君が生まれた日「誕生日かぁ……そういや、昔からお祝いとかプレゼントとかして貰ったことなかったなぁ」
サバイバーの店内。皆との飲みの席での最中にふと春日がこぼした一言を趙はずっと覚えていた。その後の春日は「誕生日はなかったがお年玉は父ちゃんとか桃源郷のスタッフとかから貰ってた」とか「ムショではちょっといつもよりいい食事が出て祝われた気がしてたりしてたんだぜ」と楽しそうに話していたけれど、なんだか趙の心にはそのことがずっと引っかかっていて、いつの日か、出来ることなら自分が春日の誕生日をお祝いしてあげたいと思っていた。
そして、今日は春日と初めて迎える大晦日。明日は春日と迎える初めての誕生日でもあるし、加えて、今の趙の立場としては春日の恋人という立場がある。これは気合を入れて祝わねばと一ヶ月ほど前から色々と趣向を練って、春日の誕生日を待ちわびていた。
春日の誕生日当日は元旦ということもあり、普段のように仕事に邪魔をされることはない。仲間達との宴会も大晦日がクライマックスで、あとは各々のんびり正月を過ごす予定だった。なので、春日の誕生日を二人で祝うのに邪魔が入る心配はなく、趙は春日にその日の予定などを確認せずに誕生日の計画を練っていた。それなのに……。
「明日は早くからちょっと出てくるからよぉ。先に寝るな」
大晦日の夜。仲間達との宴も終わり二人の家に帰りついて、さぁ、これからが二人の時間だという時に、春日が予想もしていなかったようなことを言い出した。
「えっ? 明日って……元日じゃない?」
「そうだな」
「……元日の朝に早くから出かけるの?」
「おぅ、ちょっと野暮用でな」
春日が一緒に暮らす趙に翌日の予定を濁すのは珍しい。しかも、明日は春日の誕生日なのだ。今夜は日付が変わるまで二人で一緒にベッドで過ごして、一番におめでとうを……などと考えていた自分の予定はどうなるのか。趙は納得がいかずにシャワーを終えて早々に寝室に引き上げていく春日の背中を、自分も手早く風呂を済ませて追った。
「春日くん?」
二人の寝室に顔を出すと春日は本当にすでに明かりを消してベッドに潜り込んでいて、本格的に眠る体勢だった。普段、翌日に仕事がある時だって、趙と二人でいる時にはこんなにあっさり寝てしまうことはない。趙はゆっくりとベッドに近づき、膝をついて乗った。すでにうとうとしていた様子の春日が、それでも趙の気配に気づいて、ベッドに潜り込むのを助けるように上掛けを開けてくれる。
「趙も……もう寝るのか?」
「春日くんが寝ちゃうんじゃ起きてたってしょうがないでしょ」
「んーん、そうかぁ」
眠そうな声でベッドに潜り込んだ趙の存在を確かめるようにこちらに腕を伸ばしてくれることに嬉しくなって、その腕の中に収まるように春日に寄り添う。春日の体温と愛情を感じて、しばしの幸福感に酔うが、頭ではどうしても明日の春日の予定が気になる。
「春日くん、本当に寝ちゃうの?」
「んー」
新年までは、あと一時間ほど。趙の予定としては、今夜は春日を普段以上にベッドで甘やかしてあげたいと思っていたのだが思惑が外れた。それでも日付が変わるのと共に一番先にお祝いを言いたいと思うのだが、趙が背中に回した手で背を撫でても、頬を寄せても、春日の目は閉じたままで、このまま寝てしまう気持ちに変わりはないらしく寂しい。
日頃から、春日は日々の予定などを趙に自ら話してくる方だと思うのだが、明日の予定について趙は一言も聞いていない。自分に告げない元旦にある用とはなんだろうと、ひどく気になる。でも、春日の腕の中、明日の予定を訝しみながらも穏やかな寝息を聞いていたら、趙もいつの間にか眠気にやられて寝入ってしまった。
