山田室長!!注意書き喋って自我のあるモブ研究員が一人出てきます。
軍事開発技術部の様子と、天谷奴零が軍を抜けた後独自に作った研究所の様子を捏造しています。
全ての設定は捏造で、原作に根拠はありません。
ご了承の上、なんでも良い方のみ次のページにお進みください。
(はじめ)
弓を限界ギリギリまで引いて、瞳の奥で構えているような人だった。
いや、別に弓道をしてそうだとかそういう話ではなく。あえて言うなら、弓を引く際にピンと張り詰められる弦、のようなものを瞳の奥に宿していて……そんなにギリギリまで弓を引いていては、矢を射る前に弦の方が切れてしまうのではと、こちらが心配になってしまうような人だった。
もっとも、その人は誰からの心配も求めていなかったけれど。
「え……山田室長、軍を抜けるつもりなんですか」
「ああ」
短く答えたその人に会うのは随分久しぶりのことだった。というのも、つい最近までこの国は戦争をしていて、俺もその人も戦地に召集されていたからだ。約二年ぶりに会ったその人の顔は右半分が白い包帯に覆われていて、包帯の下には戦場での傷があるのだろうということは想像に難くなかった。覆われてない緑の左眼には、相変わらず張り詰めた弓が構えられていた。
山田 零 という名前のその人は、俺が戦地に召集される前に働いていた『軍事開発技術部』と呼ばれる軍内に設置された研究施設の室長をしている人だった。その名の通り軍事技術の研究や開発をしている機関だったが、戦況の悪化に伴う『いつ使い物になるか分からない軍事研究よりも戦地の兵士不足を補うために人員を回すべきだ』という軍上層部の考えによって約二年前に解散させられた。そしてその機関で働いていた人間は漏れなく全員戦場に送られた、というわけである。
戦争は『国同士の会議上では』半年前に終わった。終戦から半年経ち、ようやく戦地から戻ってくることができた俺は、なんとなしに元々働いていた研究施設のある場所を訪れていた。建物の周辺は戦後の傷が残りほとんど焼け野原であったし、かろうじて建物は原型を保っていたものの、研究施設としては年単位で使われていないため、内部は荒れ放題だった。
そして、その荒れた場所で、俺はその人と再会した。
山田室長は初め、俺のことを不審者でも見るかのように見た。というか単純に、俺のことをそこまでよく覚えていなかったのだろう。軍事開発技術部はそこそこの大所帯であったのだ。しかし戦地から戻ってきて俺が噂を聞く限りでは、その大所帯の半分以上はもうこの世にいない人間になっている。
俺が名乗ると、山田室長はようやく俺のことを思い出したというような顔をした。
「お互いよく生きてたな」
そう言った山田室長は少し笑っていて、そういえばこの人が笑う顔を見たのは初めてだったと今さら思った。山田室長が俺のことをあまり覚えてないのと同じで、俺も山田室長のことを、元仕事場で遠目に見たことしかなかったのだ。
そこから世間話をする内に、初めの会話に至った。山田室長は、もし軍事開発研究部が再開されてもその機関に戻るつもりもなければ、これから軍そのものを抜けるつもりらしい。
「どっちにしたって、遅かれ早かれ軍は解体されるだろうよ。されなくても、俺はもう戦地に出るつもりはないし…そもそも兵士になるために軍に入ったわけでもない。このまま軍に籍置いてたら、いつ都合よく戦場に送られるか分かんねえからな。」
山田室長の言うことには俺も同意見だった。多分この戦争に参加した人間の中で、もう一度戦場に出たいという人間はいない。だが俺には気になることがあった。
「…山田室長は、これからどうするつもりなんですか?」
「研究を続ける。軍とは無関係なところで。」
ほとんど間髪入れない返事は、あまり意外ではなかった。山田室長は俺より年が五つか六つ上だったため噂で聞いただけだが、この人は軍事研究の部門を志願して軍に入った人らしい。この人なりに、研究には何かしらのこだわりがるのだろう。今日、山田室長がここを訪れていたのも、俺のように『なんとなく』ではない。施設に残っていた研究の残骸を回収しに来たらしい。
俺は山田室長とは違った。もう戦場には立ちたくないと漠然と感じていたものの、軍を抜けてしまったら、その後のアテも、やりたいこともなかった。
だから、山田室長の返事を聞いて、魔が差したのだ。この人が瞳の奥で引いている弓がどこに向けられているのかが、気になってしまった。
