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    asagiiro_03

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    羽鳥さんと神楽さん(と槙くん)

    2022/02/13 春を目前にしたこの季節がなぜかいちだんと冷えこむ気がするけれど、人々がどこか浮かれた調子なのは街全体が赤やピンクのリボンで染められているからかもしれない。以前会った日から少し間を空けて訪れた幼なじみのアトリエは、人払いをしてくれたのか誰もいなかった。静かで落ち着いた空間だけれど、あちこちに見えるのは今まさに進行しているコレクションの一端なのだろう。ここを訪れるとき、よく知る友人の知らない一面に触れるかのようで、槙はいつも背筋が伸びる。この場所は神楽のテリトリーであって、たとえ本人から招かれても許されても、槙は神楽のそこには入れない。それを寂しいとは思わない。そうではなくて、ただ、ここに立っていて恥ずかしくないようにしたいと思うのだ。
     「寒かったでしょ」、と神楽がコーヒーを淹れてくれた。長居をするつもりはなかったのだが、慣れ親しんだ友人との空気は気をゆるませる。本当に切羽詰まっているのなら神楽ははっきりそう言うはずなので、槙も多少は推し量ってソファーに腰を落ち着けた。気晴らしくらいしたいかもしれないし。心配していた神楽の顔色は悪くなく、徹夜のあとも見られなかった。畳もうとしてはずしたマフラーは冷たい冬の空気を含んでいた。
    「ごめん、わざわざありがと」
    「いや、忙しいのわかってるし、俺が亜貴の様子どうかなって見に来たかっただけだから。元気ならよかった」
     神楽が自身のマグカップに口をつけようとして、ふっとその湯気が揺れ、笑ったのだとわかった。何も言わずにコーヒーを飲みこんだけれど、彼の言おうとしたことはおそらくいつものあれだろう。いわく、「慶ちゃんらしい」。なにが槙らしいのかそのポイントは槙がそうしたいと思ってしていることなので、言われるまでのことだろうかとつい否定したくなる。
     「あ、そうだ」と神楽がなにやら思い出したように立ち上がったのは、彼らが裏で組する情報屋の報告を手早く終えたあとだった。
    「これ、慶ちゃんとこもいっぱいだろうけど、なくならないからよかったら好きなの食べてって。いただきものだけど」
     目の前に広げられたのは、品よくお洒落な小箱の数々、瓶やカゴをひとまとめにしたトレーだった。外見の彩りに反して中身は小さな茶色が整然と並ぶ。小分けのものが種類ごとに瓶やカゴにまとめられているのは、ここのスタッフの計らいかはたまた目の前の彼か。性格が出ているように感じる。
    「バレンタインだもんな」
     ありがたく、といくつかつまむ。もらい物とはいえ彼のところに集まるだけあって、どれも選び抜かれた品なのだろうとわかる。パッケージのロゴや飾りは、誰もが知る一級品のチョコレート店ばかりだ。
    「ん、これスパイスのチョコレートか。ここの珍しいな、こっちじゃあんまり見ない」
     独特の風味が鼻を抜け、チョコレートと混じりあって溶ける。
    「ああ、それ」
     槙が手に取ったものと箱のロゴを神楽の視線がすべった。
    「何個か残しといて。羽鳥のだから」
     幼なじみの口から出た名前に、槙は思わず顔を上げた。彼が自分からあの男の名前を出すのが単に珍しかっただけだ。いわゆる犬猿の仲とも言える羽鳥と神楽は、嫌いあってこそないものの互いに向ける感情をひとことで説明するのは難しい。いつもは話題に上がって思い浮かべるだけで苦々しい顔をする神楽だが、いまはなんともないようにさらりと透明な感情が表情にのせられている。
    「羽鳥?」
    「うん。それもいただきもので、この時期に来たとき羽鳥にもチョコレート出してるんだけど。羽鳥、じっくり見てるくせにいつもそのチョコレートに一番に手を伸ばすんだよね。知らないけど、好きなのかと思ってとりあえず毎年出してる」
     ふうん、と槙はうなずいてもうひとつ手に取ってみる。ふだんあれだけ言い合っている相手の好きだろうものをわざわざ取っておくその行動に、なにかしら思わなくもなかったが、指摘されるのは嫌がるだろうから胸の内に留めておいた。
    「羽鳥、これが好きなんだな」
    「羽鳥らしいって言えなくもないけど」
    「はは、なんかわかる」
     人を選びそうなその味は、あの軽やかな友人になぜだか似合う気がして槙は小さく笑った。



