やっと終わる。
薬がとっくの疾うに切れて痺れるみたいにぼんやりしている頭が夢見心地に思った。僕は、ここが地獄だと知っていた。孤児院から出た後、僕は地獄に連れられたのだ。だから鞭で打たれるし、体を滅茶苦茶にされる。人も殺すし、何度も殺されかける。殴られるのも罵られるのも仕方がない。それでもこの地獄には僕を家族と呼んでくれる人がいる。どうにか役に立ちたかった。メロディー家に役立たずはいらないから。何より、兄さまが好きだから。あの人の為になることはなんでもやりたかった。僕を弟と呼んでくれたあの人が、とても。だから体の全てを、心の全てを、精神の全てを使ってでも尽くした。魂だって尽くしたかった。でも、魂はどうやって使えばいいんだろう? この魂だけ、無為なまま終わるんだろうか。そんな絶望的な予感を抱いていた。地獄の果てに相応しい予感だった。
そんなところに彼は来た。
保護と観察と銘打った尋問と拷問の日々だと、僕じゃなくても想像しただろう。当然の予想が覆されたのはほんの一日のことだ。彼の家に連れられた僕は、まず部屋に案内された。ゲストルームと記された札がぶら下がった扉の向こうには暖かな匂いのする一室が広がっていた。綺麗に整えられたベッドや机、絨毯を差し出して「君の部屋だ。好きに使うと良い」なんて彼は言った。良くて倉庫か、悪くてほぼ野外かとばかり思っていた僕は面を食らって「はい」と乾いた声でなんとか頷いた。それからシャワー室に洗濯機、台所、リビング、家中を丁寧に説明される。「刃物や鋭利なものは仕舞ってある」彼は馬鹿みたいに正直に言った「君の状況を確認し、安全だと解り次第面に出す予定だ」この人は本当に保護と観察をするつもりなのかと、僕はこの時ようやく思った。思えば、この人は牢の中の僕を迎えに来たとき、吐き掛けられて付着した唾をハンカチで拭ったのだ。血と怪我と埃で汚くなった頬や手も拭っていた。真新しいハンカチをわざわざ汚すことを、何の躊躇いなく行っていたのだ。それをようやく思い出していた。打たれた頬には湿布が貼られている。鈍く痛むそこは冷たくて心地いい。家に連れられる前に施されたこれらの治療も、体裁を取り繕うためではなかったというのか。
「優しくされても何も吐かない」
驚くままにそう呟くと、食器棚を開けて皿の説明をしていた彼が振り返る。
「私の仕事は君の保護と観察だ。拷問ではない」
言いながら、彼は食器棚から何かを取り出した。
「珈琲は好みか?」
皿で殴られるのかと思ったのに、彼が取り出したのはドリッパーとマグカップだった。
「知らない」
僕は、馬鹿みたいに正直に答えた。知らなかった。こんな優しさも、自分の珈琲の好みも、穏やかな生活も。全部。