その手は救いか、絶望か(続編)水に濡れた後の木々の匂いは、 瑞々しい香りがする。 暫く雨が降っていなかった所為か、 木々は久し振りの雨に喜びその緑を深くしていた。 触れれば葉が弾けるように揺れ、 薄水色の手袋に雫がしみ込んでいく。
何かを美しいと思う事はないが、 木々の営みというものを見ていると妙な感じがするのは何故だろうか、 とゼロスは思う。
魔族は人間の負の感情を糧とする存在で、 自身に感情と呼べるものは無いと思っている。 が、 こうして木々を見ている時と人間たちの中に紛れている時とでは何かが異なっているという事は、 自身にも何か感じられるものがあるのだろう。 それが感情と呼べるものなのかを理解することは、 一生無いのだろうが。
「炎の矢!」
ゼロスの背後で爆音が響く。
巻き上げられた炎と熱風が、 木々を満たしていた雫を一瞬で散らし、 途端、 緑は再び雨水を求めるように葉先は少ししおれたように思う。
はぁ、 と小さくため息をついてゼロスは背後を振り返った。 別にこの木々たちに同情しているだとかそういったことは無い。 ただゼロスにとっては人間よりも木々のほうが好感度は高いという事だ。 彼らは魔族にとっての餌でも玩具でもなく、 言うなれば絵画のようなものだからだ。
この騒動の原因の一端は自身であるし、 振り返った先で暴れている彼女の行動も止める気はないが、 何かもう少しこう、 やりようはなかったのかとも思う。
「火炎球!」
ドォン! と最後の火柱があがった。 先ほどまで彼女と二人で潜入していたよく分からない魔族を信仰していたらしい神殿は、 跡形もなく崩れ見る影もない。 崖と崖の間に作られたそれは人目に付きにくくはあるものの、 上から攻撃されたらひとたまりもなかった。 彼女は二人を追いかけてきた神殿関係者ごと、 崖の上から攻撃魔法をぶち込んで崩壊させたのだ。 相も変わらずやる事が派手である。
「ちょっとゼロス! あんたも手伝いなさいよ」
パンパン、 と手をはたき黒い神官服を靡かせながら彼女は呆れたような顔でゼロスに文句を言った。
「いやぁ、 僕よりもリナさんのほうがお得意でしょう? (そういったこと)破壊工作は」
ゼロスに揶揄され、 不快そうに顔を顰めリナは短い髪を払いながらゼロスへと近付いてくる。
「で、 今回のものはどうだったの? アタリ?」
「そうですね、 リナさんのお目当てのものではありませんが、 アタリでしたよ」
神殿に潜入し手に入れたのは異界黙示録の写本だ。 こういった得体のしれない宗教団体は何かしらのご神体を祭っていることが多く、 ここもその一つだった。 ゼロスは手にした金色の杯をリナに渡してやる。
写本は、 本や紙の形をしている物だけではない。 情報を伝えられるものであれば形は問わないのだという事を、 リナはゼロスとの旅で知った。 今回のこれは杯に小さなルーン文字が彫られている。 これが、 異界黙示録に記された情報を写したものだ。
ふんふん、 とリナはその写本の内容を読み頭に叩き込んでから、 杯をゼロスに返す。 と、 ゼロスは受け取ったそれを一瞬にして灰にした。
「さて、 リナさんが手に入れたお宝を街に行って換金したら、 食事にしましょうか」
「えぇ? 何のことかしら?」
「とぼけても無駄ですよ。 ちゃっかり神殿から金目の物くすねていらっしゃったでしょう? 金貨も一緒に」
リナは素知らぬ顔でそっぽを向いて見せるが、 歩くたびにジャラジャラとマントの内側から音がするのに気付かないゼロスではない。 とは言っても、 ここまでのじゃれ合いまでがいつもの流れである。
異界黙示録の写本を見つけ出すのも、 盗賊を壊滅させるのもやる事はあまり変わらない、 と言い出したのは何度目かの潜入を行った時だったか。 大体が穏便で済むことは無く、 こっそり占有して写本を手に入れるつもりが中の人間にバレてしまい、 施設ごと破壊するのが常となってしまっていた頃だったと思う。
バレるのは大体リナがお宝に目が眩んでしまったり、 ゼロスのとぼけた発言が相手の地雷だったりするせいなのでどちらの所為、 ということは無い。
ほぼバレるのだから最初から強奪すればいいのでは? というリナからの物騒な提案は却下した。 確かに異界黙示録の写本を持っているのは盗賊よろしく後ろ暗いことを行っている集団が多い。 むしろ盗賊のように悪であることを隠さない方がマシに思えるほどだ。 だからと言って面倒ごとに頭から突っ込んでいくのは面倒だった。
出来るだけ手を煩わせたくないというのが本音だが、 最近はこれがリナのストレス解消と金策になっているのだから、 ゼロスもあまり強くは言えない。
「んじゃ、 さっさと街に繰り出しましょ! あーお腹減ったわー」
リナは胃の辺りを手で摩りながら、 ゼロスに掌を出してきた。 ゼロスは呆れたように肩を竦ませながらリナの手を取る。
「まったく、 たまには普通に移動しませんか?」
「良いじゃない、楽なんだから」
ゼロスは何度目かになるため息をつきながら、 杖を軽く振るった。
*
