クソ上司!
罵ってやりたい気持ちをグッと抑え、それでも漏れでた気持ちが舌打ちをさせた。
先日大規模な吸血鬼の侵攻があった。舞台は私が勤める新横浜。優秀な探知能力を持つ吸血鬼対策課の隊長である自分は、勿論大規模侵攻対策に参加しないわけにはいかず。巨大な吸血鬼の気配に体を壊しながら現場に立っていた。それがいつの事だったか。只でさえ仕事が溜まりがちなのに、予定外の大規模作戦にまた仕事が増えて机にかじり付いていた為正確な日数が出てこない。一週間、いや二週間経ったっけ。わからん。
侵攻してきた吸血鬼達は人に危害を加えるのが目的ではないようで、吸対と退治人と一緒に暴れた後は満足したのか大人しくなった。車座になって宴会が始まった時は頭が痛くなった。報告書どうしよう、と。
「えー。VRC収容中の彼、ウチで面倒見る事になったから」
「この前の、大規模侵攻の彼?」
「そう」
強い吸血鬼達の中でも率いていた男は更に気配が強く、かつ混乱を招いた責任と能力解析の為現在はVRCに預けられている。先程本部長から処遇についての最終審議の結果が伝えられた。要は責任を押し付けられたのだ。ああ、哀しきかな中間管理職。
「それにしても何で彼だけ?」
「調べたところ、一等強かった彼は弱点らしい弱点がないそうだ。ニンニクも平気、十字架も日光も平気、おまけに希死念慮持ちときた」
「そういう風には見えなかったけれど」
「希美君は直接立ち会ってなかったか。『吸血鬼らしく、死んで生き返って畏怖させる』これが今回の侵攻における彼の目的だ」
「死んで生き返る……?」
「よくわからんな。つまり畏怖欲の現れか?」
「さぁね。私にもわからん」
コーヒーを啜りながら、現実逃避から目を閉じる。シワが刻まれっぱなしな眉間にも休みが必要だ。
「そんなわけで私は明日は朝イチでVRCの方行くから」
昼前には来ると思うけどよろしくね、と告げればフォン君がホワイトボードへ予定を書き込んだ。
「つまり監視業務が増えるって事ですよね」
「そうだね」
仕事が増えた事実は私も否定したいところだが、どうもこうもしようがない。頷けば、「そんな危険人物に見えなかったけどなぁ」と綺麗な顔を憂いで装ったフォン君が呟いた。
「フン。見た目なんて当てにならん」
「そうだね。君もそんなお堅そうに見えて、その下マイクロビキニだし」
「マイクロビキニは正装だ! 仕事に相応しい格好をしているだけだ」
「ミカエラさんのその信仰どっからきたんですか? エッチですね」
「一言余計よ、フォン君」
翌日。VRC職員立ち会いの元、件の吸血鬼と顔を合わせた。銀色の髪に青い瞳。服装はマントを羽織っているものだからクラシカルな吸血鬼のそれに見えるが、色だけで見れば即座には結び付かないだろう。今まで会った事ある吸血鬼は皆が一様に赤い瞳をしていたから。
「ロナルド君……で良かったよね?」
小さな一室で、頬杖をつきながらも大人しく座っているのが何だか面白かった。こんなに強い気配を漂わせているのに。
「アンタか。お迎えってのは」
対面に用意されていたパイプ椅子をずりずりと引いて、斜めに直して座り込んだ。
「そうだよ。吸血鬼対策課のドラルクだ、よろしく。ここの人から話は聞いた?」
「監視されるんだろ。別に異議はないぜ。吸対についてれば、生き返りチャンスもありそうだしな!」
「生き返りってか死に目チャンスじゃないそれ? アタックさせないからな」
鞄から書類を取り出して彼へと差し出す。ファイルごと渡せば、赤く染められた爪が目に付いた。
「何て?」
「えっ」
一拍遅れて反応すれば、書類を手に持って団扇のように遊びながら口を尖らせていた。
「ドラ公、要約して」
「それ私? ポリ公って事? というか君ねぇ、そういうのは自分の目で確認しなきゃ意味ないでしょ」
「堅っ苦しい言い回しだと理解するのに時間かかる」
「文字は読めるんだよね?」
どういう育ちかはまだ聞いていない。吸血鬼ともなれば生きてきた年数も文字通り桁違いで、時代が違えば教育の有無もあるかもしれない。そう危惧して聞いたが、読めるわと返された。
「じゃあ黙って読みなさいよ」
「だから、時間かかるけど……。お前忙しいんじゃねーの? それ、隊長服だろ」
「驚いた。知ってるんだ」
「まぁ」
