近界の恋愛事情◇この話に出てくるみんなの持ち物
〇修くん
ガラケーとモバイルバッテリーと絆創膏とハンカチ
〇遊真くん
スマホと百均のカッターと専門店で買った裁ち鋏
〇ヒュースくん
たい焼きと今川焼き
〇緑川くん
不運(レベル50)と慣れ(レベル100)
〇米屋くん
不運(レベル?)
愛。
たったの二文字で終わるというのに、それは星をも覆う意味を持つ。誰もが賞賛するかと思えば誰もが糾弾し、誰もが受け入れると思えば誰もが逃げ出す。その矛盾した在り方を誰もが知っていて、けれど誰もが一定のものだけを口にした。それがこの世界の、『大衆社会』の基盤だったから。
しかしまあ、基盤なぞ糞喰らえという人間もいる訳で。
社会に出ていない十代から二十代前半の若者は、殊更その傾向が強かった。寧ろ均的な存在を嫌ってすらいただろう。
彼らはいつだって誰だって、特別で逸脱した何かになりたがった。
「空閑。渡せ」
ましてやそれが別世界の子供であったなら言うに及ばない。
米屋陽介の目の前。数歩先。米屋に背を向ける少年が一人。その少年が対峙する、別の少年がまた一人。
一方が手のひらを差し出し距離を詰めようとする度に、もう一方は握り締めた物に力を込める。渡せという言葉に頷かず、音がしそうなほどの速さで首を振った。
「嫌だ‼」
「…空閑、」
「オサムは…オサムは、っ…おれが嫌いなんだ…だから、だからあんなことできるんだ
ろ…‼」
磨かれた床に涙が落ちた。トリオン体が生成する雫は瞬きの後に消える。
だがその間にも新しい物が込み上げ、白い頰を濡らし続けた。言葉を受けた少年が口籠る。
それに眉を寄せ、親の仇の様な目付きで少年に叫ぶ。
「既読無視して、しかも…しかもおれ以外と喋っておれ以外に体触らせるなんて酷いこと、おれが嫌いじゃなきゃ出来ない! そうだろ、オサム‼ 嘘ついたって…おれにはわかるんだからな‼」
手の中のカッターナイフが震える。安物のプラスチックと金属が触れ合う不快な音に少年は汗を流し、けれど呑気に頰をかいた。
「返事忘れてたのは悪かったけど、ランク戦すればどうしたって喋るし体触らせるって言っても肩叩かれただけだし…」
「言い訳なんて聞きたくない‼ もういい‼ オサムを殺しておれも、」
「というかそもそも、嫌いな奴と付き合う訳無いだろ?」
「まったくオサムはズボラだしガードが緩いし困った奴だ本当に仕方無い今回だけだぞ」
カッターを放り少年に抱き付く。あれ程溜まっていた涙はすっかり乾き、口角を緩ませながら胸に頬擦りした。床に落ちたカッターを皆が遠巻きに見る。刃は剥き出し。ストッパーは外されたまま。誰が見ても非常に危険な状態だ。
しかし知りながら、誰も手を伸ばさない。誰もが自身の困惑を処理するのに忙しかっ
た。
「…緑川。お前、大変だな」
「……でしょ」
頰から漏れたトリオンを指で拭う。次いで床に転がるカッターを手に取った。
痕がこびり付いた刃を仕舞い、小さく頼りないストッパーを掛ける。この空間にいて非常に冷静な彼の行動を、けれど米屋は直視出来なかった。あれを目の前にして冷静でいられるということはつまり、それだけ被害に遭ってきたということなのだから。
幼く大きな瞳を半目にし、緑川は目の前のそれを真っ直ぐに眺める。ただの諍いであり痴話喧嘩。最早日常と化している、殺傷沙汰の顛末を。
近界は『別次元の世界』である。
三門市民ならば誰もが持つ当然の知識だ。故に近界はあらゆる事象が地球と異なる。価値観でさえ地球と大きく乖離する。
では、そこに住む人間はどうなのか。
「それの何処に問題がある」
当然、地球とは異なる考えを持つ。
腕を組んだままヒュースは応えた。その顔は冗談を言っているように見えず、逆に米屋達へ怪訝な表情を向けている。
「恋人が連絡も寄越さず他人とベタベタしていれば怒りたくもなる。こちらでは違うのか?」
「いやまあ…違くはないよ? ないけど…」
「言葉だけ聞くとメガネボーイが酷い男に見える…」
曖昧な返しを肯定と受け取ったのだろう。ヒュースは深く頷いて見せた。
「腕が捥げようと足が千切れようと、恋人からの連絡には返事をする。恋人として当然の義務だ。
にも関わらずあいつは知っていながら無視し、挙句任務でも無いのに他人と話し、体を触らせていたんだろう? オレがユーマでもオサムを刺したくなるし、自殺したくなるし、ミドリカワを殺したくなる」
「あー…つまり近界民目線だと白チビはおかしくもなんともないってことか」
「いや最後、最後!」
緑川が机を叩く。米屋は頭をかき、どうしたものかと口を曲げた。高校生と言えど米屋はA級部隊員。トップに立つ者として、ボーダー内の秩序を保たなければならない。米屋自身もそうするべきだという自覚がある。
そんな彼の目下の悩み。それは可愛い可愛い後輩の、これまた可愛い恋愛事情についてだ。
