同じ場所に立つとわかる 定時をとっくに超えた夜半前、ルッチは執務室に続く廊下を足早に歩いていた。
詳しくは言えないが、今日の任務はものすごく精神的に疲弊した。極秘とのことで、あのバカを同行させられなかったことも疲労の原因の一つだ。どちらかというと自分より弁の立つスパンダム向きの仕事であったが、同行させるにはスパンダムの階級が足りなかったのだ。本音ではとっとと休みたいが、これから管理職業務(書類)をしなくてはならない。
仕方なく執務室に戻ると数人の部下がまだ仕事をしていた。スパンダムは見当たらない。
苛立ちながら机の上を見ると、山積みであるはずの書類がなかった。
あぁ、あの書類ならスパンダムさんが片づけてましたよ。スパンダムさん、管理職経験があるから心配しなくても大丈夫ですよ!
職員の一人が気を利かせてそう声をかけてきた。一言多いことに気付かずに。
そんなことは言われなくてもこのおれが一番よく知ってる。
ルッチの細めた目に不穏な空気を察知した他の職員が、慌ててうっかり者の口を塞ぎ、スパンダムの居場所を報告する。それを聞き、ルッチは、遅くまでご苦労、早めに上がれと呟き部屋を出ていった。
ドアが閉まりきったあと、このうっかり者は同僚からしこたま灸を据えられることになる。
敷地内のベンチで、灯りに照らされながらタバコをくわえて夜空を見上げる。曇りなので星も月も出ていない。見るべきものがない空を、疲れ切った虚ろな目でただ見上げ、仕事の采配や難解な文章の解読により湯だった頭を冷やしているだけだ。
ふと、近付いてくるルッチに気づき、スパンダムは、お疲れ様です、と静かに会釈した。連日深夜まで仕事をしていたため、媚を売る気力は残っていない。
突っ立ってるの゙疲れるでしょ、座ります?
と、少し横に移動し、スパンダムはベンチにルッチが座れるスペースを作ったが、ルッチは動かずに一言、書類、と呟いた。スパンダムはそれを聞くと、あぁ、とタバコを簡易灰皿に押し込み、
おれの株、上がりました?
と、ニヤリと笑ってみせた。
正直、もっと恩を着せられるか、小言の一つでも降ってくるかと思ってた。なるほど、管理職経験の差がこんなところにまで…。
ルッチはフッと短く息を吐くと、
調子に乗るな、と言いながら横に座る。
お礼は有休2日分プラスでいいですよ。
規定までは変えられねぇ。でも今度飯につれてってやる。
それって残業〜。
じゃれ合うような軽口の応酬が心地好い。仕事でやさぐれた心も解されていく。雲が流れ、細い月が少しだけ見えてきた。
そうだ、仕事はもう終わってるじゃねェか。
急に立ち上がったルッチにスパンダムは驚く。
お前の仕事は?
もう終わりましたけど…。
その言葉を聞くなり、ルッチは月歩と呟き、スパンダムを抱きかかえ、空を蹴った。
耳元で悲鳴を上げるスパンダムに、そうだ、おれはこれが聞きたかったんだ、と一人笑う。
スパンダムさん、どこへ行きたいですか?
んなもん、とっとと帰って寝てェわ!
自分の首にしがみつきながら叫ぶ声に、ルッチは、仰せのままに、と笑みを深めた。