鏡よ鏡 以前、鏡にフィガロを映せないか、と試みた事があった。あの頃の僕はひどく錯乱していて、幼馴染は僕への疑いを深めていたし、敬愛する師匠は跡形も無く姿を消していた。
あの方が本気で姿を消そうとしたら、僕如きでは追う事など不可能だ。頭では理解していたが、僕は無意味な呪文を絶えずかけ続けていた。
「サティルクナート・ムルクリード!」
そして鏡には、憔悴して疲れ果てた僕の顔だけが映るのだ。
僕を裏切った全ての者への復讐で心が支配され、いつしかそんな事をしていたことも忘れてしまった。嵐の谷に引きこもり、呪い屋を生業としながら自然とだけ会話をする生活を続けて暫く経った頃、突如それは起きた。
「え……?」
ほんの一瞬であったが、それは確かにフィガロであった。しかし、僕の記憶に残るフィガロとは随分違っていた。豪奢な軍服姿ではなく、動きやすいカットソーにスラックス姿、首には聴診器をかけ、子供とその母親相手に優しく微笑んでいた。恐らく診察中だったのだろう。
僕の前で見せていた威厳は感じさせない、穏やかで優しい医者。それが僕の見た映像だった。
「……あり得ない。あれがフィガロ様……いや、あれがフィガロだなんて。」
僕の事など忘れて、全く別の顔を見せて穏やかな暮らしをしている。残酷過ぎる現実を、僕は受け入れる事ができなかった。
「僕にはもう、お前なんて必要無い。」
泣きそうな表情をした鏡の中の人物から目を逸らす。あれから二度と、鏡がフィガロを映す事は無かった。