ただし背景は桃色ではない。
「そろそろがらけー止めてすまほにしろよ」
「スマホか…スマホってインターネット使う人向けだろ? ぼくはネットもSNSも大して使わないから、こっちで十分なんだけど…」
「でもオサム、使いにくいからってラインろくに見ないし見たとしても返事寄越さないしプランがどうのとか言って電話も殆ど出ないしメールも遅いしかと思ったら今日みたいに他の奴と話してるじゃん」
座席を隔てた後ろから声がする。
振り返らずとも空閑がどんな顔をしているか分かり、米屋はぎくりと固まった。息継ぎが聞こえない言葉の羅列は、空気を重く黒く染めていく。
「悪かったって」
対峙している筈の三雲はしかし、淡々と言葉を返した。声音からは動揺も怯えも感じられない。
もしかして三雲にとって黒は桃色なのだろうか。
下らない考えが頭を過ぎる。
「そう思うなら変えてくれ。スマホの方がライン使いやすいの知ってるだろ? それに電話し放題とか容量無制限とかプランも沢山あるし、GPSとかデータ転送とか便利なアプリも入れられるし」
一部おかしな単語が混ざる。三雲はそれに反応せず、ただ首を傾げ唸ってみせた。
「うーん…でも本体代がな…」
「ホンタイダイ…カネか? カネならおれが出すぞ?」
「え?…それはちょっと…」
世界が割れる音がした。米屋と緑川は揃って息を呑む。カッターナイフは緑川の手にあるというのに、高い金属音が耳に届いた。
「……は? 何で? おれと話したくないの? おれが嫌いってこと? 別れたくなった?」
後ろを伺うと…何処に仕舞っていたのだろうか…手芸用の裁ち鋏を握っている。身を乗り出した米屋を無視し、鉄は簡単に刃を剥いた。
「絶対に別れないからな死んでも別れない黒トリガーになってでも別れない別れるくらいなら今ここで」
「お金目当てで付き合ってるみたいになるじゃないか…ぼくは、空閑が好きだから付き合ってるのに」
「知ってるよおれも大好き一生一緒にいような」
あと少しで首を切り裂いたそれを花束の様に持ち上げ、顔の横でふわふわと揺らす。
行き場を失った身体をソファに沈めながら、米屋は深く項垂れた。
「…トリオン体バグ?」
「調べてもらったけど正常だよ」
「…調べてもらったんだ」
「…うん」
緑川の背中を摩る。嗚咽を漏らす彼に米屋は何も言えなかった。言える筈もない。ボーダー内で最も彼らの被害に遭っている彼に、初めて直に出会した自分が何を言えるだろう。
「…わかった。スマホに変えるよ。お前に聞くなんて変な感じだけど…どの機種が良いとか、どのプランがお得かとか、教えてくれるか?」
空閑の顔が喜色に輝く。けれど瞬きを待たず、暗く落ち込んだ。
「……おれ、色々言ったけど…その、…オサムに無理して欲しい訳じゃない。だから、オサム…」
俯きがちな頭を三雲が撫でる。眉を下げた彼は、小さく空閑へ微笑んだ。
「無理なんてしてない。空閑を不安にさせたくないだけだ」
「……え、…すき……」
「うん。ぼくも空閑が好きだよ」
「…むり…オサムがすきすぎてむり…」
本当にバグは起きてないのだろうか。不安になる量の涙を流し始める。
意味など無いのに、三雲はそれをハンカチで拭おうと空閑の目元に当てた。涙の量が倍増する。
「えーっと……あれも…普通…?」
二人を指差しながらヒュースに問う。ヒュースは腕を組んだまま、大きく首を横に振った。
「普通な訳無いだろう」
「よ、良かったー! だよね、さすがに変だよね!」
「あの程度の言葉、他人でも贈れる。もっとユーマへの想いを込めるべきだ」
「だよね!!!!!!」
緑川の哀れな叫びがラウンジに響く。背を摩ることすら戸惑われ、米屋はそっと食堂の割引券を差し出した。瞬時に緑川の懐に消えていく。
さすがに声が聞こえたのか、単に煩わしかったのか。
先まで視界にも入れる様子が無かったというのに、座席越しに空閑がこちらを睨む。
「しゅんもよーすけ先輩もさっきからうるさい。…あとヒュース。それ以上オサムのこと悪く言ったら殺すぞ」
空閑の頭を三雲が叩いた。叩くとは言っても軽い手刀だ。
常時トリオン体の空閑は触れられたことがただ嬉しいようで、三雲の手を即座に掴む。無理やり左右に揺らし自身の頭を撫でさせると、満足気に鼻を鳴らした。三雲は好きなようにさせながらも空閑に眉を寄せる。
「空閑」
「だってヒュースがオサムを悪く言うから…」
「ぼくは気にしてない。それに、何を言われたとしても人を傷付けるような言葉を使うな。空閑を誤解する人がいるかもしれないだろ」
「知らん奴にどう思われたっていいよ」
「空閑が気にしなくてもぼくは嫌なんだ」
「…オサム。自分はいいのにおれはダメって、不公平だぞ」
三雲が口籠る。空閑の目から顔を逸らし、表情を隠したいのか眼鏡を押し上げた。けれど頭ひとつ小さい空閑には関係無いようで、見上げながらも目を丸くする。
