2022 大寿誕 (たいみつ)二〇〇六年六月一二日、月曜日。
三ツ谷隆の誕生日の朝に、柴大寿は唐突に三ツ谷の家を訪れた。
その日は二人が付き合い始めて最初の『特別な日』ではあったが、どちらも事前に連絡はしておらず、三ツ谷に至っては朝起きて母親に「おめでとう」と言われるまで、自分の誕生日であることを忘れていたくらいだった。
ビーっと玄関チャイムが鳴らされて出てみれば、三ツ谷家のドアとサイズが変わらないような大寿が立っていて、三ツ谷はドアを開けたのに明るくならなかった事に一瞬困惑し、それから見上げた先の大寿の顔を見て固まった。
「……こんな早くに、どーしたの?」
そう問えば、大寿は抱えていたラッピングされた箱を三ツ谷に差し出した。
「今日、誕生日なんだろ?」
「え?あ、うん」
思ってもみなかった言葉に三ツ谷は驚きつつ、その箱を受け取る。
「ありがとっとっと……、随分重てぇな。これ持って来たの?」
「大したことねぇよ」
大寿ならばそうなのかも、と思いながら三ツ谷が大寿を家に招こうとしたが、当の本人は「学校がある」と首を横に振った。
「大寿君、ありがとう!後でメールするね!」
早々に立ち去った大寿の背中にそう声を掛ければ、振り返りこそしなかったが、軽く手を上げるのが見えた。
その背中が見えなくなると、三ツ谷は箱を抱えて開けっ放しだった玄関に入り、そのまま自室へと戻る。
まさか大寿からプレゼントを貰えるとは思っておらず、こそばゆいようなウキウキした気分になって、包まれている包装紙のテープを丁寧に剥し始めた。
こういった紙はルナやマナが使いたがるから、極力綺麗に残るように慎重を期すのだ。
しかし、少し空いた隙間から見えた箱の印刷に驚いて、思わず指先に力が入りビリっと包装紙に亀裂が入った。
「え……」
中から出て来たのは、有名メーカーのコンピューターミシンだった。
家庭用ミシンとはいえ10万円は超えるはずだ。
高校生である三ツ谷にすれば高価すぎるプレゼントに、思わず携帯を掴んで大寿の番号を呼び出す。
すぐに出た大寿の反応も待たずに、三ツ谷は一方的に「これは貰えない」と切り出した。
「あ?」
大寿が不機嫌そうな声を出す。
その気持ちも判るのだ。良かれと思って贈ったものを「貰えない」と言われれば、誰だって不快な気持ちになる。
「気に入らなかったのか?」
「じゃなくて、高価すぎる!」
「あ?大した額じゃなかったぞ」
三ツ谷隆と柴大寿の間にある一番大きな溝は、金銭感覚なのかも知れない。
「オレが大寿君の誕生日に、同じようなもん返せねぇんだって!」
「返す必要なんかねぇだろ」
「っ!」
あっさりとそう言われてしまえば、三ツ谷は黙るしかなかった。
大寿が三ツ谷に贈りたいと思って考えてくれたプレゼントなのだ。恐らく金額などは何も気にしなかったのだろう。
このミシンを受け取らないということは、その気持ちさえも蔑ろにしてしまうのかも知れない。
更に、三ツ谷は自分の誕生日を教えた覚えは無かったが、大寿は知っていた。恐らく、八戒か柚葉辺りに訊いたのだろう。
『三ツ谷の誕生日を気に掛ける』という行為すらも、大寿の愛情であることを自覚して、腹の底がもぞもぞするような気分になった。
「大寿君の誕生日っていつ?」
「……七月二四日」
今年の誕生日がまだ過ぎていなくて良かったと思いながらも、一ヶ月程しか猶予が無いことに少しだけ焦る。
「その日、空けといてね」
三ツ谷の言葉に、ケータイの向こうで大寿の大きな溜息が聞こえた。
「その前に、今日のテメェの誕生日だろ」
「あ」
「……来れる時間にうちに来い」
そう言うと大寿は、一方的に通話を切った。
背後にチャイムの音が混ざっていたから、恐らくそろそろ授業が始まるのだろう。
