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    hakoyama_sosaku

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    hakoyama_sosaku

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    竜胆くんと善知鳥。いつにもまして事実がない。

    ふたりくらし この言葉を、当たり前に言うようになったのはいつの頃からだったか。

     借りたばかりのビルディングの一室。帝都の片隅にあるその場所で、善知鳥は現実を理解するのに大変苦労していた。
    「やあ、ようやく起きたのかい。相変わらず朝に弱いなあ君は。そうそう、今日から僕もここで寝泊まりするからよろしく頼むよ」
     探偵事務所開業の為に最低限の荷物だけ運び入れていたはずだったが、見知らぬ品々の多いことに気がつく。何に使うのかわからなかった収納には見知らぬ食器類が収められ、あとで整理しようと思い机に置いていた書類たちは全て本棚に収まっている。何より部屋の中央で悠々と茶を飲む友人は、本来ここにあるべきでないという意味では最たるものだった。しかし何度目を擦っても、警察勤務時代の知人に渡そうと考え用意していた求人広告を片手に、友人は昨日と同じどこか不機嫌そうな様子でそこに居る。善知鳥はいよいよ腹を括って、彼の前に腰を下ろした。
    「おまえ、自分の診療所は?」
    「譲った。大学の頃の後輩がちょうど手を空けていてね」
     頭を抱えそうになる。というかおまえの診療所は自宅も兼ねていただろう。家はどうした。ああ、だからここに家財があるのか。いや全体おかしいぞこの理屈は。言いたいことは多かったが、それらが口から出ることはなかった。こうと決めた時の彼の頑固さは、善知鳥のよく知るところだったからだ。
     今更ながらに何故頼らなかったのかという彼の問いに答えるのであれば、そもそも他者に頼るという発想がないという解になる。求人を出したのは出張に際して事務所の留守を任せられる人間がいなかったからだし、探偵業に関わらせようという気はさらさらなかった。いつの頃からか自分は生涯ひとりで生きていくのだろうという確信があって、それが最善であることはその後の人生が証明していた。どうにも自分は事件に巻き込まれやすい体質で、自分の能力はそれらを事前に防ぐことにおいては無意味であったというのがその最たるものである。
    「言っておくが、そこに書いてある以上の給金は出せないぞ。ただでさえここを借りるのに兄貴たちから幾らか貸してもらってるんだ」
    「ほう、なら尚のこと僕が必要だな。何せ経営もしていたんだ、金勘定は慣れたものだよ。君はそういうの嫌いだろう?」
     それをさせるにはその給料は安過ぎるんだ、と言いかけて止める。彼の言葉は全くもって真実だったし、わざわざ墓穴を掘る必要はなかったからだ。代わりにため息をひとつ。これに憂い顔でも添えれば解決する問題なら幾分か気が楽なのだが、残念ながら目の前の男は善知鳥のこのやり口を熟知している。ちらりと視線を送ると、やはり胡乱げな顔があるばかりだった。
    「そんなに僕を追い出したいのか?」
    「いいや、別に。お前の気が済むまでいればいいさ」
     それはつまり、気が済んだら出て行けということであるのだが。言葉の裏を読まないことを信条としている節のある友人に、真意が伝わることはないだろう。善知鳥にできるのは、彼が取り返しのつかないものを失う前にその時が来るのを祈ることだけだった。

     ぽつぽつと降り始めた通り雨を防ぐすべを持たないまま、善知鳥はまだ慣れない道を歩いていた。珍しくきっちりと袖を通したインバネスは、黒雲に覆われた帝都に彼の身を紛れさせていた。
     帰り道を急ぎながら善知鳥は考える。銃を抜かずに必要な情報を得られたのは僥倖だった。しかし目に見えずとも冷ややかな重みは常にその存在を主張していて、当たり前の選択肢としてそこにある。それが自身を苛む一要因であることは明らかだったが、この苦しみこそ自分がまだ正常な証左でもあった。せめてそれくらいの痛みがなければ、この安穏とした日々には耐えられない。
     ビルディングの狭い階段を登ると、そこが探偵社の入り口だった。郭公という社名は半ば冗談のように決めたものだが、そこに込めた意味は紛れもない本心だ。ただ、いつのまにか立てられていた「なんでも相談承ります」の看板については近いうちに話し合いが必要だろう。そんな事を思いながら本日終業の札がかけられた戸を開くと、ぎぃ、という築浅の建物に似つかわしくない音がした。
    「戻ったのかい」
    「……ああ」
     何が楽しいのか助手を名乗る友人が些細なきっかけで愛想を尽かしていないかという善知鳥の考えは、今日も見事に打ち砕かれる。彼は濡れ鼠の善知鳥を見咎めると水を吸ったインバネスを奪い、すぐに乾いた布巾を渡して寄越した。季節遅れのストーブがつけられた事務所は暖かかだ。更に暖を取ろうとストーブに近づきかけた足が、遮るように出された手に反応して止まる。
    「御船、ほら」
    「なんだ」
    「家に帰ってきたら『ただいま』と言うものだろう? 全く、御母堂が悲しむぞ」
     やれやれと肩をすくめる彼こそ、よほど母親のような顔をしていた。少なくともあの風通しの悪い洋館で、およそ誰にも聞こえないであろう帰宅の挨拶をするほど自分は優等生ではなかったし、それを咎められた記憶もない。しかしそんなことをここで話しても詮無いと、とりあえず思いついた質問をしてみることにする。
    「そもそも事務所は家なのか?」
    「当然だろう。ここが帰る場所である以上、僕と君の家はここだ」
     至極真面目な顔で竜胆が言う。当たり前に口にされる「僕と君」をどういう顔で受け取るべきか考えあぐねていると、急かすような視線が刺さった。
    「……わかった、わかったから」
     じゃあ、と言って口を開いた。改まって言葉にすると妙な気恥ずかしさを感じる。こんな機会でもなければ二度と言うことのない言葉だろう。しかし少なくとも彼がここにいるうちは、日々当然に、繰り返し交わされるやり取りなのだ。今は慣れないそれが、いつか普通になる日も来るかもしれない。それがそう遠くない未来であることを、善知鳥は薄々感じていた。
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