「空閑が悪く言われたら…多分ぼくは上手く怒れない。悪い言葉や酷い言葉だって口にしてしまうかもしれない。…そんな恥ずかしい姿、お前に見られたくないんだよ」
髪の間から耳の端が覗く。それは確かに赤く、眼鏡越しの目元もまたほんのりと染まっていた。
突然空閑が立ち上がりヒュースの胸ぐらを掴む。米屋と緑川が間に入ろうとする前に、空閑はヒュースへ口を開けた。
「おれの悪口を言え今直ぐ山ほど大声で活動限界になるまで早く‼」
「オレよりヨネヤとミドリカワの方が付き合いが長い分言えることも多いと思うが」
「よーすけ先輩しゅん! さあ言えいくらでも言え何でも言ってくれ‼」
「こわい…ところ…」
「同じく…」
今現在の空閑とも言える。もっと具体的にと迫る空閑を三雲が慌てて引き剥がした。
「何してるんだ空閑⁉ やめろ!」
「嫌だ‼ オサムの恥ずかしい姿が見たい‼」
「尚更やめろ馬鹿‼」
持ち上げられた空閑は三雲の腕の中でぎゅるりと体勢を変える。腹に抱き付き頭を押し付ける姿は見た目相応に幼く、見方によっては可愛らしい。その鼻息は異常なほど荒いけれど。
三雲が米屋達に頭を下げる。
「本当にすみません…緑川も、巻き込んでごめんな」
「お前そういえばさっきオサムの肩触ってたなオサムの可愛さに免じてトリオン体で勘弁してやる首を出せ」
「これも普通って言えるの⁉ ねえ‼」
「ユーマが寛大で良かったな」
「そういうのじゃなくて‼」
十分ほど三雲が宥め賺し、空閑の気性が漸く収まる。それでも三雲の体から離れよ
うとしない空閑に米屋は遠くを見つめた。
面白そう、なんて思うんじゃなかった…。
いつだって何だって、当事者はそれなりに苦労する。それが世の中の仕組みだ。
薄らとは知っていたものの身をもって体験するには若過ぎた。自然と涙が込み上げる。
同時に自分よりずっと年下の緑川が酷く大人に見えて、喉が熱くなった。これは感動か、尊敬か、憐れみか…自分でも分からない。
「…ボーダーって、城戸派とか玉狛派とかごちゃごちゃしてるじゃん? でも白チビやヒュースがいる以上、最低限の相互理解は必要だと思う」
「それは勿論…」
「そこで、なんだけど」
けれど、口にした言葉はそのどれでも無い。感動でも尊敬でも憐れみでもなく、感じた危機を避けるための自己保身。
ただそれを目的として、発したものだった。
「それがまさかこんなに大袈裟で大規模な物になるとは思わないじゃん…」
トリオンで照らされた壇上。簡素とは言え設置された関係者席に腰掛けながら、米屋は一人呟いた。
参加者席と言う名の観覧席には、名だたる隊長隊員達が集まっている。その中に隊長の三輪を見つけ、そっと顔を逸らした。余計なことをという殺気がひしひしと頰を刺す。
「…何で俺まで…」
「お前はみんな知ってる被害者だろ。俺のセリフだっての」
隣で緑川が顔を覆う。きっと緑川も黒江の呆れた視線が突き刺さっているに違いない。
米屋の言葉に、逆隣から打って変わって明るい声が返ってきた。
「いやいや、陽介が発案者なんだから当然でしょ。司会、頑張ってね」
眼鏡を持ち上げ宇佐美が笑う。ボーダー一近界民との交流があるということで、玉狛支部からも二名連れて来られていた。
「……栞、代わってくんない?」
「ごめんね。私は今日、陽太郎と一緒に解説係だから!」
「うむ。はげめよ、よーすけ」
陽太郎もまた『近界民に対する偏見の無い意見を聞くため』という理由で席が用意されている。その実アリステラの王子だからだが、近界より玄界で育った月日が長く、けれど近界民であるという陽太郎の意見は成る程、参考にするべきだろう。
親しい二人に拒まれた米屋は、迫る時間にいよいよ胃が痛くなった。その痛みを糧としているように、反対側の席では三雲と空閑が必要以上に密着し、ヒュースが黙々と良いところのお菓子を咀嚼している。
三人揃って腹を下してしまえと胃を押さえながら願うも、全員けろりとしている。
米屋の思いも知らず参加者席の最前列に座る忍田が咳払いをした。開始時間になったと言いたいのだろう。その隣には沢村と林藤、唐沢に根付に鬼怒田まで揃っている。
いやいやいやいや。忙しい筈の上層部が何をしているんだ。
忍田と林藤は分かる。忍田の補佐である沢村も分かる。唐沢はまあ分かる。だが根付と鬼怒田は分からない。
城戸がいないだけ普通の面子なのだろうかと思いながら、鉛弾を受けた様な動きで壇上のマイクに向かう。出水が吹き出す声が聞こえた。後で絶対にぶん殴ろうと心に決める。
『…えー……お忙しい中お集まりいただきありがとうございます。時間となりましたので…「近界の恋愛観について学ぶ会」を始めたいと思います』
迅の拍手が憎い。気を使うな。要らない、そんなものは。
