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    ある程度溜まったら支部に置きます

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    凛潔/強化合宿中の話

    アリアドネの糸 部屋の中央に置かれた小さなソファーに腰を下ろす。
     都内から電車で十五分。職場に近い事だけが利点の六畳一間のこの部屋に暮らし始めて、もう随分ずいぶんと月日が経っていた。
     帰宅して早々に風呂に入ってからまとったジャージは、高校時代に着ていた年代物だ。
     中々頑丈だから捨てられずに寝巻きとして使い続けているが、裾の擦り切れ具合を見る限り、もう限界なのかもしれない。
     生地の傷み具合を見ていると、『いつまでも夢にしがみつくな』と言われているような気がした。
     そういえばサッカーボールに触れなくなってからも、かなりの年月が経っている気がする。
     あんなにも、サッカー一筋だった筈なのに、案外諦めてしまえばそんなモノなのだろう。
     手に持った発泡酒のプルタブを立てる。カシュ、という音と掌に伝わる冷たさが疲れた体には少し辛い。
     でも今日はずっと楽しみにしていた試合がある。だからこそ残業を頼みたがっていた上司の目を掻い潜ってまで、こそこそと帰宅したのだ。
     ソファーの前に置かれた、これまた小さな液晶テレビの電源を入れる。
     興奮した様子で騒ぐスタジアム内のサポーターを映し出しているカメラの映像に重なるように、勢いよく選手解説をしている解説者の声がしていた。
     それもそうだろう。何せあの『糸師冴』が、青い監獄ブルーロックプロジェクトでそれぞれ勝ち抜き、世界というステージで力を極限まで高めたメンバーを引き連れ、今度こそ世界制覇を狙って戦う非常に注目を集める試合だからだ。

     青い監獄ブルーロックプロジェクト。──その言葉を聞くと胸が痛くなる。
     何故なら、俺自身もそのプロジェクトに参加したメンバーの一人だったからだ。
     結果的に自分のエゴを貫き通す事が出来ず、一番最初の選考で落とされてしまった哀れな夢破れ人。それが今の俺の姿だ。
     もしもあの時、自分の心に潜むエゴに従っていたのならば、俺もこの画面の向こう側で胸を張っていられたのだろうか。
     そんな考えが頭の中によぎったタイミングで、青い監獄ブルーロックのメンバーがグラウンドへとその姿を見せた。
     湧き上がる歓声、鳴り響く拍手は大体がホームグラウンドである相手チームに向けられた物ばかりだ。
     けれど、敵チームの横でそんなアウェイさなど気にも留めないように、シャンと胸を張って立っている一人の男に目を奪われた。
     糸師凛。糸師冴の弟にして、世界最高のストライカーとすら言われている人物。
     青い監獄ブルーロックの中でも非常に優秀な成績を残しており、当初は冴との不仲説が流れていたが、今ではそんな戯言ざれごとを流布する人間は誰も居ないだろう。
     世界最高峰のMFと言われる冴と、世界最強と呼ばれるFWの凛。
     二人のコンビネーションで繰り出される多彩な攻撃は、予測不能かつ、敵のプライドすらも粉々に破壊するという噂だ。
     画面の向こうでは試合開始のホイッスルが流れ、早速、凛と冴の華麗なワンツーパスが決まっていく。
     それを見ていると、胸の痛みがドンドンと強くなって、開けたばかりの発泡酒の缶を強く握りしめていた。
     そんなに強く掴んでいたら、温くなってしまう。温くなったら、元々美味しくもないのにさらにマズくなる。
     緑色で広大なフィールドの上を、俺ではない十一人が世界一を目指して駆けている。
     「……っくそ、…………なんだってんだよ……」
     もはや画面を見ていられなくて、ソファーの前に置かれたローテーブルに缶を乗せる。
     うつむいた先には布地の薄くなった膝しか見えない。うつむいたのとほぼ同時に、画面の向こうで落胆の溜息が一斉いっせいに聞こえた。
     冴から凛、そうして名の知らぬ選手へと繋がれたパスからのダイレクトシュートはゴールポストへと当たり、フィールド外へと飛び出していく。
     恐らくパスまでは完璧だったのだろうが、相手チームのフォローが早く、シュートする瞬間を狩られたのだろう。
     落ち込んでいる様子の名も知らぬ選手に向かって、凛が話しかけている姿が丁度、画面の中に映っていた。
     「……り、……ん……」
     言い慣れてなどいない筈の名前が唇から零れ落ちる。
     U-20日本代表の奴らを倒そうって、糸師冴を倒したいって、強い眼差しで言っていたのに。
     一番近くに居て、自分が世界一になるのを見届けろだなんて生意気な事を、俺に向かって宣言したクセに。
     「……凛……」
     ハァハァと息が荒くなる。眩暈めまいのような感覚が頭を満たして、座っていられなくなった。
     ソファーに体を横倒しにして目を伏せる。瞼の裏に焼き付いた残像は中々消えてくれなくて、最後まで白く光る四角い枠は脳内に残ったままだった。

