「自覚」夏が来る前の蒸し暑いこの時期、辺りは花盛りで、砂漠のバラ園を始め、あちらこちらで鮮やかな花が咲き乱れている。
水気をたっぷり含んだ濃い緑の香り、湿った土の香り、活発に活動する生物たち、様々な生命が躍動する季節だ。
「今日は花、ですか」
キャンドルマラソンを終えて帰宅した紺碧さんと俺(雪白)。
俺は三つ編みになった紺碧さんの髪に、色とりどりの花が引っかかっている事に気づいた。
彼は、小さいマンタやクラゲ、小鳥、小枝、色んなものを髪に付けて持ち帰ってくる常習犯だが、三つ編みにしていても付いてくるなんて一体どこを通ったのだろうか。
「あー本当だ」
紺碧さんは自身の後ろ髪を手に取って苦笑する。
ゆるく三つ編みにされた長い髪は所々に青い髪の束が混じっていて、銀と青の組み合わせが刺繍糸で作った飾りのようで美しい。
「花、似合いますね」
彼は高身長だが細身で、髪型のせいもあり中性的な雰囲気が漂う。
俺は揶揄(やゆ)するわけでもなく、本当にそう思ったので素直に褒めた。
「また雪白くんはそうやって本気で人を褒める。こっちが照れるでしょ」
全く照れている様子もなく笑うと、彼は髪から黄色の花を一輪取り俺の耳元に飾る。
「雪白くんの目と同じ色の花だ」
「いや、俺は似合わないと思います」
くすぐったくて、少し恥ずかしくて花を取り除こうとすると、紺碧さんに止められた。
「とっちゃダメだよ」
そしてニヤリと笑う。
これはいつも通り俺をからかおうとする時の顔だ。
今回はなんだろう。
俺は思わず身構える。
「はい、夕方からの営業もこのまま働いてもらいます!」
「・・・せめて胸元のポケットにしてください」
人差し指を立て得意げに言う彼に、思わずげんなりする俺。
夕方からの営業というのは、雀の三姉妹の食堂のことだ。
「髪も結ってもらいます」
「いやです」
さらに言い募(つの)るのでかぶせ気味に拒否。
いやです、恥ずかしいです。
花とか似合わないと思います。
「容姿いいんだからもっと自信持ったら?」
紺碧さんは眉をひそめ非常に残念そうだが、褒められたって嫌なものは嫌だ。
いや、でも、褒められるのは嬉しい・・・。
「褒めてもらっても、いやです」
「ダメだね。店主&家主命令だよ」
・・・卑怯だ。
ここでそんな最強カード使うのか。
「じゃあもちろん紺碧さんもそのまま営業ですよね」
思わず半眼になり腕組みして彼を睨(にら)むと、紺碧さんは俺にウィンクを返してきた。
微笑みを含んで、ぱちりと閉じられた目尻に、小さなほくろがある。
切長の目元を際立たせるよう、計算された場所につけられたほくろ。
「もちろんこのままだよ。んふ、似合うでしょ?
お花増量してもいいよ?」
んああ、何を言っても無駄だ、この人。
どんな格好だろうと、自分の容姿に絶対の自信があるのだろう。
「おませな漂流者」の立ち姿でポーズをきめる姿に、俺は頭を抱えるしかない。
「ちょっと耳飾りとってみていい?」
俺が何か言う前に紺碧さんの腕がするりと伸びてきて、耳元で軽い金属音がしたかと思うと、あっという間に飾りを外されてしまった。
耳飾りを固定するため編み込んであった髪が落ちてきて、さらさらと頬にかかってくる。
耳飾りは俺が師匠からもらったもので、そして師匠と紺碧さんは友人だったらしい。
しかし俺の師匠は原罪に行ったきり行方不明のまま。
俺と紺碧さんは師匠を探してあちこち飛び回っているのだが、一向に情報は得られていない。
両方の耳飾りを外して、何故か満足げな紺碧さん。
「お守り外した雪白くん」
お守り?耳飾りのことか。
長い指で飾りをつまみ、にこ、と目を細めるその表情がなんだか艶っぽくて、胸がざわざわする。
この人は、自分の表情の魅せかたを知っている、と感じる。
表情だけじゃない、歩き方や仕草が洗練されていて、どこで身につけたんだろうと思っていたのだが、今はその理由も大体分かる。
たぶん、人身売買の組織に囚われていた時に教育されたんだろう。