釣られて何人かが手を鳴らすも直ぐに止む。米屋は小さくため息をついた。
『開催にあたり、当事者でもある近界民の空閑隊員、ヒュース隊員。そして空閑隊員と交際されている三雲隊員をお招きしました。本日は忌憚の無い意見を伺えればと思います』
『どうもどうも』
『はあ…よろしくお願いします』
『おい、お茶はまだか』
『あー……相互理解を深めるため、本日は無礼講とさせていただきます。参加者の皆様もご理解のほどよろしくお願いします。…後でやるから食うの一回やめろ! バカ!』
「司会者が無礼講なのはどうかと思いまーーす!」
『弾馬鹿お前マジで覚えてろよ‼』
「なあ。ぶれーこうって何処にある学校?」
「慶は後で私の所に来るように‼」
マイクのハウリングに耳を押さえる。最早誰の叫びのせいなのかも分からない。次いで、先まで自身の座っていた席へと向き直った。
『紹介に戻りまして…被害し、いえ、…近界民の恋愛観に詳しいということで、草壁隊より緑川隊員をお呼びしています』
『今被害者って…』
『近界民との親交が深い玉狛支部からは、宇佐美オペレーターと林藤陽太郎さんにお越しいただきました』
『こんにちはー!』
『おれにまかせろ』
言葉を濁そうが濁さまいが皆が知っている事実なので緑川の呟きは受け流した。PCを操作し、画面を次へと切り替える。こんなに大掛かりになると思っていなかったため、連動する大画面には米屋が一時間もかけずに作ったシンプル過ぎるスライドが映し出された。
『そもそも恋人って何?』
それだけが書かれている。
『まず俺達…日本人にとっての「恋人」ですが、定義を考え出すとキリが無いので広辞苑から引っ張ってきました。「恋しく思う相手」だそうです。で、「恋しい」は「心引かれること」だそうです』
「Wikipedi〇と言い出さなくて安心した」
『大学生のレポート添削する教授みたいなこと言わないでください』
随分と苦労しているのだろう。忍田が目元を拭った。
『早速空閑隊員とヒュース隊員にお聞きしますが…こちらでの恋人の定義についてどう思われますか? もし近界でこれという定義があったら合わせて伺いたいです』
空閑とヒュースが顔を見合わせる。顎で先を譲られた空閑が、口元のマイクに指をかけた。
『正直言って驚いてる。こーじえんって、あれだろ。辞書。オサムも持ってるやつ』
『よく覚えてるな…』
『そりゃ勿論。オサムの持ち物なら、シャーペンの芯の本数だって覚えてるぞ』
自慢げに言う空閑に、米屋が参加者席を振り返る。
『もうこれが違いってことで閉会していいっすか?』
「やばいのは分かったが駄目だ!」
「まだヒュースの意見聞いてねえだろ!」
野次に願望は潰される。マイクに舌打ちが乗るのも構わず舌を打ち、揶揄する声は無視して空閑達へ再度話を振った。
『驚いた…というのは、意味の違いについてでしょうか?』
『違うよ。意味の少なさ。こっちのことについて何でも載ってる本だって聞いてたのに、本当にそれしか載ってないの?』
『逆に何でも載せられるように簡潔に纏めてるのだとは思いますが…概ね俺達の意識は広辞苑の物と同じですね。では空閑隊員にとっての「恋人」とは?』
『「好きな人」「想い合う相手」「感情」「奇跡」「生きる目的」「この世の全て」「運命共同体」「世界一大切な人」「宝」「心臓」「酸素」「水」「命」「人生」「自分のもの」「奪われたくないもの」「死んでも一緒にいたい人」「来世も一緒にいる人」「絶対放さない相手」「トリガー」』
『多い多い多い‼ 多いし重い‼ …え、最後のトリガーって何? どういう意味?』
ヒュースが片手を挙げる。もう一方の手に掴んだ煎餅を放す様子は無い。
頬に滓を付けたまま、ヒュースはずらしていたマイクを口元へ戻した。
『オレ達トリガー使いにとってトリガーは生命線だ。そのため「トリガー」という言葉を「代わりが利かない」「最も重要」などと表したい時に使用する』
『成る程…外国人が「マイラブ」とか恋人に言ってるのと同じ感じね』
『恋人だけではなく、重要な作戦や優秀な兵士に対して使うこともあるがな』
鬼怒田が腹の上で腕を組みながら頷く。
「トリオンが文明の根幹にあるからこその概念か…」
『あー…だから空閑、やたらぼくのことトリガーって呼ぶんだな』
『オサム気付いてなかったのか⁉』
空閑が目を丸くして三雲へと体を乗り出す。悲しそうに眉を下げる空閑に、三雲は慌てて手を左右に振った。
『褒め言葉というか、良い意味で使ってるんだろうなっていうのはちゃんと気付いてたよ』
『分からないなら聞いてくれれば良かったのにおれの気持ちがオサムに少しも伝わってなかったなんてわかったおれだけしか知らない場所に閉じ込めて何時間でも何日でもおれの気持ちを』
『だからどう返せばいいか分からなかったんだけど、これからはぼくも空閑のこと「トリガー」って呼ぶようにするな』
