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    Navy0906100503

    @Navy0906100503

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    Navy0906100503

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    聖女と魔女の出逢いのお話
    多分この後三日くらいで会いに来てくれます
    続きは無い

     始めてそのひとに逢ったのは、お祈りを済ませたときのことでした。突然わたしの真後ろに、見たこともない女性が倒れていたものですから、息が止まるかというほど驚きました。
     女性、とは申し上げましたけれど、その時のそのひとは、わたしとそう歳の変わらない、少女と申し上げた方がよろしいくらいに見えました。始めはお祈りを捧げたわたしのもとにいらっしゃった天使様かと思われました。けれど、彼女は頭のてっぺんから手足の先まで、真っ黒な服を着ていましたから、妖精か、むしろ悪魔かもしれない、と思い直しました。少なくとも人間ではないと、幼かったわたしはそう信じて疑いませんでした。
     だって彼女は、あまりにもうつくしいひとだったのです。わたしは子どもの頃を過ごした修道院で、一度だけ、黒曜石という宝石を見たことがございます。彼女の髪と瞳は、まさにそれと同じ色をしていました。夜闇から紡ぎ出したかのようなその純黒は、清閑さと苛烈さをもってわたしのこの目に焼きついて、今でも離れないのです。
     ですがその次に目を奪った真紅に、わたしは今度こそ息ができなくなる心地がしました。彼女の黒いドレスで始めはよく見えなかったのですが、倒れた彼女を真ん中に、白い床に紅薔薇が咲くように真紅が広がって、涙と悲鳴が込み上げました。すぐに人を呼ばなければ、と思いましたが、意識が有ったその方は、わたしの行いを止めました。

    「……少し休めば動けるわ。だから人は呼ばないでちょうだい。」

     到底、彼女のけがは「少し休めば動ける」ものには思われませんでした。漆黒の衣装に阻まれて詳しい具合はわかりませんでしたが、お腹の辺りに深い傷があって、ゆっくりと温かい紅が流れ出ていくのです。
     ですがその声にはたしかな力があって、わたしはそれを受け入れる他に何もできなかったのです。
     わたしは外の博士たちを呼ぶ代わりに、上向きに倒れた彼女を抱き起こしました。するりと黒いドレスの下から、また黒い布に覆われた脚が現れました。それは布をまとっていても、とてもうつくしいものであることが窺えました。
     とたんにわたしは、自分が普通の人間と異なる姿をしていることが、恥ずかしくなりました。獣のごとく角や脚を持つわたしは、彼女とは比べることさえおこがましいほどみにくい存在に感ぜられたのです。
     彼女はわたしの腕の中で、まずわたしをまじまじと眺めました。それから少しだけわたしの部屋を見回して、「何てところに来てしまったのかしら」と吐き捨てるように言いました。

    「此処はSCP財団の、アノマリーの収容室ね? 死物狂いで転移してきた場所が此処だなんて、本当に神様って奴は私のことに関しては無能なんだから。」

     神様、という言葉を聞いて、わたしは動揺しました。わたしは生まれてすぐ修道院に預けられ、やがて財団に収容されたものですから、ひどく世間知らずなのです。わたしにとって神様とは唯一無二の絶対の存在で、修道院にいたときは周りの誰しもがそうでした。財団でも、わたしが縋る神様を否定しないでいてくれる方ばかりでした。
     だから、こんなにきつく神様を否定する言葉を始めて聞いて、わたしはとても怖くなりました。
     ただ女の子が少し文句を言っただけなのに、その言葉はまるでこの世の真理であるかのように思われてならなかったのです。彼女の声には、そんな魔法の力があるように、わたしには思えたのです。
     彼女はすぐにわたしの胸元のロザリオを見つけたらしく、「あら、ごめんなさいね」と呟きました。呟くと言っては何だか独り言のようですが、実際のところ、彼女はわたしに真剣に言葉を届けるつもりが無さそうでした。

