曦澄♀ 美女と野獣パロ②つづき
夢にはまたあの美しい青年が現れて、澄に穏やかに微笑みかけた。
「少し話をしませんか」
優雅に差し出された手にひかれるようにして、二人は自然と寄り添った。前に一度会っただけなのに、驚くほど話が弾んで男の隣は居心地が良かった。
「ここでの暮らしはどうですか?」
男は紳士的で、江澄の話を聞きたがった。
藍渙と名乗った男は、何でもないような些細なことも楽しそうに聞いてくれるので、江澄は男と話すことをたまらなく嬉しく思うようになる。
それから毎日眠るたびに、必ず江澄は星空の下で藍渙と話す夢を見た。
不思議なことに夢から醒めると夢で会った藍渙のことは全て忘れてしまうが、また眠りにつくと全てを思い出すことができるのだ。
それから数日、江澄は起きている間は曦臣と、寝ている間は藍渙と過ごすことが当たり前となり、それに順応していく。
こうして江澄は起きている間の世界と寝ている間の世界、二つの世界を知らずと生きるようになった。
「なぜ、起きると貴方を忘れてしまうのだろう」
夜が更け、眠りについてまた藍渙と過ごす時間がやってきた。今日も今日とて、城の食器たちとの出来事や野獣との話を聞かせてから、ぽつりと江澄は呟く。
思ったよりも寂しいと訴えるような声色が出たことに驚くと同時に、そうか自分は寂しいんだ…と初めて自覚した。
藍渙のことを覚えていたい。
そう思ってきゅっと切なくなった。
ぐぐっと眉を寄せた江澄の手を藍渙がそっと握る。
「それは、私が無理に貴方の意識に入り込んでいるから…。その代償として、貴方の中から私の記憶が消されているのです」
大きく滑らかなのに角張った手が、離さないと言うように江澄の手を握りしめた。触れられて告げられた言葉に、江澄は冷たい藍渙の手を温めるように両手で彼の手を包み直した。
「代償?入り込む?…貴方は、私の妄想じゃないのか?」
藍渙を期待を込めた目で見上げる。握りしめた手が優しく澄を撫でて、優美な曲線を描く目尻がほんの少し溶けて澄を見つめた。
「妄想だなんて…。私は、貴方の側にいたくて堪らないのです」
「…?側に?」
「えぇ…阿澄」
江澄の耳をくすぐった甘やかな声は、次第にその距離を詰めていった。額をこつんと江澄に当てて、気分がよさそうに笑う藍渙に江澄はぱちぱちと瞬きを返すことしかできない。
「阿澄、阿澄。あぁ、こんなに近くにいるのに」
「近い、な…」
「うん。近い」
ぐりぐりと甘えるように額を擦り付けてくる藍渙にどうしたらいいのか分からず、江澄は耳を赤くしてへにょりと眉を下げた。
(妙な気分だ)
自分よりも余程図体の大きな男が、犬のように自分に擦り寄っている。なんだか恥ずかしいし、こそばゆいし、困ってしまう…が、このまま離れないでほしいと思ってしまう。
可愛いとすら思い始めて、ふと曦臣のことを思い出した。
ついこの間、身体を洗ってあげたとき、恥ずかしそうに縮こまりながらふるふると毛をふって水を飛ばしていた曦臣の姿だ。
(あぁ、そうか…)
江澄は、そこで初めて藍渙は曦臣と似ているのだと、思った。
「阿澄、何を考えているの?」
「え、いや…」
胡桃色の瞳が江澄を覗き込む。長い睫毛に囲まれたそれは、初めて会った時のように数多の星が煌めいているようだった。
ふっと唇に息を感じつい反射で口を開くと、藍渙は静かに笑ってから口の端に優しく口付けた。
「阿澄。可愛い人。私の特別…」
「ら、藍渙」
「阿澄。私は、貴方を愛しています」
溶けるような熱い視線が江澄を見つめていた。うっそりと弓の形をした目が月のようで、満天の星空の中で一層と輝いていた。
思いがけない告白にくらくらして、視界がぐるりと回った。
夢が醒める。
そう分かって、胸が締め付けられたように痛くなった。
離れたくない。
夢が醒めてしまうその時、咄嗟に藍渙へと手を伸ばしてやっと、江澄は理解した。
もうとっくに、自分は恋に落ちているんだと。
そして目が覚めて、変わらず夢のことは何も覚えていないが何となく気分がいい、という朝を迎えて、また城での1日を過ごす。
掃除をしたり、読書をしたり、曦臣を探したり。
そうして普段と同じ1日を過ごして眠りについてから、また藍渙との時間が始まり愛を囁かれる。
これを繰り返す日々を暫く重ねた。
そんなある日、雪が降りさらさらの雪に嬉しくなった江澄が曦臣と雪遊びをして(実際には江澄がふわふわの雪玉を曦臣に投げただけだったが)、疲れた江澄が雪の中にぼふんと転がった。江澄のために厚手のコートを持ってきた曦臣を巻き込んで二人で転がり、ほわほわとした曦臣の毛(洗ってあげたら真っ白になり手触りも良くなった)をなでた。
困ったような曦臣に悪戯に微笑んで、江澄は曦臣とまた夕食会がしたいと言う。夕食会は初めて城で過ごした日以来やっていなかったため、もうずっと江澄は一人でご飯を食べていたのだ。
もしフォークとナイフが使いづらいようだったらもっと自由に食べても良いぞ?と、暗にかぶりつくような普通の獣のスタイルで食べても全く気にしないと伝えると、曦臣は苦笑しながらそんなことはしませんが…と喉を鳴らした。
