君がいるなら いつも通り仕事を終え一段落ついた時、スマホにマネージャーから1件の電話が入った。
「もしもし、なんですか?」
『落ち着いて聞いてね、衣更くんが……交通事故に遭ったの』
「えっ……?」
血の気が引く思いだった。今すぐにでも飛んでいきたかった。しかし運悪くその日は夜までみっちりスケジュールが組まれていて、どうにも行けそうにない。
「衣更くんの容態はどうなんですか!?」
『幸いそこまで大怪我はしてないみたい、無事手術も終わって今は寝てるよ』
その様子を聞いて胸を撫で下ろす。
「良かった……とりあえず、今日の仕事が終わったら病院向かいます。後で場所送っといてください」
とだけ告げて電話を切る。
なんとか仕事を足早に済ませ、衣更くんがいるという病院へ向かう。
病室の扉を勢いよく開け、中に駆け込む。衣更くんはいつの間にか目を覚ましていたようで、傍には明星くんと飛鷹くんが付き添っていた。
「遊木、仕事は終わったのか」
「うん、なんとかね、それより衣更くんの様子は?大丈夫?衣更くん」
頭に痛々しい包帯を巻いた姿の衣更くんに声をかける。
「………誰、お前」
「えっ…………?」
未だかつて聞いた事のない低く荒々しい声が返ってきた。あまりの驚きに声が出ない。
「いきなり病室に入ってくるなり馴れ馴れしく話しかけてきて、俺を誰かと勘違いしてないか?」
「え……?僕だよ、遊木真、わかんない…?同じユニットで活動してる……」
「あー……ごめんだけど何もわかんないや、俺たちのユニットって3人じゃなかったっけ」
「……2人ともごめん、僕帰る」
あまりのいたたまれなさにその場を飛び出し寮に帰る。自室に着いた頃、飛鷹くんから一通のメールが入った。
『あの後医師に診断してもらったところ、どうやら事故のショックで遊木に関する記憶だけ無くなってしまったらしい。いわゆる記憶喪失と言うやつだ。記憶が戻る見込みはどうやら少ないようだ。』
メールを読んだ瞬間涙が溢れて止まらなかった。2人で過ごした大切な時間、育んできた愛も全て無くなってしまったんだと考えると頭がどうにかなってしまいそうだった。
けど、どうしてもまた2人であの時間を過ごしたいという思いが消せなかった。
「僕が衣更くんの記憶を取り戻してみせる…」
そう決意し、次の日から行動に起こすことにした。時間が空く度に衣更くんの病室を訪ね、まだ体が不自由な衣更くんを献身的に看病するようになった。
これだけで衣更くんの記憶が戻ってくれるとは思わないが、これが自分に出来る精一杯の努力だった。
でも…もし衣更くんの記憶が戻らなくても、僕はそれを受け入れようと思った。記憶が無くなっても衣更くんは衣更くんだから。それは変わらないし、僕は衣更くんがそばに居てくれれば、それでいいから。
俺が目を覚ましてから、真は毎日のように病室に来るようになった。
「何でおまえは俺にそこまでするんだ?」
「僕がしたいからしてるんだよ、ただそれだけ」
「……そっか」
こんなにも献身的に俺の世話を見るくらいだからよっぽど特別な関係だったのではと思い、以前どんな関係だったのか一度だけ聞いたことがある。その時は『ただの仲間だよ、それだけ』と答えて、まるでそれ以上触れてほしくないような、そんな気がした。
ただの仲間だと言うのに、スバルや北斗とは何かが違う。あの二人はお見舞いに来たとしてもせいぜい週一程度で、その度に花やお土産のようなものを置いていってはくれるが、そこまでだった。恐らく忙しいのだろうと俺もそこまで深くは思っていなかった。
けどこいつは違う。無理やり時間を空けて、ほぼ毎日病室に訪れては近辺の整理をしてくれる。俺はそんな真の事が不思議でならなかった。俺は一体何を忘れているんだ……?何か、とてもとても大事な事だったような、そんな気がする……
入院してから二ヶ月ほどが経った時、頭の包帯はまだ取れないものの、退院出来る運びになった。まだ傷も塞がりきっていないからと仕事には復帰できず、寮の自室で過ごす日々だった。
寮に戻ってからは、同室の鬼龍先輩が良くしてくれた。瀬名先輩や斎宮先輩は海外での活動のため、寮室を空けていることが多かったので療養中に顔を合わせることは無かった。
真は、鬼龍先輩がいるなら心配ないねと言って、俺の所を訪れることはなくなった。それを機にマネージャーに貯めていた仕事を詰め込まれたようで、あまり寮内でも見かけることが無くなった。毎日のように顔を突き合わせ、正直うんざりしていたはずなのに、何故か寂しい気持ちに襲われる。俺は一体どうしてしまったんだろうか。
更に一ヶ月ほど経過した時、頭の包帯も取れ、無事に仕事に復帰出来ることになった。
