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    夏の侑日闇鍋会。参加作品。

    #侑日
    urgeDay

    お気に召すまま今、恋をしている。
    単身ブラジル修行から帰ってきた日本で、バレーの他に好きな人ができた。その気持ちの始まりは、まるで漫画のワンシーンのようで、ジャッカルのトライアウトを終え正式に入団が決まった、あの6月にしては珍しくカラッと晴れたあの日。早速挨拶に赴いた本拠地には、殆どのメンバーが集まり出迎えてくれた。その中にいたのが、宮侑。今密かに、憧れている人。
    今や知らない人はいない、は言いすぎかもしれないが、日本男子バレーと言えばその名前が出てくる程認知度の高まった彼は、監督の紹介のもと深々と下げられたオレンジ頭を見て、一瞬ぽかんと口を開け、そしてすぐ笑った。笑ったのだ。その笑顔に、落ちてしまった。
    あの人の技術はもともと知っている。人柄もなんとなく知っていた。あまり良い性格はしていなかったはず。そんな侑が、ぱっと笑って「きたな」と楽しそうにはにかむ様子に、心臓が初めて聞く音を出したのを、鮮明に覚えている。
    ドキドキしながら握手をして、やろうやろうと早速コートに引っ張っていかれて上がったトス。これが欲しくてここに来た。そう言い切れるほど、綺麗な丁寧な、よう来たなのトス。どんどん高鳴りを増す心臓は、そろそろ壊れそうだとTシャツの上から抑えてみたが、そんなもので落ち着きはしない。
    一汗かいてベンチに座り、初めてする世間話も新鮮だった。
    「お久しぶりです」「相変わらず最高のトスでした」と興奮を伝える日向に、侑は「久しぶり」「せやろ?これから嫌っちゅうほど上げたるから、逃げんなよ」とニヤリと口角を上げる。
    この人こんなに話しやすかったんだ。そんな少しの失礼も、顔に出てしまったようで「なに?」と顔を覗き込まれる。
    「侑さんて優しいんですね」意外に。
    「優しい俺のがええ?」
    「まあ、そうっすね。どちらかと言えば?」
    何やねんそれ!なんて、耳馴染みのない関西弁が楽しい。
    休憩しながら、さりげなく人の名前を教えてくれたり、チームの話をしてくれたり、そんな気遣いもまた新鮮。一通り喋って水分を補給して、そしてまた急かされるようにコートに戻っていく。
    それが、恋に落ちた日の話。


    ブラックジャッカルで過ごすようになり、1日のタイムスケジュールはブラジルに滞在している時とは大きく変わった。
    まず、仕事がある。これから先のバレーは仕事だが、そういう話ではなくて、会社に行きスーツを来て簡単な雑務をこなす。そういうちゃんとした仕事を、午前中はこなさねばならない。そして、午後からは練習。そんな1日。
    本音を言えば、朝から晩までコートにいたいがそんな自由は許されるわけもなく、今日もまた、慣れないスーツを着て誰でもできるような簡単な作業に精を出す。

    リン、と電話がなって、ワンコーンワンコールと唱えながら日向は受話器を取った。少々お待ち下さいも噛まずに言えるようになって、目的の人物に取り次いでふうと一息吐く。
    電話一本とるのも最初は大変だった。聞き取れない、上手く繋げない、相手の連絡先を聞かずに切る。慣れてくればそこそこできるようにはなってきたが、ああ早くバレーしたいとため息を吐くことも少なくはない。
    そんな中、お楽しみと言えば一つしかないだろう。
    「今日もかっこいいなぁ」
    ふん、と鼻息を吐き出した。
    遠目に、スーツ姿の侑を捉えてその動きを見守る瞬間だけは嫌いじゃなかった。普段いない人間に任せられる仕事なんてそう多くもなく、例に漏れず誰にでもできるような、例えばコピーだったり観葉植物の水やりだったり、電球をかえたり。そんなような事をしている姿すらかっこいい。
    侑さんと、声をかけに行きたい。同じ様な仕事内容だから、もっと一緒にいられるかと思っていたが、しかし現実はそう甘くはなかった。
    一度練習となれば、距離は近いしほとんど傍にいるし何なら夕飯も一緒だし。しかし仕事中はそうではない、というのを今この瞬間の二人の距離が示している。