     羽鳥が神楽のアトリエを訪れたのはその数日後のことだった。事前に聞いていた資料だけ受け取って門前払いするつもりが、あれよあれよとペースに乗せられいつの間にかコーヒーまで淹れさせられている。舌打ちも一緒に入れてやろうかと余計にコーヒーをかき混ぜ、神楽はしかめ面で、ソファーに腰かけている羽鳥にたずねる。
    「さんざんもらってるだろうからいらないかもしれないけど、チョコレート食べる?」
    「いいね、いただこうかな。甘いものの気分だったんだよね」
     まるで自分の部屋かのようにくつろいだ姿勢の羽鳥は、神楽の不機嫌にも見て見ぬふりをする。戻ってきた神楽がチョコレートをテーブルに広げると、羽鳥は品定めするようにひとつひとつじっくり見つめ、やがてそれが一点に留まる。向かいでコーヒーに口をつけながら、なんとはなしに神楽もそれを見ていた。羽鳥が目を留めたのはやはり、そのチョコレートだった。しかし今日はいつもと様子が違う。
    「これさ」
     口から生まれたようなこの男が珍しく、なにか迷うように言葉をとめる。その口の端は軽薄な笑いを刻んだまま。神楽は怪訝に眉をひそめる。そして数日前の槙との会話に思い至る。
    「……もしかして、慶ちゃんからなんか聞いた?」
     羽鳥は何も言わずに笑んだだけだったが、それがすべてを物語っている。しかし神楽には羽鳥のその反応が意外だった。彼がそれを知ったなら、考えうるかぎり最悪な演出で「神楽が俺のために?」などとからかってくるにちがいないと思っていたのだ。神楽は盛大にため息をつく。
    「槙はべつに悪くないよ。これが好きなんだなって言われただけ」
    「そんなの当たり前。慶ちゃんが悪いことなんてひとつもないから。悪いのは羽鳥の性格と底意地でしょ」
     言いながら神楽はソファーに背中を預けて沈み込んだ。別に知られたくなかったわけではないし羽鳥のために用意しているわけでもないが、もうどのように受け止められてもいい。悪いことはしていないのだ。ただあるから出しているだけなのだから。
     覚悟を決めたというより諦めた神楽に対して、それでも羽鳥はどこか歯切れ悪く、チョコレートに手を伸ばすこともしなかった。t
    「羽鳥がいつもそれに一番に手を伸ばすなって僕が勝手に思ってただけだから、好きじゃないならべつに食べなくてもいい」
    「ううん、ちがくて。ただ、本当に、……無意識だったんだよ。まさかこれがここにあるなんて思わなかったし、もらいものって言ってたから毎年これをくれるところがあるんだなあくらいにしか思ってなかった」
     要領を得ない語り口に、神楽はなんの話を、と言いさしの言葉を空気だけ吐き出した。
    「俺じゃなくて、俺の母親が好きだったんだ」
     その声を脳が処理するのに時間がかかった。一拍置いて、神楽は思わず盛大に息を吸う。
    「はああ?」
     羽鳥の、感情を感じさせない色のない笑みの向こう側に、戸惑いが見えた気がした。一瞬で神楽のなかに怒りが込み上げる。彼がどうこう言ったわけではないが、なんとなく羽鳥と家族の話はタブーのように口をつぐまなければならないと思っていた。そういう話題なのだ。それをわざわざ本人に言わせているこの状況に。というより自分に。
    「そんなの」
     バカみたい、と吐き捨てそうになってまた息をとめる。バカみたいじゃないか。それを「羽鳥が好きだと思って」「羽鳥のために」用意していた自分が。いや、間違っても彼のために用意していたと認めるわけにはいかないが。
     全力でからかってくると思っていた羽鳥が、今度こそ吹き出すように笑った。しかしからかいのそれではなかった。神楽はむきになって言い継ぐ。
    「『羽鳥が』好きじゃないなら、べつに無理して食べなくていい。嫌なら二度と出さないしこのおいしさは慶ちゃんとか桧山くんとか、羽鳥以外の人が味わえばいいだけだから」
    「うん、おいしいよね。でも好きかどうかはわからない。わからないから食べるんだよ」
     神楽はまた眉をひそめる。「それにほら、せっかく神楽が俺のために用意してくれてるものだし」とそこで余計なウインクが入っていっそうげんなりした。
     「確認作業なんだよ」と羽鳥は言った。
    「子どものころ、このチョコレートを母親にもらって初めて食べたとき、あまりにおいしくなくてびっくりした。チョコレートって甘くておいしいものだと思ってたから、独特な変な味で、はは、ほら、今の神楽みたいな顔になってたよ」
    「……子どもが好きな味ではないかもね」