「サリ〜おかえり〜!!待ってたよ!!体力落ちてたりしない?」
「衣更、もう体は大丈夫なのか?病み上がりなんだし無理するなよ」
復帰後初のレッスンの際、スバルと北斗が優しく言葉をかけてくれた。
「あれ…あいつは居ないのか?真」
入院中に嫌という程俺に構っていたはずの真の姿が見えなかった。
「ウッキーなら今日は体調が悪いとかなんとかで休んでるよ、心配だからレッスン終わったらお見舞い行こってホッケーと話してるんだけどサリーも来る?」
「あー…俺はなんかまだ気まずいしいいかな」
「そっか、早くウッキーのこと思い出せるといいね」
「……そうだな」
正直真の事を思い出せなくても何とかやっていけてるしこのままでもいいんじゃないか?という言葉が口から出そうになったがすんでのところで抑える。
真の事をしっかり思い出せたなら、この胸のつかえも取れるのだろうか。
次のレッスンの日から真も参加しての練習が始まった。
「前回は居なくてごめんね、復帰おめでとう!長い期間が空いちゃったけどまたみんなで頑張ろうね」
「あぁ、ちゃんとサポートよろしくな」
まだ少しぎこちないがきちんと会話ができるようになってきた。
その日から4人で俺の復帰ライブに向けての忙しい日々が始まった。ファンには俺が記憶喪失だという事は伏せてのライブ告知となっている。
「あ、衣更くん、この曲のとこ振りには無いけど毎回僕との絡みがあるからよろしくね」
「おう、分かった」
とある日のレッスン日の際、いつものようにレッスン室に顔を出すとスバルと北斗が驚いたような顔をしてこっちを見てきた。
「あれ?サリー今日って…あ、そっか、今記憶無いんだったねごめん、一緒にレッスンしよ」
「…?おう」
今日はなにかあったのだろうかと思っていると真の姿がない事に気がついた。
「あれ?真はどうしたんだ?」
「遊木なら今日は用事で休みだ」
「そうなのか、なら3人で早速練習しようぜ!俺はブランクもあるしがんばらなきゃな~!」
その日はレッスンが早めに終わったので、なんとなく久しぶりに以前よく通っていたカフェに顔を出してみることにした。
カランとドアの音を鳴らし、店内に入ると、俺がいつも座っていたはずの席に真が1人座って窓の外を眺めていた。その瞬間何故か頬を涙が伝ったのが分かった。自分でもどうしてか分からない。これも俺が記憶を無くしていることと関係があるのだろうか。
「よう!真、今日はレッスンに来てないと思ったらこんなとこで何してんだ?」
「い、衣更くん!?そっちこそこんなとこで何してるの?」
「俺は早くレッスンも終わったし久々にこのカフェに顔出してみようかなーって思って」
「そっか、ここ衣更くんの行きつけだもんね」
「せっかくだし一緒に座ってもいいか?」
「もちろん!何頼むの?いつものコーヒー?」
「コーヒーにしようと思ってるけど…なんでそれ知ってるんだ?」
「あ……ここ、よく衣更くんと来てたんだよ、それで覚えちゃった」
この店は俺が1人になりたい時の隠れ家的な存在として重宝していた場所だった。そんな所を俺自ら教えるなんて、俺はよっぽど真に心を許していたのだろうか。
程なくして頼んだコーヒーが運ばれてきて、少しの疑問は残るものの、真とのブレイクタイムを楽しんだ。
「あのさ、僕この後行きたいところあって、ちょっと付き合ってくれない?」
それは俺が事故にあってから初めて聞く真のお願いだった。この後は時間も空いていたし快諾することにした。
「ところで、行きたいところって?」
「それは着いてからのお楽しみにしてて」
そこは先程のカフェを出て、しばらく歩いたところにあった。
「うわ、すげーきれい…」
「でしょ?僕もお気に入りの場所なんだ、衣更くんにこの景色見て欲しくて」
も?と少し不思議に思ったがそれ以上は詮索しないことにした。それよりも今はこの景色を楽しみたかった。
そこは近所の子供たちが遊んでいるような少し狭めの丘で、眼前には眩いほどの夕日が広がっていて、町中を真っ赤に染め上げていた。
「こんなとこどうやって見つけたんだ?」
「んー?内緒」
「お前ってなんでもかんでも内緒にしたがるな……」
「ふふ、悔しかったら自分で思い出してごらん♪」
ということは過去の自分は知っていたのだろう。カフェでの一件も、ここからの景色も、真が俺にこの景色を見せたかった理由も。
「はは、そこまで言われるなら思い出さないとな…」
「そうだよ、僕すっごく悲しいんだから。お願いだから早く思い出して、衣更くん」
あまりにも真が悲しそうな顔をするのでなんと返したらいいのか分からなくなってしまう。