『世界よ見てくれおれの彼氏がこんなに素晴らしい‼』
「宇佐美。空閑のトリガーは玉狛仕様なのか?」
「ちょっと風間さん! うちでおかしいのは遊真だけよ‼ 玉狛が全部おかしいみたいに言わないで‼」
「小南先輩、フォローになってないです」
小南が立ち上がるのを烏丸が抑える。師匠と弟子は似るのだろうか。空閑もまた椅子を立ち、こちらは誰にも止められることなく三雲の膝に乗る。子供がする様に正面から抱き付き、胸に頬を擦り寄せた。
『…つまり近界での「恋人」は、「自身の命をかけるほどに大切な存在」ということでよろしいでしょうか?』
『オサム、オサム、好き』
『どら焼きが食べたい』
『聞けよ』
米屋はため息をつき、宇佐美達へ話を振る。
『緑川隊員はどう思われますか』
『ノーコメント。ここで変なこと言ったらまたキレられるもん』
緑川が口の前でバツを作る。頭をかき、米屋は宇佐美に顔を向けた。
『何のために呼んだと思ってんだ…宇佐美オペレーター、いかがですか』
『いやー、素敵だと思うよ! こっちだと恋人って、一時的な間柄なことも少なくないし。
遊真くんとヒュースくんほど真剣に向き合ったり、想いを向けたり、大切に思ったりはあまりしないかも』
『…えっ』
マイクが小さな音を拾う。
部屋に響くそれは、何故かじわじわと音を奪っていった。緑川が瞼を伏せる。
『…あーあ、反応しちゃった』
『え? 私変なこと言った?』
『がんばれ、しおり。おれがついてる』
困惑顔の宇佐美に緑川と陽太郎が肩を叩く。反対側の関係者席から、赤い目が宇佐美を貫いた。
『しおりちゃん。それ本当?』
『…う、うーん?』
空閑の様子に宇佐美は曖昧な笑みを返す。そして、ハッと椅子から立ち上がった。
『あ、あくまで! あくまで一般論だよ! 全員が全員そうじゃないから!』
弁明はしかし響いていないのか、空閑の目からどんどんと正気が無くなっていく。
『…いっぱんろん…』
『ね、修くん‼ 修くんは違うもんね⁉』
宇佐美が三雲へ主軸を移す。空閑がこうなった時落ち着かせられるのは三雲しかいないようだ。何処か手慣れているその流れに、宇佐美も苦労しているのだなと米屋は感慨深くなる。
だが三雲は、いえ、と言葉を発した。
『ぼくも恋人ってそういうものなのかなと思ってました』
『修くん‼』
意見を求めている訳では無い。
戦闘時は周りを引かせるほど流れを掴み利用するというのに、何故今ここでポンコツになるのか。
宇佐美が汗を流し、空閑と三雲へ視線を交互にやる。空閑が三雲の顔を両手で掴んだ。
米屋達に表情は見えないが、その背からは傷付いているように何か黒い靄が流れ出ている。
『…そっか…そうだったのか…へえ…オサムはそう思ってたんだ…』
三雲は空閑の手も言葉も、何も感じていない様に瞬きをした。否、それらをじゃれあいだと思ったのだろう。顔を押さえる手に自身の手を重ねる。
『だから、空閑と付き合い始めて驚きました。こんなに大切に、ずっとずっと一緒にいたいと思うものなんだって』
空閑の靄が消える。代わりに顔あたりから白い煙が見えた。
髪の毛を染めかねない濃さで肌が染まっていく。空閑の手が三雲の顔を下に向かせ、空閑もまた顔を近付ける。マイクに乗るリップ音。三雲の体が勢いよく仰反り、反射的にか口へ手を当てた。
『く、…、空閑! 人前では駄目だって言っただろ!』
叫ぶ三雲の顔に空閑の影が落ちる。僅かな隙間に捻じ込み膝を立てると、三雲を見下ろした。その目は常よりも赤く、濃さのせいか黒にも見える。
『無理本当無理オサムが悪いオサム好きオサム』
『だっ……ち、力強いな…お前……!』
『オサム愛してるオサムと一つになりたいオサム一回だけ少しだけだから』
『何言っ…たおれ、倒れる‼ 危ない‼』
抵抗する三雲を空閑の手が押さえ込む。今は均衡しているが、それが大して保たないだろうことは直ぐに察せられた。
『…えー…では次の議題に移ります』
「ちょっ…ちょっと! あれ! 止めなさいよ‼」
『分かってないなあ、木虎ちゃん。あんなの挨拶みたいなもんだよ、挨拶。んでもって止めたら死ぬほどキレられる』
『けいけんしゃはかたる』
『説得力が違うね』
宇佐美と陽太郎が頷く。緑川の目は死地を歩いてきた猛者のそれだ。米屋がキーボードを叩き、次の文字が表示される。
『恋人ってどんな関係?』
先と似た様なそれに、ヒュースが首を傾げる。
『「恋人とは?」にお答えいただきましたが、それを踏まえてこちらにもお答えいただきたい。
恋人とどんな風に過ごすのが一般的なのか、相手にどんな言葉や行動を取るのが普通なのか。定義もそうでしたが、こちらも俺達と近界では異なるように思います』
『この…、…! こ、れ以上、したら…っしばらく、口…聞かないっ…からな…!』
