シュナリタ 大切なあなた 「ふん、貴様の故郷の正装もなかなかだな。だが少々動きづらいのではないか?」
着なれない黒のモーニングコートに身を包み、文句を言う男。
服を選んだのは僕だ。いつもは下ろしている髪もオールバック。随分印象が違う。
彼…フィロタスは元々整った顔立ちということもあり非常に目立つ。現に周囲の女性からの羨望の目線が向けられている。
彼の故郷には舞踏会などというものはないらしく、今日の日を楽しみにしていたらしい。
武芸に秀でている軍人一族の出身とは聞いていた。この国に生まれたとしてもかなり出世していたであろう実力者だ。
「それにしても、馬子にも衣装とはこのことか。似合っているではないか」
素直に褒められる。自分はあまりこの格好が好きではない。装飾も少ないし、端から見れば喪服。何より一度出ていった故郷のものだからだ。
そんな僕の感傷には目もくれず、彼は既に「父上がこの格好をしたらさぞかし…」などと自分の世界に浸っている。
……いつものことながら本当に失礼な男である。
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そんな感じで会場へ入り、入り口近くに設けられたテーブルで飲み物を手に談笑する。
僕はいつもと変わらない。長年被ってきた仮面で、寄ってくる人間の相手をする。チラッと横目で見ると、普段の尊大な態度はどこへやら。彼は控えめな笑みを浮かべ、どこまでも紳士的に談笑していた。
あれが話に聞いていた、彼の上官に対する態度なのだろう。まさかあんなまともに会話が出来るなんて…なんともまぁ腹立たしい光景だった。腐っても貴族であるという事実を実感させられる。
そして時間になり、音楽が流れ始める。それと同時に彼が立ち上がった。どうやらダンスタイムの始まりのようだ。
優雅に手を差し伸べてくる彼に、少しだけ嫌味を込めてその手を取る。
すると、ふわりとした浮遊感に包まれてそのまま踊り出した。
リードも完璧で、とてもじゃないが初心者とは思えない。彼にはほんの数時間教えただけなのに。思わず感心してしまうほど上手かった。才能があったのかもしれない。
曲が終わるとまた次へと誘われる。もちろん断れるはずもなく、さらに別の相手と踊った。
それを繰り返しているうちにどんどん時間が過ぎていく。もう既にかなりの人数を捌いたはずだというのにまだ終わりが見えない。
視界の端であの子を探す。
初恋の、あの子を…
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「やっと終わったか…思っていたよりも体力がいるのだな」
「当然でしょう」
一度音楽が止んだのを期に、壁際に下がり休憩する。彼は慣れないことに疲れたようだったが、立ち姿からはそれを感じさせない。…………全く、貴族というのは面倒くさいものなのだと思った。
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しばらく経ってからは話しかけられない限りは基本的に静かに過ごすことにした。
隣の派手な髪色の男…彼は、ひっきりなしに女性と話している。疲れないのだろうか?
時々、自分を知る人々たちから声をかけられる。次第に僕への関心が集まってきた。一頭一足を見られているような感覚。こんなのは久しぶりだ。
きっと僕は彼の従者みたいに見えているのだろう。立場的にはこの男よりずっと上なのか…と考えると不思議だった。
……そんな時だ。聞き覚えのある鈴のような美しい音が耳に届いてきた。これは間違いなく、彼女の声。
(リタ!)
嬉しくなって辺りを見回す。
彼女の姿はすぐに見つかった。彼女が楽しげにしている姿を目にして安堵する。しばらく見ていると目が合った。
普段は軍服を身に纏い男装している彼女。しかし今夜は珍しくドレスに身を包んでいた。彼女に見惚れていたせいで反応が遅れてしまう。
すぐに気を取り直した頃には彼女は他の人の方を向いてしまっていて、再びその姿を見つけることは出来なくなっていた。
さっきまで感じていた優越感が薄れていき、今度は焦りを感じる。
それでも諦めずに探し続けると、先程の女性と話し終えたのか、彼女がこちらに向かってきていることに気付いた。
動揺を隠しつつ、冷静を装って彼女と対面する。
彼女は微笑みを浮かべながら声を掛けてくれた。
「シュナイト殿!貴殿も来ていたのか!何だか馴れなくてな…こういった場は」
そう言いながらも彼女は綺麗に着こなしているし、化粧で引き立てられた顔が更に可愛らしくなっている。
「ええ、私も踊り疲れてしまいましてね。一休みしていたところです」
いつも通りに笑顔を作り、軽く挨拶をする。上手く笑えているだろうか?
