紺碧と紅藤③(そしてドクター玄湖)紺碧と紅藤③
紺碧→青い目の容姿に恵まれた青年。
不正リサドリを扱う組織の護衛だったが、組織を抜ける。
紅藤→不正リサドリ組織の情報を集めている。不正組織から抜けた紺碧と接触し、自分の組織へ引き入れることを目的としてしている。
峡谷の裏レース→勝てば大金が手に入る。違法。
組織を抜けたあと、紺碧はふらりとレースに出場しては賞金を稼いでいた。
全身、暖かいことに気がついて目が覚めた。
見知らぬ白い石の天井。立ち込める湯気。
自分は、お湯に浸かっているらしい。
ぼんやりした視界の端に人影が見えて目だけ動かすと、冷淡な赤い目と視線が合った。
「はぁ...」
もう見たくない顔なのに。
思い切り嫌そうにため息をつく紺碧。
「玄湖(くろこ)、こいつ殺していいぜ」
「なんと勿体ない。殺すなら研究材料にしてからにしまスかねぇ」
玄湖と呼ばれた人物は大きな椅子から立ち上がると、紺碧の顔を覗き込み目を細めて微笑んだ。
ひとつに結んだ髪に、尖った耳。
希少なエルフ型の星の子だった。
「材料にするにはちょっともったいない見た目でスが、刻んじゃえば分からなくなりますから、ね?」
薄く笑った唇から、肉食獣のような鋭い歯がのぞいている。
本気で刻むんじゃないか、いや、すでに刻んだことがあるんじゃないかと、その冷たい笑顔を見て紺碧は思った。
発音に独特な音が混じるのは、その歯並びのせいか。
それにしても、ここはどこだろう。
白い天井に白い壁の建物のなか。
天井からは自然光を取り込んでいるようなのに室内は不思議なほど影がなく、眩しさに目がくらむ。
自分は湯を張った浅い浴槽のようなところに上半身裸で寝かされている。
雨林で紅藤に会ってからの記憶がない。
自分は死相紋(しそうもん)を発症していたはずだったが、助かったのだろうか。
「ここは...?」
問いかけた声は酷くかすれていて、ほとんど音にならず、息が漏れたような音がするだけだ。
口の中はざらざらするほど乾燥して、喉が乾いてしょうがない。
「眩しいでスか?まだ目が慣れないのでしょう。ここはワタシの診察室。外の光を取り込みながらも、影が出来ない素晴らしい構造の部屋です。患者の様子がよく分かる。手術もはかどりますねぇ」
どうやらこのエルフは医師のようだ。
まだ意識が朦朧としていて思考がまとまらないでいると、顔を覗き込んでいた玄湖が何の前触れもなく、突然紺碧の首筋に噛み付いてきた。
「ッ?!」
痛みが意識を一気に現実に引き戻す。
尖った歯を容赦なく肌に立て、滲み出てきたエナジーを舐めとり玄湖は味わうように目を閉じた。
エナジーを吸血する星の子など聞いたことがない。
常軌を逸した行動が信じられなくて紺碧は言葉が出てこなかった。
「まだ回路を流れるエナジーがかなり少ない。エナジーの貧血状態ですね。炎症はなさそう...と」
血液の味から患者の状態が分かるというのか、ブツブツ言いながら紙に書き記し、ふと玄湖は紺碧の上半身を見やり、ため息をついた。
「まぁなんとも見づらいこと。手当てが大変でしたよォ?傷だらけな上に、どれが本物の死相紋で、どれがタトゥーか、ごちゃごちゃで本当に分かりづらい。タトゥーは奴隷商人に入れられたのかな?それとも敬うべきご主人様♡に入れられた愛の証かな?」
「...!!」
芝居がかった口調と態度。
最も触れられたくない過去の一部をこともなげに羅列され、一気に血の気が引いたような気がして紺碧は目を見開いた。
誰にも話したことのないはずの、未だにくすぶり続ける憎悪の火種。
いやらしい薄ら笑いを浮かべて紺碧を見下ろしながら、エルフはちらりと自分の唇を舐めた。
全部知っている、とその細い瞳孔の瞳が言っている。
なぜ、自分の出生を知っているのか。
瞬時に、今までの紅藤とのやり取りが、ひとつひとつ脳裏でつながった。
紅藤からの組織への誘い。
紅藤は自分の情報を欲しがっている。
死んでは困るから、雨林からここへ連れてきたのだろう。
おそらく、この医師も紅藤の仲間。
自分のことは身辺だけでなく、出生まで遡って調べられている。
出生については、特に紅藤には知られたくなかった。
出会ったときには既に、自分が奴隷だった過去を知っていたのだろう。
暗い過去を隠すように、自分勝手に、傲慢に振る舞う自分を見て、紅藤はどう思っただろうか。
