チョコレートという名の愛をちょうだい! ボスンッ! という音と共に、腰のあたりに重たい衝撃が走った。
不意打ちのような背後からの『攻撃』を受け止めて、謝清呈は、意図せず喉の奥に声を詰まらせる。そのまま顎を引いて視線を下げ、桃花眼を見開いた彼は、自身の腰に絡み付く細くて白い腕をはっきりと見とめた。誰のものかなんて、わざわざ振り返って確認するまでもない。ハア、と大袈裟に嘆息を零し、自身の右手を額に添える。そうして、やれやれと頭(かぶり)を振った彼は、咎める色を滲ませながら「……賀予」と静かに『少年』の名前を呼んだ。
大好きな謝清呈の声に反応するように、賀予の可愛らしい『犬』の耳がピンッ! と持ち上がる。けれど、そんな賀予を謝清呈はあっさりと一蹴した。
「とりあえず離してくれ」
「……」
「……賀予」
「……」
背中にぐりぐりと額を擦り付けて、謝家の狗狗龙はご主人様の腰へまわす腕により一層力を込める。都合の悪いことは何も聞きたくない、というわかりやすい我儘だ。こうなってしまうともう手の施しようがないことは、彼を連れ帰ったあの日から嫌という程痛感している。ふたたび重たい息を吐き、謝清呈は首を捻って静かに後ろへと振り返った。
「……どうしたんだ」
「!」
パッ! と顔を上げ、零れ落ちそうな大きなふたつの瞳を賀予はキラキラと瞬かせる。そうして子どもらしい口調で「謝哥、あのね」とくちびるを動かした。
「今日はバレンタインデーでしょ。バレンタインデーには、チョコレートとかバラの花束を恋人に贈るんだって、謝雪から聞いたんだ」
「……」
「だから、俺も謝哥からのチョコレートが欲しい」
「……」
じいっと、アーモンドの瞳が、謝清呈の顔を見つめている。しっぽを左右に揺らし、静かに彼は謝清呈の言葉を待っていた。「……謝哥」「……ダメ?」
「……賀予」
「! うん!」
季節は真冬だと言うのに、彼の幼い顔に向日葵のような満開の笑顔が咲く。それを真正面から受け止めながら、謝清呈は呆れた風を滲ませ、眉間にシワを寄せて、重々しく口を開いた。
「賀予、犬はチョコレートを食べられないんだ」
「……?」
「チョコレートの原材料であるカカオにはテオブロミンが含まれていて、犬にはこれを分解する機能がない。排出もされず、体内に蓄積されていく一方で、結果的に心臓や神経に異常が――」
「ちょ、ちょっと待って、謝哥」
唐突に講義を始めた謝清呈を、賀予は慌てて遮った。――カカオ? テオブ……なんとか? 呪文の一種? 列挙された異国の言葉たちに、賀予の視界がちかちかと瞬く。それを払い除けるように、賀予はぶんぶんと勢い良く頭を振った。
「謝哥……そもそも俺、犬じゃない」
「……似たようなものだろう」
「……」
しょんぼりと『犬』の耳が垂れ下がる。すん、と鼻をすすって、賀予は、ふたたび謝清呈の背中にぴったりと自身の額をくっつけた。……別に、チョコレートに拘りがあるわけじゃないんだ、本当は。
――甘いチョコレートは、愛情を表現するのにぴったりなのよ
頭の中で、謝雪の声が繰り返されている。年に数回くらい、形になった謝清呈からの『愛情』を受け取りたいと願ってしまったのだ。……それも、失敗に終わりそうだけれど。
賀予の丸い頭を上から見下ろしていた謝清呈は、ふっと短く息を吐いた。哀れな狗狗龙は、その耳もしっぽもぺったりと下げてしまっている。
「……揚州炒飯」
「……?」
「今日の夕飯は、揚州炒飯だ」
「!」
弾けるように顔を上げ、賀予はパッと表情を綻ばせる。素直な『仔犬』らしく、途端に機嫌も良くなった彼の様子を眺めながら、謝清呈は苦笑混じりの息を吐いた。――甘やかすのも大概にすべきだ、と。