Kiss「おかえり、アゼム。今帰ってきたところかい?」
大きな荷物を背負いながらカピトル議事堂に現れた友人を見つけるとその痩せ細い青年が優しい笑みを浮かべながら近寄ってきくるとおや、といぶかし気にのぞき込んできた。
「ただいま、ヒュトロダエウス。なんだいそんなに見て」
はらりと片方に寄せて三つあみを作ったラベンダー色の髪が首を傾げると揺れる。
白い仮面をしているがその端麗な顔にじっと見つめられると少しドキリとしてしまう。彼は男性ではあるが物腰が柔らかく声も穏やかな音色のせいかとても中性的に見える。
「またキミは色んな所に傷を作ってきたみたいだね」
そう言って額に巻かれた包帯と腕や手の甲にできた擦り傷を見て、仕方のない人だねと肩をすくめて笑った。
世界を巡り、色んな問題を解決することが第十四の座アゼムの仕事だ。その仕事柄、アーモロートに帰還する頃にはよく多数の傷を作ってくることがある。
アゼムはばつが悪そうに笑って、まあね、と視線を逸らした。
「エメトセルクに言わないでくれよ、また小言言われるのはうんざりだよ」
視線を遠くにやってその名の人が近くにいないかを探すがどうやらいないらしい。ヒュロトダエウスは口元に手をあてて笑い、「いないみたいだね」と言った。
彼はよく視える人だ。
遠くにいる人を感じることをできれば近くにいる人を感知することができる。だから近くにいない、という言葉をその時は信じてしまった。あとで何が起こるか知らずに。
「彼だってキミのことを心配してるから言うんだよ」
「それでも帰って来るといつも誰かに迷惑かけてないだろうな、危ないことはしてないだろうな、て言うんだよ」
アゼムはエメトセルクの低めの声色を真似し、腕を組んでみせる。もちろん仮面の中では眉間に皺を作って。
「フフッ、似てる似てる」
ヒュトロダエウスは抑えて笑うと、あっと小さな声を出してアゼムにじっとしててと告げた。アゼムは彼の言う通りじっと佇んでいるとヒュトロダエウスが一歩近付いて、顔を寄せてくる。
仮面同士がコツンと当たるほどの距離に少し心臓が跳ね上がる。
ヒュトロダエウスはアゼムの肩へと静かに指を伸ばして何かを掴んだ。
「はい、とれた。とても珍しい胞子を持って帰ってきてしまったみたいだね」
そう言って手のひらの中を見せてくれるとフワフワした白くて小さな毛玉がそこにあった。何かの植物のものだろうか。
「あとでハルマルトに見てもらうといいよ」
近づいた距離がそこで離れると、アゼムはありがとうと言ってその胞子を預かりかばんの中から小さなビンを取り出すと慣れた手つきで入れた。
そしてその様子を見ている人がいることにアゼムは気づいていなかった。
ちょうどヒュトロダエウスがアゼムに近寄った時、近くにはいないはずのエメトセルクがその光景を見てしまったのだ。
エメトセルクが廊下の角を曲がった時二人がいるのが見えて、なんだ帰ったのか、と歩寄ろうとした。が、その瞬間ヒュトロダエウスが少しかがみアゼムの顔と重なったように見えてしまった。
それはまるで二人がキスしているように、彼からは見えた。
突然のことに驚いて曲がった角を引き返してしまい、今の光景が脳裏に焼き付いて離れない。
(まさか、そんなわけ……)
ヒュトロダウエスとアゼムが自分に内緒で口づけをするような親密な関係だったとは知らなかったしショックだった。それにこんな誰もが通る場所で、だ。
エメトセルクは壁に凭れかかると放心したように高い天井を仰いだ。確かにアゼムのやつは天真爛漫で誰とでも仲良くなるし愛想がいい。
みんなから好かれるタイプだがまさか自分以外の、しかも親友である男とそういうことを平気でするのかと頭が急に痛くなってきそうだった。
ショックだった気持ちもつかの間、それはだんだんと怒りにもなってくる。
自分という男がいるというのにどうして他の男とそんなことができるのか。これは一度問いただした方がいいかもしれない、と深く眉間に皺を寄せる。
「あれ?こんなところで何してるんだい?」
その時、さっきまでヒュトロダエウスと一緒だった男が突然隣に立っていた。エメトセルクの肩が大袈裟に揺れて、彼を見下ろす。
「アゼム」
「ただいま、エメトセルク!今からハルマルトのところに行くんだけど、君もー」
一緒にどう?と聞こうとしたアゼムの腕を強引に掴むとそのまま彼を引っ張っていった。
「ちょ、ちょっと、えっ?」
何事かとアゼムはあっけに取られている様をヒュトロダエウスは後ろから優雅に眺め、ニヤニヤと二人がいなくなるのを見つめていた。
「ハーデスもああ見えて初心なところあるよねぇ」
かわいいなぁと漏らしながら彼らとは反対の方に歩き出すのであった。
このあと起こるであろうことを想像して。
一方二人とは言うとエメトセルクに引っ張られ、人が通らないところまで来るとアゼムがなんだよ、と言って腕を振り払う。突然おかえりもなく力いっぱいに連れて来られて不服なわけがなかった。