引退したとはいえ元暴走族の総長が、朝から真面目に授業を受けていることの不似合いさを思いながらも、彼の真面目な為人に納得もした。
三ツ谷の学校ももちろん始まっていて、朝起きたときには行くつもりではあったのだが、大寿から貰ったミシンを使ってみたい欲求に負けて、今日はサボることにした。
早く使ってみたいという気持ちもあるが、コンピューターミシンの「コンピューター」部分を活用するためには、自分の機械音痴がネックになるだろう。
機械に関しては、人の何倍も触らなければモノに出来ない自覚があった。
けれどモノにしてしまえば、自在に操れるようになる自信もある。
バイクだって、初めはオイル交換もタイヤ交換もメンテナンスも戸惑ったが、ドラケンに教えて貰いながら、今では自分の愛機に関しては、問題なく行える。
だからこのコンピューターミシンもモノにして、そして大寿の誕生日までに、自在に使えるようにしてみせるのだ。
何を作ろうか、まだ思い付いていないが、自分が贈れる最大限は間違いなくコレだからと決意を胸に、三ツ谷は小さく拳を握りしめた。
二〇〇六年七月二四日、月曜日。(夏休み中)
「うちのミシン壊れちゃってさ、学校で作業してんだよね」
学校から帰宅するのが遅い理由を柴大寿が問うた際、三ツ谷隆は屈託無く笑ってそう言った。
三ツ谷が中学生だった春先までは、手芸部の部長として家庭科室を割と自由に使えていたらしいが、高校に上がってからは同じようにはいかないようで、使える時にまとめて使うため、一回の時間が長くなってしまう、とも言っていた。
それでも物足りないように大寿の目には映っており、ミシンが有ればいいのか、と単純に考えた。
何も無い時にプレゼントをしても、三ツ谷は素直に受け取らないような気がしていたため、大寿は贈るタイミングを探していたのだ。
思い付いたら即行動したい上に、三ツ谷の学校の帰りが遅いという事は、会える時間も減るということで、大寿にとってもデメリットだった。
バレンタインデーもホワイトデーも過ぎてしまったし、そろそろ六月になろうというこの時期は、クリスマスなどほど遠い。
ミシンは判らないながらも、なんとなく良さそうな機体を見繕い購入する算段は付けていて、後は贈るタイミングだと頭を悩ませていた。
そんなある日、実家の自室から一人暮らしの自分の家へ水槽の魚たちを移動させる準備のために柴家を訪れていた時のことだった。
「タカちゃんの誕生日、何あげよう~?」
玄関から自室に直行すべくダイニングの入口付近を通った時に、そんな八戒の声が聞こえてきた。
大寿は反射的にダイニングに入るとドカドカと進み、続き間になっているリビングのソファに座っていた八戒と柚葉の横に仁王立ちする。
「!?」
事前に行くとは連絡していたが、突然目の前に現れたの兄の登場に、弟妹は驚いたように固まった。
「三ツ谷の誕生日はいつだ?」
驚いた様子の二人を気にもせずに、大寿は自分の訊きたいことを問う。
「三ツ谷の、誕生日?」
最初に反応したのは柚葉だった。
大寿の言葉を反芻して、不可解だという表情を作る。
「……六月一二日だけど、な……」
「六月一二日だな。助かった」
日付を答えた八戒が続けて何かを言葉にする前に、大寿は礼を伝えて二人の前から立ち去った。
残された二人がどんな顔をしているかなど気にも留めずに、大寿は今日の用事を早々に済ませてしまおうと考えた。
大寿の部屋の水槽は、大寿が去った日と同じ状態のままだった。
柚葉や八戒に世話は出来ないだろうから、3日に一度程度業者を手配し、家に入れさせることを柚葉に了承させていた。
元々馴染の業者だったこともあり、手入れもきちんとされていたようだし、今日の移送も依頼している。
