小話3 生活の中で、ある程度のルーティンというものは存在する。けれどオフシーズンとなれば話は別だった。
カーテンの開かれた窓から射し込む光は穏やかで、蛍光灯とはまた違った柔らかな薄橙色はフローリングの上におぼろげな影を浮き上がらせている。
エアコンから出ている風がぬるいのもあって、室内はポカポカと温かい。
だが、外に出ればまだ寒いのだろう。早朝にランニングをした時に靴底から伝わる冷えはそれなりに厳しかった。
日が落ちる前に買い物に出掛けようと考えつつ、座っているカウチソファーの正面に置かれたテレビに映る配信サービスのラインナップをチェックする。
新作ホラー映画のサムネイルで心惹かれるものが無いかと適当にリモコンを操作してみるものの、大して興味をそそられるものがない。
唯一気になるものがあるとすれば、かつてプレイした事のあるホラーゲームの実写化映画だったが、つけられている評価の数字がなんとも微妙そうで眉をしかめた。
「りーん、手伝って」
「あ?」
そんな中、ランドリールームの方から聞こえてきた足音と声に顔を後ろに向ける。
振り返った視界の中央、若草色のパーカーとデニムというシンプルな部屋着を着ているのもあって、いつまで経ってもガキっぽさの残る顔の潔が大きな白い洗濯カゴを両手に掴んで立っていた。
──この顔でもう三十路近いとか信じらんねぇな。内心呟いている間に自分の嫁(便宜上、周囲にもそう喧伝している)である潔は、パタパタとスリッパの音を立てて近づいてくる。
そのままカゴいっぱいの洗濯物と共に「よいしょ」なんて爺くさい掛け声で隣に座り込んだ潔に、やっぱりコイツもキチンと年は取るのかと今度はそんな風に思う。
「なぁ、俺、ドラマの続き見たいんだけど」
「……どれだよ」
「一回戻って……それ選んで。サンキュー」
言われるがまま操作すれば、海外のミステリードラマのシーズン2序盤というなんとも中途半端な所から再生される。
前知識も無しにここから見て面白いのだろうかという疑問はありながらも、薄暗い背景に浮かび上がるタイトルロゴと物悲しいBGMのオープニングは、それなりに予算が掛かっているだろう事が窺えた。
しかも主役の俳優は独特な雰囲気ながらも、確かな演技力を兼ね備えているのは自分もいくつか見た映画で確認済み。
「これ一話完結物で結構おもろい。ちとグロいシーンもあるし、お前きっと好きだよ」
「ふん」
別にグロをそこまで求めてはいないが、近頃見ていたホラーはほぼほぼレーティングR18+だったので口を噤む。
背筋をかけぬけるようなゾクゾク感を得る為には、どうしても猟奇ホラーの方が都合が良いからだ。
そのままこちらの膝に洗濯物をいくつか放り投げつつ、隣に座る潔は器用に洗濯物を畳み始める。
ちょっとした家事は当番制でやっているが、どちらも暇な時は一緒にやるというのが暗黙の了解となっていた。
ドラム式洗濯機から取り出されたばかりで生き物のようなじんわりとした温かさを保つタオルや厚手のトレーナーを二人無言で畳む。
その間にも進むドラマは確かに潔の言う通りさっそくグロいシーンが飛び出たかと思うと、主人公の男が悲壮な表情をしながらも調査を開始していた。
二人で掛けても十分余裕のあるソファーだったが、すぐ横に潔が座ってきたものだから長袖やタオルを畳む時に時折ぶつかる。
だが、触れ合う指先にいちいち胸を高鳴らせるような時期はもうとうに過ぎた。これだけ何年も一緒に居れば、隣にこの男が居るという事実に胸を焦がすような事も少ない。
ガキの頃は自分の中に存在する破壊衝動と、この男を屈服させたいという欲求の方が強くてエゴを飼い慣らすのにも骨が折れたものだ。
無論、今でも腹の奥底にあるその燻りは消えないままだったが、常に轟々と燃え盛るように迸る炎では無くなっている。
必要な時に、必要な分だけ。この男を屠る為にはピッチの上でその殺意を百%発揮しなければならない。要は出力のタイミングを見誤らなくなっただけの話だ。
