ここにいたい目を覚ますと部屋の中がずいぶん明るく、しばらく目が慣れなかった。
見知らぬ天井、見知らぬ壁、どこに自分が居るのか一瞬分からなくなり、俺は昨日の記憶を思い出してみる。
夕食ができるまで休むといいと部屋に案内してもらい、火鉢の側に座ったところまでは覚えているが、その後の記憶がない。
床でそのまま寝てしまった気がするのに、きちんと寝台に寝ている。
「・・・っ!耳飾り・・・!」
ふと、耳元に手を触れて、必ず身に着けているはずの飾りがないことに気が付き、俺は跳ね起きた。
慌てて視線を巡らせると、寝台の横の机にきちんと並べて置かれているのを見つけて胸をなでおろす。
誰かが俺を寝台に運んで、飾りも取り外してくれたようだ。
このツリーハウスにいる人物の体格から考えて、運んでくれたのは紺碧さんだろうか。
初対面の相手に寝姿を晒し、さらに手間をかけさせてしまうとは。
俺は片手で自分の顔を覆い、喉の奥で唸った。
顔を合わせるのは気恥ずかしいが、部屋にこもっているわけにもいかない。
カーテンを開けてみると太陽はすでに高い位置に上がり、明るい日差しに照らされた森が見えた。
かなり眠ってしまったようだ。
机に置かれた耳飾りをもう一度確認して、俺は慌てて部屋を出た。
階段を降りると、お昼でにぎわった店内を見下ろすことができた。
焚火のそばに座って休む者、窓際で陽を浴びながら談笑する者、各々がなごやかに楽しんでいる。
ぱたぱたと、軽やかに小鳥のように席のあいだを行きかうのは昨日の雀さんたち。
カウンターで客と話していた紺碧が俺に気づいて手を振る。
「おはよう」
今日はきちんと髪を結び、白いシャツ姿、ケープはつけていない。
「遅くまで寝てしまって、すみません」
「いいよ。よく寝てたから昨日は起こさなかったよ」
カウンターの客が座りなよ、と隣をあけてくれる。
座ると、紺碧がスープを運んでくれた。
ふわりと独特の香りがただよう。
ここのお味噌汁、美味しいんだよね、と隣の星の子が器を覗きこみながら教えてくれた。
「おみそしる? スープとは違うんですか?」
初めて聞く名前の料理だ。どこか遠くのエリアの料理だろうか。
とにかく食べてみなよと、アフロヘアのその人は両手で持った白い塊を幸せそうに頬張っている。
ふわふわ、口の動きと一緒に髪の毛も動いている。
あの白い塊はなんだろう。なにか黒くて薄い紙みたいなものが巻いてある。
俺は器に口をつけて、熱いつゆをそっとすすった。
旨味が溶け出して沁みわたるような深い味とちょうどよい塩気。
お味噌汁の具はキノコのようだ。
「・・・おいしい」
思わずつぶやく。
ね、美味しいでしょ? 得意げに微笑むアフロさん。
ここは初めて? ポニーテールの子が話しかけてくる。
「初めてです」
そっか。わたしは飛ぶのに疲れたら、ここに休憩しに来るんだよね。
お店の雀さんの気分次第でいろんな料理が出るんだよ。
今日は「和食の日」なんだって。
お昼はご飯食べれて、夜はお酒も飲めるよ。
ふらっときて、焚火にあたって休むだけのときもあるけど。
寝ちゃうときもある。
お互い楽器の演奏が始まるときもある!
雀さんたちがいつでも大歓迎してくれて嬉しいんだよね。
背の高いお店のお兄さんもとっても穏やかだし。
アフロさんとポニーテールさんの会話がはずむ。
店内には、思い思いの服装に髪型、いろんな身長のほしのこたち。
それぞれお気に入りの大切なケープを身に着け、時には頭や肩に相棒の動物を乗せて。
日差しと焚火で店内は暖かい、でも何気なく始まる会話や、話さなくても何となくお互いを思いやるような気配があって、俺は胸が少し苦しいような、懐かしいような切ない気持ちになった。
1人で過ごしていた時間、師匠が帰らない不安を、感情を殺すことで感じないようにしていた。
そうしたら本当に心が乾いていって、どんどん孤独になっていったんだ。
誰かが作ってくれた料理を口にするのも久しぶりで、その温かさは深いところまで沁み入ってくる。
そういえば最後に食事を美味しいと感じたのは、空腹を感じたのは、いつだったか。
「雪白くん」
紺碧さんに声を掛けられて、俺は慌てて手の甲で涙を拭った。
いや、おかしいな。
涙がとまらない。
目の前にお手拭きが差し出されたので顔を上げると、それを渡してくれた紺碧さんと視線が合った。
静かな青い目。
過剰に反応するでもなく、気づかわしげな色を浮かべるでもなく、ただ見つめてくる。
なにも言わないでくれるのが心底有難かった。
店内が落ち着き、客も休憩する人、話し込むだけの人になった。
大きめのテーブルに、紺碧さんと3人の雀さん、俺で座る。
ちなみに今日は3人とも「うろたえる狩人」の二つ結びの髪型だ。
俺はさきほどアフロさんが食べていた白い塊をもらって食べていた。
「おにぎり」という食べ物らしい。
