【松戸ワンドロ】その正体見破られたり【ぽん戸田くんと神主の青年松岡くんの話】
「わぁぁぁぁ!?」
大きな声が、ゲゲゲの森に響きわたった。
ゲゲゲの森の片隅にある小さな庵。その中で頭を抱えている声の主は、この森に住むたぬきの戸田である。戸田は普段は人間のような姿をして生活しているが、その正体は化けたぬきであり、基本は森で自給自足の生活をしながら、時折人里に降りては人間と交流する生活をしていた。
「も、戻らないよぉ!?なんでぇ!?」
そんな戸田であったがたぬきとしては未だ修行中の身であり、体術の類は完璧であるものの、妖術変化の類は苦手であり、人間に混ざっても違和感なくとけ込む修行の為に、親元を離れてこのゲゲゲの森に一人で小さな庵を構えて暮らしていたのだった。ゲゲゲの森は、戸田たち小さな妖怪が住む世界と人間の世界のちょうど狭間にあり、両方を行き来する橋の役割を果たしている場所であるため、修行の場には持ってこいであった。
そんな戸田であるが、今現在、大きな問題が起こってしまっていた。何をどうあがいても、完全に人に変化する事ができなくなってしまっていたのだ。戸田の丸い形の良い頭部の上には、ちょこんと、これまた丸っこいたぬきの耳が鎮座しており、人の耳の位置はふさふさのたぬき毛に置き換わってしまっていた。
「ど、どうしよう……夢子ちゃんとの約束は今日はなにもなかったはずだけど……」
最近、仲良くなった人間の友達を思い浮かべて頭を抱える。彼女には、何となく自分の正体を話すことができずにいた。
「あとは……松岡くんも……」
後輩の松岡を思い浮かべ、さらに深いため息を吐く。戸田は、どうにも、この後輩が苦手であった。
「今日はもう寝ようかな……お腹すいたけど……」
時刻は現在夕方近く。寝るにはいかんせん早い時間帯ではあるが、これから夕飯を調達に行くにもたぬき耳が出たままでは、人間の商店街に買い物にも行けない。
「戸田くん、いるかい?夕飯のおかず作り過ぎちゃったから、お裾分けに……大根の煮たやつなんだけど……」
いやなタイミングで、後輩の松岡がやってきてしまった。松岡は戸田よりも後にこのゲゲゲの森に住み始めたという意味で戸田の後輩にあたる、見かけは二十歳ほどの人間である。松岡は人間ではあるが、実家は代々神職を勤めているらしく、最近、ゲゲゲの森の入り口にある小さな祠の管理人として、この森にやってきた。祠の場所までは、普通の人間も入れるため、時折地域のお年寄りが管理人として赴任してきていた。前回の管理人が現役を引退してしばらくは誰も管理する者がおらず、見かねた戸田が時折掃除などしていたが、初めての若者の管理人……松岡が赴任してきてからは祠関係でそれなりに戸田とも交流するようにようになった。
松岡は人間ではあるが、神通力でもあるのか戸田の庵の場所入り込める希有な存在であり、戸田が未だに正体を明かせていない人間の知り合いの一人でもあった。松岡は、時折その緑がかった瞳で戸田のことをじっと見つめてくることがある。その瞳に見つめられると、どうにもどきどきと心臓が鳴って尻の座りが悪くなる。松岡の神通力によって、戸田の正体が見破られる……そんな不安が落ち着かなさの原因だろうと、戸田は踏んでいる。
「ま、松岡くん……!」
さぁ、と戸田の顔から血の気が引いていく。松岡の神通力で正体がバレる前に、自ら正体をばらしてしまうようなヘマをしてしまうなんて。
(もうココにはいられない……!)
思わず逃げ出そうとした戸田を、持ってきた鍋をさっと床に置いた松岡が両腕を広げて抱き止めた。子どもの体格の戸田と、細身とはいえ大人の体格の松岡では、松岡の腕の中に戸田の身体はすっぽりと収まりきってしまっていた。
「あっ!まって!」
「放して!」
「ちょ、戸田くっ……!?」
抱き留めた戸田の頭のてっぺんを見て、松岡は驚きに目を見開いた。
(ああ、もう終わりだ……!)
これで完璧に松岡に嫌われてしまったと目尻に涙がこみ上げてくる。なぜか、松岡に嫌われたと思うと戸田の心臓がちくちくと痛んだ。が、じたばたともがく戸田の獣の耳元に、松岡は鼻先を埋めて抱きしめてきた。
「戸田くん、落ち着いて。大丈夫だから」
ぺろり、と毛繕いするように獣耳を舐め上げられ、戸田の身体がびくん、と跳ねた。
「戸田くんの正体がなんであれ、僕が戸田くんを嫌いになることはないよ」
◇
結局、戸田が落ち着くまではと、松岡は戸田の庵に泊まり込んでくれることとなった。
松岡の持ってきた夕食を食べながら、戸田は自分の事情と、正体についてをぽつりぽつりと話した。黙って聞いていた松岡だったが、
「その修行って、正体がバレたら帰らなくちゃいけないのかい?」
とだけ聞いてきた。戸田は首を横に振った。
「そんなことはないよ。気に入って、信頼できる人間になら教えてもいいって父さんにも言われているし。人間の中から番や相棒を見つける同族もいるもの」
「そっか、よかった」
と松岡は戸田に微笑みかけた。
「僕に話してくれたってことは、戸田くんは僕を信頼できるパートナーとして見てくれている……ってことでいいのかな?」
「なりゆきで知られちゃったから仕方なくだからね!」
「それでも、話してくれて嬉しいよ」
そう笑う松岡の顔に、戸田は一瞬見ほれた。松岡は、人を引き付ける不思議な風貌をしている。戸田は、高鳴る心臓を押さえて、そって松岡から視線を外した。
◇
夕飯も終え、一つしかない寝床に二人で入り込みいざ寝る段となると、ずっと気を張っていたのか、人肌の暖かさからか、戸田はすぐにうとうととまどろみ始めた。
「まつおかくん」
戸田が舌足らずに松岡を呼ぶ。
「うん?」
「きょうは、まつおかくんが来てくれて、ほんとうは、たすかったんだ……ひとりで、こころぼそかったし、おなかも、すいてたし……」
「うん」
「ありがと、きてくれたのがきみで、ほんとうに、よかった……」
そのまま、すぅ、と寝息を立てて寝てしまった戸田を自身の腕の中に囲うと、ふわふわの耳に鼻先を埋め、松岡も目を閉じた。
「おやすみ、戸田くん」
◇
「ん……」
翌朝、差し込む朝日に目が覚めた松岡の横に眠っていたのは、可愛らしい子たぬきだった。
「普段の姿も可愛いのに……正体までかわいいなんて、本当に君は」
寝起きにも関わらずにこにこと機嫌が良さそうに笑う松岡は、戸田の丸っこい額に唇を落とすと、立ち上がり、戸田の家の中の水瓶の影になっている部分に手を突っ込んだ。
「うん、まだあるね」
小さな香炉を取り出した。香炉の中には独特の匂いのするお香が詰まっていたが、調合によりかすかに香る程度まで押さえられていた。お香は、妖怪の力を封じ、正体を表させる、退魔の香であった。
「もう少し、楽しませてもらおうかな」
そう呟いて香炉を戻す松岡の耳はぴん、と先の尖った狐の耳になっていた。