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    こにし

    @yawarakahonpo

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    POIPOI 26

    こにし

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    2022.8.21発行『ほら、穴。』Web再録 後日談小説です。カインにだけ見えるオーエンの心の穴が現れる話です。本編漫画↓
    https://poipiku.com/4316934/8854875.html

    ほら、穴。 柔らかな光の気配。暗闇に小さな白色の点があらわれる。しばしの間目を凝らしているとみるみるうちにそれは広がりを見せ、一閃を描き、やがて膨張した。暗闇から転じて辺り一帯が真っ白に明滅し、乱反射する光の眩しさにまぶたをしばたかせる。すると睫毛の隙間から、見慣れた部屋の天井がぼんやりと見え始めた。幾度か瞬きを繰り返していると徐々に空間の輪郭が浮かび上がる。朝を告げる鳥たちの、ちいさな囀りが窓の隙間から耳に届く。目が覚めたことと眠っていたこと。その両方をカインは同時に認識した。
     起き上がろうと身を捩らせると、体の節々が軋むような鈍い痛みを発し、思わず呻き声が漏れる。背中の硬い感触に、どうやら床で眠っていたらしいことが分かり、けれども幸いと言っていいのか、床板ではなく体はカーペットの上に乗っていたようであった。
     背中がじっとりと汗ばんでいる。意識が落ちる前の記憶が曖昧でよくは思い出せないものの、最後に見たのはオーエンの瞳だったことを思い出す。ようやく体を起こすと、カインは緩慢な動作で室内をぐるりと見渡した。当然、そこにオーエンの姿はない。気配がない時点で分かってはいたものの、唯一その眼に映る彼の姿は無意識に追いかけようとしてしまうことがあった。
     彼の氷のような心に触れた手は、朝陽のぬくもりに包まれて今はすっかりあたたかい。手のひらをじっと見つめて昨晩を回想する。
     自ら手をとって強引に己の心を貫かせたオーエンの、苦悶の表情や心の余裕を取り繕うようなあえぎはカインの脳裏に焼き付いて離れなかった。彼が起こした行動の理由を理解への一歩として知りたかったが、もしかすると、他ならぬオーエンにとっても己の制御の範疇にはないところに依拠しているのかもしれない。それはほとんど勘のようなものであったが、時折彼が尋ねる彼自身についての問いかけと地続きであるように思え、ではどうしてやるのが正解だったのだろうと頭を悩ませる。
     ここでじっと思い悩んでいても仕方がない。そう考えたカインは立ち上がって寝巻きを脱ぎ去った。それから運動用の服を纏うと、髪を縛って部屋を後にした。
    衣服を着替えるだけでも重い気持ちはほんの少し軽くなるものだった。