抗議するようにゴロゴロと鳴る喉をくすぐるように撫でると、曦臣がお願いを聞いていただけるなら…と夕食会を開くことを了承してくれた。
そして待ちに待った夕食会。大ホールの扉の前で、江澄は綺麗にドレスアップした格好で深呼吸をしていた。
曦臣が出した条件、もとい「お願い」とは、「正装をすること」だったのだ。
江澄はいつも全て纏めていた髪をハーフアップにして、一輪の花がデザインされたシンプルな髪飾りをつけていた。銀を基調とした白と紫の宝石がついたネックレスをさげ、濃い紫と差し色に淡い青の入ったAラインドレスが江澄のほっそりとした腰元を華やかに彩っている。江澄の白い肌と強い目元が映えるような美しいドレスは、江澄の魅力を最大限に引き出すものだった。
「…曦臣」
そっと隣に立った、このドレスを用意した野獣…もとい曦臣は、言葉を失ってただ江澄を見つめていた。
その目に焼き付くように…いや、とっくに焼き付いていたが、それでも目が離せなかったのだ。
「曦臣?」
「…あぁ、綺麗だよ。江澄」
「ありがとう。貴方も素敵だ」
曦臣は江澄と対になるような色合いで、淡い青を基調とした濃い紫の差し色があるコートを新しく誂えたようだった。
江澄が洗い整えた毛並みは、毎日ブラッシングを欠かさなかったかいあってふわふわとしていた。
正装姿で緊張したように江澄の隣に立つ曦臣が、おめかしして落ち着けない犬のようで、江澄はくすりと笑みをこぼす。
「早く行こう、曦臣」
「はい!」
江澄は、角の後ろに小さくはえている耳がぴょこぴょこと動くのを見ながら、曦臣の腕に手を乗せて大ホールへと入場する。
階段を粛々と降りて、テーブルへとエスコートされた。
そこからは、笑顔の絶えない時間となった。
食事中は話してはいけないというのに、江澄は楽しそうに食器たちを見て、時計を見て、そして曦臣を見て笑っていた。
そんな江澄の様子が曦臣は嬉しくて、思わず喉を鳴らしてアオーンと遠吠えまでしてしまった。
食事が終わってもどうにも名残惜しくて、曦臣は江澄をダンスへと誘う。
ダンスなど習ったことがないと慌てていた江澄だったが、曦臣のリードでゆったりと踊ることができてとても楽しくなる。
身を任せてステップを踏んで、くるくるとまわったり、たまに名前を呼べば抱き上げて回ってもらったりもした。
最高の夜といっていい日を過ごした江澄は、それはそれは良い気分で眠りについた。
そしてその日の夢の中。
その日だけは、いつもの夜空じゃなかった。
夢の世界に入って藍渙のことを思い出した矢先に、突然知らない白い空間に放り投げられたようだった。
「江晩吟」
「っ、誰だ!」
壁も床も天井も分からないような白い空間で、そこに溶け込むような白い衣装を纏った男が、江澄の目の前に現れた。
真っ黒な髪に白い肌。背も高く体格が良いことがしっかりと服を着ていてもわかる。無表情にこちらを見る整った顔立ちは藍渙にとてもよく似ていたが、すぐに違うと分かった。
何より、男の長い睫毛に囲まれた金色の瞳は神秘的だが、そこには何も映っていない…そう、まるで死んだ魚のようだった。
「…お前!魏無羨の側にいた…」
「……」
能面のように動かない表情からは何も読み取れないが、魏無羨と言った時のみぴくりと眉が動いた。
しかし、それ以降表情を変えずに何を言うこともなく江澄を見る男を、江澄も負けじと見返す。
どれだけ時間が経ったか分からないが、暫くして、先に口を開いたのは男の方だった。
「…兄上が、笑っていた」
低く透き通るような声に僅かに含まれた喜色に、江澄は目を開く。
「ありがとう」
立て続けて素直に紡がれた言葉に面食らい、江澄は咄嗟に反応ができなかった。あ、だかう、だか分からない声を出してうろうろと視線を彷徨わせていると、男が少し目線を下げて、そしてまた真っ直ぐに江澄を見据えた。無表情に少しの焦りを乗せた真剣な声色で、男は江澄に告げた。
「しかし、時間がない」
「…?何の話だ」
「もうじき、花が散る。…その時までにどうか、」
男の言葉に、ふと初めて藍渙と会ったときの彼を思い出す。あのとき藍渙は、意を決したように、何かを請おうとしていた。
『こんなことを言うのも、虫がいい話だけれど、』
『どうか、』
『どうか、私を…』
「どうか、兄上を」
『「愛してほしい』」
途端、頭の中に張っていた糸がピンと弾かれたような感覚がして、目の前がぐるんと回り身体が宙に浮いた。
夢から醒める時間だ。
頭が痛い。くらくらと眩暈がして、堪らなくなる。
この男に聞かなくてはいけないことが山ほどあると言うのに、もう目が覚めてしまう。
まだ目覚めたくないのに、江澄の意思とは別に夢の中から弾き出された。
目を開けると、そこはいつもの自分の部屋だった。だがいつもの寝覚めとは違い、言いもしれぬ不快感が胸を巣食っていた。
「なんだ…」
相も変わらず江澄に夢の記憶がない。しかし奇妙に騒ぐ胸に、嫌な予感がした。