「えへへ、なんか変な雰囲気になっちゃったね、ごめんね。衣更くんは記憶が無くても衣更くんのままなのに。もう帰ろ、遅くなっちゃう」
「おう、そうするか」
そのまま2人で寮に戻って別れる。自室に戻ったあとも、あの夕日に照らされた真の顔が頭から離れなかった。どうして俺は記憶を無くしてしまったんだろう。早くこの気持ちの答えを見つけたいのに。
次の日から何かと真を気にかけるようになっていった。それだけでない、いつの間にか真を目で追うようになっているし、出かける度に真がどこにいるか探してしまう。その理由はもうとっくに分かっていた。『恋』だ。俺はいつの間にか真のことが好きになっていた。
どうしてかと言われると答えに困るがとにかく好きになってしまっていた。
けれど、俺のこの気持ちは迷惑では無いのか。未だ俺の記憶は戻っていない。そんな状態で告白されても真は不快に思ってしまうのではないか、そんな葛藤をする日々が続いていた。
「ねぇサリーなにか悩み事でもあるの?ずっと上の空だけど」
1人悶々と考えているとスバルからいきなり声をかけられた。
「いや、なんでもないよ」
「……ウッキーのことでしょ。それくらいわかるよ、話してよ、1人じゃ解決できないことってあるから」
「はは、そこまでバレてんのか……そんなにわかりやすいか?俺」
「うーん結構?」
「マジか……」
こんな相談をしてスバルを困らせないか少し不安になりながら口を開く。
「あの、さ、俺真のこと好きになっちゃったんだ」
「…!そうなんだ、いいと思うよ。告白は?しないの?」
「でもさ、まだ真のことちゃんと思い出せてないし、そんな状態で俺が告白したら迷惑なんじゃないかって……」
「も〜そんなうじうじしてても意味ないよ!ウッキーならきっと大丈夫だから、告白してみなよ、信じて」
「ほ、ほんとか……?」
「ほんとだってば〜!記憶ない分俺の方がウッキーのこと知ってるんだから!」
「…ありがとな、ちょっと勇気でたよ、俺。告白してみようと思う」
「うん!結果教えてね」
スバルの後押しもあり、真に告白してみることにした。
どこで告白するのがいいだろう、やっぱりあの夕日の綺麗な丘で告白したいな。そう思い、2人のオフが被っている日に真をその丘に呼び出すことにした。
「その日は別に何も無いから大丈夫だけど……どうしたの?」
「いや、またあの景色見たいなって思っただけだよ」
「そう?あそこ気に入って貰えたなら嬉しいな♪」
……上手くごまかせたのだろうか…?少し不安が残るがそっとしておくことにした。
約束の日、その日は朝からそわそわして落ち着かなかった。待ち合わせの時間が近づいて来ると共に、緊張からか胃痛がしてきた。
少し早く丘に着いてしまったと思ったが、先に真が待っていた。
「よっ、早いな」
「衣更くんこそ、まだ時間まで20分もあるよ」
「お互い様か」
なんて他愛ない会話を繰り返す。
「あの…さ、」
「ん?どうしたの?」
「俺さ、まだ真とのことちゃんと思い出せてないしこんな俺でも平気なのかなって思うんだけど、やっぱり真のこと、好きみたいだ。俺と付き合ってほしい」
夕日に照らされた綺麗な真の顔に一筋の雫が落ちる。
「…えっ!?やっ、やっぱり俺みたいなのなんかじゃだめか…??」
「ちっ…違くて……だって、衣更くん、記憶無くす前と同じ場所で告白してくれて…っ僕、嬉しくて……」
過去の俺もこの景色の元で真に告白していた。やっぱり俺だから考えることは同じなんだろうなと苦笑する。
「それで、告白、オッケーしてくれるか…?」
「当たり前に決まってるじゃん……うぅ…まさかもう1回告白してもらえるなんて思ってもなかった…」
「そろそろ泣きやめって〜全く…」
「だって…だって〜……」
必死に涙を止めようとする真が愛おしく思い、思わず口付けをする。
「……えっ」
「ごめん、可愛くてつい」
「……ふふっやっぱり衣更くんは記憶が無くても衣更くんだね、初めてのキスも同じ感じだったよ」
「ま…まじかよぉ…俺、前の俺越えられるか……?」
「越えれなくても大丈夫だよ、僕は衣更くんがいれば、それでいいから」
「…そっか、ありがとな真」
「そういえばね、この場所、衣更くんが教えてくれたんだよ?初めての告白の時、頑張っていいとこ探してくれたみたいで」
「そ、そうだったのか!?俺の知らない俺の事ばっかりだな……ほんと」
「ふふ、これからいくらでも教えてあげるよ♪」
真に手を取られ帰路に着く。明日から今までに無いくらい、うんと真の事を甘やかしてやらないとと思った。
きっと記憶が戻るのが1番いいのだろうけど、このままでもいいと言ってくれた恋人の事を大切にしたい。そう思いながら真の手を強く握り返した。