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    烏氷/無自覚嫉妬氷と分かってる烏

    Compare apples and oranges. 「あ、」

     烏! とそこまで広くは無い道路の向かい側の歩道に居る人物に声を掛けようとして、開きかけた唇を噤む。
     同時に腕に掛けていた一番小さなビニール袋に入っているヤクルトと、おかかのおにぎりが中で揺れ動いてかすかな音を立てた。
     もう二年間も同じ道を通っているものだから、グラウンドから自宅までの重苦しさを感じる道のりも、その途中にある緑と赤色がよく目立つ看板をしているコンビニも、何もかも見慣れている。
     そんな光景の中、唯一見慣れないモノをどうしても目で追ってしまう。
     厳密に言うなら知っている筈なのに、まるで知らない人のように見えたから──余計に目が反らせない。
     丁度、自分の位置からしか見えないのか、少し離れた場所で談笑している友達たちは烏の存在に気が付いていないようだった。
     今日はユースチームでの公式練習日では無い。
     けれど、学校から牢獄のような自宅に直帰する気分にもなれなくて、友達に誘われるがまま自主練に付き合う事にしたのだ。
     そして、自覚はあるが、どうやら見たくない事柄ほどタイミング悪く覗き見てしまう星の元に生まれているらしかった。

     歩道を歩いている制服姿の烏は、いつも通り黒い髪を軽く後ろに撫でつけるように硬くセットしている。
     そうして、カッチリとしすぎてはいないが、けしてだらしなくは無いラフな着崩し具合が完璧にセットされた髪形によく似合っている。
     なまじ目が良いからか、まぁまぁ離れた距離なのに普段は身に着けていない筈の細身のシルバーバングルがキラリと光っているのすら見て取れた。
     いかにも充実した"高校生"として立っている烏の隣には、同じくらい小洒落た男女がおり、中でも烏の左右に立っている女の子たちは烏に向かって熱い視線を投げ掛けている。
     ────例えるならば、静かに獲物へ狙いを定めている鷹のよう。

     一緒にサッカーをしている時の烏なら、声をかけるのに躊躇ためらう事などない。
     『敬語を使え、非凡』という言葉が返って来たとしても、それは互いに冗談を言い合っていると了承しているから。
     でも、あそこに立っている烏は全然別人のように感じられてしまって、ゆったりと足を動かしながらも、やはり目が離せない。
     数台の自動車が軽いエンジン音を立てながら、黒いアスファルトの上を進んでいく。
     丁度、銀色の車体が横を通り過ぎた瞬間に夕方になりかけている空から降り注いだ光が磨かれたボンネットに映って、その眩しさに目を細めた。
     乱反射するオレンジが虹彩をく。それと同時に、何故か前を向いていた筈の烏が顔を動かして、確かに僕を見つけたのが分かってしまった。

     薄い唇が弧を描く。含みを持たせているのが伝わるニタリとしたお決まりの笑み。
     それなのに、あっさりと前を向いてしまった烏は何事も無かったように隣の女子だけでは無く、男子とも満遍なく会話をしながら楽しそうに自分達とは反対の方向へと進んでいってしまった。
     その姿に『面倒だから声をかけてくれるなよ』と釘を刺されたかのような錯覚を感じ、何故か息苦しさを覚える胸元を無意識に握り込んだ。
     烏にサッカー関連だけではない友人関係があるのなんて、よく分かっている。
     口は悪いが、冷静な観察眼に基づいて的確なアドバイスをしてくれる烏は意外にも友人が多いからだ。
     でもあんな風に振る舞われると、それはそれで結構、傷つく。
     アイツが近づいたと思ったら突き放してくる読めない曲者くせものなのは重々承知の上だとしても。
     「……ほんま、ド畜生な奴」
     「氷織? どないしたん。なんかあった?」
     「んーん、なんでもない」
     知らず知らずのうちに立ち止まってしまい、みんなと距離が開いてしまう。
     それを心配したのか、少し前に居る友人の一人が声をかけてくれた。
     ポツリと呟いた独り言は聞かれてはいないらしく、安心する。

     仲間を追いかけがてら憂さ晴らしにビニール袋に手を突っ込んでヤクルトを取り出し、赤いホイル状の蓋をもぎ取ってから口元へと運んだ。
     自棄やけ酒ならぬ、自棄やけヤクルト。無論、酒の味なんて知らないし、そんな物を飲んだのがバレたら、両親から数時間の説教コースになるだろう。
     元々小さなヤクルトはあっという間になくなってしまい、自棄やけヤクルトタイムは一瞬で終わってしまう。
     ついでに喉を通る乳酸菌の甘さは、結局体を健康にするだけだと、自分の事を鼻でわらった。

     □ □ □

     コンビニおにぎりというのは種類が豊富なのもあるが、何よりも開封のしやすさが良い。
     てっぺんにある①と書かれた場所を引き下ろせば、ぺりぺりという音を立てたおにぎりから細かな海苔の欠片が宙を舞った。
     「すじこ握りとか、よう食うな。 ありえへんわマジで」
     「うっさ。烏くらいやで? "バケモノの細胞"とか言ってきらっとる奴」
     「いや、どう考えてもそうにしか見えへんやろ」
     くるりと一周させてから今度は②と③と書かれた部分を外し、手に掛けているビニールにゴミを突っ込む。
     綺麗な黒い三角形が出来上がる間、あからさまに嫌そうな表情のまま、べ、と舌を出した烏は僕の隣で"BIGやきそばパン"とポップな字体で書かれた袋の上を開ける。
     すぐさま漂ってくるソースの香ばしい香りに勝手にヒクつく鼻をなだめながら、目の前にある醤油漬けすじこおにぎりに歯を立てた。