     外はからりと晴れていて、若葉のみずみずしさを孕んだ柔風が湿った肌をほどよく撫で付ける。走るにはうってつけの気候だった。規則的なリズムで地面を蹴ると、舞う土埃が汗ばむ足首をざらざらと汚した。植物や大地や太陽の匂いを濃く感じるような気がして、カインは朝が好きだった。気持ちが沈んだり心配事がある時にはよく晴れた早朝にタンクトップとハーフパンツで外に繰り出し、こうして走っていると大抵雑念が振り払われて気持ちが上向きになるのだった。
     故郷の賑やかしい通りを、すれ違う人々と挨拶を交わしながら駆け抜けることが好きだったが、賢者の魔法使いになってからは魔法舎の敷地内の、しんとした見事な庭を、季節の植物を眺めながら走るのも存外気持ちが良い。時折、鍛錬に励むシノやレノックスを見かけると自身も加わったり、あるいは並走の誘いを持ちかけたりするのだ。そうしていると騎士団員だった頃の生活が思い出され、郷愁に駆られるものだった。
     遠い昔のような日々の記憶は、ほんの二、三年前のことだというのに、賢者の魔法使いとしての目まぐるしい日常はその過去を急速に懐かしめてゆく。千年や二千年以上生きている魔法使いたちが、百年前のことを
    まるで昨日の出来事であるかのような調子で話している光景が脳裏に浮かんだ。百年という年月が今は途方もない時間のように感じるものの、案外、生きてから思い返すと短いものだと感じる時が自分にもいつかは訪れるのかもしれない。
     しばらくの間そうして考えに耽りながら走り込んでいると、外に出た時よりも少しだけ太陽の位置が高くなったことに気が付く。少々、休憩をしようかと徐々にスピードを落とし、少しずつ歩行の動きへと近づけてゆく。呼吸を落ち着けようと深く息を吐いた。体全体が熱の放出でカッカと蒸し上がり、心臓の鼓動は平常よりも ずっと速く脈打っている。肉体が正しく機能していることを実感する。
     走った後のクールダウンは、聴覚が体の内側へ集中する代わりに、嗅覚とか味覚だとかが鋭くなるような感じがした。汗の塩に喉の渇きを覚え、心地好かった土草の匂いは、強く薫るとしばしば頭痛を走らせる。熟達した魔法使いは、こういった時に肉体の活動を抑制させるような魔法を使うものなのかもしれない。けれどもその類の魔法は未だ不得手であったし、仮に体得していたとしても、感覚を鈍らせてしまうような気がして手に余るだろう。カインはぼんやりとした頭で結論づけた。
     今日のスケジュールや朝食の献立のことなどに思考を巡らせながら魔法舎を外周するようなコースで歩みを進めていると、ふと、土草の匂いに混ざって微かに獣と砂糖菓子の匂いが鼻腔を掠めた。生垣の向こう側に気配を感じる。匂いと気配の正体に、カインは心当たりがあった。
     ひょいと顔を覗かせるよりも先に、突如何かに足首を掴まれたかと思うと、そのまま生垣を突っ切って体ごと引っ張られ、果ては逆さ吊りのような形で宙に浮かぶ。思わずわああと悲鳴のような声が上がった。衝撃のために重わずぎゅっと閉じていた目をゆっくりと開く。
     すると眼前に現れたのは、カインの想像していた人物の、不機嫌そうな横顔だった。逆さ吊りになったカインを仰向けに寝転がりながらちらりと一瞥すると、鼻でせせら笑って愉快げに口元を弧の形に歪ませた。
    「君ってば、ほんと間抜け」
    「おまえ……」
    「そんなんじゃ誰も守れやしないだろうね。騎士様のくせに隙だらけの無防備なんて、恥ずかしい」
     オーエンは口早にそれだけ言い終えると、隅に置かれた紙袋をごそごそと漁り、中から取り出したチョコレートドーナツを齧り始めた。外套もジャケットもなく、黒色のシャツにピンストライプのスラックスのみというラフな格好であった。
     服装よりもカインの目を惹いたのは彼の胸元だった。昨日までまるく穴の空いていたはずのそこは、すっかり 元通りに中身が詰まっている。そのことが確認されるとカインは安堵して口元を緩ませた。
     オーエンはそれから何をするでもなく、逆さまのまま揺れるカインを横目にドーナツを口へ運び続けている。カインは今の状況を俯瞰してなんとも珍妙な光景だと心中でぼやいた。大人しく待ってみても口を開く様子がないオーエンに痺れを切らし、彼を待たずして口を開いた。
    「なあmそろそろ下ろしてくれないか。頭に血が昇って、気持ち悪くなってきた」
     オーエンは二つ目のドーナツを食べ終え、指に付着した生地の破片を舐めている。視線を寄越さないまま反対側の指をパチンと鳴らすと、頭を打ちつけながらも、カインの体はようやく地面へと下りた。
    「もう少し労ってもらえると助かるんだが」
    「誰に言ってるの? 僕がそんなことすると思う?」
     もう一度逆さ吊りになってみるかというオーエンの提案に、カインは勘弁してくれと笑った。打った頭を摩りながらオーエンに隣り合うようなかたちでごろんと寝転がる。オーエンはキッと険しい視線を投げ、抗議するように口を開きかけたものの、どれも言葉にならないまま彼の唇をわななかせるばかりであった。カインはそれを了承と受け取り、そのまま組み合わせた手を枕に空を眺めた。
