煙草と飴 ほとんど無意識に、謝清呈はベッドサイドテーブルに置かれたマルボロに手を伸ばした。冷えた指先がソフトケースに触れ、彼の細くて長い指は、箱の中から器用に煙草を一本摘まみ出す。昨晩の情事の乱れが残るベッドシーツの海の上にうつ伏せの体勢で横たわったまま、背中を反らして顔だけ持ち上げた謝清呈は、箱から取り出したばかりの煙草を薄いくちびるに静かに挟んだ。ふたたび、空いた手がベッドサイドテーブルの上を探るように動かされる。しかし、目的のものはなかなか見つけられなかった。……おかしい。ライターも、煙草の近くに置いておいたはずだけれど。
「謝哥」
すぐ近くで、はちみつを煮詰めたような甘い声が、謝清呈の名前を優しく呼んだ。それと同時に、腰のあたりをぎゅっと力強く抱き寄せられる。
「おはよう、謝哥。よく眠れた?」
「……」
謝清呈の身体に腕をまわしながら、賀予はニコニコと人好きのする笑顔を浮かべ、嬉しそうにそう言葉を落とした。黒くてはっきりとした美しい眉が、母親に甘える子どものように八の字に下げられている。それを至近距離で目にした謝清呈は、思わず、重たい嘆息を零しそうになった。ライターが手元にないせいで、煙草を吸うことさえままならないのだ。ベッドルームを満たしている情事後の甘ったるい空気を誤魔化す方法を、謝清呈は未だ見つけられずにいる。
「謝哥?」
何も言わない謝清呈を不思議に思ったのか、賀予は顔を上げて、ちいさく首を傾けてみせた。アーモンドの瞳は部屋の照明を反射し、宝石のようにキラキラとまたたいている。
不意に、腕の力をそっとゆるめて上半身をベッドから起こした賀予は、謝清呈の身体を越えてベッドサイドテーブルに手を伸ばした。数十秒前の謝清呈のように何かをゴソゴソと探り、すぐに「あった!」と明るい声を上げる。
脈絡のない彼の行動に、頭の中に無数のクエスチョンマークを浮かべながら、それでも謝清呈の顔は無表情を貼り付けたままだ。そんな謝清呈の胸中なんて知る由もなく、「謝哥」とふたたび優しくくちびるを動かした彼は、唐突に、謝清呈の口に銜えられたままの煙草をひょいと引き抜いた。
「なっ、にを――むぐっ」
「煙草じゃなくて、こっち」
文句を言おうと開いた口に、何かが勢い良く突っ込まれる。途端に、口の中いっぱいに特有の『甘み』が広がった。謝清呈の歯に当たりカランと音を立てる。
「棒付きキャンディ。イチゴ味だよ」
これはなんだ、と訊くまでもない。楽しそうな笑顔を浮かべ、「おいしい?」と謝清呈の顔を覗き込む賀予を、じとりと睨みつけた。もちろん、そんなことで一々落ち込む彼では無いことも百も承知だが。
煙草が引き起こす様々な悪影響について演説を始めた男を無視して、口の中の飴をコロコロと転がしてみる。ライターを手の届かない場所へ移動させたのも、きっと彼の仕業なのだろう。時折、謝清呈の顔を覗き込みながら「謝哥? ちゃんと聞いてる?」「キャンディ、気に入った? まだ他の味もあるよ」と尚も喋り続ける賀予に、反論する気もすっかり削がれてしまった。
「……賀予」
「! なに?」
「……ライター、元あったところに戻しておけよ」
「……」
しおしお、という効果音がこの場合いちばん正しそうだ。「はあい」とくちびるを尖らせた少年を無視して、謝清呈は口の中の飴をふたたびカランと転がした。――今日くらいは、甘い飴に誤魔化されてやるのも悪くないか、と。