雪白と璃兎璃兎(りと)が珍しくツリーハウスへ遊びに来た。
彼は闇の穢れを祓い、傷ついた兵士を癒す「癒し手」になるため学校へ通っている。
(雨寧さん世界の設定)
普段は宿舎で生活しているのだが、今日は外出が許可された日らしい。
ツリーハウス2階にある雪白の部屋で、他愛のない話しで盛り上がり、璃兎の恋人、ジェイスの話題になった。
軍人の彼は、相変わらず多忙を極めているようで、一緒にいられる休日はとても貴重なのだという。
璃兎は素直にのろけるし、素直に彼が大好きだと表現する。
雪白は、璃兎がどれだけジェイスを慕っているかを感じるたび、胸の深いところが疼(うず)く様な感覚を感じていた。
誰かを慕う気持ちが、痛いほど分かる。
それは師匠を思う気持ちとはまた別の、熱く焦がれるような感情。
ふと脳裏に浮かぶのは、角度や陽の光で緑や灰色に見える穏やかな青い目。
暗黒竜を見つめる好戦的な眼差し。
笑うと親しみを感じさせる笑顔。
鳥の尾を彷彿とさせる後ろ髪。
繋いだ大きな手の、温かく乾いた感触。
抱きしめられたときの、胸の広さ、彼のにおい。
胸の核(コア)に流れ込む、彼の高純度のエナジー。
甘やかな胸の疼きと共に思い出すのは、正面から見た顔ではなく、横顔や後ろ姿ばかりだ。
いつの頃からか、彼に気づかれないようにその姿を目で追うようになっていた。
ふと、璃兎が自分を凝視していることに気付き、心臓が大きく飛び跳ねた。
気づかれた。
心ここに在らず、といった自分の様子に、絶対、璃兎なら気づく。
「雪白、いま誰かさんのこと思い出してたでしょ」
鼻先に突きつけられる、璃兎の細い指。
ほら、やっぱり...
咄嗟に視線を逸らしたが、それが却(かえ)って肯定する返事となってしまった。
目の中に星が見える...ほど、璃兎の瞳が生き生きと輝いて、四つん這いで雪白ににじり寄り、にんまりと笑顔を浮かべる。
「ゆ、き、し、ろ、さぁん??」
雪白は顔も視線も思いきり逸らすが、璃兎は至近距離で雪白の目を覗き込んだ。
「ち、近い!!」
「進展は?」
「はっ?!」
「し〜ん〜て〜ん〜だってば!!」
「何もない!」
「はぁぁぁぁ?!」
1番低音から、1番高音まで使って、璃兎が素っ頓狂な声を上げる。
そんな大声を出すと、一階の三姉妹の食堂にまで聞こえてしまいそうだ。
「奥手にもほどがあるよ雪白!
どれだけの期間一緒に住んでると思ってるの?!
襲えば?襲えばいいんじゃないの?!
協力するよ?!」
とんでもない提案を、さも名案のように言うその顔には「ボクって天才」と書いてあった。
「やめろよ!相手の気持ちだってあるだろ!!」
かなり強い口調で言う雪白に、璃兎は大きな目をさらに見開いて言い返した。
「どこをッどうッ見てもっっ!!
紺碧さんと、両想いでしょぉぉぉ?!
アンタ馬鹿ぁ?!」
(ぬぁぁ!)
しっかりと特定の名前まで出して反撃され、雪白は蒸気が上がるんじゃないかと思うほど真っ赤になる。
璃兎は、ふん!と鼻息荒く手土産のドーナツをかじり、つんと顎を上げて勝ち誇ったように雪白を見下ろした。
「こ、紺碧さんがどう思っているかは...
ふぐっ?!」
おろおろと話しかけた雪白の口に、自分の食べかけのドーナツを無理やり押し込み、璃兎はあぐらをかいた雪白の足の上に上がり込む。
「どう思ってるも何も、聞かなきゃ、
話さなきゃ分かんないでしょ?!
きっと紺碧さんも雪白が好きだよぉ〜!
ボクの勘がそう言っている!
恋愛の師匠の勘を信じなさい!」
璃兎が猫のように頭を擦り付けてくる。
サラサラの髪に、アーモンド型の大きな目。
短いのが好きだから、とショートパンツにした衣装からむき出しの太ももが見える。
後ろに倒れそうになったので、雪白は璃兎をかかえて、自分の足の間に座らせた。
友達同士でも触れるのが好きなのだろう、久しぶりの外出に、友達の部屋で好物のドーナツを食べ、言いたいことを機関銃のように言って、璃兎は雪白の肩に頭を乗せて上機嫌だ。
璃兎は甘えん坊だなぁ...。
まるで兄になったような気持ちだ。
いつもこうやってジェイスさんに甘えているのかな、と雪白はドーナツを飲み込みながら思う。
もし自分だったら?
