虎豪# 少年早熟ライン
「今度、フォワードの強化合宿が開かれるそうだ」
ある日の練習後、虎丸は豪炎寺に呼び止められて、そんな話を聞かされた。いったいなんの用かと思った。このあと虎之屋で夕飯を食べようというお誘いかと思ったので虎丸はずいぶんがっかりした。
「ふーん。オレも参加できるんですか?」
「ああ、ただし、受講生としてではなく、講師枠なんだ」
「は? コウシ?」
「先生役だよ」
「そんなの分かってますよ。馬鹿にしないでくださいよ」
――そんなのオレにできるのかなあって言ってるんですよ。
そうぼやいた虎丸に、「なんだ? 自信がないのか」といかにも意外そうに豪炎寺は返してきた。
「自信っていうか……」
自分はまだ1年生になったばかりだ。まわりはきっと年上の選手ばかりだろう。年下の自分からサッカーを教えられて、素直に言うこと聞ける人なんているんだろうか? 『うまく』やらなきゃいけないんだと思うと、気が重くてとても参加したいと思えない。ただでさえ、見ず知らずの選手たちとうまくやれる自信はまったくない。そういうのは、サッカーが好きな気持ちとは別なんだ。豪炎寺はそれがよく分かっていない、と虎丸は思う。鈍いというか、強いというか、とにかくマイペースな人だと日々感じている。だからこそ豪炎寺とならどんなフォーメーションでも組めるんだとも思うけど。
イナズマジャパンにおいて、虎丸はみんなに本当に迷惑をかけたと今でも反省してやまない。手のかかるヤツだったろうと思う。
みんなは先生のように、丁寧に根気よく虎丸になんでも教えてくれた。サッカーも勉強も、心の持ちようについても。自分は生徒としてふるまえばよかった。
あるときはみんなは兄のように威張ったり、守ってくれたり、けんかをしたりした。
自分は弟のように、頼ってくっついていけばよかった。ひとりっ子で、ずっとさみしかったから、それがどんなに嬉しかったか。
人付き合いの得意でない自分にとっては、チームの仲間たちがどうしてそこまで親身になってくれるのか、本当のところ、よくわからなかった。
だからその無償の行為は、もはや父親や母親からの愛情にひとしい。
ジャパンチームのみんなを、もうひとつの家族だと思っている。
豪炎寺は、虎丸が行かないのならほかの選手、例えば基山ヒロトを連れて行くと言う。2人分の講師の枠に誰を選ぶか、この件は豪炎寺に一任されているということだ。
これだけチームでコンビを組んでいて、他の人を連れて行かれるのも、それはそれでしゃくに障る。だから受けることにした。
「何着ていくんですか? 制服ですか?」
「向こうで着替えるのが面倒だから、ユニフォームとジャージで行く。虎丸もそうしたらいい」
「雷門の?」
「いや、ジャパンチームの。日本代表の肩書きで呼ばれたようなものだし」
「目立つんじゃないですか? 豪炎寺さん、有名人だし」
「なにが。大丈夫だ」
大丈夫じゃないだろ。と思いつつ、まあ道中でファンに囲まれるなら置いていくし。と心のなかで舌を出した。
合宿当日、めったに乗らない電車や、豪炎寺ファンの襲来の予感に緊張しながら、虎丸は待ち合わせの駅の改札へ向かった。見慣れたジャージ姿の豪炎寺はすでにいて、こちらをみて手を上げた。
小走りに駆け寄ると、
「な?」
といって豪炎寺がにやりと笑う。なにがだよ、と思って、ふと彼の視線を辿ってあたりを見回して、えっ、と虎丸は思わず目を見開いた。
たくさんのひとが行き交う駅前。そこにイナズマジャパンのユニフォーム、ジャージの黄色と青色があふれていたからだ。
中学生も、高校生も、おじさんおばさん、おじいちゃん、おばあちゃん、大人も子どもも。
応援タオルや優勝おめでとうTシャツなんてのも作られているらしい。
ぽかんとしていると、
「はぐれるなよ」
豪炎寺が、きょろきょろするのをやめられない虎丸の手をとって引っ張る。
「この調子だと、すぐ埋もれて見失ってしまう。迷子の呼び出しをしなきゃならなくなる」
そうして乗り込んだ車両にも、何人もいた。
これから練習でもするのか、代表仕様のサッカーボールをもっている人たちもいれば、スポーツ雑誌を一緒に読んで議論しているカップルもいる。その表紙はもちろん言うまでもない。
自分のことばかりで、チームのことばかりで、今までぜんぜん周りが見えてなかったけど。
こんなにも多くの人が、イナズマジャパンを応援してくれている。誇らしくて、恥ずかしいような、今すぐチームのみんなに教えたいような。でもみんなはきっととっくに知っていて、そうだよって言って、嬉しいよなって笑ってくれる。
まだ幼稚園生くらいの男の子が、父親の腕の中に抱かれて眠っている。肩越しに、その男の子もイナズマジャパンのレプリカユニをきているのがわかる。
父親は虎丸を見て、小さく驚き、それからさり気なく、くるりと向きを変えた。
男の子の背中が見える。
そこに虎丸の背番号がある。
胸の底が熱くなった。
「どうして手をつないでいてくれるんですか」
「お前が夕香だとしたら、つないでやっただろうと思うからだ」
「夕香って誰ですか。彼女ですか」
「ばか。妹だ!」
世界にどんなに素晴らしい場所があるとしても、この人の隣よりも価値がある場所は見つからない。
ビッグチームが大金を積んでスカウトにくる夢を見たことがある。
空を走る電車が、宇宙巡りの旅に誘ってくる夢を見たことも。
だけどもう、彼が一緒でなければ、どんな物語も味気ない。
「着いたら起こしてやるから」
優しい声に甘えて、その肩に寄りかかった。