ああ運が悪い
影宮も氷浦も、時音まで街のどこかへ消えていってしまった。
三人揃って某チェーン店で勉強してから帰ると言っていたが、なんで仕事帰りに勉強道具を持ってきてるんだおかしいだろ、おかしい、絶対におかしい。
「良守にはまだこの範囲は早いのよ。帰って私がチェックしといたところ復習しておきな」
馬鹿にしやがって、俺も最近は少し成績上がってるんだぞ。やることねーから。
まあハブられたのはもういい、寂しいけどもういいさ。しばらくお菓子作ってやんねーからな。
いや、でもこの前作りすぎたクッキーどうしよう。
………こいつに渡す、のも有りか…?
そっと顔を盗み見る。まだまだこいつの身長は越えられないらしい。実は正直、ここまでデカくなれる自信は無いがやはり長年意識していたことは簡単には覆せず、自然と眉間に皺が寄ってしまう。
そう、何が一番俺にとって、いや〝俺等”にとって運が悪いか。
簡単なことだ。今、墨村長男と次男は二人きりになってしまっている。
運が悪い。いやあいつらが悪い。
良守は現実逃避の代わりに目を真っ黒にして無想状態に入る。
だが無想が現実逃避になるはずもない。そんなことに使う術では無かった。
ぼんやり歩きながら、鮮明にあの日のことがフラッシュバックした。
にわか雨が降ったり止んだりするじめっとした晩夏、彼らの間には確かに和やかな時間が実家にある広い畳の上で流れていた。
机越しでは無く隣に座り、だらだらと大福を頬張る。正守はだらしがないと叱ることもなくただ時々こちらに視線を流し、眦だけ少し緩めて熱い茶を啜る。それが暗黙の義務であるかのようにお互いの近況からどうでもいい笑い話までぽろぽろと伝え合う。本当は、何も話すことなど無かったのだけれども。
だが半刻も過ぎればもう大福も話も何も残らない。
そろそろ片付けようか。どちらからともなくそう言って、皿に手を近づけて、誤って同じ場所に手が添えられてしまった。
なんとも無かったのだ。ごめんと言ってそのまま離れたらいいことなのは二人とも解っている。
その手が離れる前に触れ合った指に爪を立ててしまった。わざとじゃないとも言える強さで。
気づけば襖は閉まっていて、強く降り出した雨の音に支配された部屋の中で手を握り床に重なって倒れていた。
訳もわからず強く強く握りしめたまま、雨の音が消えるまで重なり合う二人の間に言葉はひとつも無く、それを寂しいと思えないことに罪悪感を覚えて。
なんてことがあったんだ半年前に〜〜〜!
あーー!!!無想解除!逆効果じゃねえか俺って馬鹿!?
(ケケケ、諦めろ良守)
しぐまひっこめ、もう無想使わねえっつんてんだろ現実に戻る!
(どうかしてるぜ、ほんと。まあ頑張れよ)
(あとお前の兄貴、ちょーおこっち見てるぜぇ)
そう言って、しぐまの気配がふわっと消えた。
バッと右にいる兄貴へ体ごと振り向き、ガッチリ視線が合った瞬間(あっ、これ間違えた…)と自身の浅はかさにまた頭をかかえたくなった。
気づけば陽が落ちかけている。誰もいない、雨もふってない、なのに目も耳も塞ぎたくなるのはこいつがなんとなく悲しそうだから。
逆光で上手く顔が見れないからだと決めつけてしまえば楽だけれども。
兄貴が前触れもなく口を開く
「俺たちってさ、哀れだと思わないか」
言葉よりもその声色に胸がかゆくなる
「…意味わかんね。いきなり何?」
「だってさぁ、俺はどこまでも自由になれないし、じつは良守だって仕組まれた子供ってやつだろ?」
「仕組まれたって、なにが」
「わかってるくせに」
正守は綺麗に口元を緩ませた。
それは今まで見た中で、一番綺麗だと思った。
でも絆されやしない。だって俺は一度も可哀想なんて思ったことは無いから。
俺のことも、お前のことも。
「あのさ、兄貴いい加減さ、
俺を通して自分のこと傷つけようとするのやめろよ。」
正守は素っ頓狂な顔をした後、良守の腕を掴んで草むらに放り投げる。
帰りたい、めんどくさい本当に。
こいつの売る喧嘩を買ってもいいことなんてひとつも無いと知ってるのに、何しているんだろう俺は。
大の字で寂しげな赤色の空を見上げながら、時音たちを恋しく思った。俺を置いていきやがって、泣きそうだ、くそ。
上にのし掛かった兄はギリギリと良守の腕を締め付けながら、無表情で良守を見下ろしている。
「………あにき、おれを見てくれよ」
みっともなく掠れた声で伝えたら、腕を掴む力が少し緩んだ瞬間に拘束を解いた
そのままでかい身体に飛びついて、殺してやるとでも言うように強く、それはもう強く抱きつく。
兄貴がぐえっと変な声をだした。
あ、なんかその声すげえ好きかも。まるで恋をしているような心地でそう思ったから、不穏さを忘れて少し笑ってしまう。
「よしもり」
「うん」
「お前、力強くなったなぁ………うぇ、」
「あったりめえだ、頑張ってるんだぞ、俺も」
「そうだったな」
誰もいなくてよかった。ごろごろごろ、抱き合いながら子供のように草むらを転がり、泥や葉っぱをたくさん付けて互いを汚していった。
大の男二人、兄弟二人のじゃれあいを側から見たらなんてのは想像しないでおくに限る。
「兄貴ってさ、めんどくさいよ。自覚あるか?」
「無いって言ったら?」
良守はあはは、と笑う。
「俺たち哀れとかじゃなくて、ただの馬鹿なんだよ、多分」
真っ暗になっても、まだいっしょに居られるかもな、今日は。
しょうがないから余ったクッキーは全部こいつの口に突っ込んでやろう。
ざらざらと丸い頭を掻き抱いたら、兄が静かに泣いたような、笑ったような気がした。
終わり 一発がき 読み返してない 意味わからんくてすまん