大寿は業者が来るまでの間に、ケータイのカレンダーを開き、三ツ谷の誕生日を確認していた。
2週間ほど猶予があるため、今からミシンを注文しても間に合うだろう。
大寿はこの時、三ツ谷の家に直接日付指定で配送することは考えもついておらず、月曜日の登校前に三ツ谷の家へと寄る予定を立てていた。
* * *
そして無事に三ツ谷の誕生日当日にミシンを渡すことが出来、さらに受け取って貰えて満足をしていたのだが、今度は三ツ谷が大寿の誕生日に何かをくれると言う。
大寿としては、そもそも『誕生日プレゼント』として渡したつもりはなく、三ツ谷が学校に居座らないようにミシンを贈りたかったのが、たまたま誕生日だったというだけなのだ。
しかし、祝ってくれるというのなら、やぶさかではない。
大寿は少しだけ浮かれた気分になりながら、自分の誕生日前日を迎えていた。
前々日から夏休みに入っていたため、その日は特に予定も無かったのだが、家に一人で居るとソワソワした気持ちになってしまい、バイクのキーだけ持ってぶらりとツーリングに出掛けた。
午前中は雨が降っていたため、上がって曇り空になった昼過ぎから出掛けたのだが、なんとなく江の島の水族館まで来てしまったら、帰りがすっかり遅くなっていた。
途中で適当に夕飯も食べたため、そろそろ深夜という時間帯に自宅の前に到着すると、玄関先にしゃがみこんでいる人影があった。
「夜遊びなんて、不良だなぁ」
玄関前でしゃがみこんでいた三ツ谷が、立ち上がってぽんぽんとデニムの埃を払う。
恐らくマンションのエントランスは、他の住人と一緒に入ったとかで通り抜け出来たのだろう。
「てめぇは何してんだ」
「何って、大寿君の誕生日を祝いに」
「あぁ?」
言われてケータイを開いてみれば、0時を超えて誕生日当日になっていた。
「メールくらい寄越せばいいだろ」
確かに大寿も三ツ谷の誕生日には突然押し掛けはしたが、真夜中ではなく朝方の、わりと常識的な時間だったつもりだ。
そのため、まさかこんな時間に三ツ谷が来るとは思わなかったのだ。
「大寿君の真似して、サプライズしたかったんだ」
まっすぐに見上げて来た三ツ谷の瞳に、少しだけ困惑した表情の自分の顔が映る。
「それに、せっかく夏休みだしさ、一番に祝いたいじゃん」
ニカッと笑った三ツ谷に、大寿はもう何も言えなくなった。
大きくわざとらしく溜息を一つついてから玄関の鍵を開け、三ツ谷を中に招き入れた。
リビングに入ると三ツ谷は持っていた荷物をいくつかテーブルに置いた。
「ケーキ、今開けるね?」
そのうちの一つの箱の中からは、青い立体的な鮫が出て来る。
「作ったのか?」
「おう! 結構頑張ったんだぜ」
得意気な三ツ谷の、マジパンがどうとか青色の着色料がこうとかいう説明を続けているのを聞きながら、大寿は内心、ワクワクとする酷く子供染みた感情が湧き上がってくることに、若干の戸惑いを覚えていた。
こんな気持ちになったのは、いつぶりだろうか。
黒龍の総長をやっていた時も、高揚する気持ちや興奮することはあったが、もう少し後ろ暗いというか、何処か皮肉めいた感情が含まれる高ぶりだった。
大寿自身不可解ではあるのだが、今感じているのは、幼い頃の純粋さを思い出させるような、『とても綺麗な』感情に思えた。
三ツ谷が誕生日の歌を鼻歌で歌いながら、鮫の周りに17本のロウソクを立てていく。
ポケットからライターを取り出してそれら全てに火を灯すと、リビングの電灯を常夜灯に変えた。
陽気にハッピーバースディトゥユーを歌い上げ、満面の笑顔を浮かべる。
「大寿君。誕生日おめでとう」
オレンジ色の暖かい光に照らされたその顔は、幸せの象徴のようにも見えた。
「ああ、ありがとう」
