初デート初デートの日。
今日はとびっきりおしゃれするって決めていた。お忍びだから多少変装はしないとだけど、だからこそ隅々まで手を抜かないようにしないとねェ。ちょっと背伸びして買ったスキンケア用品をふんだんに使って、鏡の中の自分を眺める。昨日は夜更かしもしなかったし、お菓子も食べなかった。そのお陰かいつもより少し綺麗な自分でいれているような気がした。スキンケアが終わったら、昨日選んだとびっきりの服に着替えてメイクに取り掛かる。ヒロくんはそのままの藍良が可愛いよって言ってくれるけど、好きなひとのために何かしたいって思うのは当然。今日のために練習してたんだ。もちもちマシュマロのパフに、あまいパウダーをつけて肌に馴染ませる。アイシャドウはかわいいピンクブラウン。食べたくなるような、熟した果物色の口紅に、みずみずしさをプラスするような水飴のリップコートを塗る。かれこれ30分位経った頃、ヒロくんのためのおれが完成する。うんうん、不器用なおれにしては上出来なんじゃない?その後も髪型やら持ち物やら四苦八苦してる内に待ち合わせの時間に近づいてしまったので慌てて部屋を出た。
「藍良!」
「ぎゃあっ!」
ヒロくんが部屋の前で待っていたのかいきなり抱き着いてくる。今日はちょっと可愛く声をかけてみてヒロくんを骨抜きにでもしてやろうかなァ?って思ってたのに。
「もォ.......びっくりしたなァ?待ち合わせ場所は旧館の方のはずだったでしょォ」
「そうなんだけど、何か藍良を迎えに行かないとって思って」
「何それェ?もしかしておれに早く会いたかったってこと?」
ちょっとからかうようにして聞いてみる。どうせそうかもしれないよ!とか平然と言って来るんだろうなァ。軽い気持ちでいるとヒロくんは急に下を向いて黙ってしまった。
「.......?ヒロくん?.......聞いてる?ねェ!」
いつまでもそのまま動かないものだから、顔を覗いて声をかけるとそこには顔を赤くしたヒロくんがいた。
「へっ.......何それ.......なんでヒロくん赤くなってんのォ.......?」
混乱しているおれにヒロくんは、ゆっくり視線を向けてラブ〜いお顔で
「.......僕は、自分で思うよりも藍良の事を好きだ、ってことに驚いて...」
と歯切れ悪く言った。...な、何それェ!?そんなの最高にラブいラブいラブすぎるよォ〜っ!!こんなの世のヒロくんファンは瀕死状態になっちゃうやつだよォ!おれも含めて!だけど、おれはそう思っているのに、
「あぇっえうゥ、そうなんだァ...!?あははっ.......」
って好きで頭がショートして上手く喋れなくなってしまった。結局骨抜きにされちゃってるのおれじゃん.......!ってことに気付いて、悔しいから頭突きでもしてやろうかと思った。だけどその瞬間ヒロくんの手がおれの頬を包んで、ヒロくんの方向に固定されてしまったからそれは叶わなかった。今まともにヒロくん顔見れないんですけどォ!?
「何っ.......??」
「えっと...僕はまだまだ未熟者だから自分の気持ちに気づけないことも多いみたいだ。だから藍良、色んな気持ちを教えてくれるきみには感謝しているよ。是非今日も色々な気持ちを教えてくれないか!」
やめてェ。適当に言っただけだよソレ。実際おれはきみの言動に翻弄されっぱなしで気持ちを汲んで教えてあげるなんて絶対無理。でも、今更こんなキラキラしたお目目で言われちゃったら断れるわけないじゃん!それにさっきの全部適当でしたなんて言ったらなんか負けな気がするよォ。
「うゥ.......しょうがないなァ!」
「ありがとう、藍良!藍良は何でも分かって凄いな!僕は君が恋人で誇りに思うよ!」
そんな純粋な満面の笑みで褒めないでェ...!ヒロくんはおれの虚勢も疑わず信じちゃうから余計タチが悪い。笑顔が眩しい。
「......それよりいつまで手.......首が痛くなっちゃうから離してよォ」
「すまない!もちもちしてて手触りが良くて思わず!そろそろ出かけようか!」
「なっ.......それって太ってるって言いたいわけェ!?」
あ〜、あんなこと約束しなきゃ良かったァ。こんなことになるなら情けなくても降参しておけば良かった。なんて思ってももう逃げられないんだけど。