     穏やかな風が木々や雑草にまろやかなざわめきを与え、ふたりはしばしの間、目を閉じてその薫風に身を委ねた。それはこの空間が心地の好いものであるということを、互いに認識しあっているような時間であった。耳を澄ますと血の循環する音や筋肉の蠢きが聞こえてくるような気がした。
     目を開けたカインが流れる雲の動きを目で追っていると、突然、校内に何かを押し込まれ、咳き込みながら慌てて飛び起きた。呆気にとられた心情とは裏腹に、蜂蜜とチョコレートの優しい甘味が広がる。カインは胸をどんどんと叩き、ひとまず呼吸を落ち着けようと試みた。「ねえ。これ、熱を通すために穴が空いているんだって」
    「え?」 「あいつに聞いた」
     オーエンはまた新しいドーナツを取り出してそれを魔法でくるくると弄んでいた。あいつというのはネロのことだろうかと推察し、カインが言葉の続きを待っていると、オーエンは視線をドーナツとカインとの間に彷徨わせてそわそわと落ち着かない様子で口を開く。どこか、辿々しい口調だった。
    「昔、これを作ったやつが生焼けで、失敗して、それで穴を空けた」
     ふわふわと浮かんでいたドーナツを手に取ると、オーエンはその隙間から空を覗き込む。彼の白く長い睫毛は陽の光を浴び、瞬きや風でたなびくとちいさく煌めいた。
    「へえ、そうだったのか。やっぱり、ちゃんと理由があったんだな」
     今度リケに教えてやろう。カインは素直に感心し、指で顎を指を摩りながら、好奇心を前に翡翠色の目を輝かせる少年の顔を思い浮かべた。するとすかさず、クスリという笑いと共にオーエンが体をごろんとカインの方へと寝返らせ、ドーナツの穴から彼がよく人をなじる時にするようなあの表情を覗かせた。
    「僕のおかげで知ったこと、まるで最初から自分が知ってたみたいにひけらかす気?」
    「おまえ……まあいいや。オーエンと、ネロから聞いたって言うよ。ちゃんと」
     カインは一瞬、呆れたような目を向けたものの、今更それも滑稽なことに思え、一転していつもの晴れ晴れとした表情でオーエンを見遣った。オーエンはカインの言葉としぐさに対して己のすべき反応をとりあぐね、タイミングを失って苦虫を噛んだような顔をした。
     そんな彼の様子がカインには些か面白く、もっと見てやろうと体ごとオーエンと向き合った。すると左目を覆っていた前髪が崩れ、ルビーレッドの瞳が顕になる。炎を宿したように光が揺れている。オーエンは彼とひとたび目が合ってしまうと、逸らすことができなかった。それはほとんど無意識かの、本能に肉体が拘束されたものであった。
    「朝ごはん、今日はなんだろうな」 「は?」
    「走っていたから、俺は今からなんだ」
    「へえ、あっそう」
     もうお腹ぺこぺこ。カインは腹を摩りながら体を起こし、ひとつ大きく伸びをした。オーエンの瞳はカインの目を追って視線が立ち上がった彼へと吸い寄せられ、そのことが自覚されるとハッと我に却って眉根を寄せた。 その一瞬の隙にカインはオーエンの手を取り、ドーナツの入った紙袋も拾い上げて走り出した。突然のことにオーエンは混乱し、カインの手を振り払おうと力を込めたものの、力では叶わず、かろうじて彼の足を止めることに留まった。
    「なんのつもり」
    「なにって、朝ごはん」
    「僕は行くなんて言ってない」
    「知ってる。俺がしたくて、そうした」
    「離せ」
    「行こう、オーエン。きっとみんなおまえを待ってる」
     カインが握る手に力を込めると、その温もりに、オーエンの体はこわばった。魔法を使おうにも、唇がひとりでにわななくばかりで呪文を唱えることが叶わない。再びカインの双眼に真っ直ぐ射抜かれると、オーエンは縫い止められたように抵抗を示すことができなかった。心の隙間を強引に覗き込まれた気分だった。オーエンはほとんど必死に、けれどもそれをカインに悟られることのないように、捕らわれているのとは反対の手で彼の手を押し退けるようなしぐさをとり、首を振った。
    「いく、行くから、離して……」
     今にも消え入りそうな声で搾り出されたオーエンの返答に、カインは努めてやわらかい声色でよかった、と言うと彼の手を解放した。俯いて垂れた前髪がオーエンの表情を隠している。その姿がいつもより幾分か幼く映り、カインの手はつい自然とオーエンの頭に伸びて子どもたちにそうしてやるように、手のひらでつむじを覆った。
     指先で髪を撫でると、カインはくるりと身を翻し、魔法舎の方へと歩みを進めた。遅れてもうひとつの足音が 恐る恐るといった響きを持って耳に届くことが確認されると、それから後ろを振り返ることなく歩き続けた。汗を吸ったシャツが風に吹かれ、張り付いた皮膚を冷たくした。
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