本人は、それも自分の武器として大いに活用させてもらう、などと言っていたのだが。
「ここで編み込みを作って、こうやって花をさしたら似合うと思うんだよね」
耳飾りをテーブルにそっと置くと、紺碧さんは俺の耳元だけ長い髪を手早く編み込み、解(ほど)けてこないように耳の後ろで押さえた。
「・・・リボンもつける?」
「絶対やだ」
思わず敬語も忘れて言い返すと、彼はちょっと嬉しそうな顔になった。
「そうそう、普通に話してくれていいのに」
気を遣っていたわけではないが、年上に敬語で話すのは礼儀だと思っている。
「紺碧さんも、俺のところ “くん” 付けて呼んでくれるので・・・」
「うーん。紅(べに)のお弟子さんだからなぁ。ちょっと最初から呼び捨ては、と思ったけど」
「俺が敬語で話すのはクセみたいなものだって思ってください。俺のところは呼び捨てでいいです」
このまま話題を逸らして、花のことは忘れてもらおう。
表情には出さないようにして、俺は心の中でつぶやく。
「最初から呼び捨てだったら呼びやすかったかもしれないけど、途中からって慣れないなぁ」
ちょっと視線を横に外して、頭の後ろをかいている。
・・・少し照れているのかな。
大体なにがあっても平然としている彼にしては珍しい。
しかし照れているような雰囲気はすぐにかき消えてしまった。
紺碧さんが少し屈んで、俺に目の高さを合わせる。
「雪白」
しっかりと目を見て、心地よい静かな声で名を呼ばれた。
「いい名前だね。よく似合う」
慈しむように言われて、俺は頷いて同意した。
「俺も自分の名前が好きです」
「うん。いいことだね」
本当に嬉しそうに紺碧さんは笑って、俺の頭をなでた。
師匠がつけてくれた名前。
似合うと言われて嬉しい。
名前を褒めてもらうと自分の存在自体を認めてもらえたような気がして嬉しくて、急に甘えたくなってしまって、俺からハグのエモートを出す。
甘えるのが照れくさくて、いつもは自分からハグをねだったりはしない。
「そっちからハグなんて珍しいね」
ちょっと驚かれたが、でも、ぎゅっと、抱きしめられて、安心感が広がる。
実は頭をなでてもらうのも、ハグもとても心地がいいのだが、そんなことを言ったらすごく子供みたいだし、いつも甘やかしてもらっているのに申し訳なくて言えない。
もっと甘えたい...ような気持ちがするのはきっと師匠に会えないから、精神的に弱っているだけ。
そう自分に言い聞かせる。
でも甘えているのとは違う、よく分からない感情があるような。
そこで俺は考えるのをやめた。
突き詰めて考えると、よく分からない気持ちがなんだか大きくなるようで。
そんなに長くない時間のはずだが、様々な思考が俺の脳裏をよぎっていった。
紺碧さんは、よーしよしよし、などと言いながら俺の背をなでている。
動物か、俺は。
思わず苦笑していると。
「雪白、かわいいね」
予想外に吐息を感じるほど近く、耳元で言われたので俺は焦った。
低い優しい声が耳に心地よい。
声の低音が鼓膜を震わせて背筋を通り、寒いわけではないのにぞくりと肌が粟立つ、あろうことかそれが心地よかった。
それと同時に、先ほど感じたよくわからない気持ちがなんなのか、一瞬で理解してしまった。
俺、この人が好きなんだ。
突然自覚した衝撃の感情。
自分でも分かるくらいに鼓動が瞬時に早くなった。
自分の気持ちに驚いたが、心のどこかでやはり、と納得する自分がいた。
年上で飛行が上手だという、ただの憧れから始まったこの気持ちだが、紺碧さんのことを知れば知るほど、もっと彼のことを知りたいと思うようになっていた。
話しかけられれば嬉しくて、からかわれても嬉しくて、笑ってもらえたらもっと嬉しくて。
キャリーのために手が差し出される瞬間は、胸が高鳴ってしまって。
優しい微笑みも好戦的な強い眼差しも、俺だけに向けて欲しいと望んでしまう。
しかも、好きだけでは済まない、もっと先の関係も望んでいる。
