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    k_kuraya

    相互依存が永遠のテーマ。
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    k_kuraya

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    ベレトの眷属にならなかったディミレトの幸せについて考えた、二人の約束についてのお話です。転生を含みます。

    #約束の果てに
    theEndOfThePromise
    #ディミレト
    dimSum

    【約束の果てに 2】

     かつてアドラステア帝国、ファーガス神聖王国、レスター諸侯同盟領、セイロス聖教会の四大勢力によって保たれていた均衡は、フォドラを呑み尽くさんとした大戦火の末に瓦解した。四勢力は国を廃し領と改め区分され、それらを統合して一国とし、フォドラ統一国と名を定めた。
     戦火の爪痕は凄まじく、傷を負ったのは目に見えるものばかりではなかった。二度と戻らない命を嘆く人々の慟哭は、フォドラの大地を空を震わせた。彼らは涙に暮れ、身を寄せ合い、何度眠れない夜を過ごしただろう。
     そんな彼らの肩を叩いたのは、傲慢磊落なアドラステア皇帝を打倒したまさにその人である。ファーガス神聖王国国王ディミトリは人々から解放王と呼び讃えられ、戦場で縦横無尽に槍を振るったその辣腕を今度は復興と泰平のために奮ったのである。戦争を共に越えた仲間たちも彼らの王を力の限り支え、新しい世のために骨身を惜しまず力を尽くした。
     そして、王と足並みを揃え、未来への道を共に作る人がガルグ=マクにもあった。それはフォドラ解放の立役者であり、セイロス教会大司教の座を託されたベレトである。国を引率するものたちのかつての師でもあったベレトは皆の信頼も厚く、同時に女神再降の存在として信じられているがゆえに、彼の存在がこの時勢下においてどれほど多くの民の心を慰めたか知るに容易いことであろう。
     喪失に嘆き蹲っていた民たちは、しかし悲しみや絶望に支配される日々に身をやつすほど弱くなく、愚かでもなかった。戦下で剣や槍を振るったその手で、傷ついた体を自ら抱きしめたその手で、愛するものを弔ったその手で——荒れた大地に希望の苗を植え始めたのである。
     日々は一進一退の歩みに見えた。それでも彼らは頂いた王と崇敬する大司教の導きの元、たゆまぬ努力を続け——いつしか戦前に比肩する暮らしぶりが戻ってきたのである。人々の顔にも活気や笑顔が溢れるようになっていた。
     月日が過ぎるのは早い。気付けば、フォドラ統一戦争と銘打たれた大戦が幕を引いてから五回目の春が訪れようとしていた。
     