    ちら、と時計を見た。もう少しで昼休みだ。昼ごはん誘ってみようかなと、席を立った所で後ろから「日向さん」と声がかかる。
    「はい!」
    「すみません、これコピーしてもらってもいいですか?それぞれ20部ずつ」
    「わかりました!」
    ニコッとほほえみ、持っていた書類をずいっと押し出してきたのはあまり話したことはないがその華やかさで印象深い女性社員。髪の毛をくるりと巻いて目元はキラキラ。手足はこれでもかと細くて、折れそうで少し怖い。
    「ありがとうございます」と、歌うように告げて去っていくその背中を見送って、コピー機に向かい、申し付けられた仕事をこなす。ガシャンガシャンと音を聞きながら、あ昼ごはん、と侑を見れば、さっき仕事を頼んできた張本人と部屋から出ていくところだった。
    出遅れた。けどこの後また会えるし、しょうがないか。
    殆ど人のいなくなったオフィスで、ようやく終えた仕事をデスクに置いた。


    今日こそ。今日こそは!と、意気込んで日々がすぎる。
    午前中はなかなか喋れないどころか、不思議と近寄ることすらできずに時計が進む。タイミングを見計らって傍に寄ろうとするも、何故か頼み事やら話しかけられたりやらで、気づけば侑は人に囲まれている。その輪に割って入るのもなんだか躊躇われて、ニコニコ笑って頭ひとつ以上違う女性たちと仲よさげに喋る姿に少しだけしゅんとした。
    そりゃそうだ。だって侑さんはかっこいいし、しかも優しいし。
    春高で会ったあの宮侑と、本当に同一人物なんだろうか?と、思うこともある。それくらい、愛想を振りまく姿に違和感と、勝手な苛立ちすら覚えて唇を尖らせる。
    いっそ、前みたいに性格悪ければよかったのに。それでも多分、俺は侑さんが好きだった。
    「日向さん、資料室からこれ持ってきてもらえますか?」
    物思いに耽るその後ろから頼まれ事だ。時計はもうすぐお昼ごはんですよと、カチリと針を鳴らしている。と、言うことは今日も侑さんとお昼ごはんチャレンジは出来ないということで、しかしこんな自分でもできる仕事はなんでもやらなくちゃいけないわけで。
    「はい!いってきます」
    威勢よく飛び出して、後ろで恐らく昼ごはんの誘いを受けているだろう侑を見ないように、廊下に出た。
    途端変わる空気が、冷たく肺に貯まる
    「…はやくバレーしたいな」
    腹の中だけで呟いたつもりが、何故か音になりはっとした。
    「翔ちゃん、どうしたの?元気ないの?」
    反応したのは自分だけじゃない。心配気にこちらを伺うその目とばっちり視線があって、慌ててぶんぶんと頭を振った。
    「エミさん!違うんです、元気です!ほんとに早くバレーしたいなって思って!」
    見下ろす視界でモップを握るエミさんは、ここに入ったばかりの頃から仲良くしてくれている清掃員のパートさんだ。電話対応でミスしたり、コピーを失敗したりして落ち込んでいるとどこからか出してきた飴をくれたり、大丈夫よ!翔ちゃん頑張ってるじゃない!と力強く応援してくれる。他にも、カズコさんやシゲさんなど、他のパートさんや警備のおじちゃんとも仲良くさせてもらっている。
    「元気ならいいんだけどね!はい、これ飴ちゃんあげる」
    「わ!ありがとうございます!」
    大事に受け取って、優しさをそっとポケットにしまった。

    「あの子本当に宮さんが好きねぇ」
    脈絡もなくつぶやかれたそれに、ギクっと背中が跳ねた。しかしこちらに向けての発言では無さそうで、ほっと肩を撫で下ろす。
    ちょっとあからさま過ぎるわね。と、モップを手に貫禄のある鼻息を吐き出す様子に、日向もちらりと同じ方を見た。
    数人に囲まれてはいるが、特に距離が近く触れそうな距離で笑い合うのはいつも昼ごはんを誘う前に仕事を頼まれる女性だ。ゆるくしばったポニーテールがふわりと揺れて、口に手を当て笑う姿は間違いなくかわいいんだろう。しかしさらに顔の良い男が隣りにいる。
    「…かっこいいですもんね」
    「でもね私は翔ちゃん推しよ!今度カズちゃんと試合見に行くわね!」
    「わあ!ありがとうございます!」
    裏のないあったかい微笑みに、少し落ちていた気持ちが上を向く。
    そうだ、俺にはバレーがある。侑の事だって、練習中は長々喋ったりはできないけれど、居残り練はときどきトスを独占できたりするし、自分にしかない部分で頑張ればいい話だ。
    「前はもっとそっけなかったんだけどね、宮さん」
    「そうなんですか?」
    「ちょっと前から仲良く喋るようになって、まあお似合いと言えばそうなのかもしれないけど」
    気になる発言に、再度二人を見た。最近仲良くなった、ということは、これから付き合ったりするんだろうか。もしかして、すでに付き合ってる
    さりげなく腕に触れる手を、払いもしないで穏やかな表情をする侑。キュッと心臓が締め付けられる。
    好きになったからと言って、報われるわけじゃない。そんな事は百も承知だ。そもそも告白だって、するつもりもなかったんだ。
    お似合いの二人。美男美女。そこに男の自分が入り込める可能性なんて、極めてゼロに近いだろう。むしろマイナス。
    「もしかして、あの子のこと好きだった?」
    「いや、…俺はバレーが好きなので」
    じっと見つめるその視線の意味を、そう捉えられてもおかしくはないと思いつつ、何とも言えず。そうです。好きなんです。あの、金髪でバレーがうまくて、唯一人「翔陽くん」と呼んでくれるあの人が。そう言えたら、どれだけいいか。
    「あ、翔ちゃん!まだ仕事あるなら行かないと!」
    「わ!ほんとだ!エミさんそれじゃまた」
    優しい笑みに手を振り別れて、一人廊下を進んだ。


