あの兄弟は箱庭の山を登ってる ずっと、このボクとちっとも似ていない片割れは幼馴染みと恋をしているのだと思ってた。
「してないよ。するわけないじゃない」
二年ぶりにガラルに帰ってきたボクに、ユウリは何でもないことのように言う。シュートシティの一等地に建つこのカフェは、ボクがガラルに居たころには、まだ出来たてで連日行列が出来ていていつ店の前を通ってもちっとも入れそうになかったが、二年も経つと熱気も幾分落ち着いたようだ。程よく空いた空席の中でも端っこを選んで座り、足元に大きなバックパックをねじ込む。周りがチラチラとこちらを見てはすぐに手元のグラスに視線を戻しているのを横目に、ボクは姉に再度問う。
「ボクはホップが義兄になるんだと思ってた」
「……なんでそう思ったの?」
「だってあんなに仲が良かったのに」
名物だというスコーンは岩みたいに固くて大きくて、チョコレートの塊がゴロゴロ入ってる。なのにユウリはモモンジャムをたっぷり山のように盛って、もうスコーンを食べているのか砂糖を食べているのかという様相。ボクはアイスコーヒーをちびちび飲みながら、お腹も空いていないのに頼んだバゲットサンドを持て余してる。
「仲が良いと恋しなきゃだめなの」
口元にチョコレートを付けながら、ユウリは言う。ボクは少し考えて「そうじゃないけど」と返した。
「そうじゃないけど、ユウリにとってもホップは特別だったじゃないか」
「特別と恋は違うでしょ」
「違うけど。じゃあ、何?ユウリとホップはただのおともだち?」
カシャ……。カメラのシャッター音を模した音が斜め後ろから響いた。振り向こうとしたボクをユウリが視線で止める。チャンピオンに君臨したばかりの頃とは違う、手馴れた反応にボクは少し面食らう。
「あーあ、明日熱愛報道出ちゃうかも」
「はあ?」
「熱愛報道出ちゃった後で、これマサルくんじゃないですかってファンのみんなにかばわれちゃうかも」
「ああ、そういう」
「覚悟しといてね」
「いいよ、そのくらい。姉弟なんだから……」
斜め後ろでは、女の子たちが小声で「音出ちゃった」「やばい」なんてヒソヒソやってる。やばいのは音が出てボクたちに写真を撮ってるのがバレること?どう考えても、カフェでお茶してるヒトを勝手にコソコソ撮るほうじゃないか?
「まあ、ガラルじゃチャンピオンもジムリーダーも色違いのタチフサグマと変わりないからね。珍しいから撮るんだよ。誰かに見せたくて撮るんだ」
あ、とユウリが大きな口を開ける。少なくとも二年前の姉は、知らない人間に隠し撮りをされていると分かっていてこんなに自由に振る舞えはしなかった。二年という時の中で、姉は環境に適応したのだ。もしくはチャンピオンとしての責務と割り切ったか。
「マサルにとっては、ホップって何」
「……そりゃ、幼馴染み……大事な……」
「おともだち?」
「ウン。うーん?いや、それよりもっと……」
「もっと……上?」
「上とか下とかじゃ」
「上とか下とか、なんじゃない?」
キャラメルマキアートをごくごく飲むユウリは、分かっていますよと言わんばかりだ。そんな表情にボクもムッとして返すと、テーブルの下でつまさきを踏まれる。
「上とか下とかなんじゃない?マサルの中で、ホップはテッペンなんだよ。おともだちタワーのテッペン」
「……バトルタワーみたいに言うね」
「似たようなもんでしょ」
ボクは足を引っ込める。抗議するかのように、ユウリの足が伸びてきて、バックパックを蹴って戻った。
「ホップはね、あたしのライバル」
「……うん」
「ライバルはね、タワーのテッペンにいないの。タワーのテッペンを目指す同士なの」
「うん」
二年は、長い。ボクの背はぐんぐん伸びて、座っていてもユウリを見下ろす形になる。ユウリは髪を伸ばして後ろでひとつにくくってる。ねえ、ユウリ、その髪型さ、巷じゃキミのエースポケモンになぞらえて、インテレオンの尾っぽって言われてるんだ、知ってた?
「それにホップのタワーのテッペンにはね、ずっと居るから」
「だれが?」
「やだ。知らないはず、ないじゃん。あたしたち、ずっと聞いてきたでしょ、ホップのだあいすきなあの人のこと」
「……それってあの人のこと言ってる?」
「そうだよ」
「違うんじゃない、それって……なんだろ、タワーの種類が。ボクはユウリが大事だけど、それこそ上も下も……タワーもないよ。家族なんだから」
「何言ってんの」
カシャン……再び鳴ったカメラアプリの音。店員さんが「すみません……」と女の子たちに注意をする声。周りの人たちの意識が見知らぬオトコのコとお茶をしにきているチャンピオンから女の子たちに移る。ユウリは笑ってた。知ってるよ、分かってるよとでも言うように。教えてあげるとでも言うように。
「あたしとマサルはセックスしないでしょ」
ボクのつま先を、ユウリは踏んだ。