【調査報告書】 今昔探偵事務所
調査対象者 : 山田 零
調査実施期間 : H3/XX/XX ~ H3/XX/XX
調査内容 : 山田零の素性、及び現在の所在
●山田零の素性
生: XXXX年1月23日(調査時点で46歳)
25歳時、旧日本軍に志願兵として服務を開始し、軍事開発技術部に所属する。
その後、26歳で軍事開発技術部の新兵器開発部門研究室長に任命される。
27歳時、同研究室に特技兵として所属していた女性研究員の『×× 那由多 (結婚後:山田 那由多)』と結婚する。同年、両名の第一子が誕生する。
31歳時、第三次世界大戦が始まり、以降は軍事開発技術部の規模が縮小され続ける。
山田零が後年に開発した『ヒプノシスマイク』の設計が始まったのはこの頃である可能性がある(本調査依頼者持ち込みの文書より)が、詳細な記録は見つからない。
32歳時、激化する第三次世界大戦のあおりを受け、軍事開発技術部が解散となる。
所属していた技術部兵 (女性特技兵は除く) は、前線の兵士不足を補うため兵科に召集され、○○○、△△△、□□□など、国外の戦地へ配置される。
山田零の配置先は■■■。
33歳時、第三次世界大戦の終戦条約が締結され、配置先から帰国後、旧日本軍から除隊する。
除隊時、軍事開発技術部時代に開発していたと思われる『ヒプノシスマイク』に関する研究内容の一部を無断で持ち出している。妻:那由多と共に、独自に研究を推し進めようとしたと思われる。
それを知った旧政府から『反政府思想かつ危険兵器持つ可能性がある』と判断され、旧政府の監視対象となる。
34歳時、旧政府の監視から逃れるため、場所の移転を繰り返していた個人研究所が旧政府に発見・襲撃を受け、那由多が重傷を負う。
山田零・那由多、両名の安否、消息はその後不明。
両名の実子と思われる『山田 一郎(当時7歳)』『山田 二郎(当時5歳)』『山田 三郎(当時2歳)』の3名は、研究所襲撃時期の数ヵ月前後に、戦争孤児として福祉施設に保護されていたことが確認できた<東都役所保管、戦争孤児の保護記録資料/画像添付>。
その後の山田零の消息は不明であるが、言の葉党政権による旧政府クーデター時に使用されたヒプノシスマイク<画像添付>は、旧軍で開発されていたヒプノシスマイク<画像添付>とは設計が大きく異なるため、除隊後の山田零の研究により完成された物が使用された可能性が高い。
また、旧政府クーデターの数年前から、言の葉党が『天谷奴 零』を名乗る人物との金銭取引をしていた記録がある。
第2回ディビジョンラップバトルに出場したどついたれ本舗のメンバーの1人『天谷奴 零』が、中王区の要人用非常口から出入りする姿の目撃情報が、中王区の壁外周辺の住民複数から得られた。
旧政府クーデター以前から言の葉党と取引をしている『天谷奴 零』は、どついたれ本舗のメンバー『天谷奴 零』と同一人物であると予想される。
以上のことから、山田零は旧政府からの襲撃以降、『天谷奴 零』という偽名を使って生活、言の葉党との取引をしている可能性が極めて高い。
『天谷奴 零』という名前については、同姓同名の研究員が、旧日本軍の軍事開発技術部に所属していた記録が見つかった。
天谷奴零は、軍事開発技術部の解散後、兵科に召集され■■■の配置となり、翌年に同地で戦死している<旧日本軍の兵籍簿、戦死者として天谷奴零の記載あり/画像添付>。記載によれば、遺体が所持していた認識票によって個人鑑別がなされた。
遺体の本国輸送は行われておらず、同地に召集されていた兵士達が自発的に設置した簡易共同墓地<当時は大きな穴を掘っただけのもの。現在は人道的観点から整地され、慰霊碑が設置されている/画像添付>に埋葬されたものと思われる。
●現在の山田零の所在
調査現在、山田零の所在は不明。
山田零とチームを組んでいる白膠木簓、躑躅森盧笙も山田零との連絡はとれていない様子。
最後に山田零の姿が確認されたのは◇月◇日、ナガサキディビジョン内の防犯カメラ映像。加えて、端島(軍艦島)近くの港沿いの町で、山田零と容姿が酷似した男の目撃情報がある。
また関連性は不明だが、山田零がナガサキディビジョンで確認された前日、言の葉党員と思われる女性数名が、端島に向かっていたとの情報がある。
山田零の最後の目撃情報がある◇月◇日の翌日から、国内に存在する全てのヒプノシスマイクが使用不能となった。
なお、軍所属時代の山田零や、軍事開発技術部の関係者、研究室の写真・映像等は見つからず、戦時中の被害により記録が消失した可能性が高い。