    「翔陽くん!」
    それは少し大きめの声だったので、ぴゃっと肩が跳ねた。
    仕事も中盤で、少し眠気が立っていた。それを吹き飛ばすように名前を呼んだ張本人が、机の向こうから歩いてきて、すぐ隣で立ち止まる。
    「どうしました?」
    普段あまり仕事中は会話がない。故に侑のスーツ姿を真正面から直視して、んっと息が詰まった。詰まってくれてよかった。そうじゃないとかっこいいですねなんて、軽率に口から出ていっていた。
    「スマホ。その様子やと見てへんな。午後の練習なしになったて」
    「え。えッ!!」
    慌てて確認すれば、確かにメッセージが入っていた。練習場の照明不良の為、本日の練習は。そこまで読んで、画面を消した。
    なんてこった。この為だけに仕事頑張ってるのに。
    がっくり肩を落とす日向に、侑はふっと吹き出して「しゃあないけど、午後はオフやな」と、自らも手に持っていたスマホをポケットにしまう。
    人目も憚らずぶうと尖らせた唇。そうかオフかと、侑の言葉を反芻して、待てよそれなら侑を誘ってどこか体育館で個人練習など出来るのでは?と、今度はぱっと顔を明るくした。
    チームメイトと根を詰めて練習するのもいいけれど、懐かしいリオの夜のビーチのように、戯れるようなバレーもしたい。この人としたい。
    「あの、侑さん。もしよかったら」
    ぎゅっと拳を握って、遥か上の目線に合わせるように見上げれば、ん?と絡む視線。
    一緒に。しかしその誘い文句を告げる前に、別の声に遮られそれは悲しくも飲み込まれた。
    「宮さん!午後オフなんですか?」
    高くてかわいらしい声は、またしても背後から。
    二人で見た先には、今日もキラキラと輝く例の女性社員。
    エミさん曰く、侑さんの事が好きな人。
    「あー、なんかそうらしいわ。照明壊れたんやと」
    「え〜、大変ですね。早く直るといいですねぇ」
    「ほんまにな。ここの電球みたいに俺が変えてすむならいくらでも変えるんやけど」
    「アハハ。宮さんのお陰で皆すごい助かってるんですよ!私も、宮さんと働けて嬉しいです。優しいしそれに、背高いしかっこいいし」
    「うん。知っとる」
    「なんですかそれ」と、白い手が侑に触れた。ずくっと心臓が軋んで、とりあえず笑っておくしかできない現状にこっそり目を伏せる。この勢いに、勝てる気はしない。
    「じゃあ、私とこの後買い物行きません?」
    猫が鈴を鳴らすように、リンと可愛らしい誘いがいとも簡単にその口から出ていった。
    あ、と思ったがもう遅い。
    「でも仕事やん?」
    「有給余ってるので、宮さんと買い物とか、遊びに行けるなら申請すぐ出せますよ、ね、行きません?」
    普段から一緒にバレーしてる男の後輩からの個人練の誘いと、美女からのデートのお誘い。どちらを選ぶかなんて、火を見るよりも明らかだ。
    一緒に練習をと、言葉にしようとしたあの勢いはあっという間にしぼんでいって、今はただ頭上で仲良く喋るのをやめて欲しいと願うばかり。
    お似合いよねと、あの時の廊下での一コマが頭を回る。否定したいわけじゃない。どう見てもお似合いだし、女性だし、祝福の言葉以外思いつくものもない。
    だけど、どうしても素直に受け入れられない。
    「あー、でもさっき翔陽くん何か言いかけてへんかった?」
    何と言おうか。もう今更、いやいや侑さんは俺と練習するんです!俺が先に誘おうとしたんです!邪魔しないでください!なんて、空気の読めない発言ができるほど勇者じゃない。
    本当は、いつも一緒にいるんだから、この先もずっと一緒にいれるんだから、今日くらい譲ってくれと言いたいけれど。
    「もしかして、日向さんとお出かけの予定でした?」
    2人分の視線が突き刺さる。さあ、何と言うのが正解だろうか。
    「えと」
    言葉を探す日向の間にしびれを切らしたのか、侑に触れていた白い手がひらりと離れて、今度は日向の腕に触れた。
    「日向さんはいっつも宮さんと一緒じゃないですかぁ。今日くらい譲ってくださいよ」
    可愛らしく強請るその目に、強い光。え、と首を傾げた瞬間、腕に触れた手が、侑によってぺしっと払いのけられた。
    「え」
    「え?」
    一瞬にして凍った空気。
    自らの手を見る方と、ぽかんと上を向いて払った手を見る方。それから、ふうとため息を吐く侑。
    「すまんけど、翔陽くんに触るんやめてくれへん?」
    「…え、なに?なんで…?」
    もしかして、他の男に触るなとかそういうやつかと下手な勘繰りをする日向をよそに、また頭上で話が進む。
    「んー…、アンタが俺の事どう思ってるかは知らんけど、練習場使えへんくなったから言うて買い物行ったりユニバ行ったりするような男やと思てんの?」
    今までの優しげな口調から一転して、突き放すような物言いに、言われてない日向まで一緒に口をつぐむ。確かに、彼は努力の人だ。他の人間が遊んでる間もずっとバレーと向き合ってきて、だからこその今がある。それを否定されて苛立ったのか、ぽりぽりと頭を掻いて、もう一つため息を吐いた侑は「なあ」と追い打ちをかけるように言葉を続けた。
    「期待した?」
    鼻で笑うような声は、すぐに響いたヒールの音にかき消された。あっという間に去っていった彼女の顔は見えなかったが、楽しそうな顔じゃなかったのだけは分かる。
    本日三度目のため息を吐き終えた侑は、「ああ、とうとうやってもうた」と背中を丸めた。

