本編② 雨林にて〜後編〜全身ずぶ濡れになりながら雨林を抜け、雲と風を上手に使い高度をあげていく。
紺碧さんの飛びかたは風と戯れるような飛び方で、それでいて鳥の様に速かった。
大きな雲のそばを流れる強い気流を使い、エナジーを回復させながら速度をつけ、向かい風は体を回転させて抵抗を最小限に。
吹きすさぶ風を、目に見えぬ気流を即座に読み取り、軽やかに味方に変えていく。
飛ぶのがうまい奴は風も読む、と師匠が言っていた。
強い風ならなんとなく肌で感じるが、弱い風、これからくる風は俺には読めない。
軽やかに、悠々と飛ぶその姿にいつのまにか惹きつけられて、見つめていることに、俺は気づかなかった。
つないだ手から俺のエナジーが紺碧さんに流れていき、彼のケープにさざ波のような光の波紋がゆっくり広がる。
時々振り向いてこちらの様子を伺ってくれるのが少し嬉しい。
大きな手と、余裕のある飛行。
彼の負担にならないようにと身構えていたが、少し力を抜いて甘えてしまってもいいかもしれない。
ふわりと降り立ったのは森の中にある3階建てのツリーハウスの前。
喫茶店のような雰囲気だが看板がない。
「ただいま」
勝手知ったる様子で、彼が入り口から店内に入る。
なかには非常に小柄な星の子が3人。
3人とも同じおさげの髪型、初期ケープ。三つ子だろうか。
『まぁーーーー!』
手をつないだままの俺たちを目にした途端、3人が同時に同じ声で、両手を頬に当てた同じ仕草で大音量の甲高い叫び声をあげたので、俺は思わず目を閉じ首をすくめた。
「可愛らしいお客様!」
「どうぞお入りになってぇ!」
「・・・ボソ・・・良い、良いぞ・・・」
三つ子は(一人をのぞいて)かなりのテンションで俺を出迎えてくれる。
この時点ですでに俺はかなり気圧されていた。
お、落ち着こう。
まずは周囲の状況を確認しよう。
ここは、どうやら飲食店のようだった。
店内の中心にはまだ火のついていない焚火があり、まわりに低い椅子、さらにそれを囲むように客席が並んでいた。
席数はさほど多くはないが、木の壁に木の机と椅子、窓にも入り口にもドアはなく、自由に出入りできるようで、なんとも居心地の良さそうな開放的な雰囲気だ。
「こちらの3人は、このお店を切り盛りしているご婦人がた。僕の家に無理やり転がり込んできて、お店を始めちゃったんだよね」
「長女、こはくとうですわ!料理が趣味ですの!」
「次女、こんぺいとうですわ!裁縫が大好きなんですの!」
「三女、・・・かりんとう・・・。趣味は創作・・・」
紺碧さんの紹介で順々に頭を下げてくれるが、外見が全く同じで見分けがつかないし、喋り方では かりんとうさん しか分からない。
無理やり転がり込んできた経緯が気になるが、ひとまず疑問を押し殺し、俺も頭を下げる。
「ゆ、雪白です。 よろしくお願いします」
・・・師匠曰く、気迫で負けたら駄目だという。
身体の大きな星の子も、怒気を露わにして凄んでくる星の子も、そこまで怖くない。
しかし俺は完全に3人の気迫に飲まれていた。なんで集団の女の子ってこんなに圧があるんだろう。
魔法だろうか幻覚だろうか、3人の周りにキラキラしたお花畑が見えるような気がする。
紺碧さんも雰囲気のある人だけれど、この場の支配者は間違いなくこの3人のご婦人だ。
「礼儀正しい子ですわー!」
「あらまぁびしょ濡れ!」
「・・・たらふく食わせて餌付けしたい・・・」
かりんとうさんの発言が少し不穏で引っかかるなぁ。
「3人ともとってもパワフルで、そして大体どこかのネジが飛んじゃってるご婦人方だよ」
にこやかな紺碧の口を、長女こはくとう が手にした布巾でビタンとふさぐ。
それは雑巾では・・・。
身長差をものともしない神速だった。
「お口は大災害の元と言いますわ」
「大災害の大元が何を言うのかな」
ジト目で睨む3人の雀さんと、雑巾で口封じされたにも関わらず平然としている紺碧さん。
あまりにも自然なやり取りで、これが日常なんだろうなと簡単に推測できた。
この4人の関係ってどんな関係なんだろう。
「だいたい!今日も何か髪にくっついていますわよ?!」
こんぺいとうがビシ、とほうきで紺碧の髪を示す。
ええ?ととぼけた表情の彼の後ろ髪を見ると、白い小鳥が絡まってもがいていた。
「え、わぁ、本当だ」
「今日もって、よく何か付けてくるんですか?」
「ちゃんと髪を結わないと、大概なにか付けて帰ってきますわ。葉っぱとか枝とかは良いほうで、大物ですとマンタの赤ちゃんとか!」
こんぺいとう がプンプン言いながら小鳥を解放し、窓から逃がしてやる。
そんなに色々絡まるものだろうか。
紺碧さんは腰まである長髪なのだが、鳥の翼のような珍しい髪型をしていて、銀髪のところどころに青い毛束が混じっている。
