【ひいあい】ゲームの台詞 民衆が見守る中、天城一彩は馬上で精神を整えていた。ぴたりと動かない姿勢。風に揺れる羽織の裾だけが、時が進んでいることを教えてくれていた。自分は、固唾を飲む民衆の中のひとり。少しでも動けば、物音を立てれば、この場にいる全員の眉をひそめさせるのだろう。そう想像したら呼吸をするのさえ躊躇われた。
きらっと、彼の耳飾りが光った。遠くからでも分かる。彼の眼光は鋭い。パシっという乾いた手綱の音を合図に馬が走り出した。一頭の馬が走っているだけなのに地鳴りがするような迫力があった。その不安定な馬の上で、一彩が弓を構える。猛る馬とは対照的に、静かで美しい弓形に皆息を呑んだ。
音もなく放たれる矢。ヒュッと風を切る音と的が割れる音が高く響く。一彩の姿に見惚れていたら的中する瞬間を見逃していた。目の前を馬が通り過ぎる時、その大きさと迫力にはっとする。土埃の中、自分ははっきりと一彩の顔を見た。獲物を追いつめるような鋭い横顔を見たのはそれが初めてだったかもしれない。
三の的まで全てを的中させた一彩は愛馬を労う。先ほどまでとは全然違う綻んだ表情に、その場にいる皆が安堵したのが空気で分かった。そして、皆思い出したかのようにわっと拍手を贈る。「さすが一彩様」「素晴らしい」と自分の周りの者たちが賞賛の声をあげた。自分も何か、と息を吸ったが上手く言葉にならない。一彩の武芸への感動と、ろくな言葉も贈れない自分への情けなさで涙が出そうになる。堪えていたら、一彩がこちらを見ていた。目が合って、笑ってくれた。そして手を振ってくれた。観衆への謝儀と受け取られたのか、周りにいる民たちがまた歓声を上げた。
一彩の弓馬術の披露が終わると、その馬場の周りは急に静かになる。民たちは良いものを見たと話しながらその場を去って行ったが、自分だけはその場に残っていた。民たちが皆いなくなったのを確認してから、予め指示されていた場所へと向かう。流鏑馬の馬場を一望できる物見台。その裏手に向かった。
そこには、天城燐音と天城一彩がいた。一彩よりもさらに豪華な装束を身に着けた燐音が、自分を値踏みするように見つめて来る。その視線から庇うように、一彩が目の前に立ってくれた。
『兄上、約束です。僕たちの結婚を認めてください』
***
「はぁあァ~~~~~~すごォい! すごいねェ! 何これ、なんて言ったらいいのか分かんなァい!!」
星奏館の居室で、藍良は一彩のベッドの上で足をじたばたさせていた。手にはスマホ、頭にはSSVR用のゴーグル。藍良の隣に腰をおろして本を読んでいた一彩は、突然藍良から発された声にびくりと反応した。
「藍良、恥ずかしいから静かに遊んで欲しいよ」
「だって、面白いんだもん。燐音先輩怖ァい」
藍良が遊んでいるのは、アイドルが出演することで一世を風靡しているアプリゲーム「恋愛★バトルスタジアム」だ。通称「愛★スタ」で親しまれているそのゲームは、SSVRを実装し、まるで自分がそのゲームの世界の住人になったかのように遊べるという代物だった。
アイドルと同じ顔をしたキャラクター達と疑似恋愛を楽しめるということで大人気のそのゲームに、最近天城兄弟がメインのイベントシナリオが追加されたのだ。
内容は、天城兄弟のどちらかと「身分違いの恋」ができるというもの。プレーヤーは落ちぶれた武家の姫となり、偶然馬車で通りかかった天城兄弟と出会い、兄と弟どちらからも求愛されるというファン垂涎のストーリー……という事らしい。
最近追加される新規シナリオがぶっ飛んでいるのは知っていた。天城兄弟ふたりともに乗馬と弓の心得があると知った愛スタのプロデューサーが、今回のシナリオ実装を兄弟に打診してきたらしい。
