特別に優しい 最近、春日が妙に優しい。
何故だか、常に趙の挙動を伺っているようなそぶりがあって、少しでも趙が困るようなことがあると、どこからか春日が出て来てすかさず助けてくれる。
先ほども台所で調理の際に胡椒を切らしていることに気が付いて何の気なしにそのことを口にしたら、部屋の奥に皆でいた筈の春日が一人立ち上がって、何が必要なんだ? とスーパーへと走っていってくれた。いつもの買い出しの際にも趙の手から重たい荷物を取り上げてたり、街中での戦闘の際にも趙がなるべく攻撃を受けないように、と動いている節がある。
趙としては、何かそんなに春日に心配されたり、気を遣われたりするようなことがあったかなと不思議でならない。大体、仲間の中でも体力的にハンデのある人間に対してそうなっているのなら、何となく合点がいくのだが、趙は仲間たちの中でも体力もあり、戦闘力も高い方だ。春日に庇ってもらったり、気にかけられたりする理由が全く分からない。
首をひねりながら調理を続けていたら、春日がスーパーから帰ってきて、趙に胡椒と一緒にコンビニスイーツのようなものを手渡してきた。
「えっ? 何これ?」
「いや、旨そうだったからよ。趙にやるよ」
「……ありがとう」
断るのも悪いなと受け取りながらも、春日の真意が見えずに気味が悪い。とりあえず、貰ったスイーツは冷蔵庫にしまい込んで、最後の仕上げに入る。そろそろ食事が出来ると声をかけるといつものように仲間が座卓の上を片づけ始めて、夕飯の準備を始めた。春日もみんなと一緒にいつも通りに動いている。
春日は元々、見かけによらず、人の気持ちに敏い男だ。一見、鈍感なように見えて、実は人のことをよく見ていて、疲れていたり落ち込んでいたりする仲間たちのことをさりげなくフォローしている姿を、趙は何度も目にしている。なので、春日が優しい男だということは、趙も良く知るところだったが、最近の春日の趙に対する優しさはなんだか度が過ぎていて居心地が悪い。
春日から見て、自分が何か弱っているように見えるのだろうかと考えたり、気を使わなくてはならないほどに気が立っているように見えるだろうかと思うが、別に思い当たる節はない。むしろ、最近は以前の要職から外れて、自由気のまま、今までにない生活を謳歌しているところだ。
仲間達で座卓を囲んで夕飯を取る。今日はハンが来ておらず、紗栄子もすでに夜の仕事に出ていったので、足立とナンバ、そして趙と春日の四人での夕飯だった。
「いただきます」
それぞれに言って、食事をとり始める。何となく視線の端で春日の様子を伺うが、別に春日としても、いつもと変わった様子はない。今日、仕事であった出来事などを食事しながら楽し気に話す顔はいつも通りだ。そして、春日の他の仲間への態度も別に変わったものはなく、趙としては何故、自分にだけ態度が変わってしまったのだろうと不満で、納得がいかない。
趙は元々、人に気を使われるのはあまり好きではない。幼い頃から周りに大事に扱われたり、必要以上に気を使われる立場にいたからというのもあるのだと思う。上の人間だからとご機嫌を取られたり、顔色をうかがわれたり、そういったことにはいい加減飽き飽きしていたのだ。以前の総帥という立場にいた時には半ば仕方ないかと諦めていたことだったが、今の気安い関係の仲間内で、しかも一番心を許していると言っていい春日に気を使われることは、なんだか彼との間に距離が出来てしまったようで悲しい。出来ることなら、前と同じように接して欲しいと思っているのだが、春日の態度が変わってしまった理由が分からないので、春日には元のように接して欲しいと伝えあぐねているところだった。
