツラは良いからなぁ? すぐに相手も見つかりそうじゃないか?」
     「いやだ! ……凛は俺のだから……俺のだもん……他の奴になんか絶対やんねぇし……!」
     ぎゅっとさらに身を縮こませ、幼子のように顔を隠した世一は泣いてはいないようだが首を横に振っている。
     コイツは思い切り酔うと泣き上戸とまではいかないが、珍しく気弱な面が表れるらしい。人生で知らなくて良かった情報ナンバーツーだ。
     鳥肌の立ちそうなおぞましいやり取りを記録するのはここら辺までで良いだろうと録画を停止し、さらに自身のSNSの投稿画面を開く。サクッと短文を打ち込み写真をあげて終了。
     正直貸しひとつどころでは済まないレベルだが、こんな事でいつまでも居座られては困る。

     案の定、放流した餌にまんまと喰い付いたのかテーブルの上に置かれた世一のスマホが振動しているのが分かった。
     意識が朦朧としているらしい世一の前でそのスマホを持ち上げて通話を繋げる。
     途端に地獄の底から響いてくるような低音が耳を突き刺してきた。
     『テメェ、なんでクソ青薔薇のとこに……』
     「随分な言い草だな、糸師凛」
     『……なんでお前が出る。アイツはどうした』
     電話の相手が俺だと分かった瞬間にすぐさま英語で切り返してきた凛に、同じく英語で対応してやる。
     冷静さを装っているが滲み出る殺意は抑えきれないらしい。どうしてやろうかと逡巡して、また深い溜息を吐き出す。
     このバカクソ共を突っついた所で自分の利になる事など何ひとつたりとも無い。だから素直に答えてやる。
     「まーた喧嘩したんだってなぁ? お可哀想に世一くんが泣きついてきたぞ」
     『クソ青薔薇……殺す、……いますぐにお前もアイツも殺しに行ってやる。どこにいんだ、出てこい』
     「ったく、これだから喧嘩っぱやい破壊獣ビーストが。いいか。今からこのクソめんどくさい馬鹿野郎を届けてやるから、お前は大人しくその家で待ってろ」
     『おい、ふざけ……!』
     ブツリと容赦なく通話を終了させ、ついでに世一のスマホを経由して先ほどの動画も送ってやる。
     すぐに既読がついたのを確認してからまだ駄々っ子のように身を丸めている世一へと声をかけた。
     「おい起きろ世一。これ以上俺に迷惑をかける気なら今すぐにさっきの動画を世界中に拡散する」
     「んー……? なに……」
     「ッチ……送ってやるから起きろって言ってんだよ。早くコートを着ろマヌケ」
     「凛、……まだおこってるかな……俺のこと、嫌になったかな……」
     脱ぎ捨てられたコートとマフラーを顔面目掛けて投げかけると、渋々といった様子で体を起こしてコート着てマフラーを巻き、段々と丸いフォルムになっていく世一が珍しくそんな事を言う。

     心底、バカな奴らだと思う。仮に互いの事を心から憎しみ合うようになったとしても、けしてその関係性を断ち切るなんて出来ないクセに。
     互いに互いの存在が心の一番奥底で根を張っているというのに、それに気が付いていないのはきっとこいつらだけだろう。寧ろ何故気が付かないのか疑問で仕方がなかった。
     近すぎて気が付いていないのか。それとも似ているようで、本質が異なっている部分があるせいなのか。
     どちらにしても俺にはクソほどどうでも良い話だった。
     「さぁな。……ほら、行くぞ」
     ぐにゃついている世一の手を取り、立ち上がらせる。ふらついてはいるが体幹を鍛えている事もあり、その足取りは意外にもしっかりしていた。
     これなら車まで自力で行けるだろう。横でずっと支えなければならないかという不安が払しょくされたのもあり、車のキーを手に世一が来た時とは違い素早くエスコートしてやった。



     車で十五分ほどの所にある世一の住むヴォーヌングの前、ひと際に目立つ男が立っている。
     黒いコートに黒い髪。アジア人にしては白い肌をしているが、寒さのせいか鼻先を赤く染めた男は、滑るように路肩に停車させた車の横でただ黙ってドアが開かれるのを待っているようだった。
     仕方なしに窓を開ける。途端に車内に吹き込んでくる風はひどく冷たい。
     この男が一体どのくらいの時間この場所で立ちすくんでいたのかは知らないが、ただただ愚かしさを覚えていた。
     「いつから待ってたんだ? 凍え死ぬぞ」
     「うるせぇよ。……アイツは?」
     目線だけを後部座席に向ける。マスコミ対策でスモークガラスにしているからか、後ろに乗っているのかが分からなかったのだろう。
     死ぬほど面倒なのもあってあっさりと鍵を開けてやれば、容赦なくドアを開けた凛が座席で縮こまっている世一へと声をかけた。
     「帰るぞ、潔」
     こちらにぶつけてきたのとは全く異なる柔らかな音に、自然を肩を竦めてしまう。

     本当に気分が悪い。このまま安っぽいラブロマンスを繰り広げるつもりならば、せめて部屋に帰ってからにしてくれないとその内に俺が誤って舌を噛みちぎる可能性がある。連中の三文芝居に端役でも登場させられるのはこれ以上ごめんだった。
     流石に俺のイラつきを察したらしく、凛に手を引かれて車から降りた世一はすっかり大人しくなって凛に身体を預けている。
     "一人ではもう立てません"とばかりに頬を染めてしなだれかかっている姿に、やっぱりコイツは読めないと内心で舌を巻いた。
     無自覚なのか意識しているのか知らないが、しっかりと甘えるべき時に上手く相手を選んでいるのだから全く、いい性格をしている。
     「じゃあな。あとは勝手に乳繰り合ってろ、クソカスモンスター共」
     窓を閉めがてらそう言えば、ガラスの向こうで何か聞こえたが完璧にシャットアウトしてやった。

     謝罪だとか言い訳だとかは聞くだけ無駄だ。どうせあの連中は性懲りも無くワケの分からない理由で喧嘩をしては、周囲に迷惑を振り撒くモンスターカップルなのだから、形だけの謝罪をされた所でどうにかなるものでは無い。
     それが分かっているのに、最初っから突っぱねられない自分もどうかしているのは重々承知していた。
     「……うげ……帰ったら飲むか……」
     走り出した車のバックミラーについつい目線を向けてしまい、そこに映っていた二人の影が重なるのを見て、思わず眉を顰めて舌を出す。
     何が起こったかを想像したくもないと、あえて快適な自分の根城を思い出す。
     今夜は自宅に保管している銘柄の中でも、とびっきり良い物を出してきてもいいだろう。それくらい甚大な被害を受けているし、俺は生憎と自分の機嫌くらい自分で取れる。
     もうすっかり見えなくなった二人の影に安堵しつつ、ハンドルを握る指先を自宅方向へと滑らせていた。
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