「あ…あの!山田室長がこれから続けられる研究って、研究員の募集とかしてないですか!?」
俺の言わんとしていることは、山田室長にもすぐに伝わったらしい。この話の流れではあからさまだし、分からない人間の方が少ないだろう。
山田室長は初め、俺を見て何度か瞬きをした。キリキリと構えられた瞳が片眼でも俺を捉えていると、妙に緊張して背筋が伸びた。そして山田室長は俺から目を逸らすと、何かを考えて黙り込んでしまった。
そんな沈黙が数分間続き、俺が(やっぱりだめか)と諦め始めた頃。山田室長は俺から視線を外したままポツリと
「…ま、一から探すよりは勝手が分かってる奴の方が使えるか……」
と、呟いたのだった。
「それじゃあ…!」
「お前が俺のとこで働きたいなら、雇うのもやぶさかじゃないぜ。ただ…」
そこまで言った山田室長は、喜びかけた俺をからかうように笑った。
「暫く給料出ねえけどな。カネ無いから。」
一般兵士の俺に軍から支払われていた給料は、ほとんど無いに等しかったが、それは俺より上の立場にいた、山田室長でも同じことらしかった。それを知ると、今まで得体のしれない人だと思っていた山田室長に親近感のようなものすら湧いた。何も持っていないこの人が、一体どうやって何をしようとしているのか俄然興味が出た。
だから俺は山田室長の提示した条件を受け入れて、山田室長が新しく作る研究・開発チームの研究員になることにした。
山田室長は、戦地に召集される前に進めていた研究を、独自で完成させる気でいた。軍事開発技術部と一口に言えど、その機関が行っていた研究には様々なものがあったが…山田室長が行っていた研究は『言葉や音を人の精神に直接作用させる』というものだった。
(マイク、スピーカー具現化)
「山田室長!!」
大きな音を鳴らしてノックもせずに扉を開けた俺を、研究室の中にいた山田室長は面倒くさそうな顔で見た。
「お前はいつまで俺のことそう呼ぶつもりだ?」
(動物園の話)
さんざん悩んだ結果、薄い箱に10枚入りのクッキーを選んだ。甘いものが嫌いだとは聞いたことがなかったし、研究の合間にでも食べてくれればいいと考えて。それでも、カラフルなラッピングや可愛い形をしたクッキーは、あまりあの人に似合わないなとも思った。
「山田室長、これお土産です。どうぞ!」
俺の渡したクッキーの箱を見てから、山田室長は何とも形容しがたい顔で「は?」と言った。
「土産…って、お前どこに行ってきたんだ?」
「え?どこって…」
山田室長は普段から察しが良い。というか、大体何でも見透かしているような人だったので、その質問をされたのは意外だった。山田室長じゃなくても、俺の渡したクッキーの箱のラッピングを見れば、大抵の人は俺がどこに行ったのかは見当がつきそうなものだったのだ。
いつもと違う様子の山田室長を不思議に思いながらも、俺は山田室長の問いに答えた。
「パンダの親子が可愛いって評判の、動物園です!この前の休みに彼女と行ったんですよ」
クッキーの箱のラッピングには、ライオンやキリンなどいろいろな動物がプリントされている。そのうちのパンダを指差しながら言った俺を、山田室長は信じられないものを見る目で見ていた。
「中のクッキーの形はクマとウサギとゾウで、パンダの形は入ってたらレアらしいですよ」
「…クマとパンダはほとんど同じ形じゃねえの?」
「パンダのクッキーは耳の部分がチョコクッキーになってるらしくて……」
俺の説明を聞きながらも微妙な顔を変えない山田室長を見て、土産選びをしていた時に一瞬考えた不安が、もしや的中しているのだろうかと頭によぎった。
「あの…山田室長、もしかして甘いもの嫌いでしたか?」
「え?……ああ、違う違う。」
俺の不安にキョトンとした山田室長は、その質問を否定してから、ようやく俺の手からクッキーの箱を受け取った。そのクッキーの箱を見ながら、苦笑いを浮かべる。
「甘いモノは食う。ただ……普段あんな研究しといて、よく動物園なんて行けるなと思っただけだ。お前、変なところ図太いよな。」
そんな山田室長の言葉を聞いて、ようやく俺は山田室長の微妙な顔の意味が分かったのだった。
山田室長と俺が今話している場所は研究所だ。普段から俺たちがヒプノシスマイクと真正ヒプノシスマイクと、そしてその真正ヒプノシスマイクを使うためのクローン人間の研究をしている研究所。『クローン』に関してはその研究の性質上、実験用マウスなどの動物を扱った実験が行われる場所である。