努めて平静を保っているつもりだが、今にも口から心臓が飛び出しそうだ。そしてその時がやってきた。
ダンスタイムである。
隣を見れば目の前にいるリタも同じように、緊張しつつも誘いに備えている。
離れたところから、彼が「しっかりやれよ」とでも言いたげな目線を送ってきた。大きなお世話だ。
僕の番が来た。
一歩進み出て手を差し出す。するとその手を小さな手が掴む。華奢で白くてとても柔らかかった。そのまま優しくエスコートをしてホールの中央へ向かう。
お互いの顔が見える距離になったところで改めて相手の顔をじっと見つめると、恥ずかしくなったようで目を伏せられた。
……ああ、可愛いなぁ。
…とりあえずステップを踏むことに集中しよう。そう思ったが、彼女の腰に手を添えたとき、指先が肌に触れた。
ふわりと香る匂いにくらっとして気が遠のいた瞬間、ぐっと力強く引き寄せられる。
「わ……」
突然のことに驚いたが、何もなかったような顔をして続ける。
「大丈夫か?」
「…問題ありませんよ。ちょっとよろめいてしまっただけですから」
心配そうな彼女に笑いかける。このホールで、この城で、自分がつまづくことなどありえない。何度も何度も歩いたから。
それにしても先程一瞬意識が飛んだのは何だったのだろう?
(何かおかしい)と思った時には遅かった。足元がフラつく感覚を覚えたのを最後に視界が暗転した。
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「目が覚めたか?」
僕は部屋に戻され寝台に横になっているようだ。
体を起こして声の主を探すと、扉のところに立っていたのはフィロタスだった。
ついさっきまでダンスをしていたはずなのに、気付けばこうして部屋にいる。
「私が運んできた。まったく…見た目より重いから苦労したぞ。感謝してほしいものだな」
どうやらここ数日で疲労が貯まっていたらしい。まさかこんなことになるなんて予想していなかったので驚いたが、幸いなことに今は気分が良くなったようだ。
「……ありがとうございます」
彼は得意気にこちらを見て言う。
「当然だ。何しろ私は将軍家長子なのだからな。もちろん相応の待遇をしてくれて構わないのだが……」
…どうもこの人と話していると調子が狂う。
「そうですね。考えておきます」
「何だ?嫌に素直じゃないか。彼女との時間に水を刺されたのがそんなにショックだったのか?」
そうだ。そういえば僕はあの場で倒れたのだった。彼女といえば……
「今日はもう会えませんよね?」
「ああ。お前の相手などしている暇はないはずだ。今頃は他の方々のお相手をしているのではないか?」
他の方々と聞いてまた胸がちくりと痛んだ。
「…冗談だ。顔に出ているぞ。彼女だってそこまで図太くない。あの後すぐに部屋に戻ったと聞いた。まだ起きているんじゃないか?」
その言葉を聞いて安心した。
本当の彼は、僕なんかよりずっと大人だ。普段からこうなら、本人の望み通りもっとモテるだろうに…そう伝えると、彼は得意気に笑った。
「ふん。軽口を叩けるまでには回復したのだな。まあいい」
「応援しているぞ。””俺””はな」
珍しく本心らしき言葉に、僕は驚いた。頷きだけを返し、彼女の元へと向かう。本当によく分からない人だけど、少しだけ彼のことを見直した。
扉を開けると、そこは月明かりだけが照らす小さなホールのようだった。
広い部屋の窓際に佇んでいる後ろ姿を見つける。
…案の定、彼女は他の輩に絡まれていた。
こみ上げる怒りを抑え、穏やかに声をかける。
「こんなところで何をしてらっしゃるんですか?アッヘンヴァル嬢」
僕の声を聞いた途端、周囲の人物が一斉に振り返った。
そして揃って目を丸くする。
「あら……あなたは……どうしてここに?」
口を開いた女性には見覚えがある。確か幼少期、弱虫だのなんだのと馬鹿にしてきた人物だ。どうやらその事実を相手は覚えていない。
「夜風に当たりに来たんです。気分が悪かったもので。そちらは随分大所帯のようですが?」
良く見れば男も何人か混じっている。従者か、もしくは彼女に言い寄る悪い虫だろう。
自分一人なら適当にあしらうところだが、今回はリタが巻き込まれている。中央にいる彼女は涙目だった。
「…何をしたんです?」
努めて冷静に尋ねる。
すると女は、こちらに向かって勝ち誇ったように鼻を高くした。
「私たちはただ彼女を介抱していただけですわ!この子が一人で苦しんでいたところにたまたま居合わせたのです!」
ちらと視線を向けると、リタは首を横に振っていた。大丈夫だからもう行けと言うことらしい。
