火種って簡単に点くんだなって思った。鼻の先にある、灰色の間からちらちら覗く赤色は綺麗で、心臓みたいだなんて見たことのないものの想像をした。ただ咥えてるだけなのに口の中に煙が溜まるのが不思議だった。吐き出してばかりいたそれを思い切って吸い込んだとき、喉が焼けるような不快感に襲われて咳き込んだ。そこからはもうてんで駄目で、ただ口内に煙を溜めておくだけで僕は咳をするようになった。向いてない。明らかに分かる事実が悔しくて、認めたくなくて、僕は咳をしながら煙草をふかし続けた。
ひたすら歩いて歩いて歩いた先にあった見慣れたコンビニでそれは買えた。ライターだって簡単に買えた。レジの隣に置いてあった。「煙草を」と言った僕に気怠げな店員は「何番ですかぁ」と草臥れた問いかけをして、僕は、淀み無く番号を言った。彼がたった一度だけ僕の前で言った煙草の銘柄を僕は馬鹿みたいに覚えていて、彼が言わなかった番号まで調べて覚えていた。言うつもりはなかったのに、その番号が口からついて出た。悔しかった。その番号以外知ってるものなんてなくて、店員はスムーズに立ち並んでる箱達からたったひとつを取り出していて、僕は撤回する機会を失った。
何度目か分からない咳をしたときだった。指で支えて咥えていた煙草が、ふいに知らない指に掴まれた。突然現れたそれに僕は驚いて唇を離し、煙草はその指に持っていかれた。
「似合わない」
僕が悲鳴を上げるより前に声がした。聞き慣れた、とまではいかないけれど聞き覚えのある声に、僕は肩の強張りを解いた。溜息を付くみたいに力を抜いた。
「し、ヘッタクソ」
振り返ると、煙草をつまんだ指がその足元に投げ捨てられるところだった。その人は靴で乱暴に火種を消す。喫煙する筒みたいなものはあったのに、それは使わなかった。
「いけないんだ」
「どっちが」
僕の知り合い。と言うより、彼の部下、副官といつだったかに聞いたノートン・キャンベルさんは、吐き捨てるようにそう言った。口ぶりの割に表情に変化はない。半分を火傷跡のケロイドで覆われた顔はぴくりとも感情を映さずに、黒黒とした瞳が僕を眺めている。彼に連れ添いながら見る度に、僕は、それを美しい瞳だと思っている。光沢を映さないさまが却って宝石じみている。
「今日もきれいな目ですね。宝石みたい」
二度と言うなと言われていた言葉だった。一度だけ、彼がいる前でそう告げたことがある。単なる感想として僕は告げたのだ。だけど彼は何を勘違いしたのか空気を冷たくして、キャンベルさんも眉を思いっきりしかめて「やめろ」と即座に言った「口説くな」「本当のことなのに」「二度と言うな」そういう訳で僕は、素直な感想を告げることができなくなった。でも今は言う。いけないことをする。彼に嫌われることをしたい。
「おいで」
とお兄さんは煙草を投げ捨てた指を曲げて僕を呼んだ。
「アイツへの嫌がらせしてるんだろ。協力してあげる」
アイツというのが彼のことだって言うのはすぐに解った。僕らの間で名前のない識別呼称が使えるのは彼ただひとりだし、何より呼称には気安さがあった。知り合い以上の人間に使う粗雑さが声音に含まれていた。僕は、驚いていた。キャンベルさんが訪れたのは彼の指示に決まっていると、僕は煙草を奪い取られたときから諦めていた。僕の逃避行を。絶望を。反抗心はここで終わるのかと落胆していた。僕の無駄な足掻きが手助けされるだなんて思っても見なかった。それもこの人に。
僕が驚いてるうちに、キャンベルさんは背を向けて歩き出していた。途中僕の方を一度だけ振り返って「置いていくよ」と言ってくれた。僕は立ち上がった。悪いことをする大人にのこのこついていくことにした。
恋人と喧嘩をした。