     綿雪が舞う深夜の雪原に立ち尽くす人影があった。ベレトは周囲を見渡し、諦念の溜息を溢す。真っ白な吐息が口元に纏わりついた。
     黒揃えの防具の上から厚手の外套を巻き付けてはいるが、豪雪地帯での防寒には随分と心もとない装備であった。今は春節、ガルグ=マク大修道院を出立する際は心地よい風が吹いていたのだが——ファーガスの遅節を読み誤ったようである。
     本来であれば正午にはフェルディアに到着し登城できる見込みであったが、雪への備えを怠った馬の足は遅れに遅れた。かわいそうに凍えた相棒を途中の村へ預けてきたために、深夜になってもこうして雪原を歩く羽目になっている。
    「困ったな……」
     ベレトは人差し指を額に当て、空を仰いだ。
     雪が降る夜にしては珍しく、今宵は満月が曇天の隙間から時折顔を覗かせる。月明かりが足元の新雪を照らしてくれるので深夜にも関わらず随分と明るく、なおかつベレトは夜目も利く。これだけ視界が開けていれば道に迷うことはないだろうが、夜通し歩きとおすには蓄積された疲労が足手まといである。かつて傭兵や指揮官として転戦を重ねていた時とは比べようもない、大司教となってから随分と体力が落ちたものだ。かといって、休もうにも雪空の下で夜を明かす装備もない。
     途方に暮れた。そんな表情でベレトは空を見上げている。僅かな間にもはらはらと降る雪が髪に、顔に降り積もる。
     かじかんだ手足の感覚が鈍い。これではいざという時に剣を振るえそうにない。それでは自らの命を自分で守れないかもしれない——ようやくそのことに気付き、ベレトは戸惑いを覚えた。試しに手指を屈伸させてみるが、強張るばかりで満足に動かない。
     終戦を迎え人々が武器ではなくまず言葉を交わす世に戻って五年が経った今も、ガルグ=マク大修道院の執務室で事務仕事をしている時でさえベレトは帯剣を欠かさない。これは傭兵時代の習慣であり、その身に染みついた習性と言っても良い。
     けれども自らの命を自らの剣に託して生きてきたベレトが今、静まり返る夜間に、見晴らしの良い雪原に、驚くほど無防備に単身立ち尽くしている。信じ難いことであった。
    「なぜ……?」
     ざわりとさざめき痛む胸に手を当て、首を傾げた時だった。
    「先生!」
     ベレトの耳朶に馴染んだ男の声が静寂を裂いた。驚いて前方に顔を向ければ、撒き上がる雪煙が急速に目前に迫る。雪原を軽快に踏みしめ駆ける馬はベレトの数メートル手前で歩足を緩め、目前で停止する。白銀の中に波打つ青い外套がやけに鮮やかだった。
     空を覆う暗雲がその時だけさあっと流れ、そこだけ丸くくり抜いた舞台のように月光が柔らかく差した。鞍からベレトを見下ろす男——ディミトリの、今宵の満月を溶かし込んだような金髪が風に靡くたびにキラキラと煌めく。一枚の絵画のような彼が、大きな体躯でひらりと地上に降り立った。
    「探したぞ、先生。入れ違いにならなくてよかった」
     その顔に安堵を浮かべ、隻眼をまろやかに細める。
    「ディミトリ……?」
     ベレトは呆然としてそう呼び、ディミトリを両側から挟むように馬を寄せた二人を見上げ、
    「ドゥドゥーにフェリクスまで……こんな夜更けにどうしたんだ?」
     と更に目を丸くした。
     ディミトリは苦笑を漏らすしかない。ベレトの薄緑色の髪の積雪を落としながら口を開く。
    「〝どうしたんだ〟ではないだろう。それはこちらの台詞だ。約束の時間を過ぎてもお前が現れないから探しに来たんじゃないか。こんなに雪を被って、ずっと歩いて来たのか?」
     戸惑いながら首肯するベレトを馬上から見下ろしていたフェリクスが溜め息交じりに苦言を呈する。
    「供もつけず、しかもそんな薄着でうろついて、バカかお前は? 仮にも大司教なんだろう。もっと身辺に気を配ったらどうだ」
    「まあ、無事に会えたんだ。そう目くじらを立てることもないだろう。だが、確かに先生も気を付てくれ。街から外れると、まだ夜盗や獣が出ると報告がある」
    「チッ、お前はこいつらを甘やかしすぎだ」
    「そうだろうか」
     真面目な顔で首を傾げたドゥドゥーに、フェリクスは苦虫を噛み潰したような表情でもう一度盛大な舌打ちを披露した。やり玉に挙がったディミトリも若干の苦笑を浮かべており、三人の顔を見渡してベレトは素直に頭を下げた。
    「心配をかけたようですまない」
     ドゥドゥーはそれに微笑みで応え、フェリクスはわざとらしく鼻を鳴らして応えた。
    「そこの猪がいつまでもお前が到着しないと知って城を飛び出そうとしてな。近侍のものたちをなぎ倒す勢いだったものだから、俺たちが供を務めたというわけだ。そんなでも国王だからな。夜中に一人で放り出すわけにもいかんだろう」
    「そ、そこまで強行していないだろう……」
     思わず振り返ったディミトリに、フェリクスはわざとらしく肩をすくめ「どうだか」と意地悪い笑みを浮かべて見せる。