抱き合った服越しに感じる体温や感触をもっと近くで感じたいと、本能が告げている。
...俺はもう子どもじゃないんだな...。
純粋な好意だけではなくて、そんな欲も抱くなんて。
好きな人ができて、気持ちを伝えるだけでは足りないなんて。
彼も俺を求めてくれたらいいのに。
俺は彼の胸に頰を預け、祈るような気持ちで、上衣の布の下で淡く輝く彼の核(コア)を見つめた。
その胸の奥で、貴方は何を感じているのだろう。
何を考えているのだろう。
どんなに耳を澄ませても、聞こえてくるのは穏やかな鼓動だけだった。
雪白くんを呼び捨てで呼んで、少し距離が縮まったような気がして嬉しかった。
でもしばらくは「くん」をつけて呼んでしまいそうだ、あまりにも近づき過ぎると気持ちだけが先走りそうで。
それなりにいろんな経験をしてきて自制がきくはずなのに、気を付けないといけないくらい、雪白くんに惹かれてしまっている。
どうやら彼は僕のところをすごく信用してくれているみたいだし、今のいい関係を壊したくはない。
それに師匠が居なくなって弱っている君を口説くなんて、隙につけ込むようで卑怯かな。
真っすぐで嘘がつけなくて、なにより雪白くんは愛情がどんなものか知っていて、ごく自然にそれを僕に与えてくれる。
僕は愛情があるように演じるのは得意だけど、本当の愛情がどんなものなのかがよく分からない。
周囲を憎み、なにより自分を憎み、いびつに歪んでしまった感情が、彼と居ると素直になれる。
裏表なく自然に振舞える心地よさ。それを受け入れてくれる安心感。
年上の僕がこんなふうに思うのは情けないけれど、彼に救われているんだ。
そして・・・白状するね。
こんなに眩しい君を、僕は自分のものにしたくてしょうがない。
真っ白な雪のように清廉で無垢な君を、自分の手で汚してしまいたい。
欲望のまま快楽を与えて、溺れさせたいと願っている。
笑っていてほしいのに、その綺麗な顔がどんなふうに泣くのか、どんな声で泣くのか、想像すると胸がざわついて仕方ない。
いま君を抱きしめている男が、笑顔の裏でこんなことを考えているなんて知る由もないだろうね。
自分より小さな頭、肩幅、薄い胸、服越しに感じるしなやかな筋肉、温かい体温。
ああ、命を感じる。
生きているね。
彼に気づかれないように、ごく自然に振舞って、抱きしめる。
君を傷つけたくない。
ゆっくりと確かめていけばいい。
そう、自分に言い聞かせた。
まがいものばかりの僕だけれど、君の耳元で囁くのは、本心。
「雪白、かわいいね」
しばらく抱き合ったあとで俺は正気に戻った。
・・・なにを考えているんだ俺は。
ただのハグ、ただのエモートなんだぞ。
でも離れがたくて、ただただ、自分の感情に振り回されて思考がまとまらないでいると、部屋の入り口から視線を感じたような気がして、慌てて俺は紺碧さんから離れた。
「あら、お気になさらず」
「かりんとうさんは昏倒してしまったので、代わりに見届けますわ」
そこにはニマぁっと笑った、長女こはくとうさんと、次女こんぺいとうさん。
俺は一部始終を見られていたことに恥ずかしくなり、どうしたらいいか分からないくらい動揺した。
「今いいところなんだから。それにその笑い方ほんと怖いからやめて」
紺碧さんは顔色一つ変わらずいつも通りの様子だけれど、いいところ、と言われて冗談なのか、それともまさか自分の気持ちを見透かされてしまったのではと、いたたまれない気持ちになる。
抱きしめられて意識してしまったのは俺だけだろうか。
情けない。
誰にも気づかれないようにそっと息を吐く。
「ふふふ、わたくしたち、何を見ても驚きませんわ」
意味深に笑う こはくとうさんだけれど、もうこれ以上は何かを見せるつもりはない。
俺は次回からはもっと気を付けようと固く決意する。
「そうそう、雪白くん、花を髪に飾って店頭に出てくれるって」
くるりと振り返った紺碧さんは楽しそうに俺の耳元の花を示して言った。
しまった、花を、とるのを、忘れていたっ!