『何でそんな意地悪言うんだオサムひどいオサムの馬鹿オサムと話せないなら耳も口も要らない切る‼』
『…えー…お二人がいい例ですね』
『無理やり繋げた!』
『陽介えらい!』
『やるな! よーすけ!』
『褒められても虚しいだけだからやめろ!』
ヒュースは食べ終えたお菓子の包みを机に置き、隣の二人を見やる。空閑が酷いと言いながら三雲の胸に高速で顔を擦っている。
米屋達から見ればどんな馬鹿ップルだ
と引き攣ってしまうそれに、ヒュースは肩を竦めるだけだった。
『こいつらのやり取りはオレから見てもおかしい』
「やはり空閑のトリガーだけ…」
「風間さん‼」
「ほーら、小南せんぱーい。どら焼きですよー」
風間の呟きに立ち上がった小南に烏丸が小袋を取り出す。玉狛支部名物良いところのどら焼きに、小南は渋々椅子に戻った。
米屋は先日のことを思い出す。この流れは恐らく、いやきっと。風間達が思っているのとは全く別の展開が待っている。
『ユーマはこれだけオサムに想いを伝えているのに、オサムは応えるどころか拒絶している。ユーマもそれをさして責めない。
恋人同士だというのに、何故ユーマを受け入れないのか。受け入れられずとも良しとするのか…理解できん』
来馬がハッとし、太一が頷く。衝撃を受けたような、過ちに気付いたような、二人の顔がそう物語っている。
止めて欲しい。
この先を知っている米屋はしかし、ヒュースのマイクを切らなかった。好きなように口を開かせた。
『オサムは喜ぶべきだし、ユーマは怒るべきだ。
自身の属する組織の人間…その目の前で行動に移すということは、二人の間だけでなく公に関係を認知して欲しいという意味だろう。それほど想われているのだから、抱擁だろうと口付けだろうと性行だろうと、望まれたその場で受け入れるのが恋人への礼儀だ。
にも関わらず礼儀を欠く相手など、言葉を重ねる価値も無い。オレなら殺す。それが嫌なら、手足を切り落として目も耳も潰して、自分以外触れない状態にしてしまえ』
「…こ、鋼…僕がおかしいのかな…ちょっと過激な言葉が…」
「来馬先輩は何も聞いてません何も聞いてないです」
「今ヒュースくんセックスって」
「太一にはまだ早いわ寝てなさい‼」
今が強く太一の頭を机へと押す。来馬の両耳は、村上が両手でさっと塞いだ。二宮がその様子に無言で視線を逸らす。
『つまり近界では恋人へ想いを伝えあー…触れ合いを求めるのが普通ということでしょうか。それを人前で行うこともまた、何ら問題では無いと』
「触れ合いってなーにーー‼」
『太刀川さんそいつ弧月で切ってください。後でレポートの資料集め手伝いますんで』
「よしきた」
野次を飛ばす出水に太刀川を飛ばし返す。怒号と悲鳴が聞こえるも無視し、改めて
ヒュースへ話を振った。
『この前も思ったけど、近界民目線だと三雲隊員は冷たい彼氏なんですね』
『…いや。 冷たいと言うより…遊び人だな』
「遊び人‼」
「遊び人メガネ‼」
「マジでか⁉」
「いやいや遊べるほど器用じゃないでしょ」
「うっそだろ三雲似合わねえ‼」
「三雲くんはそんな子じゃないぞ!」
「えー、いがーい」
「読み逃した‼」
「ちょっと! 修のどこが遊び人なのよ‼」
「僕の弟子を侮辱するのは許さないぞ‼」
「お前の弟子じゃねえよ俺の弟子だ!」
「いえ、俺の弟子です」
「英雄色を好むと言うけどねえ…」
「彼はそんなこと出来る人間じゃないわ」
「あの真面目な三雲くんに限ってそんな…」
『観覧の皆様はお静かにお願いしまーす』
ヒュースの一言に何人もの隊員、隊長が立ち上がる。途中関係無い主張も混じったが、米屋が何度か呼び掛け段々と声は消えた。
『俺としてもかなり意外な言葉でしたが…想いを受け入れないというのは、とても失礼な行為なんですよね? それが遊び人ですか…?』
『ああ。だがオサムの場合は、受け入れないくせに言葉では恋人と言うし好きだとも伝える。
行動と言動が一致していないから、相手はどちらが本当か分からない。自分の都合の良い方に考えてしまうのは当然だろう。弄んでいるようなものだ』
いやそうはならないだろう。
米屋は思うも、ここで否定してしまっては相互理解という名目が崩れてしまう。
空閑の意見はと視線を向ければ、言い終わり満足げに鼻を鳴らしていたヒュースの前髪が机に数本舞った。その横で三雲の膝に乗っている空閑の腕からはスコーピオンが伸びている。
『ヒュース。オサムを馬鹿にしたら殺すって言ったよな?』
『メガネボ―――イ!!!!!!!』
『ぼ、ぼくって遊び人だったのか…』
『状況を読めB級嫌がらせメガネ‼』
一拍遅れてヒュースの言葉に衝撃を受けている三雲に頭を押さえる。しかし三雲は空閑の両肩を掴むと、今にもヒュースの首を跳ねそうな目を自身へ向けさせた。