しばらく経ってもロウソクの火を消さない大寿に業を煮やしたのか、三ツ谷が「ほら、ロウソク消して!」と大寿を促す。
「心の中で願い事しながら消すと願いが叶うんだって」
まだ母親が生きていた頃に、同じことを言われた。
『一息で消すと、願いが叶うのよ』と。
大寿は大きく息を吸い込むと、鮫の周りを囲っているロウソクに向かって息を吹きかけた。
今の大寿の体格と肺活量をもってすれば、一度で吹き消せるのは訳も無い。
一瞬で光量が落ちた薄暗い世界の中で、三ツ谷は自分事のように嬉しそうな笑顔を浮かべ「願い事、叶うね」と小さく呟いた。
大寿の胸がきゅっと締め付けられるような気持ちになる。
「……だといいな」
三ツ谷はリビングの電灯を点けると、リボンの掛かった紙袋を大寿に手渡した。
「はい。プレゼント」
大寿が受け取るや否や礼の言葉を伝える間もなく、「開けてみてよ」と開封を迫って来た。
紙袋を開けると、中には少し派手目の赤が混ざった大ぶりな花柄の布が入っていた。
触れた感触はさらりとしていて、シルクに似ていたが、少し違うようにも感じた。
「大寿君から貰ったミシンで、アロハを作りました~!」
三ツ谷がニコニコと解説をする。
広げてみれば、確かに派手な柄が特有のアロハシャツであった。
「大寿君、いっつも黒のピチTだからさ、たまには雰囲気変えるのもありかなって」
とはいいつつも、黒地にハイビスカスの柄なので、アロハとしては大人しい部類かも知れない。
「ちゃんと頑張って、『コンピューター』とも仲良くなったんだぜ」
そう言うと三ツ谷は、アロハの左袖の辺りにある、鮫の刺繍を見せて来た。
大寿も余りミシンには詳しく無いが、プレゼントを見繕っている際に、コンピューターミシンが何ぞやということは知識として得ていた。
記憶させた刺繍を自動で縫ってくれるような機能などが付いているらしく、そういった機能を使ったのだろう。
「役に立ってるか?」
「めちゃくちゃ重宝してる!」
「そりゃ良かった」
三ツ谷が期待を込めた目で見ているのを感じて、大寿はそのアロハを羽織って見せた。
採寸された覚えはないが、ボディにピッタリと着る服でもないからか、サイズは全く問題なかった。
「大寿君顔が派手だからさ、服が派手でも負けねぇよな」
言いながら、大寿の来ているアロハの具合を、確認するように引っ張ったりしている。
「黒龍の特攻服も、派手だったもんな」
背中に回って肩の辺りを見たところで、三ツ谷はポンと大寿の背中を叩いた。
「うん。大丈夫だな」
その宣言を聞いたところで、大寿はくるりと身体を反転させて三ツ谷を見る。
「オレもオマエに渡すものがある」
「え?」
三ツ谷はびっくりしたような表情をしたが、大寿も今さっき渡そうと思いついたのだから、唐突になるのも仕方ない。
リビングの隣りにあるPCや本棚を置いている部屋から、この家のスペアキーを持ってくると、先ほど買ってポケットに入れておいた鮫のキーホルダーをくっ付けた。
そしてそれを、三ツ谷へとポンと放り投げる。
「わっとと」
受け取った三ツ谷は、しばらくそれを見詰めた後、大寿の顔を見上げた。
「これって……」
「ここの鍵だ」
あんな風に外で待っていられるのは、あまり気分のいいものじゃない。
本人が気にしないといっても、大寿が気になるのだ。
「大寿君の誕生日なのに、オレばっかり貰ってる気がする」
「オレのためだと思って、持っとけ」
大寿の台詞が意外だったのか、三ツ谷は少し驚いたような顔をした後に、満面の笑みを浮かべた。
その表情を見ながら、大寿も自然と顔がほころぶのを自覚する。
ケーキのロウソクを消す際に、反射的に頭に浮かんだ願いが、今もまた浮かんだ。
──── 願わくば来年も、こうして過ごせるといい。
♡ END ♡