     ディミトリは不服を打ち払うように——照れ隠しだろうか——咳払いを一つ。気を取り直して慣れた身のこなしで騎馬し、馬上からベレトへと手を差し伸べる。
    「とにかく、さあ、城へ帰ろう」
     その弾むような声が、柔らかく細められた眼差しが、差し伸べられる大きな手のひらがベレトの胸を騒がせることをディミトリは知らない。そしてこの胸のざわめきが何であるのかをベレト自身もまだ知らない。落ち着かない胸を無意識に抑え込み、いつもと同じ顔つきでディミトリの手を取った。
     ベレトも乗馬の教練は積んでいる。いつもなら彼らのように颯爽と乗馬し手綱を操るのだが、どうやら凍えは全身を強張らせているらしい。ぎくしゃくとする体を馬上に引き上げてもらい、どうにかこうにか馬に跨ることができた。
    「行くぞ」
     フェリクスが短く言い手綱を捌いた。その後にドゥドゥーが続き、二頭が先導を務め走り出す。
     ディミトリは自らの青い外套の中へベレトを招き入れ、風圧で肌蹴ないように背後から抱き込むと片手で手綱を引いた。馬足は歩を早め、みるみる景色が背後に流れていく。
     外気に晒された顔面を撫でる風はあまりに冷たく細針を突き刺されているような痛みさえ感じるが、腹の辺りに絡められているディミトリの腕は温かく、密着している背中にも次第に熱が巡るのがわかる。彼から分け与えられる体温の心地よさに、ベレトは無意識にほうっと息をついた。
     その声なき声を拾い上げたディミトリがクスクスと笑い声を立てる。彼の吐息が耳朶をくすぐる。
    「よほど冷えていたんだな。せめて途中の村で代わりの馬を借りれば良かったのに。先生相手なら村一番の駿馬を喜んで差し出しただろうに」
    「頼んではみたが、ちょうど全部出払っていたんだ」
    「それはまた機が悪かったな。ならば使いを出してくれれば、すぐにでも村まで迎えをやったものを」
     ディミトリが言葉を発するたび低く穏やかな声が鼓膜を揺らし、微かな振動が背中に伝わる。それがベレトを安心させる。
     思い返せば長い付き合いになった。ディミトリの匂いや体温を感じるたびに心が安らぐのは、安堵を覚えるたびにもっと感じていたいと望むのは、共に過ごした時間の長さ故なのだろうか——。ガルグ=マクで過ごす彼が傍らにいない日々は、いつも心に隙間風が吹いている。
     ベレトは上体の力を抜いて背中をディミトリへ預けた。彼の逞しさがあれば、ベレト一人を受け止めるくらい造作もないだろう。
    「……うかれていたのかもしれない」
     それはベレトの唇から意図せずほろりとまろびでた。恐らくぬるま湯のような温かさに口が緩んだのだ。
     同時に、ああそうか、と思った。口にしてからようやく心に理解が追い付いたのだ。ここしばらく気分が高揚していたのも、軽装でガルグ=マクを飛び出したのも、途中に寄った町で口々に引き止められながらもそれを断り雪原を越えようとしたのも、全ては今日を——数節振りにディミトリと会えるこの日を心待ちにしていたからなのだ。
     けれど頭の片隅で「なぜ」と問う幼い子供の声がする。心の奥の無機質な大地の上に佇む子供はベレトにとてもよく似ている。
    「……そう、か」
     少し遅れてディミトリが歯切れ悪く相槌を打った。そして躊躇いながらも確かにベレトをより強く抱き寄せて、
    「俺もだよ、先生」
     と言葉を続けたのだった。
     変わらず馬を走らせる彼がどんな顔をしてそう言ったのか見たくもあったが、馬上でしっかりと抱きすくめられていたためにその願望は叶わなかった。ただ、走り去る風に混じって届く彼の声の調子や、ベレトの腹に回された腕の力強さから、不快を抱いたようには見受けられない。
     会えるのを楽しみにしていのはお互い様ということだ。たったそれだけのことが無性に嬉しく、同時に安堵をもたらし——疲労が睡魔となってベレトの意識を手繰り寄せる。
     しばらく馬を走らせるうち、静かになった懐をディミトリはちらりと見下ろした。
    「先生、……先生? ……眠ってしまったか」
     ディミトリに凭れるベレトは風の音にかき消されそうなほど小さな寝息を立てている。白い頬が霜焼けのためか赤く染まり、安心しきったそのあどけない寝顔にディミトリはふっと口元を緩めた。
     できる限り風に当たらないようにと外套を手繰り寄せよりしっかりとその体を抱き寄せると、馬腹を蹴って先を急ぐ。子供のように眠りこける彼を少しでも早く温かな寝台に寝かせてやりたかった。
     肺さえ凍り付きそうな寒さの中でさえ、懐は太陽を抱いているかのように暖かい。その温もりをひどく愛しいと思うのに、同時に切なく胸を苛む。
     冬空色の隻眼で前を見据えたまま、ディミトリはぽつりと呟いた。
    「あまり心をゆるさないでくれ、先生……」
     このままではいつか、隠しきれなくなる時がくる——。
     その小さな言葉は誰に届くこともなく、背後に流れていく雪と夜と風の中に溶けて消えた。

