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    hakoyama_sosaku

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    hakoyama_sosaku

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    現代の善知鳥と竜胆くん。なんなんだろうこれ。

    「うん、検査結果に異常はない。おおよそ過労だろうなぁ」
    「過労」
     それがあまりにも聞き慣れない単語だったので、善知鳥は異国の言語がごとくおうむ返しをするしかなかった。確かにここのところ、兄や父、果ては大学時代の伝を頼られ珍しく複数の依頼を抱えていたが、よもや自分が過労の診断を下される日が来ようとは。明日は槍が降るかもしれないと思ったところで、善知鳥はようやく異変に気がついた。
    「何をしてるんだ、実」
    「過労には休養が一番だが、きみに目を使うなと言うのも酷だからね。いっそ物理的に見えなくした方が楽というものさ」
     さて、動かないでくれよ。そう言うや否や、ぼやけていた視界が遂には完全に閉ざされる。包帯か何かで目隠しされたらしい。きつくないかという問い掛けに頷くと、後方で布が擦れる音がした。ぴったりと視界を覆う包帯にはズレもたるみもなく、さすがの手際と言わざるを得ない。
    「書類仕事は僕が代わりに進めておく。何かする時もまず僕に相談しなさい。もちろん包帯を外して何かしようなんて考えるなよ、治りが遅くなるだけだ」
    「……頼りにしてるよ」
     そう念を押されずとも、数十年の付き合い、その全ての時間が彼の行動が善意によるものだと示していたので、反抗する気は初めからない。
     まあ、ただ。身から出た錆とはいえ、自分からこの言葉を引き出せて満足であろう友人の顔を見られないことだけは残念かもしれない、と思う。

     退屈だ。
     曰く人間の五感のうち、視覚の占める割合は非常に大きいという。特に自分は職業柄、視覚から得る情報に大きく依存している、普段わかるものがわからないというのは想像以上に不便を感じるものだ。また、視覚を失うと自ずから出来ることに制限が生まれる。本も読めなければ、思い出したようにヴァイオリンを奏でることもできない。要するに今の善知鳥は暇を持て余していた。
     こうしていると、幼い頃に熱を出した時を思い出す。誰もいない自室で、ぼんやりと天井を見上げていた。母は家に居たはずだが、父の言いつけを守って必要以上に部屋を訪れることはなかった。冷たくて白い手が名残惜しげに頬を撫でた感覚を、今でも覚えている。その行動に名前をつけるのは容易かったが、実感はどうにも伴わないままだった。
     結局幼心の自分は、何を思ったのだったか。熱に浮かされていたせいか当時の記憶は曖昧で、何かひどく大事なことさえ忘れている気がする。
     疲労も相まってどうにも思考がまとまらず、寝返りを打つ代わりに善知鳥は緩々と半身を起こした。
     すぐそばのデスクからはキーボードを叩く音が規則的に聞こえている。タイピング音の癖から―そんな迂遠な推理を使わずとも良いのだが―それが竜胆であることは確かだった。必要なら呼ぶと言ったのに、この男は結局部屋に仕事を持ち込む方を選んだ。
     背もたれに体重がかかったのが音でわかる。どうやら一区切りついたらしい。
    「起きたんだね、何か不便はないかい」
    「ない。目が見えないことの他には」
    「それは僕にはどうしようもないなあ」
     鷹揚な声は存外に近くで聞こえた。デスクからベッドの端に所在を移した竜胆は、休憩がてら善知鳥を構うことに決めたらしかった。
    「しかし君も暇だろうなあ。ラジオでも流そうか?」
    「今はお前が話してくれるんだろ? ならいい、いらない」
     暫くはそうやって、他愛もない会話をしていた。例えば仕事がない時の昼間に自分が何をしているのかだとか、旅をしているときに出会った小さな事件の話とか。どれもこれも自分にとっては事実以上の意味を持たないものだったが、竜胆が逐一反応を示す様子が興味深く、つい余計なことまで話してしまった。
     昔一度だけ風邪をひいたこと。寝室でひとり眠っていたこと、唯一覚えている手の感覚。結局、名前をつけ損ねた感情。
    「つまり、君は寂しかったんだな」
    「そういうものか」
    「違うのかい? まあ何にせよ、今は僕がいるから安心するといい。思う存分頼りにしてくれて構わないからなあ!」
     そう言いながら、竜胆がいつものように髪に触れたのがわかった。壊れ物にするような手つきは、何年経っても慣れることはなく面映い。視界がないからなおさら、髪を梳く手の動きに意識が奪われる。多少なりとも優れた記憶力と想像力は、あるいは現実より鮮明に、目の前の男の表情を再現してみせる。
    「そのまま、動かないでいてほしい」
     普段は特段気にならないのに、急に意趣返しをしたくなったのはそういう理由かもしれなかった。
     竜胆の手が離れたのを察してから、善知鳥はそう声をかけた。何か言われる前に手を伸ばし、指先で竜胆の顔をなぞる。時折僅かな凹凸に触れる。繋ぎ直された皮膚は心持ち薄く、触れると違和感があるのか居住まいを正すように身じろぎするのがわかった。
     耳、瞼、額。記憶の中の相貌と手元のそれを一つひとつ照らし合わせるように。善知鳥は丹念に、しかし手の中のものを傷つけないよう慎重に手を動かした。それがいささか過剰な恐れを含んでいたのは、黙って付き合う友人の無防備さによるという以上に、単に善知鳥がこのような行為に不慣れであるためだった。
     掌に他人の温度が伝わるたび、何かを思い出しそうになる。しかしそれは善知鳥が平素感じるような、彼の身を苛んだり、せき立てたりする感覚とは異なっていた。では何か。
    「なあ、御船。これ、楽しいのかい」
     善知鳥の手が頬を下り、首にかかったところで、先に音を上げたのは竜胆だった。
    「……どうだろう。でも、嫌じゃなければもう少し付き合ってくれないか」
     うん、とかうむ、とか、いまいち判然としない竜胆の返事に混じって、善知鳥が不意に「あ」と声を出した。そういえばあの日、竜胆が学校帰りに家にやって来て、夕方になるまでそばにいたのだった。今になるまで一人きりの寝室の温度を忘れていたのも、寂しかったのだと断じられて納得しきれなかったのもそのせいだ。少なくとも自分にとって、あの日は決して悪い記憶ではなかった。身に余るほどに、何もない平和な一日だったのだ。
     蓋を開けてみるとあまりにささやかなことで、思わず笑いがこぼれる。それはきっと、明日から見た今日も同じだという確信があった。
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