普段、実験動物にあまり気持ちのよくない行為をしているにも関わらず、動物園にウキウキ行った俺に対して、どうやら山田室長は引いているらしい。
「俺、プライベートと仕事は分けるタイプなんで!」
「これそういう話か?」
「逆に意外です。山田室長はそういうの気にするタイプだったんですね」
勝手なイメージだが、山田室長こそ、もっと冷徹な人だと思っていた。実際、今まで行っていた動物実験にもクローン研究にも、今日の今日まで生命倫理のジレンマに苦しんでいる様子は全くなかった。
「動物、お好きなんですか?」
「…まあ、嫌いじゃねえかな」
これまた意外だった。もっとどうでもよさげな回答が返ってくることを予想していたが、もしかすると山田室長は、かなり動物が好きなのかもしれない。思いもよらず山田室長の意外な一面を知り、なんだか山田室長に対して、じわじわとした親近感を感じ始めた俺は、続けて質問をした。
「特に好きな動物は?」
「アライグマ」
「あ…アライグマ??」
「手先器用でかわいーんだよ」
「アライグマ…いたかなぁ……」
(おとめさんに会いに行ってる話)
その人が持っていると、普段は真っ赤な危険信号の色だと思っていた消火器が、なんだかチープなオモチャのようにすら見えてしまった。消火器を持っているその人のオーラの方が、よっぽど危険な怒りの赤色をしているように見えた。
「ボヤだけは起こすなっつってんだろうが!」
「スミマセン!!」
「消防車も救急車も呼べるようなとこじゃねえんだよここは!!しかも研究棟の方じゃなく、よりにもよってこんな場所で……」
山田室長は消火器を持ったまま、まだ消火薬剤の白い煙が立ち込める部屋の中で声に怒りをにじませながらそう言った。その怒りに俺は返す言葉も出ない。
「これから会いに行く予定の奴がいんだよ」
「」
(プロポーズの話)
目の前にいる山田室長にバレないように時計をチラリと見ると、時刻は午後六時を過ぎた頃だった。
「山田室長!!プロポーズ成功しました!!!」
「そりゃよかったな、言っとくが祝儀は出ねえからな」
「ご祝儀は良いので、結婚式のスピーチとかしてもらえませんか?」
「絶対嫌だ」
山田室長は本当にご祝儀をくれなかったし、結婚式のスピーチもしてくれなかった。
(キャンセラーの前)
「大阪?」
「そう。しばらく用があってそこに行くから、こっち空けることになる。その間ここ頼むぞ。」
「え、俺がですか!?」
山田室長の言葉はあまりに信じられなくて思わず聞き返した俺だったが、山田室長はそんな俺を『責任感のない奴だな』とでも言いたげな呆れた目で見た。流石にあんまりである。
確かに俺はこの研究所の初期の初期からいる人間ではあるが、まさか山田室長から不在時の留守を任されるほどの信頼を得ているとは全く思えなかった。山田室長は基本的に自分の話をするような人ではないから、山田室長との付き合いが7年になろうかという今ですら、この人が何を考えてるのかよく分からない。俺は山田室長から言われたことをこなすしかないのである。
「…っていうか、なんで大阪に行かれるんですか?」
研究所がある場所と大阪とは離れている。理由もなく行く場所ではない。しかし一体何の理由があって大阪まで行くのか見当もつかず、俺は山田室長にそう尋ねた。
「この前『キャンセラー』のこと話しただろ。その関係だ。」
「キャンセラーのことは聞きましたけど…あれは設計に時間がかかるから見送りって言ってませんでしたか?」
「その設計が、大阪にある音響機器メーカーの持つ設計技術を応用すれば何とかなるかもしれなくてな」
そこまで聞いて、ようやく山田室長が大阪に行く理由に合点がいった。つまりこの人は、その音響機器メーカーに用があって向こうへ行くのだ。
「でもその設計技術って、メーカーがすんなり見せてくれるものですか?」
「くれねえだろうなあ、企業秘密の技術だし。」
「え」
じゃあ行くだけ無駄じゃないか、と喉まで言葉が出かかったが、山田室長は俺が言葉を出す前に口を開いていた。
「だから『しばらくここ空ける』って言ってんだろ。一日二日で用事が済むとはハナから思ってねえよ。」