    「正直な、鬱陶しかってん」
    念願のお昼ごはんを一緒に食べながら、侑はやれやれと頭を振った。
    「他の奴らとおんなじ対応してんのにどんどんつけあがって来て、いやほんまどうしようかと思っとったんやけど」
    「まあ、きっかけできてラッキーやったわ」。そう言いながら、侑はほうれん草の胡麻和えを口に運ぶ。
    「明日から仕事大丈夫ですか?」
    「なんとかなるやろ」
    あまりにも楽観的。というより、どうでもよさそうだった。
    「付き合ってたんじゃないんですか?」と問えば、「やめてや」と眉を寄せて侑が唸る。
    付き合ってなかったのか。別にそれはこちらに何も関係がない事は分かっているが、嬉しいと思ってしまう気持ちだけはどうにもならない。緩む口元をごまかすために、追うようにほうれん草を口いっぱいに頰張る。
    「ベッタベタ触りよんのも好かんし、何かある度に呼ばれるしで、ああいうんに好きになられてもええこと無いでほんま」
    「じゃあ優しくしなかったらいいんじゃないですか?」
    侑の発言に矛盾を感じて、つい口を挟んだ。前まではそっけなかったのに、今は仲良くしていると話を聞いた。それをそのまま言う気はないが、心当たりくらいあるだろう。
    侑が卵焼きを口に入れ咀嚼し、ごくんと飲み込むその数秒間が、何故か酷く長く感じた。
    「だって、翔陽くん優しい俺が好きて言うたやん」
    そしてここで時が止まった。いや、正確にはここにいる一人のみ、体の動きと思考が止まった。
    「…え」
    かろうじて絞り出した声は、言葉にはならない。
    それって、それってどういう意味?徐々に戻る思考回路で答えを導きだそうとしたが、まだ正常に運転はしていないらしい。クルクルと回る処理中のマーク。
    侑はこちらを伺っている。
    「で、この後どないする?買い物行く?ユニバ行く?勿論個人練でもええから好きなの選んでな」
    立て続けに処理の追いつかないワードが追加されて、これがショート寸前というやつかと日向は頭を抱えた。
    さっきのイライラの原因はなんだ?手を払い除けて触んなって怒ったのは何故?
    「…侑さん、俺。俺?侑さんは、俺のこと…?」
    整えられた爪先が、前髪に触れた。
    「これは、勘違いのやつとちゃうからな」


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