側から身を寄せていた温もりが離れていくのに目を覚まして、趙はカーテンの合間から差す朝の光の中、こちらに背を向けてそっとベッドから出て行こうとする春日の背中に手を伸ばした。離れていこうとするそのスウェットの裾をほとんど反射的に掴むと、驚いたように春日が振り向いた。
「わっ、趙っ。起きたのか?」
頭はまだ眠りの底にいるかのように重い。
「……なんじ?」
「まだ、六時だ。起こして悪かったな、まだ寝てろよ」
春日がなだめるようにそう言って、趙の頭を大きな手で撫でて枕に沈める。その手の優しさにそのまま眠りに戻りそうになるが、今日が何の日かを思い出してぐっと堪えて身を起こす。
「どこいくの?」
「えっ? あ、ああ、ちょっとな」
やはり言葉を濁す春日に、裾を掴んだ手に力がこもる。
「どこ、いくの?」
眠いこともあって、声が低く、いつもより不機嫌に響くのを意識しながら繰り返す。春日が少し視線を泳がせた後に、「あー」っと観念したように頭を掻いた。
「今日は若の誕生日だからよぉ……墓参りに行ってこようと思って」
「はぁ?」
今度は本域で不機嫌な声が出る。春日がそんな趙の反応を予想していたような苦笑いを浮かべた。そんな反応にも腹が立つ。
「今日は君の誕生日だろ」
「いや、まぁ、そうなんだけどよ。若の誕生日でもあんだよ。だからな」
分かってくれよと言うように春日の手が趙の頭を撫でる。春日の青木を……荒川真斗を思う気持ちが伝わってきて、趙としてはなんとも複雑な気持ちになる。
「……今日は一日、俺が春日くんを祝おうと思ってたのに」
「マジか。嬉しいなぁ」
本心から喜んでいるのだろう、相好を崩す春日に荒んだ気持ちが少し緩む。が、それでも今日という日の春日を真っ先にあの男に持っていかれるのかと思うとやはり面白くない。
「でもよぉ、俺には趙とか、みんなとかいるからさ。誕生日だけじゃなくて、いつも幸せなんだよ。だから、誕生日ぐらいさ、若のとこに行かねぇと、あの人、なんだかんだで寂しがりなとこがあっからよぉ」
「……」
趙にとっては面白くないことだが、春日にとって、それは心の奥の方に住む大事な気持ちだと分かる。なので、それ以上は何も言えなくて、趙は春日のスウェットを掴んだ手を離した。
「じゃあ、俺も行く」
「えっ?」
「駄目?」
「いや、駄目じゃねぇけど…‥せっかくの元旦だろ。家でのんびりして過ごしてぇんじゃねぇかと思ってよ」
「俺は、春日くんと過ごしたいんだよ」
ベッドから身を起こして、目を覚ますために上に腕を伸ばして大きく伸びをする。と、後ろから春日が腕を回して抱きついてきた。振り返ると嬉しそうに笑う春日と目が合った。
「お誕生日おめでとう、春日くん」
「ありがとな。趙が一緒にいてくれて嬉しい」
真っ直ぐな言葉に胸が熱くなって、振り向いたままその唇に自分の唇を押し付ける。すぐに春日がキスを返してくれて、身体をひねって春日の方を向き、その頬を捉えて、しばし深く口付けた。唇を離して、熱っぽく見つめられる視線に愛しさが増す。趙の方からも両腕を回して抱きつくと、そんな趙の身体を抱き止めながら春日が思い出したように言った。
「でも、こんな日に趙を連れてったら、若に『お前なにイロ連れてきてんだ』って怒られそうだな」
「いいじゃん。その時は俺が何か文句でもあんのかってあいつと喧嘩してやるよ」
すぐに返すと春日がおかしそうに笑った。
「そうか。趙なら若にも負けなそうだな」
「当たり前だろ。俺を誰だと思ってんの?」
片方だけ唇を上げて笑うと春日が眉を下げて、嬉しそうな……それでいて少しだけ悲しそうな顔をするので堪らなくなる。春日が今日、何者にも攫われずにここにいてくれることに、誰にともなく感謝の気持ちが湧く。
「誕生日おめでとう、春日くん。俺と一緒に歳取って行こうね」
「……ああ。ああ」
趙を抱く腕に力がこもる。腕の中の人をどこにもやらないようにと、趙もその腕に力を込めるのだった。