場所は押さえてる、と息巻く善逸に、やめた方がいいんじゃないかと炭治郎は言った。
夕方のコーヒーチェーン店は、人の入れ替わりが多く騒がしい。
善逸が多少騒いだところで目立たないのは幸いだと思う。
善逸はソファから前のめりになって、「この駅前の大きいビルの中に、居酒屋あるだろう。あそこで20時から懇親会だって」と店のホームページを開いたスマホを炭治郎に突き出した。
「なんでそんな事知ってるんだ? まさか……」
「いや……スマホの盗み見なんてしてないからな! 宇髄さんが電話してるのが聞こえたんだよ。ほら、俺、耳がいいから……」
きっと、電話している時に必死に聞き耳を立てたんだろう。人のスマホを勝手に見るような事をする性分じゃないから……と炭治郎は嘆息し、眉間に寄った皺を解く。
善逸の恋人である宇髄は、とても華やかで整った容姿をしているので、僻みやすい彼は折に触れて浮気や不貞を疑う。
大学生の炭治郎達の5つ年上で、大手企業に勤める宇髄は大人で住む世界が違うように感じてしまうのもわからなくはないが──。
だからといって、仕事の懇親会の会場にこっそり紛れ込んで、浮気していないか確認しに行きたいと言うのは如何なものか。
「心配しなくても、宇髄さんは浮気なんてしないよ。ちゃんと信頼してあげなきゃ」
そう言うと、善逸は「信じてるよ……。けど、不安になるんだ。だから、そんな事しないって現場を見て安心したいんだ……」と言ってテーブルに突っ伏した。
「炭治郎は、不安にならない? 」
絞り出されたような声に、炭治郎は言葉に詰まる。
炭治郎にも恋人がいる。
宇髄の同僚である煉獄だ。
それはもう、宇髄に負けず劣らず華やかで、男らしくて精悍で、頼り甲斐もあって性格もよくて、──とにかく、炭治郎には過ぎた相手だと思っている。
「嫉妬や猜疑心は未熟な心の表れ……」
視線を彷徨わせ、炭治郎はアイスラテのストローをぐるぐると回す。
「煉獄さんはちゃんとしてるけどさ……」ともごもご呟く善逸に、炭治郎は心の中でやめろ、言うなと呟いた。
「おまえたちまだなんだろ……不安になったりしないのか? 」
その言葉に、深く考えないようにしていた悩みの首根っこを掴まれた気になった。
煉獄と炭治郎が付き合い始めたのは3ヵ月程前。
大学の近くの定食屋の主人が、煉獄と宇髄の友人だったそうで、元は顔馴染みの客同士だった。
ある日、隣に座っていた煉獄に水をかけてしまい、慌てて謝る炭治郎に、気にするなと言ってくれた。
しかし、どうしてもお詫びをしたかったのでパンを渡したら「すごく美味かったから、買いに行きたいんで買った店を教えてくれ」と言われ、炭治郎は嬉しくなった。
あれ、うちの店のパンで俺が作ったんです……と照れながら言うと、「あんな美味いパンが作れるなんて、君はすごいな! 」と手放しで褒められ、それからすっかり意気投合し友人になった。
そうなると、仲の良い友人も交えて飲みに行ったり遊びに行ったりしているうちに、いつの間にやら宇髄と善逸が交際を始めていた。
そして、自然な成り行きで炭治郎も煉獄と付き合うことに。
交際を始めてからは都合のつく限り週末を一緒に過ごし、色々な所に出かけたし、お家デートも繰り返した。
そして、若い2人が付き合って、どの程度進展したかと言うと、──手を握っただけだった。
初めて手を握って歩いた時には、炭治郎は家族と違ったソワソワと落ち着かないけれど嬉しさが滲み、照れてしまって煉獄の顔をしばらく見られなかった。
煉獄は、寒かったのか鼻をスンと啜って、真っ直ぐ前を見て軽快に歩みを進めていた。
煉獄さんくらいの大人なると、手くらいで動じる事は無いのだろうけど、ハーフアップにされた毛先が機嫌良さそうに揺れている気がする、と思い、満更でもない気になった。
そして、この先に期待と緊張でドギマギしていたのだが──そのまま進展がなく今に至る。
善逸達は付き合い始めてあっという間にそういう事を済ませたようだけど。
炭治郎は、自分達のペースで進めていけばいいと思っていた。
しかし。
先日、小学生の末の弟が彼女と手を繋いで歩いている姿を見かけ、なんて進んでいるんだ……。と愕然とした。
引き攣った顔で、「六太、その子はお友達? 」と聞くと「ううん。彼女。りこちゃん。今日から付き合い始めたの」とニコニコとりこちゃんと顔を見合わせて笑った。
あれ? 俺、小学生の弟と同じレベル……?
というか、もしかして俺、あんまり魅力ない……?
その時、頭によぎった疑問が、善逸の言葉で再び頭をもたげた。
「なあ、なぁ炭治郎頼むよぉ。ちょっと見て、綺麗なお姉さんにデレデレしてないか確認するだけでいいんだ。ちょっとだけ。な?炭治郎だって煉獄さんの事気になるだろ?な?」
追い討ちをかけるように懇願する善逸に、炭治郎はとうとう頷いた。