    ***

     その翌朝からというもの、ファーガス城は大層な賑わいを見せていた。ベレトがしばらくファーガス城に滞在すると聞きつけたかつての教え子たちが代わる代わる登城して来たためである。
     終戦から五年——戦火を生き延びた彼らは自らの志を抱いて、自らの足で、自らの人生を歩んでいる。これまで学んできたもの全てを糧として、この国の未来のため様々な分野で目覚ましい活躍を見せている。
     皆それぞれが多忙ゆえに久し振りに顔を突き合わせる友もいた。滅多にない機会を喜び、会話の花は咲き乱れる。おかしかったのは、誰の口からも申し合わせたようにガルグ=マク士官学生時代の思い出話が語られることだった。たった一年間の学生生活は、しかし間違いなく今の彼らの礎であったのだ。
     ベレトはファーガス城の一室を与えられてからというもの、城内の探索に余念がなかった。未だ失われていない傭兵としての性質から建物の構造を把握しておきたくもあるのだが、今回は専ら観光気分である。これまでも何度か登城する機会はあったものの、大司教としての任務に忙しく城内をゆっくり探索する時間が得られなかったのだ。
     豪雪地帯に建つ城はやはりガルグ=マク大修道院とは似つかない。豪華絢爛たる様もなく、どこか無骨な造りは王城より城塞と呼ぶほうが相応しいように思えた。ファーガスはフォドラの北西に位置し、長く厳しい冬季のために富を築くことが難しい。そのため王城と言えど贅を凝らしていられなかったのかもしれないし、純粋に清廉な騎士たる国のシンボルだからなのかもしれなかった。
     とにかく、城のあちらこちらを見回るほどにかつての教子たちの故郷はここなのだと思い至る。彼らの素直さや生真面目さ、逞しさや優しさの根本がそこかしこに透けて見える気がした。
     ベレトは彼らのルーツを知れるようで楽しかったし、散策中行く先々で「先生」と呼び止められては他愛もない話に花を咲かせるのが、やはり楽しかった。

