付き合ってない月鯉♀がラブホに行く話「どうしても行ってみたい場所があるんだ」
会社の上司である鯉登さんに真剣な顔で切り出される。
上司とは言え、この人とはプライベートでの付き合いの方が長い。彼女は高校時代の友人である平之氶の妹だった。初めて会ったのは鯉登さんが3歳の頃だったので最早親心に近いものを抱いており、仕事姿を見るだけで「あの小さかった音ちゃんが」と感慨を覚えるほどだ。
大人になった今も家族ぐるみでの付き合いは続いており、プライベートと仕事中と、彼女との接し方の切り替えに苦労している。
一方鯉登さんは俺への態度を変えようとしたことはなく、いつだって嬉しそうに駆け寄って声を掛けてくるのだった。初めは注意していたが、正直満更でもないので好きにさせている。
「行ってみたい場所ですか」
「うん。一緒に行ってくれる?」
まあ最初からそういう約束だったから、応じる以外に選択肢はない。休日に予定などなかったし、誘ってもらえたことが嬉しかった。ただ、このとき詳細を聞くこともせず集合時間だけ確認して別れたことを、翌日の俺は深く後悔することになる。
朝集合場所で出会った彼女は、職場でのフォーマルな服とは違う、柔らかそうな生地のワンピースを身にまとっていた。太腿や肩の露出が気になってしまうのは、平之氶から散々その手の相談を受けた後遺症だ。
「可愛いですね、似合ってます」
「……あいがと」
赤くなった顔を隠すように、俺の手をひいて少し前を歩き出す。そんな鯉登さんの背中を微笑ましく思う。普段は堂々としている彼女が実は照れ屋だということを知っているのは、職場では俺くらいのものだろう。
「着いたぞ」
「……えっ」
直前まで小さかった頃の彼女に思いを馳せていたからか、突如目の前に現れた鮮やかな照明を放つ建物に面食らう。清潔な印象を受けるが、ネオン管が作る文字を目で追って血の気がひいた。
「……あのここ、ホテルですよね?」
「うん。はやく入ろう」
「食事ですか?」
「いや、部屋をとってある」
「いやいやいや! 駄目でしょう」
「ないごて!?」
本気でショックを受けているらしい彼女に頭痛がする。
改めて話を聞くと、どうやら誘われたことに深い意味はなく、ただ行ったことがなかったから来てみたかったのだそうだ。
一応恥ずかしいという感情はあるようで、誘える相手が俺以外にいなかったらしい。それを聞いたときは何故か安堵したのだが、安心などしている場合ではない。
好奇心旺盛なところは小さい頃から変わっていないが、もう少しいろいろなことを想像してみてほしい。
ひとまず軽率に男と来るべき場所ではないこと、密室で二人きりになっては危険だということを少し強い口調で伝えると、鯉登さんは戸惑ったように瞳を揺らした。
「でも、月島は私の嫌がることしないだろ?」
そんなセリフと共にじっと見つめられてしまえば、俺は肯定することしかできないのだった。
ソファに座って動く気になれないまま頭を抱える。平之氶に合わせる顔がない。妹を溺愛するあいつのことだから、この状況が知れたら無事では済まされないだろう。
「すごーい!」
興奮状態で無邪気に声を弾ませる彼女は、きょろきょろと室内を見て回る。照明を付けたり消したり、戸を開けたり閉めたり、まるで悪戯に勤しむ子どものようだ。
「月島、見ろ! 風呂がでかいし光る!」
「あれはなんだ?」
「!? ベッドが回った!」
「面白いなあ、月島!」
回るベッドに飛び乗って笑う鯉登さんに、俺はいろいろな言葉を呑み込んで「そうですか」と一言絞り出した。
「月島見ろ、入浴剤がたくさんある」
どこから持ってきたのか、カラフルなパッケージをトランプのように広げて見せてくる。
「それは、良かったですね」
「月島はどれにする?」
「入りません!!」
「きえ……!そんなに大声出さんでも……」
鯉登さんは一瞬怯んだものの、すぐに探索を再開する。
「月島ぁ、これはなに?」
「それは、行為の際に滑りを良くするもので……」
いや、俺は何を説明しているんだ。
なんだこの状況。おかしな夢なら覚めてほしい。
鯉登さんは俺の様子など気にも留めず、目を輝かせて「月島は物知りだな! もっと教えてくれ」などとせがむ。
ひょっとしたら、少し怖がらせたほうが、自分がどれだけ無防備でいるか分かってくれるかもしれない。もし今日の相手が自分じゃなかったらと、想像するだけで恐ろしかった。
「なぁん、テレビ付けてみていい?」
リモコンに向かって伸びた腕を掴む。そのまま後ろに引っ張ると、鯉登さんは呆気なく仰向けに倒れた。
「……どうして寝っ転がるんだ?」
「疲れたので休憩した方がいいかと」
「何故私の上に乗る?」
「あなた、はしゃいで落っこちそうなので」
我ながらだいぶ苦しい。不審な受け答えにも鯉登さんは「そこまではしゃいでない!」と怒ったふりをして見せる。呑気だ。危機感がまるでない。力では敵わない男に密室で押し倒されて、どうしてそこまで落ち着いていられるのだろう。
捲れ上がったスカートから艶のある健康的な太腿が覗いて、咄嗟に目を逸らす。良い匂いがするのは今のところ防ぎようがない。
このまま首筋に唇を押し当てて、触って、吸って舐めたら、この人はどんな顔をするのだろうか。
不埒な妄想を慌てて消し去っても、腰に重くたまっていく熱はどうしようもない。
いやだってラブホだぞ?
こんなにスタイルが良くて可愛くて自分を慕ってくれている女の子と、こんなところで寝っ転がって、手を出さないなんておかしいだろ。
ふらふらと首元に顔を埋めかけて、きょとんとした顔でこちらを見上げている鯉登さんと目が合う。
やはり、彼女が寄せてくれる信頼を裏切りたくない。
「は〜〜〜〜……」
「つ、疲れたのか月島? 私が上になろうか?」
「ちょっと黙ってもらっていいですか」
平之氶の顔をなるべく鮮明に思い浮かべる。頼むから俺を落ち着かせてくれ。
その後なんとか冷静さを取り戻した俺は、鯉登さんがお風呂に入ったり玩具を見つけて猿叫をあげたりと時間いっぱいラブホを満喫する間、全身の筋肉に力を入れ脳の血管を何本か切らしながら無事誘惑に打ち勝ったのだった。
「え〜! じゃあホテルまで行ったのに手出されなかったの?!」
「うん。きっとおいのことは眼中にないんじゃ……」
「いやいや、大事に思ってくれてるってことじゃない?」
そう言って杉元が私を慰める。普段はまるで気が合わない相手だが、恋愛の話だけは親身になって聞いてくれるので今回のことも相談していた。
「でも、押し倒された」
にやりと笑ってとっておきの事実を告げると、杉元は口元に手を当てて大げさに驚く。
「うっそお! そこまでしてってことは、鯉登を傷つけたくなくて必死に耐えたってこと……?」
月島の心中を察してか目も潤ませている。
正直私もそう思う。だってこんなに無防備で可愛くてスタイルも良い私とホテルで二人きりになって、気持ちが揺らがないはずがないのだ。多分。
「はあ、月島とえっちしよごたった……」
「うんうん、まずは告白しような」
物心ついた頃から大好きだった兄の友人。今更告白なんて恥ずかしくてできない。それにできれば、月島からの言葉や行動がほしいのだ。杉元の声を聞き流しながら、月島の理性を破壊するため次の作戦を練るのだった。