白い米の塊の中に塩気のきいた具を入れ、周りに「海苔」という黒い海藻を巻いて握ってある。
つやつやの白い粒々と旨味溢れるしょっぱい具が食欲をそそり、いくらでも食べられそうだ。
「昨日はゆっくり紹介できなかったけど」
紺碧さんが俺を手のひらで示し言った。
「紅藤(べにふじ)のお弟子さん」
「お紅(べに)さんの?!」
思わず体を乗り出す雀さんたち、この雀さんも師匠を知っているのか。
「わたくしたちのお店には、雪白さんは連れてこなかったですわね」
「しばらく師匠と各地を転々としていたんです」
師匠と俺は決まった住処(すみか)を持たず、洞窟や木の下で野宿をしたり、テントやハンモックで休んでいた。
おかげで森や草原で生活する術(すべ)を身に着けることができ、師匠がいなくなってからもなんとか生きてこられた。
「一緒に原罪に行って、師匠は帰ってこなかった。だから探しているんだ・・・どこかにいるんじゃないかと思って」
「そうだったんですの・・・」
「姿を見かけなくなって、お紅さんの行方が分からないとは聞いていましたわ」
3人は一様にうつむいて、しばし沈黙が訪れる。
「僕も紅を探したいんだ」
真っすぐ前を見据えて、紺碧さんが言った。
「そして、雪白くんの手助けもしたい。だから、ここに住まない?」
思ってもいない申し出に、俺は驚いて彼の顔を見た。
「ありがたいです・・・でも迷惑かけちゃうんじゃ・・・」
「一人より二人で探したほうがいいでしょ。それにお店って色んな情報も集まるんだよ。もちろん、店も手伝ってもらうよ?」
雪白くん、覚え早そうだから楽しみだなーと笑う彼。
「ちょうどホール係が欲しかったところですわ!」
「若い子、大歓迎ですわよ!」
「・・・たまにはデッサンのモデルになってくれたら良いぞ・・・」
「若いって、こはくとうさんたちは・・・? 俺より若い・・・?」
でも昨日「ご婦人」って紹介されていたっけ?
ちま、ちま、と席に座っている3人は、同時にニマーっと笑った。
怖い。にんまりと広げた口の横幅までほぼ一緒の、同じ顔が3つ並んでいる光景。
そんな笑い方、感情表現にあっただろうか。
「女性に年齢を聞くのはタブーですが、なかなか嬉しいことを言ってくださるのでノーカンですわ」
「あはは、雪白くん、見る目がないねー。こう見えてご婦人がたは・・・」
「おだまり」
あ、口におにぎり突っ込まれてる。
昨日の雑巾よりだいぶマシか。
「・・・ボソ・・・紺碧は学ばないな・・・」
「暴風域でフェニックス スペシャル、フルコースですわよ」
ふぇ?
聞きなれない言葉に、間抜けな声が俺の口から漏れる。
「フルコース=10連続エビ避けからの、エビ坂ホールインワンだよ」
おにぎりを飲み下し、紺碧が明後日の方向へ目を逸らしながら言う。
心なしかその横顔が強張っている。
「僕、初めてくらわされたとき吐いたから」
「・・・なにやらかしたんですか」
「覚えていない」
さらに明後日のほうへ目を逸らす。
あ、覚えているな。
「ま、僕は雪白くんにここに来てほしいな!」
話題を戻して、彼は明るく微笑んだ。
・・・ここに居ていいのかな。
困ってしまい三姉妹の顔を見ると、三人とも大きく頷いてくれた。
一人より誰かと一緒に。そのほうが心強い。
それにこの場所、とても居心地がいい。
もう一人になりたくない。
少しだけ、皆の側に近づいても、側に居ても、いいだろうか・・・
「・・・お世話になります・・・ここに居たいです」
深々と頭を下げる俺の手を、雀さんたちが握ってくれた。
「大歓迎ですわ!」
「いつも紺碧さんは、しーーーーょもないものばかり頭につけて連れ帰ってきますけど、今回は違いますわー!」
「あのさ、そこ強調しすぎだから、ね?」
「可愛い男の子ですわ!もりもりご飯食べてもらいますわー!」
「・・・うむ、良きかな。良きかな」
大歓迎を受けて照れくさくて、どんな顔をすればいいのか分からない。
「よろしくね」
「こちらこそよろしくお願いします」
差し出された紺碧さんの大きな手と握手。あたたかい。
「あ、そだ」
握手した手を上下に振りながら、急に思い出したように紺碧さんが俺の頭を指差す。
「寝ぐせいっぱいついてるよ」
!!
「は、早く教えてくださいよ!!!!」
「だって可愛いんだもん。アフロヘアみたい」
「なんか感動的ないい雰囲気だった気がするのに!昨夜寝てるところ運んでもらって申し訳ないし恥ずかしいのに、寝ぐせっ!!俺寝ぐせ酷いんですよぉぉぉ!!」
「うん。すごいね。すごい良く分かった」
手を叩いて爆笑するご婦人雀たちと、面白そうにニヤリとする紺碧さん。
この頭のまま、俺は他のほしのこたちと話して、食事して、紺碧さんの前で泣いたってことか。
恥ずかし過ぎる。
消えてなくなりたい。
今度こそ雨林で散りたい。
会話を聞いていた店内のお客にまでクスクス笑われて、俺は首まで真っ赤になり机に突っ伏したのだった。