一日二日どころか、一年かけたって企業秘密を知るのは無理ではないだろうかと思った。時間の問題のように言っているが、とてもそうは思えない。と同時に、いつ帰ってくるかも分からない山田室長がいない間、この研究室の責任を俺が持つことになるなんてもっと無理だと思った。
俺が相当不安そうな顔をしていたのが面白かったのか、山田室長は呆れた顔のまま笑った。こっちは笑い事じゃないのに。
「しゃあねえだろ。俺もキャンセラーはもう少し先でもいいかと思ってたが…『向こう』がご所望なんだよ。なるべく早く作れと。」
「向こうって…」
山田室長の言う『向こう』は、今この研究所が取引している相手先のことだ。言の葉党という政党の党首が直接の取引相手で、山田室長は一年ほど前から頻繁にその人と会っている。女性だということ以外、俺はその党首のことをほとんど知らなかったが…つい最近、山田室長はその女性に、この数年の研究成果の塊である『ヒプノシスマイク』を、なんと売ってしまった。
以前山田室長からその女性の話を聞いた時、山田室長は
『あいつにマイクを渡してみて、どうやって使うのか見てみたい』
と言っていた。
山田室長のことだから何か考えがあるのだろうと思い、その時はそこまで気にしていなかったが……まだ量産ができず数に限りのあるマイクのほとんどをその女性に売ってしまったときは、流石に意味が分からなかったし納得もできなかった。今も納得していない。それが、次はその女性に言われるままにキャンセラーを作ろうとしているのだ。
腹の奥がむかむかした。この数年間の研究成果の権利は全て山田室長が持っている物だから、それをどうしようと山田室長の自由だし、俺がとやかく言える立場ではないのは分かっていた。それでもむかむかするのだ。
せめて山田室長がもっと何を考えているか教えてくれればいいのに。いや、俺がそんなことを要求できるような立場にないのは分かってるんだけど、それでももうすこしくらい説明を……
渦巻く不満を何とかやり過ごそうとしていた俺の耳に、山田室長の「ブハッ」と吹き出すような声が届いた。慌てて山田室長の顔を見ると、吹き出す“ような”ではなく、本当に吹き出していた。クツクツと笑い声を立てながら、山田室長は笑っていた。
「お前な…考えてることが顔に出すぎなんだよ。そんなにマイク売ったのもキャンセラー作ろうとしてんのも不満か?あいつに言われるまま動いてるみたいで悔しい?」
一言一句、俺の心中を見透かしている山田室長の問いに返事をすることが出来ないでいると、山田室長はそのまま言葉を続けた。
「あいつもお前みたいに単純ならいいんだけどなァ…こっちがいくら従順な『フリ』しても疑ってきやがる。」
「ふ……フリ?」
「フリ。ま、ここで疑ってもこないような奴ならマイクも売ってねえけどな。」
飄々とそんなことを言った山田室長は、ポカンとしている俺を見て、少しだけまた笑った後、
「とにかく、お前に心配されるほど考えなしのことはしてねぇよ。…ってことで、俺が留守の間、ほどほどにやっといてくれや。あ、頼んでないことはするなよ。」
「…しませんよ、なんですかその念押し」
それから数か月後、山田室長は本当に、キャンセラーに必要な、大阪の音響機器メーカーの『企業秘密の技術』を、しっかり手に入れて研究所に戻ってきた。それも、どんな手を使ったかは分からないが、合法で。
だが、この話はここで終わらない。
それからさらに二年ちょっと後、俺は『緊急政府速報』で、今まで自分たちが取引していた女性の顔を初めて見て…そして、その女性が使っていたものが、俺がずっと開発に携わっていた『ヒプノシスマイク』であることを、この目でしっかりと見た。現政府…いや、旧政府の転覆にヒプノシスマイクは使われていた。
俺はどうやら、終戦後に焼け野原になったあの研究所跡地で、とんでもない人についてきてしまったらしかった。
(中王区成立直後)
山奥にひっそりと建っていた研究所が、この度移動することになった。
場所は、なんとあの「中王区」内である。
(サカ)
いつも通り、中王区裏門で厳重すぎるほどの身体検査を受けてから、仕事場である中王区内の研究所に出勤する。しかし到着した職場はいつもの景色ではなく、研究室の中には久しぶりに見るその人の姿があった。
「…山田室長!?」
「よォ。悪ぃな、こっち任せっきりで。」
研究室に置いてあった研究資料を見ていた山田室長は、俺の驚いた声に少し笑いながらそう言った。