燐音は舞台となる土地に城を構える領主。一彩はその弟という設定。燐音はその設定を嫌そうにしていたらしいが、さすが見事に演じ切っていた。兄と弟どちらを選ぶかによってルートが分岐する設定だ。兄を選べば領主の妻として城へと迎え入れられ、一彩を選べば、姫の実家を一彩が継ぎ、二人で慎ましく暮らすエンディングへと進む。
藍良が遊んでいるルートでは、一彩がプレイヤーとの結婚を認めてもらうため民衆の前で流鏑馬を披露する。モーションの撮影には藍良も立ち会ったが、ゲームとして落とし込まれたものを見るのはこれが初めてだ。
一彩が本を閉じて藍良のスマホを覗き込む。ゴーグルをしていない一彩には平坦な画面しか見えないが、新作シナリオの『一彩ルート』を遊んでいる画面を見てなんとも言えない気分になった。君主として振舞う兄の演技はさすがの貫禄で、学ぶところが多かった。故郷から出ることをせず、兄弟そろってあの里で成長していたら、いつか兄をあのように崇める未来があったのだと思うと感慨深い。兄と対立し、離れて暮らす未来を選ぶかどうかは自信がないところだが、演技とはいえ珍しい経験ができたと思う。
しかし藍良は、ゲームをさらに進めることはせず、ゴーグルを外して画面をオフにした。ふうっと力を抜いてベッドに身体を沈める。ずっと寝転がってゲームをプレイしていたので体勢を楽にした。
「あれ、続きは遊ばないのかい?」
流鏑馬を披露し、一彩はプレイヤーとの結婚を兄に認めさせる。その後は、プレイヤーへのプロポーズのシーンが待っている。目の前でそのシーンをプレイされるのは恥ずかしいが、一彩は自身の仕事を藍良に見てもらいたいとも思った。
「うーん、告白シーンを見てニヤニヤしてるところ本人に見られたくなァい」
それは確かに、と一彩は思う。一彩は自分も出演しているゲームであるにも関わらず、未だに愛スタをちゃんと遊んだことがない。藍良が登場するルートを遊んでみようとしたところ、リアルに投影される藍良の映像に何故か照れてしまい、出会いのシーン以降を遊べなかったのだ。
それならばと一彩はベッドに転がってこちらを見ている藍良の手を取り、その顔を覗き込む。長いまつ毛に縁取られた瞳がぱちぱちと、一彩を見つめ返した。
『結婚してください。……僕と一緒に、あなたの家に帰りましょう』
しばらく見つめ合って、ほぼ同時に噴き出した。込み上げる笑いが抑えられなくて、二人で肩を震わせて笑い合う。
「……ゲームの台詞じゃ嫌」
「ふふ、僕も本物を見て欲しいよ」
隣で転がっている藍良の頬に手をあてる。藍良が甘えたように手のひらに頬ずりをするので、ここが共用の居室であることを忘れて心を揺さぶられそうになる。
「このゲームで色んな人がヒロくんのお嫁さんになるんだって思ったら、ちょっと妬いちゃうなァ」
「同感だよ」
「ん?」
藍良が首を傾げて聞き返して、一彩は笑った。一彩も前に、藍良がメインキャラクターとして出演しているシナリオを遊んだときに同じことを思ったのだ。冒頭部分を少し遊んだだけだが、不特定多数のプレイヤーがあれを遊べるのだと思うと複雑な心境になる。
一彩も藍良と同じように、上半身を倒してベッドに寝転がる。藍良が側に寄ってきたので、そのまま抱きしめた。
「ねぇ藍良。僕は藍良のルートに入れているかな?」
「何言ってんの。専用ルートだよォ」
くすくすと笑う藍良が、腕の中で一彩を見上げてくれた。見つめ合うと、藍良の体温と藍良のにおいが伝わってくる。これはゲームでは体験できない、お互いだけのものだ。
同室の先輩が帰ってくるまでの、ほんの少しの間だけ。視線でそう言い訳しあって、唇を重ねた。
おわり