同じチームに所属していても、この男は未来永劫俺の宿敵だ。それは変わらない。
けれど、随分前に贈ったプラチナリングをオフシーズンになると甲斐甲斐しく磨いてから身につける潔のいじらしい姿は確かに愛しく思えた。
ドラマも終盤に差し掛かった辺りで、あれだけたくさんあった洗濯物のかさはあっという間に低くなる。
かわりに互いの横には積み重なった洗濯物が並んでいるが、指を伸ばしたカゴの奥底にあるものを見て自然と目を細めた。
それは潔も同じだったらしく、ほんの僅かに苦笑してからごそごそと似たような色の靴下を探し始める。
ミルクパズルよりかは簡単だが、面倒なその作業を最初から見越していたのだろう。
潔も俺もそれぞれにスポーツブランドのスポンサーがついているのもあって、似たような商品が大量に送られてくる。
シャツやら練習用のジャージやらタオル、それこそ使い切るのが大変なくらいにだ。
だからサイズは違うが、汚れの目立たない黒やグレーが無難だろうという事で似たり寄ったりの色をした品質の近い靴下はお互いに何足も持っていた。
「なー、そっちと一緒のやつ?」
「違う。これはこっちだろ」
「マージで分からん。やっぱり今度から色違いのやつ貰うようにしようぜ」
「それはそれで面倒だろ」
ぶつくさと文句を言いつつも動かす手を止めないまま、少しずつ揃いの組み合わせが発見されていく靴下が増えていく。
案外こういう時間が嫌ではないと気が付いたのは、潔と暮らすようになってからだ。
フィールドという戦場で限界ギリギリまで壊しあって高め合うのは一番気持ちいい。でも、こういう日々の何気ない瞬間を当たり前に過ごすのも、まぁ、それはそれで悪くはない。
こういう事を伝えると『お前も年取ったなー』なんて、腹立つ顔をしながらしみじみと言われるので絶対に口には出さないが。
「それはこっち? でこっちはこれだよな」
「おい、それ寄越せ。左手に持ってるやつ」
「あいあい」
そっと差し出された靴下を左手で受け取ると、戯れのようにそのまま一度軽く握り込まれる。
色彩の暗い布の上だからか、自分の指にはまっている指輪に反射した光が一層明るく見えた。
するりと離れていった指先と一緒に含みのある微笑みが目の前で咲く。
「なぁ、これ見終わったら、飯食べてお昼寝しない?」
張りのある唇から発せられた誘いを無視するほど、淡白ではない。
組み合わせた靴下をカゴに放り込んでから、潔の体を引き寄せて啄むだけのキスを落としてやった。まったく、一体何がこの男の琴線に触れたのだろう。
分からないが、それは自分もよく言われる文句なので興奮する要因は人それぞれだと確認するつもりもなかった。
「……いまじゃダメなのか」
「ダーメ。続き気になるし、腹減ってるもん」
なにが"もん"だ可愛い子ぶるな、という気持ちを込めて舌打ちをひとつ。
だが、ニヤついたままの潔はそのまま体をこちらに預けてくると、手の甲を撫でてからわざわざこちらの手を裏返して握ってくる。
指の股に滑り込んできた潔の指から伝わる体温はいつもより少しだけ高い。
焦らずともオフは始まったばかりで、そもそもコイツはとっくに自分のモノだ。いまさら逃がしようもない。
「昼なに食べたい?」
「パスタでいいだろ。簡単につくれる」
「なに、今日も凛が作ってくれんの? 優しいじゃん」
「別に」
くふ、とまたもや含みのある笑み。ムカついたので強めに手を握ってやれば、犬が尻尾を踏まれた時のように軽い悲鳴をあげた潔が側頭部で頭突きしてくる。大して痛く無いが、仕方なしに指の力を抜いてやった。
「ちょっと巻き戻すな。途中から全然見れてなかった」
「ん」
二人でやればそれなりに速く終わったが、途中から組み合わせを見つけるのに意識がいっていたのもあってドラマの内容がさほど入ってきていなかった。
それは潔も同じだったのか、リモコンを取って数分前に戻し始める。
逆回しになっていく俳優陣を見ながら、そのまま肩にもたれ掛かってくる潔の髪にそっと自分の頬を擦り付けた。