絶対運命幸福論 今しがた聞こえた言葉をハッキリと脳が認識し、いつもよりも緩やかな瞬きを繰り返す。
真向かいに座る潔はそんな凛の衝撃など露知らず、近くの店員に声をかけて新たな酒をオーダーしていた。
童顔だが、見た目とは裏腹に飲んでも顔色が変わる程度で記憶や意識を失くすまではいかない潔は、それでもかなり酔ってはいるのだろう。
いつまでも柔い頬が、頭上に設置されたライトだけではない赤みを帯びているのが何よりの証拠だ。
そして普段以上にヘラヘラとしつつも若干照れ臭そうな表情のまま空になったグラスに付着した水滴を指先で拭った潔は、照れを誤魔化すかのように手元のメニューを拾って覗き込んでしまったのでその珍しい顔が拝めなくなってしまう。
だが、例えどれだけ周囲が騒がしくとも、アルコールによって思考がぬるまっていても、目の前に座る男の全てに目が奪われる。
今すぐにでも齧りつきたくなるくらいそそられる首筋。瞼の裏に隠れては現れる深い青。
糸師凛、二十二歳と二か月──突如として訪れた"天啓"に、動揺のあまり掴もうとしたグラスを倒してしまいテーブルの表面に小さな水溜りを作る羽目になった。
▼絶対運命幸福論
「……で?」
スペイン、バルセロナ。ガラスの向こうから麗らかな日差しの降り注ぐカフェテリアのボックス席。
髪色は違えども、全体の雰囲気が似通っている美しい二人組は周囲とは一線を画すほどの怜悧な雰囲気を漂わせていた。
そんな男のうちの片方、【日本の至宝】とすら呼ばれる糸師冴の冷え冷えとした返答に一瞬だけ肩を竦ませたもう一人の男、糸師凛は小さく舌を打つ。
けれどその瞳には以前ほどの苛烈さは無く、拗ねているのを前面に押し出しながらカフェ・コルタードの注がれているカップに口をつけた。
けして他人には見せない隙のある表情は、冴を信頼しているのに他ならない。
呆れ顔で凛を見つめた冴は溜息を吐くと、組んでいた脚をさらりと組み替えながらさらに言葉を続ける。
「お前に好きな奴が出来たのは理解した」
「……好きとかじゃねぇし」
「うるせえな。話が逸れるだろ。……それで、ソイツをどうにか掴まえたいって話で良いのか」
「……掴まえたいっつーか……『お前の綺麗な顔を見慣れすぎて、人を見る目が肥えちゃって困る』とかクソふざけた事を言い出しやがったんだよ」
珍しくスペインまでフランスから乗り込んできた凛に、よっぽど深刻な事件があったのだろうと覚悟していた冴にしてみれば、実に馬鹿馬鹿しい話題だった。
だがしかし、どれだけ離れていてもなんだかんだでずっと自分の背中を追いかけてきていた唯一無二の弟。その弟のいじらしい悩みを聞いてやってもいいかと思えるくらいに冴と凛の関係は軟化していた。
むしろ、他人などカボチャか何かにしか見えていないだろう凛がわざわざ関係を深めたいという相談を冴にしてくるような人物がいるのに驚きすらした。
まずはこの言語化能力が足りない愚弟が動揺してここまでの行動に至るくらい気になっているらしい相手を知るところからだと、小皿に盛られたタパスかわりのクッキーを指先で摘まんで口に放り込む。
アーモンドの練り込まれたそれを噛み締める冴の前で苛立ちをぶつけるようにカップを置いた凛は、不意に凭れていた背中を浮かせて前のめり気味になった。
途端に近づく距離に思わず冴の方が身を引いてしまい結局、同じ距離を保つ。
どうせ日本語で話しているのだから、周囲に内容を理解出来る人間などいないだろうが。瞬時に冴はそう思ったものの、いちいち指摘するほど野暮ではない。
「これって、どういう意味だと思う。兄ちゃ……兄貴」
「……どーもこーも無いだろ。そのままの意味じゃねぇのか」
「そのまま」
間抜けなオウムのように言葉を繰り返す凛に、これは相当キてるなと顰めてしまった眉間を指先で揉んだ冴はさらなる状況把握のために一つずつ確認していく事に決めた。