    「………あ、あなたは、だれ?」
    「私が誰かなんて、知ったところで貴女に何の意味が有るの?」

     切り捨てるようなせりふでした。そしてそれは事実でした。
     彼女の名前なんて、ひょっとすると一生ここから出ることの能わないわたしに知る必要のないものでした。
     それでも、わたしは知りたいと思いました。
     あるいはもう一度会うこともきっと叶わない、このうつくしいひとのことを一欠片でも知りたいと切に願いました。だから、わたしもわたしの名前を差し出そうとしました。

    「わ、わたしは、SCP-1……」
    「メリ」
    「……え」
    「メリ、でしょう? 貴女の、名前。」

     わたしの目を見ることなく、虚空を眺めたまま、彼女はわたしの名前を当てました。
     このときわたしは理解しました。ああ、このひとは本当に、人ではないのだわ。

    「……貴女、おかしな勘違いをしてるんじゃない? 私には沢山の“妹”達が居るの。だから何でも知っているのよ。」

     それだって魔法のような話でした。でもわたしの心には喜びが湧き出ました。わたしはこのひとについて、たった今二つのことを知ることができた。たくさん妹さんたちがいらっしゃること。何でも、それこそこの箱の中で誰にも知られず生きているわたしのことすら知っていること。

    「……奇麗な眼で咲うのね、貴女。」

     わたしの顔に、彼女の手が伸びました。目の縁を撫でられ、何かべたりとした感触がありました。ああ、そういえば彼女は大けがをしているのです。

    「とっても、奇麗。夜空みたいに深い色。」

     奇麗な眼、という言葉は、初めて聞かされる言葉ではありませんでした。修道院でわたしを育ててくれた人たちも、愛の籠もった言葉を幾度となくわたしに下さいましたから。
     けれども、このひとが言ったこのせりふは、なぜなのでしょうか、わたしの心を捕らえて離しませんでした。
     きれいなひとがきれいと言ってくれて、舞い上がっていたのでしょうか。
     心の半分は春の陽だまりのように浮かれていましたが、もう半分はあいかわらず焦りでいっぱいでした。腕の中のうつくしい命は、今この瞬間も少しずつ、死へと向かっているのです。

    「ねぇ、あなたひどいけがをしているわ。やっぱり人を呼びましょう? 治療をしてもらわなきゃ、このままだとあなた、」
    「必要無いと言っているのよ。貴女が人を呼べば、私は其奴らに始末されるだけ。」

     わたしには彼女が何を言っているのかわかりませんでした。わたしが呼んだ人は、彼女を始末する?
     博士たちは、わたしを閉じ込める代わりに、わたしが少しでも苦しまないようにしてくださっていることをわたしは知っています。わたしにとって博士たちやこの箱の人たちは、修道院の人びとと同じくらい、温かく賢明で、尊敬できる人たちでした。
     こんな風に、か弱い少女を傷つけるなどする人ではないはずなのです。

    「何を言っているの? 博士たちは優しくてすてきな人たちなのに。」
    「それは貴女が“特別”だからなのよ、メリ。貴女は何も知らないの。此処の奴らがどれほど非情で無慈悲で冷酷なのかを、ね。貴女は守られているから。」

     私は違うの、と彼女は言いました。
     わたしは幼稚で無知でした。だから彼女の言っていることがまるで理解できなくて、混乱して、そうしている間にも彼女の死が近づいているのがわかって、恐怖と焦燥が頭の中でぐるぐると回って、涙が出てきてしまいました。
     彼女はもう一度わたしの顔を撫でて、涙を拭ってくれました。黒いレースの手袋越しに、指先の冷たさが緩く伝わって、余計に涙が止まらなくなってしまいました。

    「財団にとって、私は邪魔者。こんな怪我をした私を見たら、止めを刺すに決まっているわ。……そうやって居なくなった“妹”だって居るの。私、その一人にはなりたくないわ。」
    「でも、あなたのことを放っておくなんてできない……。けがをして、血がたくさん出て、とても痛くて苦しそう……。」
    「こんなの、自分で治せるわ。ちょっと時間が有れば良いのよ。痛いとか苦しいとか、貴女に何が解るの? 私は今まで何度も怪我してきたわ。もっと酷くて大きな怪我だってした。これくらい何でも無いわよ。」
    「いいえ、そんなことない。見ればわかるわ。」
    「どうして?」

