美大生有古×リーマン菊田さん美大生有古×リーマン菊田さん
途中まで
「えー今回の産学協同プロジェクトの窓口となる菊田です」
生活感のない人だ、そう思った。
後ろに緩く撫で付けられた髪はツヤを含み、襟元や袖からは白より鮮やかなシャツがのぞく。マイクを持つ指もすらりと長くその手首にはブラウンのベルトの時計が鎮座していた。
山奥で家と大学とを行き来する生活の中ではめったに目にしない。いや、その前だって見たことがあるか定かではない。時々、美術展なんかを東京まで見に行く時、たまたま通り抜けたオフィス街を行き交う人達はあんな感じだったかも。
美術科の棟では一番広い講義室、大きな窓を背に、よく通る声で彼は説明を続けた。
開発事業を行う企業の環境保全活動としてのアート展示。ざっくりいうとそういった内容だ。制作費の援助が受けられるのはありがたい。
***
説明が終わり生徒たちはぞろぞろと講義室を出て行く。昼ごはんは何を食べようか?今日は合評で気が重い。次の講義は休講…などなど。ほうぼうからさまざまな話題が聞こえてくる。
「あーえっと確か君は…」
しかし今、己の耳にはそれらの声はしきりを隔てたみたいにくぐもって、目の前で発される低く耳心地のよい声だけしか聞こえない。
生活感のない人。
そしてとても格好のよい人。
彼は、菊田さんは、長机の前に立ち尽くす図体ばかりデカイ自分を見とめ、そう言うと目線を手元の資料へ移しページを繰る。
まさか自分のことを知っているなんて思わなくて、何故という言葉すら言えずにそわそわしたまま次の言葉を待った。
「えーっと…ありこ りきまつくん?」
「は、はい」
「プロジェクトの説明を聞いてどうだった?興味を持ってくれたかな?」
「あーはい、とても…わかりやすくて…
自分の作品のコンセプトにも合うんじゃないかなと…興味を持ってます」
「担当の教授さんからポートフォリオを先に見せてもらってる。君の作品はコンセプトもボリュームも今回のプロジェクトにピッタリだと個人的には思ってて、ぜひ参加してもらいたいんだけど、前向きに検討してくれると嬉しい。
だからわからないところがあったら遠慮なく…
「工房来ますか?」
考えより先に口が動く。
「え?」
「何個か作品をそこに置いてるんで…
他の生徒のもたぶんあるし!」
自分の作品だけじゃ興味を持ってもらえなかったらどうしよう。そう思い、急いで口実を加えた。
「あ…え…もちろん」
「教授に聞いてきます。この棟の入り口…わかりますか?そこで待っていてもらえれば」
彼の顔に一瞬困惑の色が浮かんだが、了承する頃にはそれは興味の表情に移った。
自分の作品に関心を持ってもらっているだけなのにそれが自分自身に向けられたもののような気がして心が弾む。何より束の間でも彼と話が出来るかもしれないということが嬉しかった。
「わかった。俺も同僚に一言ことわってから向かうよ」
***
約束どおりに入り口に向かうとすでに菊田さんがいた。彼がこちらに気づいていないのを良いことに遠くから眺める。
織り柄の入ったグレーのスーツは上品だが嫌味なくぴったり似合っていた。
「菊田さん」
名前を呼びながら駆け寄る。
「お待たせしました。裏山の手前に立体コースの棟がって…その奥が工房です。ここから少し歩きますけど大丈夫ですか?」
「ははは、有古くんには到底及ばないがおじさんもまだ体力には自信あるよ?」
そう言いながらおどけたみたいに笑われて、自分が失礼なことを言ったと半歩遅れて理解する。
「そんな意味では決して…!靴とか…汚れたらいけないと思って…」
「えっ靴の心配してくれてたのか!?いい、いい、どうせ安物だから」
菊田さんは手をひらひらさせながらニッと笑った。ああそんな顔もするんだなぁなんて少し上から表情を眺める。見上げなければ目が合わない身長差が今はただありがたかった。
「そんな…とても似合ってるなぁと…スーツも靴も…時計も…」
「……」
構えていた返答が来なくて彼の方を向く。驚いた顔。しまった。言葉を選び間違えた。
「すみませんっこんな言い方!なんかジロジロ見てたみたいですよね」
「あ…いや…そんな…ちょっと驚いたけど。
いいんだぜ、そんな気を使わなくても。若者にそんなこと言われたらすぐいい気になっちまう。」
「は、はい…」
引かれたかもしれないことにショックを受けて、思わず返事をしてしまう。はいってなんだ。お世辞を言ったわけでは決してないのに。ああどうしようか。
***
少し歩く間も先程のことが気がかりで、会話の調子が狂う。ぎこちない話しか出来なくて、内心頭を抱えていた。
「こ、ここがさっき言った立体コースの棟です。工房はその裏に…」
「あー!有古くん!