「好きな奴がそう言ったんだな? お前のツラは良いって」
「だから! 好きだとかじゃねぇ。……でも、アイツは俺だけを見る義務がある」
「んだそれ。束縛にも程があんだろ」
「けど向こうだって別にそれは否定してこねぇし、間違ってない」
「でも実際の所、そういう関係にはなってねぇって事だろ」
「……プライベートでは、そうかもしんねぇ」
唇を真一文字に結んだ凛は視線をさ迷わせると、一度だけ舌先で下唇を湿らせる。
気まずい時やバツが悪い時によくやる癖。懐かしいそれを見つつ、さながらAIのように緻密な計算を脳内で弾き出した冴は自身の弟である凛の想い人が一体誰であるのかを瞬時に理解し、逆にまだそこまで至っていなかったという事実に驚きを覚えていた。
数年前にあった"青い監獄"の頃から互いに重く粘ついた言葉の応酬を交わしあっては、世界中にその関係を見せつけるようにしていた二人は他の追随を許さないくらい【特別】ではある筈だ。
流石に色恋が絡んでいるとは思ってもいなかったが、もしそうだとしても納得出来るくらいにあのライブ中継は生々しかった。
「じゃあとっとと告っちまえよ。どうにかなんだろ」
「告るって、俺が? アイツに?」
小骨を喉に引っ掛けたように苦々しげな顔をした凛に、コイツ、恋愛下手だなという感想を抱く。
本当に手に入れたいと願うなら、本気で向き合わないといけないくらい難易度の高い相手だというのを理解していないのだろう。
少し接した事のある冴でさえ、あの男の魔性に惹きつけられるのだから周囲の人間を狂わせるなど造作もない筈だ。サッカーをしている人間ならば余計に。
「じゃあどうしたいんだよ。このまま指咥えて見てたら、その内に掻っ攫われるぞ」
「……そう、なのか」
「だってお前のツラが良いとは認めてるが、他に相手を探してなきゃその発言は出てこねぇだろ」
「! ……そんなのは絶対に許さねえ」
「お前がモヤついてんのはそこだろ? まずは自分の願望を理解しろ。そうじゃないとどういう風に動くかの算段もつかねぇだろうが」
またもや黙り込んだ凛の前で、同じくカフェ・コルタードの注がれたカップを冴が傾けてから唇を離し、数度首を回したあたりで再起動でもしたかのように顔を上げた凛の目は黒曜石のような鋭さを纏っていた。
「アイツを完璧に俺のモノにするのはどうすればいい? 他の奴なんて眼中にいれさせないくらいにしたい」
「サッカーだけじゃ物足りねぇのか? 随分と欲張りだな」
ふ、と薄笑いを浮かべた冴に一瞬だけ驚いた表情を見せた凛はすぐさま鋭さを取り戻す。
「当たり前だろ。アイツは俺が全部ぶっ壊してかみ砕いて喰う。獲り逃がすなんて絶対にありえねぇ」
周囲は相変わらず騒がしいが、それでも際立った異質さを拭い去ってはくれない。
そういえばコイツは根っから独占欲が強い怪獣だったと冴が納得したのと同時に、兄心が珍しく働く。
独特な世界観を持っている凛の心にしっかりと入り込んでいるあの男が凛の隣に居るのは自然の摂理のように思えたのもある。
それからサッカーが上手い人間が義弟になるのは冴にとっても、悪い話ではない。さらに言えば、この年になっても浮いた話のひとつもない凛を正直心配もしていた。
こんな破壊獣にロックオンされているアイツが可哀想だと思う気持ちも無くはないが、凛など比にもならない怪物である奴には丁度いい相手だろう。
恋人というのは結局似た者同士か、互いの欠点を補える相手が一般的には良いとされているのは冴でも理解出来ていた。
「分かった。仕方ねぇから協力してやる」
「いまさらだけど、兄ちゃんって、そういうの分かんのか? ……人の気持ちとか」
「じゃあもう知らねぇよ。言っておくが、少なくともお前よりも俺はモテる」
途端に口を噤んだ凛が目をパチリと瞬かせる。
