「ふーむ…やはりこの壁画と先程確認した壁画とは年代に開きがあるのは確信して問題なさそうでしょう。となるとそこから新たに考察が広がるわけですが…」
そう壁画の前でぶつぶつと何かを呟きながら青年は大きな背中を姿勢悪く丸め、食い入るように壁画を眺めていた。口元に当てられた青年の指先はどの爪も歪に歪んでおり、考え事をする際に爪の噛み癖がある事が伺えた。大きく見開かれた髪の隙間から覗く右目は、木の洞のよう。己が必要とする知識、情報を貪欲に飲み込み、反対にそれ以外は完全にシャットアウトするかのような気迫があった。
だからこそ青年は自分に近づく小さな星の子が訝しげに「プァプァ」と星の子特有の鳴き声を発していても、気が付くことは無かった。
トンっと軽い衝撃と共に壁画から目を逸らさずに歩いていた青年は、小さな星の子にぶつかってしまう。それ自体は極小さな衝撃だったが、思考の海に五感全てを沈めていた青年には予想外の大きな衝撃となった。
思わぬ外的刺激に脳に激しく警鐘が鳴り響く。深い眠りから突然激しく揺すり起こされたかの様な衝撃。綿密に組み上げていたロジックパズルは哀れにも霧散し……
情けなくも、自分の腰程度までしかない小さな星の子を前に腰を抜かす醜態を晒すこととなった。
(一体何が……っ、あ……えと……上手く思考がまとまらない…えっと…壁画が年代について考えていて…それで…)
青年は散らばった思考のパーツを必死にかき集めようと頭を回すが、パニックを起こした脳では処理が追いつかず、目を白黒させることしか出来なかった。徐々に浅くなる呼吸。そしてそれに追い討ちをかけたのは小さな星の子だった。
「ポペー!ポーポペッ!!」
「ヒイッ…!!」
突然鳴き声を発する星の子に青年は情けない悲鳴を上げ腰を抜かしたまま後ずさりする。
地団駄を踏みながら何度も声を上げる星の子は恐らくぶつかられたことに対しての不満を表しているのだろうが、青年にはそれを察する余裕がなかった。
「なっ……なんなんですかアナタ……」
「ポへー、ポぺぺッ!!」
「……へ……あの……喋って頂けます?」
相変わらず鳴き声だけを上げ続ける星の子に青年がそう言うと、星の子はやれやれといった仕草をすると自分の口許を指さしてからそのまま口の前で指でバツを作った。
普通の星の子が見たのなら喋れない、といった意図を汲み取ることが出来たかもしれないが、悲しいかなこの青年、他の星の子との交流を一切経って壁画ばかりに夢中になる生活を送っていた。それ故に、この喋れない小さな星の子の意図を汲み取る能力が欠如していた。
「……いや、分からないですよ。なんなんですか、ワタシ何かしました……?これだから他の星の子と関わるのは嫌なんですよ……」
よいしょ……と体を起こし、ケープに付いた土埃をはらいながら泣き言を漏らす青年。小さな星の子は諦めたかのようにポペーとひと鳴きすると、青年のケープを掴みグイと引っ張った。
「わわっ…ちょっと、危ないじゃないですか。引っ張らないで……おっと……!」
大きな図体の割にケープを引っ張られただけでよろける姿に軟弱さが伺える。抵抗しない、いや、正しくは出来ていないだけなのだが、それをいいことに小さな星の子は青年のケープをグイグイと引っ張り柱の根元に描かれた小さな壁画の元に連れていく。それは背の小さいものにしか見つけられないような小さな壁画だった。
「なんですか本当に……説明くらいしてくれても……ん?これは……!こんな所にも壁画があったとは。不覚にも見落としていましたね。えぇっと…どれどれ……」
青年は先程までの怯えた態度とは一転、土埃がつくことも厭わずに地面に這うようにして壁画を眺める。とっくに青年の興味は小さな星の子から壁画へと移ってしまったようで、小さな星の子の誇らしげなポペポペといった鳴き声にも気づいていないようだった。
再び存在を無視された小さな星の子の抗議の鳴き声によって青年が飛び上がるまで後3秒……