「白鷹」
水辺の側に植る木の根元。幾羽かの雛が上擦る声音で親鳥を希う下に集めた素材を置き終えたとき。徐に呼び名を紡がれ、白鷹は顔を上げた。声は近頃聞き馴染んだベインのものに違いない。白鷹よりもはるかに上背のある森の番人は、存外なほど直ぐとした眼差しを白鷹に注いでいた。
「あの子を頼む」
告げられたのは眼差しと同じく直ぐとした声音だ。いっそ重たさすら感じ得るというのに、その底にあるものはあまりに優しい。
あの子、と、ベインが幼い子供のように呼ぶのはひとりだけだ。森の守り人の奥底にある人。暗い夜にひとりきりで泣いている彼。その名を知らずとも、ベインはあの厳格たろうとする姿の奥にある彼を見つけている。
「言われるまでもないだろう。解っている。だが、言わざるを得ない程にあの子は孤独だ。そして孤独に慣れすぎた」
ベインはこの森の生まれではないのだと、いつだったかに彼は語った。帰らずの森に迷い込んだ存在のひとりで、血塗れで倒れていたところを夜行梟に保護された。加えて、ベインが訪れたのには何事かの目的があったそうだが、それを夜行梟が手助けしたのだと言う。
その一件以来、夜行梟に恩情を感じているともベインは言った。そのとき、夜行梟は未だ小さな子供だった。背丈の伸び切らない背姿を見ながら、彼が過ぎる重荷を追っていると悟ったのだと。
「強い風が吹けば倒れ、天敵が襲い来れば身を隠す。しかしあの子は倒れない。天敵もいない。だから厄介だ」
告げられる言葉の意味を、白鷹はなんとなしに想像することができた。それは強き者の宿命だ。どれだけの者が倒れ付そうとも倒れることができない。どれだけ取り零そうとも、零した己の手は崩れることなく有り続ける。荒野にただひとり立ち尽くしたとて、地平線は無情にも暁の終わりを自分ひとりに告げ知らす。耐え難いと思えど黎明が目を焼く。酷い孤独だ。
「お前は強い。お前なら、あの子の隣に立てるだろう。私でもあの子の相棒でも成せなかったことだ」
「…レディは、何があろうとあいつのそばにいる。羨ましいほどだ」
「あれはあの子が奈落に堕ちようとすれば果てまで伴って行くだろう。だがお前は、あのこの手を引っ張り上げてやれる」
ベインの眼差しは変わらない。重く、実のところ優しく、だからこそ力強い眼だ。
「あのとき…お前が初めにこの森へと訪れた時には、どうしてくれようかと怒りさえ覚えたものだ。だが共に過ごせばわかる。あの子は芯からお前を選んだのだ。そして、その選択は正しい」
初めに合わさった眼差しは、確かに苛烈さを奥底に隠してきた。しかし今、白鷹の眼前にあるのは穏やかなものだ。梟族の元へ挨拶に赴いたときよりも、ずっと重い鼓動が胸の裡にある。それを抱えて然るべきだと、白鷹は思った。これが長きに渡り夜行梟を見ていた眼差しだと思うと、深い感謝さえ湧き出でる思いだった。これこそが、アイツがひとりでなかった幸いの証だ。
「あの子を頼む。俺の、数少なくなった願いだ。見放してくれるな」
ほんの少し冗談めいて…けれども実のところ、酷く切実な願いを込めて、ベインは微笑む。その眼差しから一寸とも視線を逸らさぬまま、白鷹は笑った。
「ああ、言われずとも」