彼の手に自分の手を重ねて、上目遣いで見つめて、口づけをねだってみる?
それとも何も言わずに、彼の胸に顔をうずめてみる?
彼は...紺碧さんはどうしてくれるかな?
手を握り返してくれる?
目を合わせて、視線を絡めて、惹かれあうように口づけしてくれる?
いつも笑ったり、喋ったり、食事をしたりする彼の唇が、自分に触れるなんて。
そんな非日常の光景。
どうしよう、どんな感触なんだろう。
「璃兎みたいに、可愛くスマートに甘える自信がないよ」
どの自分も想像できなくて...投げキスのエモートさえ苦手なのだ、思わず苦笑いしてしまった。
璃兎は少し考え、雪白の頬をつついた。
「じゃあ、ボクと練習...する?」
「冗談」
「はい、見つめ合って」
「しないって」
そっぽを向くと、両手で頬をはさまれて、無理やり正面を向かされた。
首がグキ、と嫌な音を上げる。
「璃...ッ」
「はい、ちゅー」
長いまつ毛の青紫の瞳が半分伏せられ、意味ありげに唇を指先でなぞられて、雪白は焦った。
本気じゃないよな?!
いいように璃兎のペースに乗せられて、これが経験者と未経験者の差なのか、と雪白は敗北感を噛みしめる。
俺だって、俺だって、いつか...。
お人形みたいに小さい璃兎の顔が近づいたと思ったら、ちゅっ、と軽く可愛い音を立てて、頬にキスをされた。
さきほどまでの妖艶な気配をあっという間に消し去り、璃兎は年相応の表情で吹き出し、笑いだす。
「雪白のファーストちゅーを奪うわけないじゃーん!!期待しちゃったぁ?
雪白、意外とガードゆるいねー!!」
信用している友だちだから抵抗しなかったのに、期待しただの、ガードが緩いだの言われて雪白は抗議の声を上げた。
それにいつ、自分がファーストキスがまだと話したのだろう。
いや、実際事実なのだが。
「璃ぃぃぃ兎ぉぉぉッ!!う"っ?!」
璃兎が全体重をかけて抱きついてきたのでそのまま後ろに倒れ、雪白は後頭部を床に打った。
雪白の胸の上で璃兎は笑い転げているが、もう相手をする気力も湧いてこない。
ジェイスさん、いつもこんなにテンションの高い璃兎の相手をしているんですか。
首を痛めたり、頭を打ったりはしていませんか。
「俺とこんなことしてて、ジェイスさん怒らないのか?」
めちゃくちゃ密着していますし、ほっぺですがチューもされましたし。
ジェイスさん、俺は悪くないんです...。
「雪白はファーストちゅーもまだの、安全おこさま物件だから大丈夫だよ?」
「なんだその理由...」
おこさま...。
なんか、なんか腹立つな...。
体勢を入れ替えて、組み敷いてやろうか...。
紅藤仕込みの体術、体格でも、腕力でも雪白が上だろう。
璃兎の腕や足を痛めつけないよう、どうやって体勢を入れ替えようか考えていると。
「ねぇ雪白はさ」
璃兎に少し改まった声で尋ねられた。
「紺碧さんのどこが好き?」
誰が答えるものか、そう言おうとしたが、問いかける璃兎の顔が真剣だったので言葉を飲み込んだ。
「そうだなぁ...」
床の上で寝転んで頭の後ろで手を組み、少し考える。
「飛ぶのがめちゃくちゃ早いところ。
ケープもよく鍛錬されているし、花火杖を使ったターンなんて鳥肌がたつよ」
地表、雲の表面、障害物の表面の空気の流れまで読むような、芸術的な飛行。
細やかなエナジー管理に、長く共に飛んできたケープが、時には主の意志を汲み取ったかのように即座に応える。
あんな風に飛べたらなぁ、と雪白は小さく呟いた。
「最初は怖い人かもなんて思ったけど、話すと面白いし、意外と天然なところもあるし。ただ...」
「ん?ただ?」
雪白が言い淀んだので、璃兎は少し驚いた。
雪白は人の悪いところを言うようなタイプではないからだ。
「俺のこと子供扱いするし、ちょっと過保護なんだよなぁ」
「それは雪白が本当に年下だもん。それに雪白は怪我しそうな飛び方ばっかりするし、紺碧さんが心配するの当然じゃないの?」
呆れたように璃兎は雪白の顔を見上げるが、雪白は腑に落ちない様子だ。
「俺も...まぁ無理はしちゃうけどさ、もうちょっと信じてくれてもいいのになって。
ちょっとの怪我くらい焚き火にあたれば大丈夫だし。俺は紺碧さんと肩を並べられるくらいになりたいんだ」
真っ直ぐで真剣な目をして言う雪白が、本当に彼らしい、と璃兎は思った。
雪白はいつも上を見ている。
高みにあって届かない何かにいつも手を伸ばしているような。