「そういえば、春日はこの前、相談してきた子とはどうなってんだよ」
足立が思い出したように、春日に問うと春日は「へっ?」と驚いた顔をして、茶碗から顔を上げた。
「ほら、お前が珍しく気になる子がいるって話してきただろ。その子とはその後、どうなんだよ」
聞かれて春日が珍しく顔を赤くする。趙としては春日のそんな話は初耳で興味深く、焦った表情をする春日の顔を見つめた。
「べ、別にどうもしてねぇよっ。止めろよっ、食事中だろ」
「はぁ? 別にいいだろ。子どもじゃあるまいし。何だ、そういうのは修学旅行の時に聞けってのか?」
「何だ、一番。お前にそんな浮いた話があんのかよ。俺にも詳しく聞かせろよ」
「嫌だよっ」
照れのためか憮然とした表情で唇を尖らせる春日に、足立がナンバの方を向いて情報を漏らした。
「春日がよぉ、気になる子がいるんだけど、どうしたら意識してもらえんのかとか聞くからよぉ」
「ほうほう」
「ちょっ、止めろよっ。今は飯を食ってんだろっ」
春日がすかさず止めに入るが、一度スイッチが入った足立は止まらない。
「だから、言ってやったんだよ。女なんてもんはお前が特別だよって囁いて、優しくしてやれば、嫌でもこっちを意識するもんだってよ」
「あんだ、そのアドバイス。好きな子には優しくしろって小学生かよ」
ナンバが足立の言葉に鼻白んで「おっさんのアドバイスを本気にしたんじゃねぇだろうな、一番」と春日を見て笑った。ナンバと足立が軽い言い争いになる横で、春日が一瞬、趙の表情を伺うような、確かめるような、意味ありげな視線をこちらへと向けてきた。その視線に趙は「あっ」と短く声を上げた。
「どうした、趙?」
「何だ?」
「い、いや、ちょっとごめん」
その場にいられなくなって、慌てて立ち上がって台所へと逃げる。何もしないわけにはいかず、冷蔵庫を開けて冷蔵庫の中を確かめて、奥にあった自家製のピクルスの瓶を手に取る。
優しくすれば、意識するもんだ。
春日にそうアドバイスしたという足立の言葉が耳の奥で響く。自分の勘違いでなければ、最近の春日が妙に自分に優しい理由は……。
「趙……」
趙の姿を追いかけてきたのか、声に驚いて振り返るといつの間にか後ろに春日が来ていた。
「あ、あのよぉ」
腹を減らした子犬みたいに頼りない真っ赤な顔をしている春日を見て、自分の考えが的を射ていることが分かる。春日が何か言おうとしているのも分かって、それを意識したら、何故だか急に心臓が大きく鳴り始めて息が苦しくなった。
春日が絞り出そうとしている言葉を遮るように、趙は「あのさ」と口火を切った。
「春日くん。俺は優しくされても相手のことを好きにはならないよ」
「えっ? あ、ああ。わりぃ……」
趙の言葉に落ち込んで俯く春日に、冷蔵庫から取り出したばかりのピクルスの瓶を手渡す。
「ね、この蓋開けてくれる?」
「えっ? あ、ああ」
自然な動作で冷えて固くなっていただろう蓋を開けて、春日が瓶を返してくれた。何を頼まれ、自分が何をしたのかも分かっていないようなごく自然な動作。別に趙に好かれようと思ってやっているわけではなく、いつも通りの春日の動きだ。
「俺は優しくされても好きになったらしないけど、優しい春日くんは好きだな」
「へ?」
「だから、俺にだけ特別は止めて欲しい」
「あ、ああ、分かった」
意図を計りかねながらも、それでも趙の言葉に素直に頷く春日の様子を見ていると、素直で単純で優しい、目の前のこの男が可愛くて堪らないなという気分になる。
「買ってきてくれたスイーツ、あとで分けて食べようねぇ」
趙が笑顔を作ると、釣られたように春日も笑ってくれる。その笑顔に、趙は何故だか今度は自分が春日に特別な優しさを向けたくなってきていた。