     道路の向こう側でいつもとは違う烏を見かけてから約一週間。本日も公式練習日ではない。
     けれど今日は烏から誘われて一緒に自主練をする事になり、こうしてルーティンめいた買い食いをしながら揃いのジャージを着て、いつも通りさほど広くは無い歩道を二人並んで帰宅している。
     正面から照ってくる夕日はこの間よりも少し曇っているからか、穏やかな色をしていた。
     道の端に所々立っている電信柱の影が伸びているように、僕と烏の影も後ろに伸びているのだろう。
     あえてそれを確認するつもりも無いが、一週間前と違って今日はふたり分の影しか無かった。

     あの日からどうにも烏に声をかけるキッカケを見つけられずにいた。
     とは言っても、別に話をしないワケでは無い。そこまで露骨に避ける程、子供でもないし、そんな事をする理由も無いからだ。
     それに烏から声を掛けられる回数は変わっていないし、軽口の応酬も普段通り出来ている。現に他のメンバーには一切悟られていない自信があった。
     でも、烏にだけはバレてしまうのだろうと半ば諦めと、ほんの僅かな"期待"が脳内を巡っていた。
     予想通り、うまい具合に僕だけを帰りの寄り道に誘った烏の方へとそっと視線を向ける。
     ほぼ変わらない背丈なのに、童顔な僕とは違い、スッと通った鼻筋と目元にある小さな泣き黒子がクールな印象をさらに強めていた。
     隙を見せない曲者くせもの。辛い事もあると言っていたけれど、弱音を吐く所を未だ見ていないし、ゲームプレイ中の腕の使い方や全体を見通す視野の広さは群を抜いている。
     烏をずっと観察していた時から感じたその印象は、今でも変わっていない。
     「……だからジッと見んなって。ちっとは年上に気ぃ遣え」
     「……そっちだって僕の事、無視したんやから文句言う権利ないやろ」
     「無視……?」
     勝手に口から洩れた言葉が、自分でも思った以上に拗ねた音をしているのに驚く。
     そうして自分があの時感じたのが疎外感だった事にようやく気が付いた。

     ユースチームに居る間は、自分たちの間に垣根は無いと信じている。けれどそこから先、トップ昇格出来る人間など本当に一握りだ。
     いくらサッカーが好きでは無くても、このチームに居るメンバーが少数精鋭の実力者であり、メンタル面も強い奴らばかりなのはよく分かっていた。
     気持ちもあって、実力もあるメンバー達を押し退けてまでプロになりたいかと問われれば、答えは否だ。
     でも、自分が"氷織羊"である限り、両親はプロになるまでその"期待"を背負わせ続けてくるのだろう。
     高校からプロという最短ルートが難しくても、大学を経由してプロを目指すフットボーラーは多い。
     烏が今後、どの道を選ぶのかは知らない。
     けれど、プロ入りしても、大学に行っても、きっとそこで上手いこと新しい人間関係を構築していくのだろう。
     自分は烏に出会うまで、親の言いなりになってずっと生きてきた。
     そうやってゾンビみたいに生きてきた自分が、こうして帰り道に買い食いをするような少しは真っ当な青春を謳歌おうか出来ている。
     あのオレンジ色の世界の中で、僕は確かに烏に救われたのだ。

     自然と掌の中にあるおにぎりに視線を落としていた。
     既にしなび始めている噛み跡の残る海苔と米の中でキラキラと光る赤褐色のすじこは、そう言われると謎の生き物の卵にも見えてくる。
     「……氷織……お前、前から思っとったが、結構アホやな」
     「はぁ? ……うわっ……!」
     いきなりの暴言に顔を上げる前に、大きな掌がぐしゃぐしゃと髪をかき乱していく。
     乱れた前髪の向こうでいつもより柔い眼光の烏が、何故か満面の笑みを浮かべていた。
     いつもニタニタとしているから分かりにくいけれど、どうやらかなり機嫌が良いように見える。
     こちらはいきなり暴言を吐かれた挙句、あらぬ方向に動かされたせいで前髪すらもおかしなパート分けになってしまっているというのに。
     けれど、こうやって人に頭を撫でられるのはいつぶりだろう。
     両親は少しの怪我もさせたくないと、壊れ物を扱う手付きでしか自分に触れてこないし、あの二人には極力触れられたくない。
     ひとしきり撫でて満足したのか、やっと離れていった烏の指先からはほのかに香ばしい匂いがして、それを名残惜しいと思ってしまう。
     他人に触れられてこんな風に思った事なんてない。この気持ちを烏は知っているだろうか。
     湧き上がってくる感情の名前もよく分からないまま、恐る恐る烏を見つめた。
     「……どーいう意味や、それ」
     「知らん。ちっとは自分で考えろ、ボケ」
     鋭い言葉とは裏腹に、ふ、と笑った烏は本当に答える気は無いのかさっさと進んでいってしまう。
     夕日に照らされた背中が遠ざかってしまうのを、今度は見送るだけでは無く急いで追いかけた。
     空いた手で髪を整えつつ並び合うように隣に立てば、チラリと投げかけられた視線。追いかけてくるのが当然だとでも考えているのが分かる黒い瞳が再び前を向く。
     名前が示す通り、濡羽色の虹彩と凛とした横顔を撫でるオレンジ色は先ほどよりも深みを増し、未だ愉快そうに口端が上がっている。
     そんな僕らの周辺にある街灯は、ゆっくりと夕闇に変化していく世界を照らし出す為なのか、徐々じょじょに人工的な光を宿し始めていた。
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