口をもごつかせながら、目を反らす。ある程度知識があれば民間人でも分かるものだが、知らない者が多数だ。知っているのは同じ警察官や関わりが多い退治人が殆どだろう。吸対に彼と知り合いだという者はいなかったし、ギルドでも吸血鬼一行に面識はないと聞いていた。増えた謎に頭を抱えたくなったが、咳払いして自分を誤魔化す。
「いいよ。時間かかって良いからちゃんと読んで。分からないとこあったら聞いて」
「……おう」
妙なところを気にするんだな、とお茶を啜りながら吸血鬼を眺めた。双眸をゆっくり左右に動かして、時折首を傾げながらも書類を読む様は監視対象とは思えない。
時間がかかるぞと脅されたものの、実際にはそう大して待たされなかった。ちびりちびりと飲み進めたお茶と同時に声をかけられた。
「つまり安全だと認められない限り、無期限的に二十四時間吸対の監視下に置かれてこき使われるるわけだ」
「そうは書いてなかっただろう」
まあ、実質そうなんだけど。
「能力の十分な解析とコントロールが可能になるまでって書いてあった。コントロールも何も俺は弱点がないだけで吸血鬼らしい能力はないし、そもそも持ってたとして永く生きると別の能力を持つ場合だってある。奴隷契約みたいなもんじゃねーかコレ」
投げ出した書類を右手でノックするように強調されると、肩を竦めるしかない。今の時代、この書類が公になれば問題になるだろう。それだけ上は弱点を持たないこの吸血鬼を恐れているし、出来るなら比較的友好的な彼を使って力を誇示したい。本部長の顔が浮かんで、また舌打ちしたくなった。
「だから、ちゃんと自分で読むべきだって言ったろう」
「読んだ。久々にこんな長文読んだわ。頭痛くなりそう」
「弱点長文にしとく?」
「バカ」
「というかちゃんと理解出来てるんじゃん」
目線を合わせれば、大きな瞳を丸くさせる。こちらは識字の心配までしたというのに、隠せるなら隠したい裏側まで覗いてきた。
「理解出来ねえとは言ってないだろ。時間かかるとは言ったけど」
「そうだっけ」
「というかこれ、俺に拒否する権限あんの?」
「ないだろうね。多分もうどこ行っても吸対がこれ引っ提げて追いかけて来るよ」
「どうして……」
困惑した表情をあらわに、両手で頭を抑える。ブツブツと呟く言葉は聞き取れないが、過去にも公的機関に追われるような目にあったのだろうかと考えを広げる。今でこそ、こうして目の前の彼は生きているが、数十年前までは見つけ次第退治されていたのが彼らだ。何もおかしくはないか、とまとめて再び彼に視線を向けた。
「なぁ。二十四時間の監視って、俺どこで寝起きすんの」
もしかして留置場だったりする? と不安げに話す彼の言葉に、まさか! と返す。
「まだちゃんとは決まってないけど、監視下なら外泊だって出来るし、必要な物は棺だって何だって用意する手筈になってる。そこまでじゃないさ!」
安心させるようにニッコリと笑って見せれば、ホッとした顔と共に爆弾を投げてきた。
「じゃあ、ドラ公ん家住むわ」
「は」
公私共にこの超絶面倒胃痛案件を見てろと? 冗談じゃない!
何が目的だこの男。私はうら若き処女じゃないぞ、と露骨に怪しめば逆にこちらを不思議そうな目で見てくる。いや、何で?
「…………私はおいしくないぞ」
「だろうな。そもそも一口分でも吸ったら貧血で倒れそう」
「誰が虚弱貧血常習おじさんじゃ!」
「そこまで言ってねえ! つーか、別に血はいいよ。普通にメシからでも栄養摂れるし」
「あ、そう? じゃあ一体……」
「とにかく! ドラ公ん家じゃなきゃ、俺はここから一歩も動かねーからな!」
「ハーーーー? そろそろ終わらせたいんだけどこれ」
急にイヤイヤ期にでも突入したのか、さっきまで成り立っていた会話が全然噛み合わない。VRCは精神鑑定とかやってないんだっけ。二重人格だったりしない?
警戒させないよう振る舞っていたせいで懐かれたのか、何なのか。腕組みしてそっぽを向くようにしているが、チラチラと片目でこちらの様子を窺っているところは犬を思い出させた。犬だったら尻尾がゆらりと揺れているところだろうな、と脳内でレンダリングすればこちらが悪いような気がしてくる。
「………………」
長い沈黙の後、根負けして「私の言う事聞く?」と尋ねれば笑顔で頷かれた。