デートは大成功。正直ヒロくんが何か絶対やらかすと思ってたけど意外に大人しかった。ヒロくんも成長するんだねェ。おれが選んだずっと行きたかったカフェは大当たりだったし、予定にはなかったけど通り道にあった雑貨屋さんはおれ好みのものが多くて興奮しちゃった。トランプモチーフのアクセサリーが目にとまって、折角だからお土産として先輩達の分までお揃いのアクセサリーを買った。それぞれのスートがあしらわれているヘアペンとネックレスのセット。そして、緋色と藍色のピアスはおれとヒロくんの分だけ買った。恋人としての証みたいで嬉しかったなァ。
ここまでは順調だったのに問題はこれからだった。外の用事が終わったあと、忙しい先輩達が不在のおれの寮部屋にヒロくんを招いた。もしもの為にちゃんと先輩達の許可はとっておいた。おれたちは外ではアイドルとして気を張らなきゃいけない。だから少しでもリラックスした二人の時間を過ごせたらいいな.......って思っていたのだけど。
今の状況はそれとは完全違う雰囲気だった。ベッドに座っていたおれは、いつの間にかヒロくんに壁まで追い詰められて俗に言う壁ドンみたいな状態になっていた。おれは蛇に睨まれた蛙状態で一ミリも動けなくて。ヒロくんはしばらく黙っていたけど、やっと口を開いてくれた。
「藍良.......聞きたいことがあって。実は今日一日、君がいつもより甘くてふわふわに見えて.......キス、というものをしたくて堪らなくなったんだ。でも故郷でのそれは、婚前に行うのは正しくないものだった。だから....、僕もそうだと思ってたのだけど.......」
今、き、キスって言った!?何で突然!?確かに考えてみれば、おれたち付き合っているし、手も繋いだしハグもするし、デートもした。ステップ的には妥当だけどォ.......!!あまりにも突飛な言葉におれの脳内はリラックスのリの字も無くなってしまった。
「な.......何言ってるのォ、キスは都会では結婚してなくてもできるって教えたでしょォ.......」
「.......価値観は取捨選択すべきだと聞いたよ。僕の故郷でそれが正しくないとされていた理由は責任の伴わないうちに間違いを起こさないため、つまり相手を尊重する為だったんだ。」
「..............」
「だったら僕は藍良を尊重したいと思うから、この価値観に歯向かう理由はないよ。藍良を大事にしたいから。....だけど僕は君にキスをしたいと思ってしまった。それが何故なのかいくら考えても分からないんだよ。藍良、もし良かったら教えてくれないか」
そうしてヒロくんはおれに穴があいちゃいそうな位真剣に見つめてきた。今朝のツケが全部回ってきちゃったよォ。逃げたい。そう思ってもヒロくんからは、先生を質問攻めにする熱心すぎる生徒みたいな気迫を感じた。さらに、吸い込まれる青空のような瞳に見つめられるとおれはもう動くことができなかった。これはどうにかして答えを見つけなきゃいけない。回らない頭を無理やり回す。油の足りていない自転車みたいに頭の中が軋む心地がした。ついに、必死になって、おれが出した答えは、
「おれの事が.......好きだから、じゃないのォ.......」
もうやだァ!一種の言葉責めじゃん!恥ずかしくて涙が出そうだった。おれは恐る恐る、ヒロくんの反応を伺った。
「..........っ!」
真っ赤、だった。
「え、デジャブを感じるよォ!な、何で赤くなってんのさ!恥ずかしくて死にたいのはこっちの方だよォ!?」
「すまない!えっと.......僕もまだ混乱していて.......好きという感情にどれだけ大きな力があるかは知っていたけど、いざ実感してみると巨大すぎて頭がパンクしてしまいそうだよ!」
なんか拍子抜けしちゃった。おれも死ぬほど恥ずかしいけど、こんなにあたふたしてるヒロくん珍しいかも。おれはなんかおかしくなってきてしまった。
「ふふっ.......あははっ」
「あ、藍良...?何か面白い事でもあったのかな?」
「だってェ、いつもグイグイのヒロくんがあたふたしちゃってるのがおかしくって」
そうだ。そうやっていつもグイグイきて無自覚のうちにおれを翻弄するんだ。それなら、おれだって少しぐらいきみを振り回させてくれてもいいんじゃない?