     彼女はわたしに尋ねます。同じくらいなのに、何だか歳上の、とても聡明怜悧な女性であるかのように思えました。
     だから、わたしも涙を拭って、精一杯に大人ぶって応えました。

    「あなた、泣きそうな眼をしているもの。」

     そう聞いて、彼女は少し驚いたように顔の形を変えました。見開かれた瞳の純黒がよく見えて、ああこの顔すてきだわ、と何とも安置に、そして場違いな感慨を抱きました。

    「寂しくて、悲しい眼だったわ。とてもきれいな眼なのに、切なさと辛さでいっぱいの眼だった。」

     わたしはそう言って、彼女のからだを抱きしめました。どうしてそうしたかは、実は今でもよくわかっていません。服に血がついてしまうし、彼女の傷が開いてしまうかもしれなかったのに。
     なぜかこのきれいなひとを、この腕いっぱいに抱いてあげたくなったのです。

    「貴女は、優しいのね。」

     彼女は自分を抱くわたしの腕に触れ、目を閉じました。薔薇色の唇の端から、紅い一雫が零れ落ちました。

    「もう随分、こうして抱き締めてもらうことなんて無かったわ。怪我をして、心配してくれる人も。ずっとずっと、私独りだけのものだった。痛み、苦しみ、寂しさ、悲しみ、切なさも辛さも。私独りで、耐えるしか無かった。」

     有り難う、メリ。優しい女神様。

     とたん、ふわりとそよ風が吹いたかと思うと、彼女はわたしの腕の中で、緑色の光に変わってしまったのです。彼女の真紅に染まっていたはずの部屋の床も、わたしの服も、まっさらな白に戻っていました。
     どれほど見回しても、彼女がいたことを示すものがどこにもないのです。
     わたしは夢を見ていたのでしょうか。それとも彼女は本当に天使様か悪魔だったのでしょうか。
     あの子、本当に大丈夫なのかしら。どこかで独りぼっちで死んでしまってはいないかしら。痛みに泣いていたり、寂しさに潰されてはいないかしら。
     ふと鏡を見てみると、わたしの眼の縁には血の痕と涙の痕が重ねてそこにありました。
     ライト博士がわたしの部屋にいらっしゃったのは、そのすぐ後のことでした。


    ✽✽


    「……また来てくれるなんて、思ってもみなかったわ。」
    「私もまた来るつもりなんて無かったわよ。」

     箱の中から出ることの叶わないわたしが、彼女と再会したのは、それからたった数日後のことでした。あの日と同じようにお祈りを済ませて振り向いてみると、あの日と同じように彼女はそこに立っていたのです。
     あの日、ひどいけがをしてわたしの前に現れた彼女は、たった数日でもうすっかり元気なようすでした。
     初めて逢った彼女は漆黒のドレス姿でしたけれど、今は黒いブラウスと黒いスカートを合わせた恰好でした。わたしは人生の中で、あまりこういった衣装を見たことがありませんでした。わたしが見慣れた服といえば、修道服か白衣でしたから。
     なので、服がかわいいかどうかというのはよくわかりません。わかることは、やっぱり彼女はうつくしいということだけです。
     傷が消えた彼女のうつくしさはついぞ完全なものとなって、そのまばゆさは箱の中で陽を浴びることなく過ごすわたしにはまぶしすぎて、わたしには彼女をまっすぐ見ることができませんでした。不思議なことです。彼女の黒は穢れなき闇のそれに等しいのに、それをまぶしいなんて。

    「“妹”達が『助けてもらったなら御礼をしなさい』って煩くてね。数人掛かりで魔法を使われて、無理矢理此処に送られたの。こんなことより、私はパパを取り戻したいのに……。」

     とても大人びた雰囲気を持つ彼女が、幼子のように唇をとがらせて不満を口にする姿は、何だか不思議で滑稽なくらいでした。
     わたしはこの時間が、天からのおくりものであるように感じました。わたしには、このうつくしいひとを知る権利があると、その機会を神様が授けてくださったのだと、そう信じて疑いませんでした。
     ですからわたしは、縋るように尋ねます。あいかわらず顔は上げられなくて、彼女のかわいらしい黒い靴ばかり見つめていましたけれど。