     城内にある応接室の一室。積み上げられた煉瓦壁に埋め込まれた大きな窓からはよく手入れされた中庭が一望できるのだが、冬季の間は見渡す限りの雪景色が景観の全てだった。群青色のカーテンが大窓を額縁のように飾り、同色の絨毯が足元に隙間なく敷かれている。配置された円卓には白い花が活けられ、揃いの茶器と焼き菓子からは甘い香りが立ち上っていた。
    「先生、フェルディアに来る途中で遭難しかけたって本当ですか!?」
    「陛下たちが探しに行かれたのだとか? 無事で本当に良かったです……」
     身を乗り出したアネットの隣でイングリットが悩まし気に安息を漏らし、ティーカップから唇を離したメルセデスが窓の向こうの雪景色にちらと目を向ける。
    「ガルグ=マクのほうは、もう温かいものね〜。こちらではもうしばらくは雪が深いと思うわ」
     ベレトもつられて雪景色を見やり、雪原で途方に暮れていた数日前の自分の姿を思い出して苦笑する。確かに遭難と言われても仕方ない。翌朝目覚めた時には既にフェルディアに到着しており、広いベッドの上で身を起こすなり王城駐在医から「危うく凍傷になるところでございました」と再三叱られたのも記憶に新しい。
     華やかな香りと一緒に茶を口に含む。丁寧な診察と手当のおかげで、カップを摘まむ指先に支障は残らなかった。
    「この前ガルグ=マクに行った時、ファーガスはまだ寒いですよーってちゃんと伝えていれば良かったですね……」
     カップを手の中で弄びながらアネットは肩を落とす。
    「自分がうっかりしていたんだ」
     ベレトは微笑んで見せたが、生真面目な彼女の眉は八の字からなかなか戻らない。
     戦後、ファーガスでは身分性差に関係なく学びを求める子供たちのための学校が新設され、アネットは魔道教師として教鞭を振るっている。職務上ガルグ=マク大修道院士官学校を訪れる機会も多く、時間の空きを見てはベレトと茶会を楽しむ仲でもある。
     ベレトがガルグ=マクを出立する数日前にファーガスへの帰路についたアネットは、もちろん厚手の外套に帽子、手袋、ブーツ等々身に着けることは忘れなかった。
    「こちらにも早く春が訪れてほしいものです。やはり寒さが続くと作物が育ちませんから……」
     溜息とともにカップをソーサーに戻したイングリットにベレトは眼差しを向ける。
    「子供たちは元気にしているか?」
    「ええ、とても。今朝も機嫌よく雪遊びをしていたのですが、私が大司教猊下にお会いするのだと知った途端、母上だけずるいと責められてしまいました」
     そう答えて朗らかに笑うイングリットは二児の母となった。彼女自ら選んだ夫と共にガラテア領の再興に取り組みながら、志は王に仕える騎士でもある。元来彼女が持つ凛々しさと、妻になり母となって得た柔らかな優しさが、子を語るその表情を形作るのだろう。
    「メルセデスのところはどう?」
     ベレトに尋ねられてメルセデスはにこりと笑った。彼女はガルグ=マク大修道院の分院として設立された教会で多くの孤児たちを引き取り世話をして暮らしている。
    「ええ、みんなとっても元気よ〜。そうだわ、先生? もし都合がついたらでいいのだけれど、こちらに滞在中に少しだけでも立ち寄ってもらえないかしら〜? せっかくのお休みだから無理にとは言わないけれど……」
    「もちろん、いくらでも時間を作るよ」
    「まあ、ありがとう。あの子たちとっても喜ぶわ〜」
     顔を綻ばせたメルセデスにベレトは頷いてみせたが、心中は正直複雑であった。大司教猊下と呼ばれるようになって五年。未だに信仰の対象として崇敬されることに慣れないでいる。
     ベレトはカップに口付けるふりをして、そっと目を伏せた。
     セイロス教を信仰する多くの者たちがベレトに女神を重ねて見ていることを、ベレトはよく知っている。「女神様の再降だ」「お生まれ変わりだ」と崇め奉られるたび、ベレトは曖昧に微笑んで彼らの手に触れ肩に触れ声をかけて救いを与え賜う。だがベレトは女神でもなければ生まれ変わりでもない。そのことを自身が一番理解しているだけに罪悪感は拭えない。