     神楽は肩をすくめるように相づちをうつ。
    「でもそれが子どもだから、とは思わなかったんだよね。母親の好きなものだったから、この人の好きなものを好きになれない自分が」
     言いながら羽鳥の声は最後まで言い終えることなく小さくなっていく。神楽がいることを忘れているように、視線はテーブルの上に注がれている。いつも自分の気の乗らないことは絶妙にかわす羽鳥が、なぜいまその話をしているのかわからない。それも神楽に。しかしわからないのはもしかしたら神楽だけではないのかもしれない。母親の好きなものを好きになれない自分が、さびしかったのだろうか、悲しかったのだろうか。答えが出ているのかもわからないが、そこだけは明確に言うのを避けたのだということは神楽にもわかった。だから「確認作業」なのだ。今の自分はそのチョコレートを好きだと思えるのかどうか。
     だんだんと面倒になってきて、神楽は投げやりに言った。
    「あーもうわかったわかった。食べなくていいから」
     わざと大きな声を出し、羽鳥の視界からそのチョコレートの小箱を遠ざけた。羽鳥の視線が箱を追いかけて、我に返るように神楽の顔を見る。
    「っていうか、あのさ、もう大人なんだから、食べものなんて好きなもの好きなだけ食べればいいでしょ。好きかわからないもの食べてないでさ。ほら、まだいっぱいあるんだから、自分の好きなものだけ食べなよ」
     いつも早すぎるくらい切り替えの早いこの男が、ことこの話題に関してはじめじめときのこでも生えそうに未練がましい。神楽の言う声になぜかきょとんとしていた羽鳥はしばらくして「そうだね」と笑い、瞬く間にいつもの羽鳥に戻った。
    「それも食べるよ」
    「はあ? いいって言ってるでしょ」
    「なんで、神楽が俺のために用意してくれてるチョコレート」
    「だから、べつに羽鳥のために置いてるわけじゃないから!」
     羽鳥の声がいつもより浮かれていて、これはこれでめんどくさい、と神楽はそう思う。



    「神楽、俺が好きだと思って、俺の好きなチョコレートを出してくれてたんだって。神楽がだよ?」
     槙との話題が神楽の話に移り変わったとき、羽鳥はカクテルグラスを持ち上げながらさらりと告げた。馴染みのバーに今日はふたりだけだ。槙はあたかも初めて聞くようにへえ、とうなずいておいた。よかったな、と言いそうになったのは羽鳥が嬉しさを隠しきれていなかったからだ。ちょっとおもしろい。
     「あそこのチョコレート、好きなんだってな」と何気なく振った話題に、珍しく驚いた顔が返ってきたのは記憶に新しい。どうやらその話を携えて神楽のもとを訪れたようだ。もしかして余計なことをしただろうかと、ここにいない幼なじみに罪悪感が芽生える。この調子だとさんざんからかわれたにちがいない。
    「ほどほどにしとけよ。羽鳥のためじゃないって言われたんだろ」
    「見てたの? ああそっか、俺のためじゃなくて、なぜかいつも出してくれる『俺の好きな』チョコレート、だよね」
     楽しそうな友人を横目に槙はため息を吐く。上機嫌なのを、おそらく隠そうとはしていないのだろう。これが神楽の前だと違ったのだろうが、槙の前だからなおさら。羽鳥はじっと暗い店内の照明に透けるカクテルの色を見つめて、落ち着いた声で言った。
    「神楽ってやさしいよね」
     槙は黙り込む。それを本人のいないところで言うところがこの男らしいと思う。
     神楽の前で言ったところでからかっていると思われるだけだろうが。それは素直に受け取れない神楽だからで、そして相手が羽鳥だからだ。「本人に言ってやれよ」とも思うが神楽の反応を考えると槙もそれはすすめられなかった。いや、きっと神楽の前では言わなかったし、言えなかったのだ。それを冗談にしてしまいたくなかったから。気づいて槙はまたため息をこぼしそうになる。
     だから今はまだ、逆の言葉を贈るしかない。
    「それ、亜貴の前では言うなよ」
     嗜めるようにじとりと見つめると、羽鳥からは予想通りお決まりの「なんで?」が返ってきた。
     もったいないなと槙は思う。羽鳥の声音は本心そのもので、それを神楽本人ではない槙だけが受け取っているというこの状況が。せっかくなら、と思ってしまう。
     手のなかで溶けた氷がからりと音を立てた。
     いつかこのしょうがない友人の言葉が、あのしょうがない友人に正しく伝わればいいとそう思う。
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