男たちからも「お引き取りください」と言われたが、そんなこと知ったことか。
「ふふ…頼りない殿方ですね。そんなに数がいるというのに何を恐れているのですか?」
自分の口からいつもの軽口が飛び出す。一瞬驚いたような顔をされた。
「精鋭揃いだと聞きましたが…本当にそうでしょうか。あなたたちごときでは彼女ひとりを救うことすらできませんものね」
彼女たちの顔色が変わる。それを見逃さなかった。
「……それとも何か不都合でも?私が口出しすることではないかもしれませんが」
こうなってしまうと止められない。もはや”シュナイト”は僕のもう1つの人格といっても過言ではない。
「っ……この男は何様のつもりかしら……」
負け惜しみにしか聞こえなかった。軽く口笛を吹くと、手練れそうな男数人が寄ってくる。
「ねえ。皆で囲ってしまえば怖くないでしょう?」
男たちが剣を抜く。あれは模造剣じゃない。真剣だ。
対する僕は丸腰。観念した風を装い、両手を挙げる。
「残念ですね、あなたは。昔から何も変わっていない」
「な、何の話?」
深呼吸し、口を開く。
「これ以上、僕の大事な人を傷付けるな」
「~っ!」
どうやら思い出してくれたようだ。頭に血が上ったのか、男たちをけしかけてくる。
リタが心配そうにこちらを見たが、笑みで返した。
男たちが一斉に襲いかかってくる。
ああ、何て
隙が多いんだ。
「ぐぁっ…!?」
最初に向かってきた男の剣を避け、その勢いのまま腹に拳をねじ込む。
男は膝を折って崩れた。
もう一人の男が向かってくる。
足払いをかけ、倒れるところを地面に押さえ込んだ。
「貴様、こんなことをしてタダで済むと──ッ!!」
言い終わる前に襟首を掴み、地面へと叩きつける。鈍い音がしたが、構わない。
「もしかして、お忘れですか?あなた方が今いる場所を」
「な、何だと!?」
「"黒騎士の国"……世界的にも兵士の練度が高いと言われています。もちろん、ここで育った私も例外ではない。お分かりですね?」
1日たりとも忘れたことはない。あの地獄のような日々を。何度も殴られながら戦う術を体に叩き込まれたものだ。
今だけは、父に感謝したい気分だ。
もはや男たちは戦意を失っているようだ。これならわざわざ脅さずとも黙らせることは容易い。
「さて、もう話は終わりですね。行きましょうか…リタ」
堂々と連中の間を通り抜け、彼女の手を取った。先ほどあんなに威勢のよかった令嬢は呆気にとられている。
もう、二度と会うことはないだろう。
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部屋についた。といっても僕の自室だ。あんなことがあった以上、彼女を返すわけにはいかない。
「はぁ……」
頭をかきむしる。やはり自分の部屋が落ち着くと思った。何より彼女をあんな目に遇わせてしまった自分が許せなかった。
「ありがとう。助けに来てくれて」
「礼を言われる筋合いはありませんよ…具合は大丈夫ですか?」
奴らのハッタリだとは思うが、念のため確認する。
「あぁ。貴殿こそ、身体は問題ないのか?」
「お陰さまで」
気まずい沈黙が続く。
「…すみません。私が倒れたばっかりに」
「き、気にしないでくれ!そんなこと…」
彼女は俯いてしまった。肩が震えている。
「…リタ?」
「……怖かった」
ぽつりと呟いた。それは紛れもない本音だった。
「本当に怖くて怖くて、死んでしまいそうだった…殺されるんじゃないかと思って…それだけじゃない、あの人たち…」
話の途中でしゃくりあげてしまう。
「無理やり…迫ってきて……」
思い返しているうちに涙が溢れてきたらしい。嗚咽混じりになり、うまく言葉にならないようだったが、なんとか聞き取れた。
今まで生きてきてこれほどまでに激しい怒りを感じたことはない。
言葉を返す代わりに、彼女を抱き締める。こんなに華奢だっただろうかと思うくらいに小さく感じられた。子どもをあやすように背中を撫でる。すると段々と落ち着いてきたようだ。
「…すまない、こんな姿を見せて」
彼女が謝る必要なんてどこにもないのに。
綺麗な青い瞳に吸い込まれそうになる。今度こそ意識を手放さまいと、しっかりと見つめ返した。
「…………っ!」
彼女が目を逸らす。顔を背けられてしまう。何か悪いことでもしてしまったのだろうか。
「す、すまない。急に見つめ合ったりなんかして」
「え!?あっ……いや、これはそういう意味じゃなくて…」
慌てて弁明するが、彼女もこちらを見ようとしなかった。それどころか、離れようとした僕を阻み、今度は彼女の方から抱きついてくる。