    「ねぇ、あなたあのとき、何て言ったか憶えてる?」
    「あの時?」
    「あなたがここに来たときよ。わたしはあなたに名前を訊いた。でもあなたは『それに何の意味があるの』と言ったわ。」

     忘れるはずがありません。あの日の彼女の言葉のひとつひとつを、わたしは忘れていません。
     このきれいなひとのきれいな声で紡がれるきれいな言葉を、忘れられる道理はありません。

    「わたしあのとき、たしかにそうだと思ったの。ここから出られないわたしに、二度と逢えないかもしれないあなたの名前なんて知る必要ないって。
     でもわたしたち、こうしてまた逢えた。だから意味はあるのよ。わたし、あなたのことが知りたいの。」

     からだが熱くて、感じたことのない心地でした。この瞬間を逃せば、一縷の望みをわたしは失ってしまう。それはきっと耐えがたい苦痛でしょう。
     もしあのときと同じように切り捨てられてしまったらどうしよう。きっとわたしはこのとき、親に先立たれそうな子供の、あるいは恋人を喪いそうな女の顔をしていたことと思います。手足も震えて、情けないさまだったことでしょう。
     やっぱり彼女の顔を見ることはできなくて、でも彼女が少し驚いたような雰囲気を醸したのはわかりました。きっとあのとき、わたしが好きだと思った顔をしていることでしょう。

    「……貴女って、思ったより積極的なのね。」

     まあまずは落ち着いて、見付かると大変だわ。彼女はそう告げるとわたしの頭を優しく撫でて、次いで角に触れました。

    「……奇麗な角。髪も愛くるしい色だわ。年頃なのに幼くて、まるで百合の花の蕾のよう。無垢で無邪気で、美しい。」

     投げ掛けられる言葉のひとつひとつが、宵の空の星々のような輝きをまとっていました。鼓動が速くなって、肌の下の熱がうねって、脚から力が抜けてしまいました。声も出せずに床にへたり込んだわたしを見て、彼女はきゃらきゃらと咲いました。

    「ふふふ。こんな言葉で静かになっちゃうのねえ。貴女、いつか白馬の王子様と結婚するのに憧れたりしてるの?」
    「そっ、そんなことないわ! あなたの言葉だったからよ。」
    「私の? ふうん、そうなの。」

     ずるいわ、わたしはこんなにどきどきしているのに、この子はまるでどこ吹く風。こんなに近くにいるのに、遠くにいるみたい。

    「お礼だっていうなら、ものはいらない。あなたのことを教えて?」
    「あら、それなら助かるわ。下手な物を持ち込むと此処の奴らにバレちゃうもの。実は何をすれば御礼になるのか解らなくて、貴女に聞いちゃおうと思ってたのよ。」

     彼女は遠慮もなしに部屋の椅子に座りました。わたしもふらりと立ち上がって、彼女の対面に座ります。そのときのわたしの心の内がどれほど喜びでいっぱいだったことか、言葉には言い表せません。
     席に着いて、ようやくわたしは彼女の顔を見ました。ああやっぱりうつくしい。白薔薇のような肌と、薔薇色の頬と唇。黒髪と黒のスカートをふわりと揺らすその姿は、大輪の黒薔薇が風に踊るかのごとく優美さで、わたしの心を捕らえて離しません。

    「まず、あなたは誰?」
    「……アリソン。アリソン・チャオよ。此処の奴らには『L.S.』、或いは『黒の女王』と名乗った方が通りが良いのだけれど。貴女はその限りでは無いわよね。」
    「アリソン………じゃあ、アリィちゃん?」
    「アリソンって呼んで。縮められるのは好きじゃないの。」

     彼女は──アリソンは急にちょっとだけ不機嫌になりました。子どもみたいじゃない、と付け加えて唇をとがらせる姿はまた子どもみたいでかわいらしくて。何だかわたしはアリソンと反対に、気分が良くなってしまいました。