事実を伝えただけだが、寝耳に水とばかりの顔をしているのが腹立たしい。
相談相手の力量を問うような礼節のない男に育てたつもりはない。そもそもの話、同年代の連中に協力を依頼しろと思うものの、凛が気軽に恋愛相談を出来る相手など存在しないのも事実なのだろう。
葛藤しているのか、心なしか左右に揺れている凛を見ながら、冴はもう一度カフェ・コルタードの生温さを受け入れる。
たっぷり五秒ほど経過した後に、動きを止めた凛は冴と同じターコイズブルーで冴を見つめた。
「……俺は別に他のモブ共なんかにモテなくてもいい。でも、兄ちゃんのいう通りにしてアイツが手に入るならなんだってする」
引っかかる物言いではあるが、その目に映る決意は本物。
これでこそ俺の弟だ。やれやれと首を横に振ったものの、脳内でそう呟いた冴はどこか誇らしい気持ちで凛の成長を喜んでいた。
□ □ □
潔世一はここ半年ほど、非常に混乱していた。
要因としてはいくつかあるが、その中でも特に二つの事象が大きい。
第一に、自他ともに認める終生の宿敵である凛の容姿がこれまでにも増して磨かれているという事だ。
天使の輪すら浮かぶほどの艶やかな黒髪。サッカー選手なのにも関わらず、シミひとつない肌。
女優顔負けの長い睫毛に、見つめていると吸い込まれそうなくらい印象的なターコイズブルーの瞳。
それらは昔から変わっていないけれど、もはや内側から発光でもしているのではないかと見紛うくらいに全ての要素がアップデートされている。
しかもそれは潔だけが感じている錯覚などではない。なぜならば、潔の周囲でも世間的にも『糸師凛のビジュアルが近頃さらにヤバイ』という噂で持ちきりだったからだ。
"青い監獄"で初めて出会った頃から凛の容姿はずば抜けていた。
見目麗しいと言われる千切や氷織とはまた違ったタイプの浮世離れした美しさは潔の目にもまばゆく映ったし、羨ましいと思う時もあった。
あえて努力している様子も無かったのに、それだけの注目を集める男が持って生まれた美貌を磨こうとすればどうなるかなど猿でもわかる。
勿論、そこまでは別に個人の自由だから好きにすればいい。
第二に潔を混乱させる理由としては、そんな太陽すらも霞むほど美しい男が物理的に距離を近づけてくる事だった。
最初はもしかしたら潔の自意識過剰かもしれないと思っていたが、まず呼び出される回数や逆に凛が潔のところまで来る時間が格段に増えた。
そうして会えば大体飲みに行くのだが、ちょっとした事で触れてきたり座る位置がいちいち近い。
ふと顔をあげれば男であっても見惚れるくらい彫像のように整った顔が目の前にあるのは、流石に鈍いと揶揄されがちな潔でも心臓がドキドキと高鳴ってしまう。
だって、美しいものを見て感動しない人間などそうはいない。
しかも前々から年を重ねれば重ねる程、男らしさも相まって外を歩けば誰もが振り返る色男に育っている凛の隣を歩く度に、潔はどうにも複雑な心境に陥っていたのだ。
第一前提として顔形がどうであろうともまずはサッカーが強ければ、潔の中では一定の評価が下される。そこにきて顔の良さや潔が喉から手が出るほど欲しい天性のフィジカルやサッカーIQをも持っている凛は潔だけではなく世間からも大層注目を集めた。
でも、どれだけの熱視線を浴びようとも、絶世の美女から粉をかけられても凛は頑として反応を示さない。
当初は一緒に歩く潔に気を遣っているのかと思ったが、本当に凛にとってはそこらへんに生えている草木と美女の区別がつかないらしかった。
潔から見ればそれこそ自分よりもよっぽどお似合いだろうと思う女性陣を袖にしても、凛は潔を隣に呼びつける。
糸師凛にとっての【特別】──それはずっと凛を追いかけてきた潔にしてみれば、やはり悔しくも嬉しくなってしまう。
そこにきてこの距離の縮め方はどうしたって意識しないでいる方が難しかった。