「リタ?」
名前を呼ぶとようやく顔を上げた。彼女は顔が真っ赤になっていた。
彼女の顎に手を添える。気が付いたときには口付けていた。
触れるだけの軽い接吻。念願の彼女とのキスだというのに、僕はそれしか出来なかった。むしろ罪悪感が勝ってしまう。
「…っ、すみません。最低ですね、私は」
今までずっと、これ以上のことを望んできたというのに…いざとなるとどうしていいかわからない。
普段はこの程度で動揺する自分ではない。僕は、おかしくなってしまったんだろうか。
彼女に拒絶されたらどうしよう。
そう思うと身動きが取れなかった。
「謝らないでほしい」
その声を聞いて、安心したと同時に力が抜けていくのがわかった。
「貴殿が、悪いんじゃないんだ。あんなことがあったばかりで気が動転していただけなのだ。それに……わ、私だって」
そこまで言って恥ずかしくなったのだろう。また僕の胸に頭を埋めてしまった。
それでも構わない。少しでも君の温もりを感じさせてほしかった。
「…違う」
「?」
「違うんですよ。私は…ずっと、あなたのことが」
好きだった。
その一言を出せずにいる僕の口を、彼女が塞ぐ。先程よりも深い口づけ。今度は、恐る恐るというより求めてくるような勢いだった。
唇が離れた時にはもう、心臓の鼓動が激しくなっていた。
彼女が艶めいた吐息を漏らす様を見て、自分の下腹部の奥がきゅっと切なくなるのを感じた。
我慢できなくなってもう一度深く口付ける。今度は激しくではなく、優しく慈しむように。
「リタ」
名前を呼んで、何度も口付けた。お互いに荒い呼吸を繰り返す。
「私、あの時…真っ先に思い浮かんだのが貴殿の…あなたの顔だった」
ぎゅうと強く抱きしめられる。
まるで夢のような言葉だった。都合の良すぎる夢なのではないかと思うほどだ。けれど、目の前にいる愛しい人の表情には偽りはなかった。
「私はきっと、とっくの昔からあなたのことが好きだったんだな」
そう言って、彼女は微笑みかけた。
彼女の中には、あの少年が…かつての僕がいるのかもしれない。少し胸が痛くなった。
…おかしいな。自分に嫉妬するなんて。
だが目の前にいる彼女を愛せるのは、紛れもなく今の自分自身だ。
「ありがとう。大好きだよ……僕も」
思わず昔の口調に戻る。彼女の中で、当時の僕と今の僕とが一致したらしい。その笑顔を見ているだけで…僕は…
理性が弾けてしまいそうなのを必死に我慢する。
彼女を傷付けたくはない。しかし、今までずっと想いを募らせてきたのだ。あとひと押しでもされれば、一気に崩れてしまいそうだった。
「疲れたでしょう。今夜はここで休んでください。自由に使ってくださって構いませんので」
それだけ言うと、部屋の出入口へと向かう。
これ以上ここにいたらまずいことになりそうだ。
「ま、待ってくれ!どこへ行くんだ!?」
ドアノブに手をかける前に止められる。
「おやすみなさい。どうか良い夜を」
「行くな!」
ぐいっと引っ張られて後ろから抱き締められた。背中に当たる柔らかい感触。彼女の鼓動が伝わってくる。
「私だって…ずっと待っていたんだ。あなたのことを」
嬉しすぎて思わず泣きそうになる。
「…私の噂、知っているでしょう?あれは事実ですよ。私はもう、あなたの知っている人物じゃないんです」
今まで数えきれないほどの人数を相手にしてきた自分は既に汚れきっている。綺麗であるはずがない。
「……そんなことは関係ない。たとえ何があったとしても、私があなたを嫌いになることなんてない」
「どうしてそこまで僕を信じられるんですか!?こんな…どうしようもない…!」
つい大きな声を出してしまう。自分で言った言葉で胸がズキズキと痛みだす。
人前では耐えられたはずの涙がこぼれ落ちる。一筋流れてしまえば、もう止めることは出来なかった。
嫌だ。彼女にこれ以上みっともない姿を見せたくはないのに。
それでも彼女の態度は全く変わらなかった。
「あなたのことが、ずっと好きだった。目標だった。初めて会った時から」
ぎゅう、としがみつく腕の力が強くなった。
「それは今でも変わらない。確かに噂通りの人間であることに変わりはないが……それがなんだというんだ。あなたはあなたのまま、私の大好きな人でいるだけだ」
ああ……これは現実なのだろうか? 自分が思っていた以上に彼女は強い人だったようだ。彼女の方へと振り向く。
「…その笑顔、あの日と変わらないな」
いつの間にか、僕の涙は止まっていた。
……今なら、許してもらえるだろうか。