「ねェ、ヒロくんキスしてよ」
「.......!」
「パンクしそうなら、好きの力の大きさってのをおれにぶつけちゃってもいいんだよォ?」
「.......藍良は、それで後悔しない?」
この男はこの期に及んでまだそんなことを聞いてくる。
「キスできない相手と付き合うわけないでしょォ、常識常識。」
「そうか.......そうだよね.......」
「もうっ!何を勿体ぶっんのさ!早くしてよォ?おれ、気が変わっちゃうかもしれないよォ....っんぅ」
まるでお預けから解放された犬みたいに唇を塞がれた。五感全てからヒロくんを感じる。触れている唇は互いの熱を高めあってどんどん体温を上げていく。あァ、ぜんぶがあつい。そこでおれは、キスってこんなに幸せが身体も頭もぜんぶを支配しちゃうんだってことを知った。おれはこの幸せをどうにかしてきみに伝えたくて、出ない声の代わりに強く抱き着いた。おれは今、誰よりも幸せだよォ。すると僕も負けていないよ、と言わんばかりにヒロくんもおれを支える手を強くした。今だけは、言葉がなくても、心で繋がれている気がしてとても心地良かった。
「.......んん〜っ.......ひぉく、くるひ.......」
永遠に続けていたかったけど、息の限界を感じたおれはヒロくんの背中を数回叩いたりして訴えかけた。流石にヒロくんの肺活量におれ叶わないよ。
「ぷはっ.......」
ヒロくんは、それに気付いたのか唇を離してくれた。大きく息を吸おうとする。だけど、それは叶うことは無かった。次の瞬間おれはベットの上に倒されていた。
「んむぅっ!?」
おれはもう一度、さっきよりも深く口を塞がれていた。互いの鼻先がぶつかる距離。ヒロくんはおれに覆い被さる状態になっていて、これって大分不味いんじゃない.......?ほとんど思考停止している脳内にそんな事が浮かんでくる。って待ってそれよりヒロくんどうしちゃったの!?恐る恐る目を開けてみる。
「ぅ!?」
捕食者の目付きをしたヒロくんと目が合ってしまって思わず声が出てしまった。もしかしてこいつずっと目、開けて.......!?キスしている時の顔を見られていたのが恥ずかしいのとヒロくんの視線に捕らえれておれの全身の力はへにゃへにゃと抜ける。それをいいことにヒロくんはさらに角度を変えて攻め立ててくる。鼻先はもう擦れあってしまう程の距離だった。気付いた時には触れるようなキスから、水音が立ってしまうような深いキスになっていた。あ、これやばいかも.......。頭がほわほわとホワイトアウトしていく中、おれのひと握りの理性が警鐘を鳴らす。その理性に動かされおれは弱々しくヒロくんの胸を叩いた。これ以上おれ死んじゃう.......!!
その瞬間、ヒロくんはハッとしたような表情をして口を離した。
「ご、ごめん!つい夢中になってしまって.......」
「はぁ.......ぅ.......もうバカァ.......」
ほんとバカ。初デートでここまでするやつは体目当てぐらいの輩しかいないんですけどォ?猿なのォ?とか本当はもっと文句を言ってやりたがったけど息が上がってしまい弱そうな罵倒しか口からは出てこなかった。
「藍良、大丈夫?大分苦しそうだけど.......飲み物あるよ」
「ん.......もらう」
ちょっとイラッと来たけど大人しく受け取る。おれは気付いた。今さっきの挙動を考えるときっとヒロくんはディープキスを知らない。舌をいれちゃう気持ちいいらしいキス。このことは黙っておこう。仕返しだよ、いつか絶対きみを驚かしてやるから覚悟しててよねェ、と心の中で宣戦布告をする。そんなこと微塵も知らないヒロくんをちらりとみる。ヒロくんは珍しくぼーっと虚を見つめていた。
「.......ヒロくん?ヒロくんも流石に疲れちゃった?」
「ん?ああ、そういう訳では無いよ。ただキスというものは素晴らしいな!唇と唇を合わせるだけでこんなに幸せになれるなんて」
「それはおれも思ったよォ?おれ、恋人とかいなかったし....。おれもヒロくんもキス初心者だねェ」
「ウム。これからもっと知っていきたいよ!...そうだ!こんなに幸せになれるんだ、藍良!毎日キスしよう!」
「.......はァ!?おれたちアイドルだって自覚あるのォ〜ッッ!?」
人生で1回だけの初デート。おれの心の中は穏やかじゃなかったけど、それがきっと好きなんだ。うじうじして怖がってるおれを大丈夫だよってちょっと強引に引っ張っていってくれるきみが好きなんだ。だから今回のキスも結構好きだったりして。結局毎日キス計画は無かったものとなったけれど、ふたりきりなら何回でもキスしようねってことで収束した。おれだって本当は、あわよくば、死を迎えるその日までずっとキスをしていたい。本人には言ってやらないけど。