街の外れにある森の中にゼロスの術で移動し、 リナ達は街の中へと繰り出した。 整理された大きな道に沿うように店が立ち並び、店前には所狭しとテーブルが並べられいるものの人と人とが簡単にすれ違えるほどの幅がある。
リナは通りを暫く歩き、 目星をつけた店へと入っていく。 ゼロスはその後ろについていき、 リナが座った席へと腰を下ろした。
「おねーさん注文お願い! えっとねー、 ここからここまで、 二人前ね!」
「あ、 僕は珈琲でお願いします」
リナとゼロスの注文にぎょっとしたウェイトレスは、 目を白黒させた後ぱたぱたと急いで厨房に戻っていった。
リナは久し振りの食事が楽しみなようで、 テーブルの下で足をぶらぶらさせながら食事を待っている。
「楽しそうですねぇ、 リナさん」
「そりゃそうよ。 久しぶりの食事だもん。 前回食べたのいつだったか、 覚えてる?」
ジト目でリナはゼロスを見やるが、 ゼロスは微笑んで胡麻化した。
ここでゼロスが『でも支障ありませんよね』などと言おうものなら、 リナはここで火炎球でもぶちかまして出て行ってしまうだろう。 そうなったリナの機嫌を直すのは骨が折れるのだ。
一緒に旅をするようになって最初のころ、 そんな事を言ってしまったがために二カ月は口を聞いてくれなかった。 そしてゼロスはそんなリナの機嫌を取るため一人で異界黙示録の写本を探しに行き、 リナに提供する羽目になったのだ。
流石に二年近くも一緒に居れば、 リナの扱いにも慣れるというものである。
リナはゼロスと不死の契約を結んでいる。 魂による契約の為体が死のうとゼロスの魔力によって復活することが出来るが、 リナ魔力事態を維持するにはそれ相応の魔力が必要になる。
魔王の腹心に次ぐ存在であるゼロスにとって、 リナ一人の体を維持するのは造作もないが、 リナ自身が魔力を消費するのであれば話は異なる。 リナのキャパシティは常人のそれとは異なり、 とても大きいのである。 その分の魔力もゼロスが補わなければならない、 となると多少なりとも負荷がかかるのだ。
それならば自分の魔力は自分で補ってもらおうと、 定期的にリナに食事をしてもらう事にしている。 リナ自身も食事をするという事が良い息抜きになっているようだった。
そしてこの食事代を稼ぐためにも、 異界黙示録の写本を頂くときにお宝もくすねる、 というのが常になっていた。
「お待たせしました、 ステーキ定食二人雨とパスタ二人前になります」
「うひゃー! きたきた!」
リナはナイフとフォークを持ち、 所狭しと並べられていく食事に目を輝かせた。 いただきまーす、 と元気よく声をあげ切り分けたステーキを口に運んでいく。
今のリナの姿を見て、 彼女をかつて魔女として処刑されたリナ=インバースだと思うものはいないだろう。
長かった橙の髪は、 ゼロスと同じく肩ほどの長さになっている。 少し癖のある髪の毛は切りそろえるのが難しく毛先は少し不揃いになっていた。
当初はその長い髪を惜しみ、 短く編み込んだりしてみたがこれを毎日結うのは面倒だと短く切ってしまった。 ゼロスの魔力で元に戻すことは可能だが、 暫くその予定はない。
その身を包んでいるのもゼロスとほぼ同じ黒の神官服だ。 魔導士らしい恰好をしていればリナに気付いてしまう人もいるかもしれない、 という理由と同じく獣王に仕える(リナは仕えている気はないが)身であれば、 揃いの服にするべきだろうという理由からだ。
そっくりそのままお揃いの服は断固拒否されたので、 リナの服装は形こそゼロスと同じだが特に模様などは付いていない。 胸元に大きな緑色のブローチをし、 前を止めているだけだ。 マントの内側は濃い紫色の裏地が縫い付けられており、 金貨などを入れるポケットが付いている。
その身は依然と同じようなピンク色のタートルネックに黒いタイトなパンツ、 足元も同じ黒いショートブーツを履いている。 明るい色が好きなリナとしては不満足な格好だが、 ふりとは言え神官なのだからあまり派手な格好は出来ない。
唯一、 耳元で小さく光る赤い宝玉がおしゃれ好きな女の子であることを主張しているようでもあった。
「追加のハンバーグ定食です」
「んぅ、 ふぉこふぉいふぇおいふぇ」
「リナさん、 食べたまま喋るのはお行儀が悪いですよ」
ウェイトレスから食事を受け取ったゼロスがリナを注意する。 食べながら首を縦に振るリナに、 ゼロスは苦笑しながら食べ終えた皿を交換しウェイトレスへ渡した。
「こちらの神官様、 よくお食べになりますね……」
「ええまぁ、 僕らの仕事上食事というのは貴重なので。 食べれるときに食べておくんですよ」
引き気味にリナを見るウェイトレスにゼロスは言葉を返す。 にっこりと人良さげな笑みを浮かべるゼロスにウェイトレスはほっとしたように小さく息を吐いた。
「そうなんですね。 神官様も大変ですね……やはりお二人も例の件でこの街に来られたんですか?」
リナは食事を目いっぱい口に含みながら、 彼女の言葉にぴくりと眉を動かした。 その手は止めず、 注意深く彼女の挙動と言葉に集中する。 そんなリナに気付きながら、 ゼロスはウェイトレスの言葉に頷いた。