せっかく話題を逸らそうと思っていたのに。
「ぬぁぁんですって!?じゃあお花に似合う衣装も考えなくてはいけませんわっ!」
「い、いや、花はつけませんっ!」
裁縫大好き こんぺいとうさん、なにかスイッチが入ってしまったようだ。
「お花をつけるなら、3日前には連絡をくださらないと!」
怒りの形相で指を突き付けてくる迫力が凄まじい。
なんで俺怒られてるの。
突発的な出来事を3日前に連絡ってなに。
「わたくしもテーブルコーディネートと、メニューを考えますわ。 ...っは!これはビジネスチャぁぁンス!お花をテーマに女の子が好きそうな店内とメニューにしますわ!!」
お料理大好き こはくとうさんにも何かが舞い降りてしまったようだ。
「3日間で衣装と店内装飾、メニューを考えますわ!!こんぺいとうさん、よろしくて?!」
「望むところですわ!」
「ま、自由にやってよ」
ヒートアップする雀のご婦人2人を尻目に、紺碧さんはのんびりと言う。
「いいこと?必ずお花はつけて頂きます。雪白さん、よ・ろ・し・く・て?」
一歩一歩、詰め寄ってくる次女の こんぺいとうさん、怖いです。
嫌だと言ったら、多分フェニックススペシャルのハーフコース※くらいでしょうか。
俺は、誰かさんみたいに吐きたくありません。
俺は顔面蒼白になって頷くよりなかった。
「なんでそんなに盛り上がれるんですか?」
どっと疲労を感じポツリと聞くと、こはくとうさんが力強くにっこりして答えてくれた。
「楽しそうなことは全力で楽しむ!若くいるためのコツですのよ!!」
※フェニックス スペシャル
☆フルコース→雀三姉妹で繰り出す、エビ避け10連続からの、エビ坂ホールインワン。
☆ハーフコース→エビ避け5連続からの、暴風域爆速観光コース。
その昔、紺碧と紅藤はフルコースを味わい、ゴールのあとに嘔吐した。
宣言通り、3日後から花をテーマとしたイベントが三姉妹食堂で始まった。
店内は、この季節らしく淡い紫と青で統一された花で飾られ、店の入り口には、フリルのような可憐なはなびらが何重にも重なった花のリースが下げられた。
どんな花でもいいので、お花を身につけて来店した方はドリンク1杯無料。
いつもより豪華な特別メニュー。
メニュー表はお絵描き大好きな三女の かりんとうさんが書いたもので、分かりやすく可愛らしいイラストと料理の説明が載っている。
季節の野菜のバーニャカウダ
キノコたっぷりのキッシュ
貝の旨味が溶け出したスープ
芳しく燻製した後で焼き上げたお肉
雨林の食卓から仕入れた、フカフカもちもちの弾むパン
食べられるお花と果物の盛り合わせ
お肉の食べられない星の子用のメニューも、いつも通り用意されている。
特にデザートは、こはくとうさんの自信作!
旬の桃を使った可愛らしい桃色のケーキには、真っ白なお花を添えて。
夜明けの空をイメージして作った爽やかなフロートは、甘い物が苦手な星の子にもおすすめだ。
お店の外では、イベントの情報を聞いたお花好きの星の子が集まり、お花そのものや種や苗を売ります買いますの会が開かれている。
かりんとうさんによるお花のスケッチ講座は、雀さんに人気があるようだ。
お客は女性寄りの星の子が多く、次いでカップル、意外にも男性寄りの星の子もかなり来店した。
よく3日間で用意したなと思うほど完璧だったが、俺が感心する暇もないほど店は忙しかった。
俺は三姉妹の圧力には勝てず、髪に花をつけて店に出たのだが、お客さんも花を身につけているので、全く恥ずかしくなかった。
次女こんぺいとうさんがこの日のために作った衣装は淡いグリーンのシャツ。
胸元や袖に異国の植物のモチーフを取り入れた刺繍が施されたもので、来店客に好評だった。
衣装だけでなく、雨上がりの空をイメージしたオリジナルのケープまで作っていて、店頭に展示用で飾られたが、こちらもとても好評だった。
お花フェアは準備期間と同じく3日間で終了した。
「宣言通り、準備期間3日間でやり切りましたね」
俺が こはくとうさんに言うと
「有言実行、無言実行、いい女の条件ですわ」
彼女はニヤリと笑ってそう言った。
怒涛の3日間が終わったときは全員くたくただったが、閉店した後にみんなで乾杯したあの瞬間の充実感は、何にも代え難いものだった。
・・・俺はというと、自分の気持ちは胸に秘めていつもの日常を送ることにしたのだが、彼に対する好意は増すばかりだった。
好きだと伝えたとして、断られたら?
それからの俺たちの関係は?
俺はまた一人になってしまうのか?
このままじゃだめなのに、このままでいたくて、気持ちは焦るのに、彼との関係を崩したくなくて、俺の心はその場に立ち尽くしていた。