     けれど本当の女神であった少女の残滓は確かにベレトの中にある。だからベレトは大司教猊下という大役を演じることを甘んじて受け入れたのだ。彼女の存在を唯一知っているからこそ——彼女の代理人として。
    「そう言えば」
     ベレトはハッとして耽っていた思考の湖から顔を上げた。組んだ指の上に顎を乗せてニコニコと微笑むメルセデスが続ける。
    「先生はいい人、いないのかしら~?」
    「わあっ、その話! 私も聞きたいなぁって思ってたんです!」
    「ふ、二人とも失礼よ。そんな……その、あの……実は私も気になっていたのです……」
     マドレーヌを口に詰め込んで身を乗り出したアネットの隣で、しどろもどろと視線をさ迷わせたイングリットもまた少女のように目を輝かせる。三者三様、好奇心溢れる眼差しの真ん中でベレトは小首を傾げた。
    「いい人?」
    「恋しいと思う人や、結婚を考えている人のことよ~」
     朗らかに口添えたメルセデスに理解を示したものの、ベレトはすぐには二の句が継げなかった。
     そのような相手はいないな。考えたことがなかった。思い当たりそうにない——。いくつかの言葉が舌の上に乗りかけるたび、もはや慣れ親しんだ胸の痛みが発言を阻害する。
     視線はひとりでに窓の外の雪景色に向かう。風が吹くたび城壁に飾られた国旗が靡く。銀糸で刺繍された騎士が佇むのは、夏の空より冬の海より青い布地。白銀の世界の中でその鮮やかな青色がベレトの目を焼く。
    「自分は……」
     言いかけて唇がはくと空を噛む。騒ぐ胸を宥めるように服の上から強く抑え込んだ時、薄氷を踏み割る音を聞いた気がした。
     手のひらの下、薄い皮膚と堅牢な骨に守られた心臓は生命の音を刻まない。その身を流れる血潮は確かに赤いがその性質が皆と異なることを知って久しい。ベレトが歩む道は、彼の知るすべてのものたちと二度と並び重なり合うことはないのだということを今更ながらに思い出したのだ。
     伏せたまつ毛が頬に影を作る。口端に浮かべた小さな笑みが諦念だったと気付いたのは、もうしばらくしてからのことだった。
    「……自分には縁のない話だ。これから先もそういった意味で心を通わせる人は——いないと思う」
     両手で包んだカップの縁を親指の腹でついと撫でる。半分ほど残った紅茶はすっかり冷めてしまっている。
     手元のカップを見つめるベレトの表情はいつもと変わらずに見えて、眉を下げるアネットの隣で寂しそうに微笑んだメルセデスが「そんな」と言いかけたた時だった。
    「ですが先生と陛下は——!」
     横転した椅子が耳障りな大きな音を立てる。茶器がカチャンと鳴り、カップの中で紅茶が波立つ。悲痛に叫んだのはイングリットであった。
     応接室は水を打ったように静まり返る。
     テーブルについたイングリットの腕は興奮に震えるが、そんな彼女を瞠目して見上げるベレトの顔を見てハッとした。透き通る薄緑色の髪がかかる端正な顔は若々しく、かつての恩師でありながら今ではあどけなくさえ見える。イングリットはそれ以上言葉を紡ぐことができず、泣き出しそうに歪めた顔を咄嗟に下げた。
    「申し訳ありません、私——」
     コン、コン、コン。イングリットの言葉を遮るように、丁寧なノック音が室内に短く響く。
    「失礼いたします」
     ドアを押し開いたのは近衛騎士団の制服に袖を通したアッシュである。室内に一歩踏み入れたところで異変を察知したのだろう、一瞬遅れて口を開く。
    「あの——お休みのところ申し訳ありません、大司教猊下」
    「構わない。どうかした?」
    「はい。教団より急ぎの報せが。したためられた事柄について直接相談したいと陛下より承りました」
    「わかった、すぐに行こう。皆、茶会中にごめん」
     席を立ったベレトを三人は言葉もかけられないままに見送る。小さな音を立てて閉められたドアを最後まで見つめていたイングリットの腕に、メルセデスは労るように触れたのだった。
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    k_kuraya