エメトセルクはアゼムを壁に押し付けて口元きゅっと締める。その様子がどうも怒っているように思えてアゼムは仮面を外し、首を傾げた。
「なんだよ、急に」
怒られるようなことを一瞬でしただろうかと考えるが、自分はただおかしなところで静止している彼に声をかけただけだ。それで怒られているなら心外である。
「それはこっちのセリフだぞ」
エメトセルクは大きなため息を吐くと、自身も赤い仮面を外して金色の眼で彼を睨み返した。それがあまりにも真摯で困惑しているようでアゼムは思わず唾を飲んだ。
「まさか私に嘘を突き通せると思ったのか?」
「嘘?俺は君に嘘付いたことないけど」
正確には幾度かあるかもれないが今の彼が言うこととは関係ないだろう。
「お前が誰からも好かれていることも知っているが、もう少し節度を持って行動してほしいものだし、別にお前が誰を好きになるのは勝手だ」
ツラツラとしゃべる言葉の意味がアゼムにはすぐ理解ができない。
「俺が好きになる人?」
「そうだ。お前が私のことを嫌いになったのならそれでいいが、それなら順序というものがあるだろう」
「ちょっと待ってエメトセルク、何を言ってるのかわからないんだけど?」
わけのわからない単語ばかりで何を責められているのか理解が追い付かなくて、アゼムの太めの眉が下がる。逆のエメトセルクからしてみればとぼけているのか、としか思えなくていらっともさせていた。
「何ってさっきお前たち何をしてたと思ってるんだ、お前がヒュトロダエウスを好きならそれでいいが先に私に言う事があるだろう」
アゼムが誰を好きになるのは勝手だ。それが自分じゃなくなったとしても。しかしそれには順序がある。自分に内緒だった、ということがエメトセルクには許せなかった。
アゼムはエメトセルクの発言に青い目をまん丸にして、はっ?と素っ頓狂な声を出した。
「何ってヒュトロダエウスとは何もしてないけど」
まだとぼけようと言うのか、とエメトセルクは壁に手を付いてアゼムの顔を見下す。その顔は怒っていながら少し悲しそうなのが見えてアゼムの胸が少し痛くなった。自分のついた嘘とやらで彼はとても辛辣そうだ。
「私が見ていなかったとでも思ったのか?」
「だから何を、」
「お前とヒュトロダエウスのキスだ!」
「は?」
思いもよらない言葉が飛び出してきてアゼムは開いた口が塞がらなかった。
エメトセルクは今なんと言っただろうか。
ヒュトロダエウスとキス?
誰が?誰と?
エメトセルクは舌打ちをすると視線を外して、
「さっきしてただろう、見てたぞ」
と声のトーンを少しばかり落として呟いた。
アゼムはそこで思い出す。さっきヒュトロダエウスが近づいて肩に触れたことを。それは遠くから見れば重なって見えてキスをしているように……見えなくもない。
ああ、まさかエメトセルクはそれを勘違いして怒っているのだ。
ようやく理解するとアゼムは肩を震わせながら噴き出して大笑いをした。
「あはははっ!君、とんでもない勘違いしてるみたいだ!俺とヒュトロダエウスがキス?君、本当にそうしたって信じてるの?」
腹を抱えて笑い始める人にエメトセルクはそうだ、と返すがふとそこでまさかという疑問が浮き上がる。
あれはヒュトロダエウスのちょっとした悪さだ。
自分が近づいてくることが視えて思いついたのだろう。あれは時折とても性格が誰よりも悪くなる。
エメトセルクは頭の中が冷静になってくるとさっきの失言に恥ずかしくなり唇を震わせた。
やられた、と。
「いや、それは別に、」
信じてなどいない、と正面を向いて言えばいいのだがそうできない。少しでも疑ってもう彼の心は違う方向を向いているのだと勘違いでもしてしまったのだ。
情けない、とエメトセルクはこの状況から早く逃げ出したくなってしまう。
「ハーデス」
ひとしきり笑い終わるとアゼムは彼の真なる名前を呼んだ。
「俺は君が好きだし、ヒュトロダエウス好きだよ。けど、」
アゼムは踵を上げて背伸びをするとエメトセルクのローブの紐を掴む。そして顔を寄せると彼の唇にそっと自分の唇を重ねた。
「キスをするのは君だけだ」
目と目が合って、にっこりと嬉しそうにアゼムは微笑む。この愛しい人は自分のことをとても想ってくれているのだ。
エメトセルクは自分の失態と気恥ずかしさで少し耳が赤くなった。考えればわかることだ、と。
「君が嫉妬してくれるなんてなんか嬉しいなぁ」
アゼムはくすくすと笑うが彼は自分の醜態に腹が立ってきていた。
「うるさい、黙れ黙れ」
それ以上しゃべるな、と早口で言う。
「ええ、これは俺悪くないもん。君が勝手にー」
間違えただけ、とからかいの言葉を遮ったのはエメトセルクから降ってきたキス。
「少し黙ってろ」
柔らかくて温かいキスは体も心と蕩けていく。