     □ □ □

     ズキズキと呑んだ事もないのに二日酔いのように頭が痛む。
     苦い味が口の中に広がっているのは、あまりにも鮮烈で不愉快な夢だったからだろうか。
     のっそりと上体を起こしたベッドの上で周りを見渡す。
     等間隔に並んだベッドには七星と氷織と蜂楽、それに千切が微かな寝息を立ててそれぞれ眠っていた。
     どうやら起こさずに済んだらしい。ホッと吐息を洩らす。
     U-20日本代表メンバーとの試合の為に組まれた十五日間の最終合宿。その日程もついに半分まで来ていた。
     その試合に対して興奮しか感じていないと思っていたのに、こんな夢を見るなんて流石に気分が悪い。
     しかも負けるなんてシナリオ以前の、俺がこの場に立ててすらいない未来だなんて最悪過ぎる。
     ゆっくりとベッドから足を下ろし、みんなを起こさないように部屋を出ていく。
     足元の非常用ライトと頭上から落ちる光は、昼間よりも比較的輝度を落とされているらしく、薄ぼんやりとしていた。
     そのまま近くにある共用洗面所までの道を進み、誰も居ない部屋の電灯のスイッチを入れる。
     壁面に複数取り付けられた鏡に映った自分の顔が、まるで亡霊のように暗い顔をしていて、思わず苦笑する。途端に鏡に映っている幾つもの顔もまた、苦笑していた。
     鏡の下にある白磁で出来た洗面台に近づき、蛇口からお湯を出す。ぬるい温度が汗ばんで冷たくなった掌には丁度いい。
     同じく冷えた顔面に、前髪も気にせず湯をかければ、頭の奥から響く頭痛が次第に収まっていく感覚がした。
     タオルを持ってくるのを忘れた事にそこで気がつき、顔を振って水気を切る。
     それでも拭いきれない水気はそのうち乾くだろうと僅かに湿り気を帯びたままの顔をもう一度鏡で見直した。
     ちょっとはマシになっただろうか。自分ではあまり判断がつかなかった。
     すぐに寝ないで、ヨガでもしてからベッドに入った方が気が紛れるかもしれない。
     けして不安な気持ちになったワケではないが、凛の隣に立てていない自分は嫌だ。そう考えているのを改めて痛感する。

     ふと、背後から誰かが洗面所に近づいてくる足音がして、思わずドアの方へと振り向く。
     振り向いた先には、いかにも面倒くさそうな顔をしている凛が立っていた。
     どうしてこんなタイミングで、と問うよりも先に、凛の手に持たれた歯ブラシセットを見つける。
     近頃オーバーワーク気味になりがちな凛は、誰よりも遅くまで練習しているから、寝る支度をするのも遅くなってしまったのだろう。
     こちらを一瞥いちべつして、そのまま隣の洗面台に立った凛は、何事も無かったかのように歯ブラシに歯磨き粉をつけ始めた。
     何か言おうとしたのに、本人を目の前にすると唇が動かなくなる。
     さっき見た夢とは違って、俺と凛は同じ青い監獄ブルーロックでの仲間で、一緒に試合に勝つ為に努力し続けているのに。不安がる事など、何も無い筈だ。
     分かっているのに、白い枠内で見た映像から感じ取った不快感が脳内を満たしていく。
     鏡に映っている自分は先ほどよりはマシだが、それでもまだ暗い目をしていた。
     とりあえず適当に挨拶だけして離れてしまおうと、口の中に歯ブラシを突っ込んで磨いている凛を横目で確認してから口を開いた。
     「こんな遅くまで起きてんのかよ。練習、ほどほどにしとけよー。お前が具合悪くなったらマジでヤバイんだから」
     俺の言葉に再びチラリと視線だけを向けた凛は、鬱陶しそうに歯を磨き続けている。
     それなら良いとドアに向かう為、凛に背中を向けると、急に衝撃が加わって、前につんのめりそうになった。
     一体全体何事だと凛の方へと体ごと振り返る。この衝撃は背中を掌で叩かれでもしなければ受けない痛みだ。
     けれど、凛はどうでも良さそうに俺の方は見ないまま、口をゆすぐ為にコップに水を汲み入れている。
     人の背中をぶっ叩いておいてシカトとは良いご身分だと、うがいをし終わりスッキリとした顔をしている凛と鏡越しに目が合う。
     「テメェこそ、迷惑かけんな」
     「はぁ……?」
     「辛気臭ぇ顔してんじゃねぇよ」
     半ば睨みつけるような瞳をしている俺とは違って、鏡越しに見た凛の目は光の加減なのか、いつもよりは穏やかに見えた。
     透き通る青い瞳を見ていると、ささくれだっていた心が嘘のように静かになっていく。
     あんな夢なんて、ただの空想だ。……いや、もしかしたら一番確率の高かった未来だったのかもしれない。
     けれどそんなモノはどうだっていい。今の俺は青い監獄ブルーロックチームの11傑イレブンに選ばれたエゴイストの一人だ。
     そうして凛と一緒に、U-20の奴らに、糸師冴に、絶対に勝つ。
     パチリと再び凛と鏡越しに目が合う。そこに映った俺の顔は、もう迷いの一片も残ってはいない。
     「誰が辛気臭い顔だよ! ……ま、さっきまではそうだったかもしれないけど。……ありがとな、凛」
     そこまで一気に言い切ると、クルリと体を反転させ、今度こそ洗面所のドアを抜けて部屋へと早歩きで戻る。感謝の言葉なんて素直に言うのは気恥ずかしい。特に凛相手には。
     言い終わった途端に、なんだか頬が熱くなるのも自覚していたから。
     だから言い逃げしようとしていたのに、凛が発した小さな舌打ちと『ぬりぃ』という呟きが追いかけるように鼓膜に響いてきて、少しだけ笑ってしまったのは俺だけの秘密だ。
     ────きっと、今夜はもう悪い夢は見ないだろう。
     瞼に残っていた白い枠の残像はとっくに消え失せて、凛の青い瞳と顔を戻す間際に見えた、"らしくない"表情だけが目に焼き付いていた。
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