触れなくて、掴めなくて、苦悩しているような。
何が彼を駆り立てているのだろう。
焦らなくても、雪白はたくさんの才能を持っていると思うのに。
そこまで自分を追い詰めなくてもいいのにと、璃兎は思う。
「ふぅん。なんか、紺碧さんの外見のこと言わないところが雪白らしいね。
ボクなんて、まずはジェイスの格好良さに惚れちゃったからさ」
珍しく神妙な様子で言う璃兎。
しばし会話に間が開く。
「あのさ、もしかしてジェイスさんと会えなくて寂しいのか?」
普段より多いスキンシップ、会話の声の調子、雪白は浮かんだ疑問を口にした。
「そりゃ...寂しいよ」
少し拗ねた口調で璃兎は雪白から目を逸らした。
「雪白もいつも紺碧さんと一緒ってわけじゃないと思うけど、それでもこうやって一緒に住んでるわけだからさ、羨ましいじゃん。
それにさ、ボクはもしかしたらジェイスと会えなくなるかもって心配があってさ...」
雪白からは璃兎の頭しか見えないが、彼がどんな表情をしているのか分かる気がした。
軍人のジェイスは、いつでも命をやりとりする世界に身を置いている。
無事に帰れる保証のない毎日に、璃兎が心を擦り減らしていることは容易に想像できた。
璃兎から見ると、雪白は恵まれた環境にいるのに、いつまでも気持ちを伝えないことに腹立だしい気持ちなのだろう。
「雪白、必ず明日が来るとは限らないんだよ。
闇や竜、人攫いや盗賊がボクたちを狙っているでしょう?気持ちを伝えずに命が終わってしまったら、すごく後悔するよ?」
「あぁ、分かるよ」
間髪入れず、迷わず返事をした雪白に、璃兎は軽く流されていると感じたのか、キッと雪白を睨んだ。
「分かる」
しかし少し微笑んだ雪白の顔はどこか悲しそうで、初めて見るその表情に璃兎は違和感を感じ、戸惑った。
その表情はなに...
「ありがとう璃兎。
俺の気持ちがもう少し整理がついたら、気持ちを伝えることを考えてみるよ」
璃兎の肩を掴んで起こしてやり、雪白も起き上がって璃兎の正面に座り、にこ、と笑う。
「...ボク、言いすぎたかも。ごめん」
恋人に会えない不安から感情的になってしまった。
璃兎は素直に謝り、雪白と握手をする。
「いいよ。ジェイスさんのこと、心配だもんな...。また話しにおいでよ」
「雪白は大人っぽいなぁ。お兄ちゃんみたい」
「璃兎は弟みたい」
「お兄ちゃんというより、時々おじいちゃんレベルで落ち着いてるよね」
「それは嬉しくない」
今度は雪白が拗ねたように言ったので、璃兎が吹き出した。
* * * * *
「...っていう事があってさ、思わず雪白にお説教しちゃったんだよね...」
後日、任務から戻ったジェイスに雪白との会話を話した璃兎。
話しを聞いたジェイスは、璃兎には滅多に見せない硬い表情になり、その形の良い唇を引き結んだ。
「璃兎、よく聞いてください」
静かに切り出したジェイスに、璃兎はヒヤリと背中が冷えるのを感じる。
なにかまずい事をしてしまったのだろうか。
「雪白の師匠は、原罪で行方不明になり、未だ戻りません。知っていましたか」
璃兎の、信じられない、という顔を見てジェイスは小さくため息をついた。
「知らなかったのですね」
何も言わない璃兎の表情が一瞬で翳る様子は、青空に突然立ち込める暗雲のようで、伝えたジェイスの胸にも重苦しいものが湧き上がってくる。
「明日が来るとは限らないって言ったとき、だから雪白は、分かるって、即答したんだ」
どうしよう...と俯く璃兎を引き寄せ、安心させるように背を撫でてやり、ジェイスは静かに言った。
「貴方が、そうした方がいいと思うなら、謝るべきでしょう。
雪白は貴方の話しも聞かないような青年ですか?」
「ち...が、う。雪白はきっと聞いてくれるし、ボクの謝罪も受け入れると思う。
そういうヤツだから。
そういう優しい彼を傷つけたと思うと、それが悔しい...」
声に嗚咽(おえつ)が混じる。
「...学ぶしかありません。
傷つき、傷つけられ。
誰かと関わるというのは、そういうことじゃないですか」
璃兎は声を上げて泣きそうになったが、歯を食いしばって声を殺した。
雪白、キミが恵まれているか、ボクが恵まれているか、そんなことは誰にも分からなかったことだ。
ボクはこうしてジェイスに諭され、抱き締めてもらえる。
キミは紺碧さんと居られるかもしれないけれど、お師匠様とは会えてないんだね。
心の整理がつくって、お師匠様のことだったのかな。
...ごめんね...。