    「どうして? アリィちゃん、とてもすてきだと思うわ。」
    「その呼び方止めないと、もう何にも答えてあげないわよ。」

     それは困ります。だだをこねるアリソンにわたしはあっさりと折れて、呼び直してあげました。

    「じゃあアリソンちゃん。あなたはどうしてあのとき、この部屋に来たの?」
    「私、元々凄く遠いところに居たのよ。でも怪我をした。必死で、本当に必死で、魔力を全部使い込んで転移したの。そうしたらこの部屋だったわ。」

     なるほど、さっぱりわかりません。

    「魔力? あなたは魔女なの? すごいわ!」
    「魔女? うーん……魔女なのかしら。あんまり魔女なんて呼ばれたこと無いわね。聖女様が魔女に喜ぶなんて、おかしな話も有ったものだわ。」

     人差し指を顔に当てて、脚を組み換えながらアリソンは考え込みます。スカートからするりと晒された脚は、あのときのように布に覆われてはおらず、白い肌がわたしによく見えました。
     その形のきれいなことと言ったらないのに、いくつもいくつも傷痕のようなものがあるのに気付いて、わたしははっと息を呑みました。

    「アリソンちゃん、けがをたくさんしているみたいだわ。」
    「え? 嗚呼、これのこと? 言ったでしょう、怪我なんて何度もしてるって。こないだみたいな怪我も珍しいことじゃないの。流石にあんなのを放っておいたら死んじゃうから、魔法で治すけど。こんな小さな傷、何もしなくても治るわ。」
    「でも、痕が残ってしまっているわ。あなたはすごくきれいなのに。」
    「ふふふ。嬉しいわ。傷痕が有っても貴女に綺麗と言ってもらえるくらい、私は美しいのね。」

     アリソンは小首を傾げて微笑みました。ふわりと垂れる黒髪の一筋がわたしの視線を誘います。

    「あなたはどうして、わたしにお礼なんてしに来たの? わたしあのとき何にもしていないし、あなたにはやりたいことがあるんでしょう? たしか、お父さんを探しているって。」
    「耳敏いのねえ。そうよ、私はもうずっと、パパを捜してるわ。そのためにこの世界中を、いいえ、幾つもの違う世界まで巡ってきたの。」
    「違う世界まで……。」

     何だか壮大で、わたしには想像もつかないお話です。わたしが知っている世界は、修道院とこの財団だけです。それでもわたしは父を知っています。誕生日にもらったお手紙も、あのボウルでいただいたスープの味も、わたしにとって大切な、名も顔も知らない父との思い出です。
     アリソンはそうではないのでしょう。彼女は世界中を、ここ以外のたくさんの世界の世界をも渡って、そうしなければ父を見つけられなかった。
     だからアリソンはあのとき、「私独りで耐えるしかなかった」なんて言ったのでしょう。

    「貴女は私を心配してくれた。パパが居なくなってから、私を心配してくれる人なんて居なかった。ママは私を見てくれなくなったし、誰も私の側になんて居てくれなかった。“妹”達だって居るけど、私は独りぼっちだった。
     でもあの日、貴女は私を心配してくれたわ。私のために、私一人のためだけに、貴女は泣いてくれた。……それを“妹”達に話したら、『御礼をしなくちゃ駄目』って言われて。此処に来るのはリスクだって高いのに、送り込まれちゃった。」

     私はパパを取り戻せればそれで良いのに。アリソンはそう言って、肩をすくめました。
     きっとアリソンは、わたしが一生知ることのないものをいくつも知っているのでしょう。彼女はその権利を持ち、その義務を背負ったひとなのです。
     わたしとは立つ世界が違う。それでもわたしは、アリソンと出逢うことができた。
     わたしは思わず笑ってしまいました。

    「……妹さんたちに、感謝しなくてはいけないわね。あなたをここに連れて来てくれたこと。」
    「そうかしら。ただの御節介だと私は思うけど。」
    「そのおかげで、わたしはあなたともう一度逢えたもの。最初は神様のいたずらだったかもしれないけれどね。」
    「悪戯の質が悪いのよ。せめて怪我はしたくなかったわ。」
    「やっぱり痛くて、苦しかったの?」
    「当たり前じゃない。」

