1.―会 進学を期に一人暮らしを初めてから2ヶ月。そろそろ授業にも生活費のために始めた巫女のバイトにも慣れてきた。バイトは初めてのことだったがバイト先の神社の神主は親切で、久しぶりのバイトさんだからと嬉しそうに仕事を教えてくれる。
たった一つ、問題があるとすれば―――
境内の掃除をしながら拝殿の方をちらりと見る。
「…今日もいる」
賽銭箱の上にひとり、男が座っている。
賽銭箱に座ることが大問題なのは言うまでもないが、更に目を引くのは男の格好だ。目元を覆う布、ここのものではない神職装束、そしてぴょこぴょこと揺れる耳と尻尾。
注意するべきか、関わらないべきか。
ここで働いている身としては今すぐにでも注意したいところだ。しかしあまりにも浮世離れし過ぎている様相と男について誰も言及しないことから、話しかけてはいけない人種なのかもしれないと放置し続けている。
その日は別に、いつもと違う何かがあったというわけではなかった。ただ、何となく少しの間その男の方を見てしまって。
「―――見えてる?」
「は―――」
目が合ったと思った瞬間、男は賽銭箱から飛び降りすさまじい勢いでこっちに駆け寄ってきた。そしてその勢いのまま俺の手を掴みぶんぶんと上下に振る。なんで布越しなのに俺のことが見えて―――
「ほんとに見えてる!!俺のこと視える人間なんて何百年ぶりだっけ!なあなあ名前は!?新しい巫女さんだよな!?」
突然のことに面食らってしまい言葉を失ってしまったが、どうにか我に返り怒気を込めて男を睨みつけた。
「離せ!人を呼ぶぞ!」
「ああごめん。嬉しくってつい」
するとさっきの勢いはどこへやら、意外にもぱっと手を離される。また手を振り回されてはたまらないので男から数歩遠ざかった。
「いきなり触っちゃったことは謝るよ。でもそんなに身構えなくてもいいじゃん」
「どう見ても不審なコスプレ男に警戒するなと言う方が無茶だ」
「不審じゃないし俺はそんな名前じゃなーい!」
あからさまに不審がられていることが気に入らないらしい。男の動きに合わせてぴんと立つ耳と尻尾が不満を主張する。あれ動くんだな、とつい呑気にもそんなことを考えてしまう。予想と違って話が通じたことと言動の幼さで何だか毒気を抜かれてしまった。
「それで、不審でないと言うならお前は何なんだ、コスプレ男」
「だーかーらー、俺はこすぷれ男じゃないの!」
こほん、と咳払い一つ。
「俺はあい。ここの神様やってる」
「神様―――
本格的に頭がおかしい奴か…」
「何だよその反応!本当なんだって!」
不審者じゃなかった、気の毒な頭の持ち主だった。それはそれで相手をしたくはない。真剣に抗議している様子を見るに相当深刻そうだ。
しかしこの際だ、賽銭箱に座るのはやめろと言ってしまえ。
そう思い口を開こうとした瞬間、神主に声をかけられた。
「藤木さん、どうかした?」
参拝者への対応をしていたはずだが話し声が聞こえたのだろう、様子を見に来たらしい。
女の自分より神主に注意してもらおうと思いコスプレ男のことを話す。神主も当然コスプレ男のことを知っているものだと思っていたが、その反応は予想と大きく違うものだった。
「お賽銭箱に?そんな人がいるなんて困ったな…。藤木さんは女の子なんだし危ないから、今度見かけた時は僕を呼んでくださいね」
「え…あの、いつもあそこで…」
「その神主俺のこと視えないよ」
どういうことだ、と言いかけていつもの参拝者の様子を思い起こす。無視しているのだとばかり思っていたが―――
神主はと言えば、目の前に本人がいるというのに男の存在に全く反応しない、いや気づいていない。
誰も彼も男のことを気に留めないことも、毎日のように居座る男のことを神主が知らないことも。先程のこいつの言葉が真実であることを示してしまう。
「どう?信じてくれた?」
正直ありえないと言いたくなる話だが、目の前で起こっていることは受け入れるしかないだろう。そんな俺の考えを察してか男はにこりと笑う。
「そういうわけで、これからよろしくな!」
こうして俺は神を自称する狐耳コスプレ男に気に入られてしまった。