    PROGRESSベレトの眷属にならなかったディミレトの幸せについて考えた、二人の約束についてのお話です。転生を含みます。【約束の果てに 2】

     かつてアドラステア帝国、ファーガス神聖王国、レスター諸侯同盟領、セイロス聖教会の四大勢力によって保たれていた均衡は、フォドラを呑み尽くさんとした大戦火の末に瓦解した。四勢力は国を廃し領と改め区分され、それらを統合して一国とし、フォドラ統一国と名を定めた。
     戦火の爪痕は凄まじく、傷を負ったのは目に見えるものばかりではなかった。二度と戻らない命を嘆く人々の慟哭は、フォドラの大地を空を震わせた。彼らは涙に暮れ、身を寄せ合い、何度眠れない夜を過ごしただろう。
     そんな彼らの肩を叩いたのは、傲慢磊落なアドラステア皇帝を打倒したまさにその人である。ファーガス神聖王国国王ディミトリは人々から解放王と呼び讃えられ、戦場で縦横無尽に槍を振るったその辣腕を今度は復興と泰平のために奮ったのである。戦争を共に越えた仲間たちも彼らの王を力の限り支え、新しい世のために骨身を惜しまず力を尽くした。
     そして、王と足並みを揃え、未来への道を共に作る人がガルグ=マクにもあった。それはフォドラ解放の立役者であり、セイロス教会大司教の座を託されたベレトである。国を引率するものたちのかつての師でも 9041

    k_kuraya

    DONEベレトの眷属にならなかったディミレトの幸せについて考えた、二人の約束についてのお話です。転生を含みます。【約束の果てに 1−2/2】

     肌を刺すような冷気に意識を呼び起こされ、ディミトリは酷く重い瞼をとろとろと持ち上げた。次の節に跨がる夜更けのことである。まだ夢心地であるような、霞がかる天井を暫く見上げ、はたはたと音がする方へと目を向ける。はたはたと、青いカーテンが靡いている。窓が――開いている。そこから満点の星空が見え――しかし綿雪が降る不思議な夜だった。窓から入り込んだ雪が床に白く積もっていた。
     いつからそうしていたのだろう。開け放たれた窓の前に佇むベレトは静かに夜空を見上げている。
     雪明かりに照らされて滑らかな輪郭は陶磁器のように白く、髪の一筋一筋が、エメラルドの瞳がまるで星を孕んだようにキラキラと煌めいている。いつもは黒揃えの衣装を好んで身に着けているが、今夜は雪のような白衣である。群青の裏打ちと金色の刺繍が施された外套は、ディミトリが誂えさせたものだった。
     白衣の衣装はニルヴァーナで陣頭指揮を執っていた頃の――大司教として大聖堂に佇んでいた頃の姿を思い起こさせる。ディミトリは彼が時折見せる神秘的な美しさにたびたび目を奪われることがあった。聖書やステンドグラスに描かれた神 6061

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     戦火の爪痕は凄まじく、傷を負ったのは目に見えるものばかりではなかった。二度と戻らない命を嘆く人々の慟哭は、フォドラの大地を空を震わせた。彼らは涙に暮れ、身を寄せ合い、何度眠れない夜を過ごしただろう。
     そんな彼らの肩を叩いたのは、傲慢磊落なアドラステア皇帝を打倒したまさにその人である。ファーガス神聖王国国王ディミトリは人々から解放王と呼び讃えられ、戦場で縦横無尽に槍を振るったその辣腕を今度は復興と泰平のために奮ったのである。戦争を共に越えた仲間たちも彼らの王を力の限り支え、新しい世のために骨身を惜しまず力を尽くした。
     そして、王と足並みを揃え、未来への道を共に作る人がガルグ=マクにもあった。それはフォドラ解放の立役者であり、セイロス教会大司教の座を託されたベレトである。国を引率するものたちのかつての師でも 9041

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