当の本人は入口あたりに寄りかかり、特に何かを言うわけでもなく、気だるげな顔でこちらを見ているだけだ。
紺碧の上半身に彫られたのは、死相紋をモチーフにした不吉なタトゥーで、紺碧を買った主人に無理やり入れられたものだった。
「タトゥーの他にも、なにかを抉り取ったような跡がありますが、これは何の怪我でスかぁ?」
玄湖の指が足の付け根の古い傷跡に触れる。
紺碧は嫌悪感で全身が総毛立つのを感じ反射的に身を引こうとするが、ほとんど動けないことに気づいた。
「まだ動けませんよ。リンチの挙句に死相紋を発症して、全身ズッタズタのボロボロなんですからねぇ」
そう言って丹念に傷跡を眺めまわすが、すでに治り、跡が残った古い傷だ。
診察ではなく嫌がらせだろう。
至極楽しそうに視線を落とす様子はその古傷の意味さえ知っているかのようだが、出生を知られている以上、気づかれても不思議ではない。
「さて、一通りの治療は終わっていまスけどぉ」
「治療を頼んでいない」
にっこり微笑む玄湖に、身も蓋もなく硬い声で言い放つ紺碧。
ため息をついたのは紅藤だ。
「レースで連敗だから、もう死にたいんだと。なっさけねぇ奴」
蔑むような言い方に、紺碧の片眉が跳ね上がった。
「はぁ?何その理由...」
「お前は、俺に勝てない。事実だろうが」
紅藤の言葉はいつも無駄がなく短く、そして鋭い。
雀時代からの奴隷生活、買われた先での暴力と虐待、裏切り。
自分にも周りにも絶望して、全てに興味を失い無感情に生きてきたが、この男の言葉は容赦なく閉ざした感情の殻を叩き割ってくる。
レースに突然現れ、勝利をことごとく奪っていった憎い奴。
年齢も、背格好も大体同じくらいのこの男は、全てにおいて自分を上回っていた。
飛行技術も、力も、生き方も、認めたくはないが何ひとつ勝てなくて、生まれて初めて、身を焦がすような強烈な嫉妬と焦燥感、羨望を感じたのだ。
陽の当たるところを、堂々と歩いてきた正しさと、清さが、憎く、羨ましい。
紅藤にだけは、自分の汚点である過去を知られたくなかった。
紅藤にだけは、負けたくない。
ちり、と何かに火がついたような気がした。
紅藤は、紺碧の目の奥で憎悪とは違う炎が揺らめくのを目撃する。
射抜くような視線を真正面で受け止め、睨み合う両者の間で爆ぜるのは、怒り、不快、嫉妬、羨望、闘争心だ。
「ほぉ。じゃ、レースに勝てない負け犬の紺碧さん。治療費としてこちらをお支払いくだサーイ」
場の雰囲気を全く読まず、玄湖の能天気な声と共に紺碧の目の前に1枚の紙が提示され、その内容にただでさえ悪い紺碧の顔色がさらに悪くなった。
「法外な金額が見えるんだけど」
「あはっはぁ!負け犬のうえに、借金ですかぁ!最ぁぃの、高ぉぉでスねぇぇ!!」
紫色の目に涙を浮かべて笑い転げてから玄湖はピタリと笑うのをやめ、紺碧にぐっと顔を寄せ薄ら笑いを口元に浮かべて囁くように言った。
「今回の怪我は、貴方自身の落ち度からでスよねぇ?」
「...」
「死相紋を発症してからの治療は非常に難しい。その高度医療を受けて...」
「...」
「支払わないと?!あーっダメですね!人として失格!負け犬から...んーと、何に格下げしまス?」
「クソビッチ野郎」
絶妙なリズムで紅藤が吐き捨てるように言う。
「んんー!採用ッ!クソビッチ野郎でスねぇぇ!!」
「〜〜っわかった...っ支払います...」
昏睡状態から目覚め、満身創痍の動けない状況で、紅藤の目の前で初対面の医師にここまで侮辱され嘲笑され、これ以上屈辱的な思いをするのは堪え難かった。
本当に生きるのを諦めてしまいたいような暗澹(あんたん)たる思いだ。
「請求書には支払い金額とぉー①ワタシの仕事を手伝う!②壊れた楽器を修理できる人を探す!とありますのでぇー、こちらもお願いしまスねぇ?!」
「はぁ?どに書いてあったの?!」
「ココでスよーん?」
紙の端に、小さく、小さく、書いてある文字を玄湖が紫の指先で示す。
書類は隅々まで見ましょうねぇ?クソビッチ野郎の紺碧さん?と得意げに言う玄湖と、その後ろで思わず吹き出し肩を震わせる紅藤。
絶対に許せない、と心の中で紺碧は叫んだ。
こうして紺碧は、命と引き換えに多大な借金を背負い、紅藤たちの組織に入ることになる。
この出来事はその後も、幾度となく紅藤と玄湖のあいだで嫌がらせとして反芻され、そのたびに紺碧は古傷を抉られる思いをすることになったのだった。