赤い瞳が三雲を見上げる。ヒュースへの苛立ちか、行動を止められたことへの不服か、その目には珍しく攻撃的な色が覗いた。
『空閑。ぼくはこれまで、ぼくなりに想いを伝えてきたつもりだ』
三雲は伝う汗もそのままに言葉を続ける。
『でも…言い訳になるけど、ぼくは恋愛っていうものに慣れてない。だから無意識にお前に悲しい思いをさせたり、我慢させたりしてしまったかもしれない』
見上げる空閑の目を真っ直ぐに見返す。空閑の赤い色が、ゆっくりと緑に混じっていった。
『その上で聞いて欲しい。空閑、ぼくはお前が好きだ。遊びなんてそんなつもり欠片も無い。真剣にお前のことを想ってる』
観覧席の方からだろう。聞き覚えのあるクラシックが流れてきた。陽太郎がぱぱぱぱーん、とマイクに歌を乗せる。結婚行進曲というのだと、宇佐美が隣で教えていた。
音を辿ると三雲隊の狙撃手・雨取が大きなスピーカーを持って座っている。その横で音源を操作しているのはC級の夏目だ。最初大きかった音楽は徐々に弱まり、やがて聞こえはするが意識には及ばない絶妙な音量に落ち着いた。
何をしているのだと近くに座る絵馬が雨取と夏目を交互に見る。しかし二人は何もしていないという顔で変わらず壇上を見下ろしていた。
「拍手してええ?」
「だめだめ、だめですよ」
「いつの間に未成年の主張に企画変わったんやろ」
「チョイスが古いねん。海とか知らんで、多分」
「知ってますよ! 動画サイトのまとめで見ました!」
「まとめやて。リアルタイムやないねん、やっぱり」
「いやあんたらもさして変わらんやろ」
結婚行進曲と生駒隊の会話を背景に、空閑がスコーピオンを解除する。最早ヒュースへは指の一本も向けていない。恍惚とした表情で三雲の首に腕を回すと、そのまま大きな体を抱き締めた。
『馬鹿だな、オサム。
…おれがオサムのことで知らないものがある筈ないだろ?』
マイクに別の声が乗る。声の主である緑川は席を立ち、米屋のいる演台へ走った。次いで設置されているマイクのスイッチを一斉に切る。何を、と米屋がその手を掴んだその時、視界の端で白い髪が落ちていった。
「幕下ろした方がいいよ。なるべく早く」
「え、は?」
「遊真先輩のスイッチ入っちゃったから」
白い髪の下には黒い髪があった。何度も混ざり、絡まり、また離れていく。何が起きているのか、何が始まったのかを米屋も察し、慌てて幕の操作ボタンを押した。安全上ゆっくりしか動かない機械に苛々と天井を見上げる。
そうしている間も観覧席は混沌と化していた。
顔を赤くする者、目を背ける者、嫌そうにする者、笑顔になる者、興奮している者、微笑まし気に見ている者、胃を押さえている者、涙を流している者。中には普段と全く変わらない様子の隊員もいて、その隊員が何よりも一番恐ろしいと米屋は両腕を擦った。
「で、では! 予定より早いですがこのあたりで終了とさせていただきます! お集まりいただき有難う御座いました‼」
「ここからだろ!終わるな!」
「良いところなのに!」
「だからその二人止めて下さいよ‼」
批判や非難は耳を押さえてやり過ごす。二人の隣から移動したヒュースが陽太郎の耳を押さえると同時に幕は完全に閉じられた。観覧席からの声もくぐもって一気に静かになる。しかしその分、壇上の音はよく聞こえた。米屋は耳から手を離さず、緑川に頭を下げる。
「本っ…当にアリガトウゴザイマシタ。緑川サン」
「いやー、ヤバかったね。間に合って良かった」
「嘘だろ。あれって間に合ってんの?」
「まだ服脱がせてないじゃん」
「…今度焼肉奢ってやるからな…」
大人びた、否、諦めの極地で微笑む緑川に米屋は涙を浮かべる。宇佐美が米屋の肩を叩いた。
「頑張ったね、陽介。玉狛メンバー並の対応速度で驚いちゃった」
「嬉しくねえ…てか、玉狛であの二人一緒にいさせて大丈夫か?」
子供の情操教育にもよろしくないのではと陽太郎を見ながら問う。陽太郎と宇佐美は米屋に親指を立て、ヒュースも何故か得意げに頷いた。
「なかがいいのはいいことだ」
「動く植物だと思えば気にもならん」
「大丈夫、大丈夫! あの二人の部屋は防音完備の特別製だから!」
「お前らの懐の広さっていうか順応性の高さは何なんだ…」
会の最中遠慮なく曲を流す狙撃手といい、菓子を食い続ける新人といい。未知の存在である近界民を受け入れ、警戒はしても拘束はせず全員一つ屋根の下で暮らせるのだから、玉狛に所属するとそうなる、と言うより元々そういう性格の人間が集まる立地なのだろうか。
「もう行っていいのか?」
「…あー…おう。ありがとな、協力してくれて」
「ごくろうだったな、ヒュース」
少なくとも今日中の再開は不可能だろう。本部内の施設であんなことをしている時点で一生開催は見送られるだろうが、米屋はヒュースに曖昧に答えた。この後大目玉を食らう予感がひしひしと背を上っている。鬼怒田と根付、自隊の隊長はまず間違いない。しばらく木虎からも突かれそうだし、出水は力一杯殴る。