聞きたいことがあって探してたんだけど!!!
…ってお客さん?」
居た堪れない空気を断ち切るように賑やかな声が響く。よかった助かった、そう思った。
「ああ、この前教授が言ってたプロジェクトあっただろ?その担当の菊田さん。
菊田さん、同じ立体コースの江渡貝です。」
2人の間に入り、そう紹介する。
「初めまして!僕も参加を検討してるんですけど今日は個展の準備でどうしても抜けれなくて。すみません、後で教授から詳しく聞いておきます。」
「江渡貝くんの作品も資料で見てるよ。革を使った作品は珍しいね。」
なんだ自分だけじゃなかったんだ。そんな当然のことに少し傷ついた。
「見て下さってたんですか!?嬉しいです!
フェイクレザーと、エコレザーを組みあわせて作ってて…」
「えどがい!これはどこに運ぶ?」
江渡貝がそう興奮ぎみにしゃべり出すと、それを遮るように後ろから彼を呼ぶ声が響いた。どうやら作品の搬出中だったらしい。
「あっ本当にすいません。
またきちんとご挨拶させてくださいね!!」
手を前で合わせぺこりと一礼し、後ろへと駆けていく。彼愛用のエプロンがはためく様は見慣れた光景だった。
「あわただしい奴でしょう?
でも作品はおもしろくって、同学年のエースです。今回だってギャラリーから声がかかった個展で。もうすでに有名アーティストですよ。
あ…こっちの道から工房へ…」
そう言って木々が深くなる道へ菊田さんを案内する。
「しっかし、良いところだなーこんなに思う存分自然を浴びるのはいつぶりだろう」
彼はそう言いながら気持ちが良さそうに伸びをする。それがなんだかリラックスする為というより本格的なストレッチみたいで自然と口角が上がった。
「お仕事忙しいんですか?」
菊田さん肩がギクリと動く。彼は照れ隠しのようにひとつ咳払いをし続ける。
「ごほん。また若者に気遣われるなんて俺としたことが…気にしないでくれ、それより君の話を」
「俺の話はそんなにすごいこともないです。」
「うーん例えば今の作品を作るようになったきっかけとか?」
あの話をすればもしかしたら彼が自分に興味を持ってくれるかもしれない。確率の低いことだが少しだけ今はそれに賭けてみたくなった。
「大学に入ってから木彫を始めました。
父がずっとそういう仕事をしていたんですが…
でも実家にいる時はなんかそれが苦手で教えてもらうことをしなかったんです。
芸術っていうより職人って感じだったから。
木彫の工芸品ってお土産によく売ってるでしょう?あんな感じですよ。
時にみっともないとすら思ったこともあります。今では後悔してますが。」
めったに人に話さないことが口から溢れてくる。他人のこんな話聞いても困るだけに違いない。そう思うのにこちらを見る彼の目が優しくてつい甘えてしまう。
「昔から美術には興味があったから絵とか粘土とかで作品を作ってました。それで大学に入っていざ何かに絞ろうと思った時に…
木彫以外何も思いつかなかった。」
親不孝者、常にそういう意識がある。
作品を作り続ける限りその思いからは逃げられない。
「でもそう気づいた時には実家は出てたし、父とも疎遠になっていて。
仕方なく今は父の師匠から時々教わってます。父自身は知ってるのか知らないのか…たぶん話は聞いてるとは思うんですけど、連絡はなくて。
すみません。こんな話、初対面の人に。」
「いや、全然気にすることはない。」
取り繕うのが上手いのかもしれないが、気にするなと言う彼の表情は心から大丈夫だという風に見えた。
「きっと他の人もその話を聞いて迷惑だなんて思わないよ。」
今日初めて会った人に自分の中の柔らかい部分を言い当てられる。大人ってきっとこういう人のことを言うのだと。漠然とそう思った。
***
「ここが工房です」