     まあ、怪我をしていたから、貴女は泣いてくれたのでしょうけどね。
     アリソンはそう言って、ぱっと立ち上がりました。

    「そろそろ時間ね。見付かる前に行かなくちゃ。」
    「……もう行ってしまうの?」

     そのせりふは、楽しさでふわふわと浮くようだったわたしの心に、冷たい氷を押し当てました。
     アリソンとの会話はわたしに、人と過ごす喜びを思い出させました。それは同時に、わたしに独りぼっちの寂しさを思い出させたのです。もう長い間財団に収容されているわたしは、思い出だけを頼りに暮らすことにすっかり慣れていました。アリソンはそれを壊してしまいました。
     もしここで別れてしまったら、もう二度と逢えないのではないかしら。そうしたらわたしは、寒さと暗さに怯えながら、孤独の中で生きていかなければならないのではないかしら。
     ロザリオを握りしめて、わたしは祈るように願いました。

    「わたし、あなたともっと一緒にいたいわ。そうでないと、泣いてしまいそう。」

     アリソンは少し驚いた顔をしました。この顔は一等わたしのお気に入りです。宵闇の欠片をはめ込んだように静謐で、それでいて熾烈な決意に満ちた純黒の瞳が、よく見えるからです。

    「寂しがり屋さんなのね、可愛い女神様。」
    「そうよ。寂しがりでわがままで、泣き虫なの。女神でも聖女でもないわ。わたしはただの子ども。ただのメリなの。」
    「それは知らなかったわ。」
    「あなたが知らないこともあるのね。あのときは何でも知っているって言っていたのに。」
    「そうね。私は何でも知っているし、何にも知らないの。例えば、次に私と貴女が出逢う時、とかね。」

     何でもないことのように告げられて、わたしはびっくりしてしまいました。

    「もう一度逢えるの? わたしともう一度逢ってくれるの?」
    「ええ。この場所は嫌いだけど、貴女のこと嫌いじゃないもの、メリ。」
    「それっていつなの、アリソンちゃん?」
    「私が貴女に逢いに来た時よ。」
    「そんなのあなた次第じゃない。」
    「ええ。」

     すい、とアリソンはわたしの耳に顔を寄せました。
     そのときのことは、今でも夢に見るほど鮮烈に憶えています。彼女の端麗な顔が近付いて、ふわりと華のような香りがしました。吐息の温もりも、首元に触れた髪の感触も。跳ねた心臓の痛み、指先まで走った痺れも、何もかもをわたしは憶えているのです。

    「──貴女が、一番逢いたい時に来てあげる。」

     ひとつひとつの音をわたしの耳に落とすように、ゆっくりとアリソンは言いました。
     ああ、わたしは都合のいい幻を見ているのかしら。このうつくしくて自由に生きることを許されたひとが、箱の中のわたしのためだけに逢いに来てくれるなんて。
     瞬間、まばゆい緑の光が目の前いっぱいに広がりました。あのときと同じように、彼女は光の粒子となって、わたしの前から消えてしまいました。
     行かないで。そう言うことさえ叶いません。
     虚空をたゆたう光の粉は、掴もうとしても手をすり抜けるばかり。後にはやっぱり何も残っていません。
     ですがわたしの耳には、彼女の声が、息遣いが残っていました。

    「……わたしがいちばん、逢いたいとき。」

     それっていつなのかしら。わたしは今すぐにでも逢いたいくらいなのに。もっともっと逢いたいって願わないと、あの子は来てくれないの?

    「……寒い……。」

     寒い。寒くて寂しくて、たまらない。
     身を包み込む肌寒さは、身体を奥まで刺すような寒さではないけれど、それは何よりもわたしを孤独に震え上がらせました。凍てつく空気に身を裂かれる方が、よほどましに思えるくらいに。薄ら冷たい空気は、わたしにどうしようもない現実を突きつけていました。
     滑稽なこと。痛みに泣いているのも、寂しさに潰されているのも、わたしの方だわ。
     こんなとき、わたしにできることなんて一つしかありません。ロザリオを握りしめて、わたしは祈りました。

    「あの子が、早くわたしのところへ来てくれますように。神様、どうかこの罪深い祈りをお許しください。」
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