(もしかして、凛って俺の事……?) そんなワケ無いと脳裏に浮かぶ空想をどれだけちぎっては投げてを繰り返しても、俺だけを見ろとばかりによそ見をすれば肩を小突かれ手を握られたら、いくら潔でもグルグルとまたその空想をしてしまう。
このままではまずいとあえて冗談めかして距離が近い事を注意してみたり、誘いを断ろうとした事もある。
けれど注意すれば『何がだ?』と余裕めいた笑みで受け流され、断ろうにもすぐに電話がかかってきて耳元で『俺と会うのは嫌なのか』なんて少し寂しげな声色で囁かれてしまえば、断れる筈も無い。
容姿の変化だけではない、一気に洗練された所作はどう考えても誰かの入れ知恵だろうと潔でも分かった。
分かった上で、恐ろしいくらいに潔の心をあの日見た放物線と同じく掴んで離してくれないのだ。
元々、"青い監獄"に居た時から潔の中で凛は特別な存在だった。
それは宿敵としてでもあり、超えるべき壁でもあり、憧れでもある。
しかしそれ以外だけではなく、凛自身すら燃やしかねない激情を自分だけに向けて欲しいという他のメンバーには抱いていない願いもあった。
これを恋や愛と呼ぶのかは知らない。何故なら潔がタイプだと自認している"よく笑う人"にどうあがいても凛が該当するとは到底思えないからだ。
だが、少なくとも凛が笑ってくれるならそれは自分の前であって欲しいし、近頃時々見せてくれるようになった凛の笑顔は素敵だとも思う。
だから困る。凛の言動の意図が読めないし、こちらばかりが勝手に意識している気がしていて。
もしも気持ちを察知されていて、からかわれているのならそれこそ潔にしてみれば舌を噛み切って死ぬレベルの案件だ。
けれどそうじゃないのなら、やっぱり少しは意識したっていいのだろうか。
そんな風に悶々と悩みながらもハッキリと拒否出来ないままズルズルと時は過ぎていって、少しずつ凛をこれまでとは違った意味で見る時間が増えていく。
サッカーに関係する以外の邪念はノイズだと思うのに、どうしたって凛の事だけは昔から上手く割り切る事が出来なかった。
だから今日も今日とてドイツで仕事があるからと、当然のように潔の自宅に泊まり、ややゆとりのあるソファーでもぴったりと肩を触れ合わせてくる凛の気配を受け入れる。
シャワーを浴びたばかりの凛の髪は潔と同じシャンプーの匂いがして、触れている部分の体温はいつもより少し高い。
最初のうちはホテルを取っていたのに、面倒くさいからと今では互いに寝室のクローゼットのどこに何があるのかまで知ってしまっているし、数日過ごせる程度のお泊りセットだってしっかり置いてある有様。
これっておかしいよな、と潔が気が付いた時には今更言えるような空気でも無くなっていた。
そしてもし潔がフランスに行く事になって凛に急に自宅立ち入り禁止にされたら多分、傷つくだろう。
目の前のテレビに映るノアが活躍している過去の試合映像を見ながらも、潔はあまり集中出来ずにいた。
だって、シャワーを浴びた凛はいつも潔に断りもせずにこうやって隣に座ると、さりげなく肩に手を伸ばしてきて体を抱き寄せてくる。
──ほらやっぱり、今日だってそうだ。やはり黙ったままでいると凛の大きな掌が肩先に触れてきて、もう密着しようがないくらい近い距離をさらに縮ませようとしてくる。
しかも近頃はそれだけではなく、指先で首筋や耳、さらには頭を輪郭をなぞるようにゆるゆると撫でまわされるのだ。
それだって初めは『くすぐったい』と言って笑えていたのに、シレッとした表情で触られていると、いちいち反応する方が間違っている気がしてきてしまう。
そろそろちゃんとしなければ、きっとこのままではダメになる。なにがと言われると説明できないけれど。
「あ、あのさ、凛!」
「……んだよ」
目線を横に向けると、相変わらず絵画のように綺麗な顔をした凛が座っている。