裏山の手前の開けたところある屋根付きの作業場。いつも制作に使っている場所だ。たいていは誰かしらが作業しているが今日は珍しく人がいない。
「ちょうど見て周りやすくてよかった。ここが主に木工をする生徒が使います。で、あの奥は溶接が出来るスペース。」
菊田さんはまじまじと興味ありげに辺りを見回している。
「へーこの仕事以外では美術とはてんで縁がないもんで。こっから作品が出来てるんだって考えたらすごいなぁ。有古くんの作品はどこに?」
ふいに名前を呼ばれて肩が跳ねる。
「あっえ…あそこに…ありますけど…」
「早く見たい」
早足になった彼の背を追いかける。
「大きいものは今は全部ここに置いてあります」
一本の大木の中にさまざまな動物の姿を彫る。それが自分が作っている作品だ。一見遠くから見ると柱にしか見えないものだが、近づくと細かく自然の営みをモチーフにした図案が刻まれている。
「はーやっぱり実物の迫力は桁違いだな。最初に資料で知った時からこの目で見てみたかったんだよ。」
菊田さんは顎に手を当てながら、引いて見たり近づいて見たり身体を前後させながら感嘆の声をもらしていた。
「トーテムポールみたいだとよく表現されるんですけど、あれには意外と信仰的側面はあまりないんです。一族や家、出来事・伝承なんかを記録する為と言われてて…
だから俺のはどちらかと言うと仏彫に近いのかも…あらゆるものには魂[カムイ]が宿るんだってうちの親もよく言ってました。」
中でもいっとう大きな作品に目をやる。一番最近出来上がった。そして一番気に入っているものだ。
「これは熊の神と鮭の神の神話をモチーフにしてます。」
熊の神カムイエペレが、身を捧げる鮭、カムイチェプの半分を平げ、残り半分は自然に返すという話。
「はぁー本物みたいに毛並みが生き生きしてる。」
「作品の中で自分のアイデンティティを表現してるなんて仰々しいことを言われることもあるんですが、さっき言ったみたいに俺のは全部聞き齧りなんです。だから声高に自分のルーツを代表するなんていうのはまだ言えなくて…」
ただただ自分が彫りたいものを彫ってる。
それが今まで見たり聞いたりしたものに影響されて、その結果がアイデンティティの探求に繋がるのかもしれないけれど。まだ自分の中で明確な答えは出ていなかった。
「今はまだ中途半端で。いつか全てがまとまった時に改めて父に見てもらいたいなって。
すみませんまた…
こんなこと聞かされても困りますよね。」
「だから困らないって。
親父さんもきっとわかってくれるよ。」
菊田さんが励ますように俺の背中を叩く。身体の大きさに比例させているのかめいっぱいに力を込めるものだから。バシンバシンという音が木々にこだまする。それがなんだか不釣り合いでおもしろくて、張っていた気持ちが少し緩んだ。
「そうでしょうか。」
「ただ、人生の先輩からひとつお節介を言わせてもらうとすれば。準備が整う"いつか"はなかなか来ないもんだ。だから有古くんが親父さんに少しでも会いたい気持ちがあるなら。早く知らせてあげなさい。こんなに良いものを作ってるんだから…」
彼は作品ももう一度見上げてそう言った。優しく微笑む横顔をただただ見つめる。
「ほら!プロジェクトのさいごの展示にダメ元で招待るとか。ウチの会社名前だけは有名だからさ。」
突然アイデアを思い付いたのかくるっと向き直られ、慌てて視線を泳がせた。
ああこの人はなんで自分のことをよく理解してくれるのだろう。それもこんなに一瞬で。深くは踏み込んでは来ない適度な距離がとても心地よいのに、もう一つ先を知りたいとそう願ってしまうのだった。
「そうですね。」
「交渉成立?」
すっと彼が手を差し出す。
「はい、よろしくお願いします。」
握った手は温かく。
心臓の音もうるさかった。
***