舐めとけば治る ヴィスキントの街角で、見慣れた色を見つけた。白とも銀ともいえる特徴的な髪色。だがそれは、最後に見た時より随分短くなっていた。ロウと同じくらいだろうか。好青年の雰囲気がより一層際立って、見慣れないながらも彼らしさがある。
「アルフェン、来ていたのか。短い髪も君によく似合、って……」
近づいたことではっきりと見えてしまった。髪で隠せなくなった左耳に大きな傷痕がある。ズーグルの爪で裂かれたのだろう。思わず彼の後頭部と額を掴んで傷跡を確認してしまう。よく見れば傷痕は耳だけでなく頬にも残っていた。傷痕の薄さから推測するに攻撃が掠めただけのようだが、五感のひとつを司る場所だ。異変が生じてもおかしくない。
「大丈夫だ。もう塞がってるし、あんたの声もちゃんと聞こえてるよ。少し油断しすぎただけだ」
急に頭を掴まれたというのに、アルフェンは苦笑しながらテュオハリムを諭す。まるでこうなることが分かっていたと言わんばかりだ。
「それより街中で目立ちすぎだ」
「君にとっては時間の経った怪我かもしれないが、私はたった今知ったのだ。多少は多めにみたまえ」
長い溜息を吐きながら、乱れてしまった髪を撫でつける。
「この髪もそれが理由かね?」
「ああ、左だけ短くなってしまったから整えてもらったんだ。あんたが気に入ったみたいで良かったよ」
「その話を聞いた後では君にしてやられたような心持ちだが……この後の予定は?」
「しばらくはヴィスキントにいる。あんたの手が空いてたら会いに行くつもりだったから、ちょうどよかった」
「では滞在中は私の部屋を使うといい。早速荷物を置きに行くとしよう」
アルフェンの腕を掴んで歩き出す。「そんなことしなくても逃げないぞ」と笑われてしまったが、テュオハリムの胸中は穏やかではない。息一つ乱れていないにも関わらず、心臓だけがいやに早く脈打っていた。
宮殿内の私室にアルフェンを連れ込んで、ようやく掴んでいた腕から手を離す。
「久しぶりに会ったのにそんな顔しないでくれ」
「……すまない。だが私自身も驚いているのだ。君が怪我をするところは何度も見てきたというのに、傷痕を見ただけでこうも動揺してしまうとは」
「シオンやテュオハリムに治してもらってた頃に比べれば、これくらい擦り傷みたいなものだ。多分あと二、三日もすれば殆ど見えなくなる」
「そうだな、君の言う通りだ」
「不安なら触ってみるか?」
アルフェンがテュオハリムの手をとって、自らの耳へ導く。促されるままに指先で耳介をつまんで、上から耳たぶまでをそっと撫でた。
「っ、くく、思ったよりむず痒いな」
「堪えたまえ」
耳全体を手で包んで、皮膚の下にある軟骨を確かめる。幸い、裂けたのは皮膚だけのようだ。テュオハリムが検分している側でアルフェンはくすぐったいと首を竦める。髪が短いおかげで堪えきれずに笑う顔がよく見えた。眉と目尻を下げた屈託のない笑顔は、旅をしている時にはあまり見なかった表情だ。戯れに首を撫でるとより一層笑みが深くなる。ああ、可愛らしいな。うっかり毒気を抜かれてしまい、テュオハリムの顔が緩む。
「そろそろ納得したか?」
「そう問われると、少々釈然としないな」
アルフェンの怪我はほぼ完治している。傷痕も数日で見えない程薄くなるはずだ。触れなければ分からない箇所も実際に触って異常がないことを確かめた。
それでもなお、テュオハリムの中には不安とも焦燥ともつかない感情が燻っている。
「私が共に戦っていたのならすぐに治せた、いや、それ以前に敵を絡めとってしまえば君が怪我をすることもなかった……とは、考えても仕方がないと分かっているのだが」
「シオンもだが、治癒術が使えると傷口より痕のほうが見慣れてないのかもしれないな」
「確かに、一理ある」
レナでは怪我をすれば治癒術を施すのが一般的だ。多少の怪我であれば、並の治癒術で痕も残さず治すことができる。
「だとしたら、この傷で少し慣れてくれ。出来るだけ気をつけるが、俺もずっと無傷ではいられないだろうから」
「随分と酷いことを言う。あれだけ目を離さず治癒を続けた私に、君が怪我をすることに慣れろとは」
「この程度の怪我なら大丈夫って分かってほしいんだ。たかが擦り傷で、大怪我した時みたいな顔をさせたくない」
アルフェンはテュオハリムの横を通り抜けて、寝台に腰掛ける。
「好きに確かめてくれ」
アルフェンの頬が熱を帯びていく。髪で隠れない分、頬から耳まで赤くなる様がありありと見てとれた。
「……まさかとは思うが、私は閨事に誘われているのかね?」
「……久しぶりに会ったっていうのに、あんたが俺の心配ばかりしてるのがいい加減焦ったくなってきた。ほら、あんたが大丈夫だって納得できるまで、好きにしたらいい」
呼ばれるがまま寝台へ近づく。アルフェンは羞恥に耐えようと視線を床へ向けたが、構わず唇で耳に触れた。唇は人体で最も皮膚感覚のある器官だ。指では分からなかった傷痕の僅かな凹凸を確かめながら食むと、アルフェンの腿がぴくぴくと跳ねる。
「では、しばし付き合ってもらおうか」
恐らく、アルフェンが耐えきれなくなる方が早いだろう。その前に傷痕がふやけて消えてしまえばいい。現実味のないことを頭に過らせながら、テュオハリムは再び唇を寄せた。