ちょっと不服そうにしながらも首筋を撫でる指先は変わらずに動いたまま。しかもやっぱり距離が近い。それこそ長い睫毛の一本一本ですらも分かるくらいに。
「えっと……ほら、なんか……最近ずっと思ってたんだけど、……距離……近くないか……?」
段々と小さくなる声に比例して、顔を背ける。
もしかしたらこうやって意識しているのは自分だけなのかもしれないという気恥ずかしさが潔の脳裏に過ぎったからだった。
最初に違和感を覚えた時に凛の兄である冴に念の為、確認を取ったところ『コミュニケーションの一環だから気にする必要は無い』と言われたのを思い出したからだ。
凛が他人を寄せ付けないタイプなのは知っている。けれど、兄である冴がそう言う以上、もしかしたら凛は一度懐に入れた人間にはこれくらい距離が近いのが普通なのかもしれない。
兄同然の存在──それは流石におこがましいかもしれないが、少なくとも凛の中で特別であるという自負は潔にもあった。
うつむいた顎先をさらりと掬い取られる。
昔だったら、恐らくもっと乱暴にされた筈のその手つきはごく自然に行われるのもあって抵抗出来ない。
目をあげればどこか満足げな顔をした凛が魅惑的な瞳で潔を見つめていた。
「お前は俺のツラが好きなんだろ? なら近くても別にいいじゃねぇか」
「んぇ、俺、そんな事……言ったっけ?」
発言の途中で眉をしかめた凛の機嫌を窺いつつ言葉を並べる。
この反応はきっとそういう会話をしたのだろう。潔本人はもう覚えていないが、酒に酔って本音をこぼしてしまったのだろうと納得した。
納得した上で、潔はじわじわと凛が触れている皮膚から熱が伝わらないか心配になるくらいに体温が上昇していくのを身をもって実感してしまう。
だって仮にその会話を経てこのような状況になっているのだとしたら、凛の言動すべてが潔を陥落しにかかっているとしか考えられない。
思わず凛の顔を視界から外すために両手をかざすが、無慈悲な手がそれをはね除けて許してはくれなかった。
「おい、潔。こっち見ろ」
「や、ちょっと待って……俺いまめちゃくちゃ混乱してっかも……」
「……お前は俺とするサッカー好きだろ」
「それは勿論、最高だけど!」
「じゃあ俺の事も好きだろ」
「凛さん!? なに、お前……本当にちょっと待ってよ……」
「待たねぇよ」
思わず敬称をつけて呼んでしまった名前も何もかもすっ飛ばして、罠にかかった獲物をようやく喰い漁る獣のような笑みを唇に乗せた凛が少しずつのし掛ってくる。
「お前が俺をちゃんと意識するようになるまでずっと待ってやっただろうが。もうこれ以上は待たねぇ」
「……そんなの……えぇー……」
「観念しろ」
すっかりマウントポジションを取られ、身動き出来ないがそれが不快では無い。
凛が自分の極狭なテリトリーに潔を招いたように、潔もまた、案外広いパーソナルスペースに凛を受け入れるのにすっかり慣れきってしまっていた。
まさしく適応力を逆手に取られたと思いつつも、ここまできたらこれ以外の選択肢はすべて間違っていると思ってしまうのだから、糸師凛という男はやはり潔世一にとって特別な人間だった。
「いついかなる場面でも俺以外を勝手に見たり隣に置くなんて一生許すわけねぇだろ、カス潔」
怨み言なのか熱烈な告白なのか、それとも勝ち鬨か。
なんにせよ仕掛けられていた罠にここまで気がつかなかった時点でずっと凛の掌の上で踊っていたのだろう。
まさか暴君わがまま男の凛がこんな正攻法で攻め落としにかかって来るとは露ほども考えていなかったのだ。
「はぁ、……お前って本当に予測不能で最高だよ。凛」
近づいてくる顔に自然と瞼を伏せた潔が発したのはもはや敗北宣言に近い。
しかしながら死角から撃たれたダイレクトシュートもかくやという真っ直ぐなセリフに、もはや潔は白旗をあげて降参する以外出来なかったのだった。