首を振って予感を掻き消し、米屋はPCを持って出口へ向かった。緑川達も後に続く。
「始末書、俺は書かなくていいよね?」
「お前も道連れに決まってんだろ」
「なんだ。ふたりともしかられるのか?」
「いや、意外に次回企画書の提出を求められるかもよ?」
宇佐美が眼鏡を押し上げる。米屋と緑川は顔を見合わせ、いやいや、と苦笑した。同時に重い扉が閉まる。漸く解放出来た耳に息を吐いて、知らず凝っていた肩を大きく回した。
【次回開催に向けての提言】
〇空閑と三雲、それぞれ分けて意見を聞いた方がいいと思う。同じ場所にいさせると今回の様になる。
(B級隊長SN・A)
〇先輩と後輩の情操教育に問題が生じるのでマイクに規制音を入れる等の対策をして欲しいです。
(B級AT・M)
〇次は自分もG線上のアリアを持参する。
(B級隊長AT・I)
〇マイク切ろうと幕閉じようと聞こえるものは聞こえるから本気でやめて。次までにトリオン体の設定いじっておいてよ。玉狛そういうの得意でしょ。
(A級AT・K)
〇近界における価値観の違いもさることながら、三雲くんの普段とは違う一面が見れてとても充実した時間だった。参加者がより自由に発言出来る時間を設けて欲しい。
(A級隊長AR・A)
〇今回を踏まえて、二人の関係性がどのように変化したか報告を聞きたい。また二人によって玉狛支部の隊員も影響を受けているのではないかという点も議題に上げることを提案する。
(A級隊長AT・K)
〇最初はまあ面白かったが、最後は何見せられてんだ俺は状態だった。次おっぱじめやがったらポイント没収されてでも撃つ。
(B級隊長GU・S)
〇空閑を三雲が上手くコントロール出来ていて感心した。より暴走した状態の空閑とそれに三雲がどう対応するのか見てみたい。
(B級隊長SN・A)
〇次回も司会は米屋隊員がいいと思います!
(A級SH・I)
〇課題の資料集め手伝ってくれてありがとう。来月も頼む。
(A級隊長AT・T)
〇面白かったよ! 次は僕も壇上で喋ってみたいな!
(B級隊長AT・O)
〇観覧席と壇上を区切って欲しい。万が一SEに反応したら死ぬ。
(B級隊長AT・K)
〇友達が分からなくなっていくんですがどうすればいいですか。
(B級隊SN・E)
滅多に来る所ではない。それはそうだ。三門市という一つの街、そしてこの世界を守る組織の要たるトップの六人が集う場所。そんな所に、たとえA級隊員でもただの子供が来る必要は無いのだから。
三雲を倣った様に汗を流しながら、提示された資料を目で追う。重厚な椅子に座る六人の大人達は、米屋を無視して話を続けた。
「ということで次回開催は二週間後を予定している。参加者の意見も参考にしながら、一週間前までに企画書を提出してもらいたい」
「遊真と修は絶対として、次はうちのエンジニアどうだ?」
「いや、エネドラに話を聞くのが良いだろう。同じ環境下で育った場合にも違いはあるのかどうかが先だ」
「コメンテーターを決めるより次回企画について詰めましょうよ。彼らにこちらのモラルを学んでもらう要素も取り入れないと、対外的によろしくない評判が立ちかねません」
「人手が足りなかったら言ってくれ。ああ、あと素案を作ってくれればプレゼン資料についてもこちらで用意しておくから」
大人達は好き勝手喋り続ける。一人黙ったままの大人へ米屋は顔を向けた。期待を込めて。願いを込めて。一縷の望みを、その目に宿して。
正面に座す男は机に肘を付き、重い唇を薄っすらと開く。自然他の大人達はそれに合わせて言葉を止めた。低い声が部屋に染みていく。
「…我々の席は、壇上に近い場所を用意しておくように」
染みたそれは、直ぐに霧散した。大人達が席の構成について話し始める。
隊員は自由席にするか、ランクごとに分けるか、エンジニアを始めその他職員も参加を求めているがどうするか…開催まで時間が無いからか、話題は留まることがない。
ただの子供である米屋がそれを止められる筈も遮られる筈もなく、せめてもの抵抗にと彼らの言葉を聞き流す。企画書なんて知るか。何故こんなことになっているのか。何故自分がやらなければならないんだ…―。
置かれた紙を苛々と捲る。どいつもこいつも他人事だと思って、と数ページ進んだ所で、米屋は手を止めた。
〇床にクッションかせめてじゅうたんを用意してほしい。体をいためる。
(B級AT・K)
衝動のまま紙を握り潰す。騒がしい室内でそれは風音にすらならず消えていった。上司が集う場所。上司が乗り気の企画。そんな空間において、米屋はひたすら手に力を籠める。
それが、たったそれだけが、米屋の出来ることだった。
匿名要素を欠片も持たない言葉の羅列への、精一杯の叫びだった。
終わり