雨で濡れて乱れてはいるが、絹の刺繍糸のように美しい色合いをしていた。
紺碧は悪びれた風もなく えへへと笑って後ろ頭をかくと、雨で濡れたケープを脱いで焚火のそばの椅子にかけた。
・・・怖い人じゃないかもしれない。俺はその笑顔を見て少し安心する。
雪白くんも、と手を差し出してくれたので、俺も彼にならってケープを脱ぐ。
焚火に火が灯り、俺はその近くの席に座らせてもらった。
暖かいお茶を出してもらい、寒くはないがなんとなく両手で器を包むようにして手を温めてみる。
「疲れてない?」
斜め前に座った紺碧がゆっくりとお茶を飲みながら聞いてくる。
少し微笑んでうなずき、俺もお茶を口に含む。
美味しい。
熱い湯で入れたはずなのに、生の葉を鼻先にあてたような新鮮な香りが広がった。
「今日はもう日も暮れるし、ご飯食べていったら? 僕はお店があるからちょっと忙しくしてるけど」
ほっとする火の匂いと、温かいお茶に、身体が外側からも内側からも暖まっていく。
三つ子の誰かが料理をしている。
開店の準備か、厨房だと思われる場所から何かを炒める音と香り。
人の気配や、作業する音、料理の香り、長いあいだ俺の生活になかったものが、尖った神経を優しく撫でてくれるようで、全身から力が抜けていく。
目の前の紺碧さんも、怖そうな人かと思ったが三姉妹とのやり取りでかなり緊張が解けた。
あまり誰かに甘えるのも負担をかけるのも好きではない。
しかし、しばらくここに居たいくらい居心地がいい。
誰もいない森のなかへ帰っても、町へ行っても一人きり。ここから去らねばと思うと、どうしても立ち上がることができなかった。
「・・・ありがとうございます。甘えさせてもらいます」
俺は素直に、言葉に甘えさせてもらうことにした。
紺碧さんは頷きながら、俺の頭をなでてくれた。
気遣われるのも、誰かに撫でられるのも久しぶりで、俺は俯くことしかできなかった。
僕は、雪白の頭を撫でながら痩せているな、と思った。
長い睫毛に縁どられた目元に疲れが濃い影を落とし、薄い胸や細い肩が頼りない。
今までどうやって生活していたのだろうか。
よく見ればケープもしばらく手入れされていないのか、ほつれや破れもある。
紅藤が大切にしていた弟子。
まだ少年の面影が残る雪白に、僕は興味がある。
紅(べに)、絶対僕に会わせようとしなかったアンタの弟子が、いま僕の目の前にいるよ。
されるがままに頭を撫でられている雪白の頭頂部を見つめながら、紺碧は口元に薄い笑みを刷く。
真面目で芯の強そうな青年。
警戒されるかと思ったが、簡単に近づくことができた。
厳格で頑固なアンタが育てていたんだ。
まっすぐに飛び立てば、きっと美しいだろうね。
「しばらく休めばいいよ」
指先でくしゃり、と雪白の細い銀髪を乱す。
雪白は蜜色の目を細め、小さくうなずいた。
お風呂を済ませたあと、食事ができるまで休むようにと、こはくとうさんが部屋を用意してくれた。
火鉢がおかれた簡単な部屋。
貸してもらったタオルも衣服も、柔らかくお日様の香りがする。
火のそばに座って一日を思い返していると、どっと疲れが襲ってきた。
上がりこんでしまって良かっただろうか。今さら心配になる。
いつかはここも出ていかなくてはいけない。
師匠の話しを聞いて、今後なにか情報があったら連絡をもらえるようにお願いしたら、早々に立ち去ろう。
今だけは休ませてもらおう。そう今だけ。
食事ができたと呼ばれるまで少し休もう、そう思い目を閉じる。
俺は敷物の上に座り込み・・・そのまま眠ってしまった。
呼んでも部屋から出てこない雪白の様子を見るために、僕は2階のゲストルームのドアをノックした。
返答はない。
そっと開けると、火鉢の火に照らされて、床に伏せる雪白の姿が目に入る。
「寝ちゃったか」
座っていてそのまま崩れたような苦しそうな体勢を起こすが、動かしても目を覚ます気配が全くない。
僕は雪白を抱き上げて寝台へ寝かせ、痩せて軽い身体に上掛けをかける。
そして彼の耳元の耳飾りへ手を伸ばした。
軽い金属音と共に留め金を外すと、飾りが縦に開く。
飾りを固定するためにまとめていた髪がほつれ、雪白の頬に銀糸が散らばった。
僕は飾りの内部に視線を走らせる。
「紅藤の紋」
藤の紋様を象った彼の印があった。
やはり、雪白は紅藤の弟子で間違いない。
「それと、これは闇避けのまじないか・・・?」
藤の紋用の隣に、見たことのない印が増えていた。
紅藤はまじないの類を信じる男ではない。
しかし自身の高価な装身具を与え、そこへ持ち主の安全を願う印をさらに付ける様子から、彼が雪白を大切にしていたことは充分に理解できた。
「あの紅がまじないねぇ。これは闇絡みでなにかあるな」
雪白の寝顔を見つめながらほとんど声に出さず呟き、耳飾りを寝台横の机へ置くと、紺碧は音もなく部屋を出た。