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    okaki32

    らくがきと文をぽろぽろ。

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    okaki32

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    きりちゃんをとりまくあれやこれやのお話その5。大変長らくお待たせしました!やっと最後です!

    注意書き必読。
    お楽しみいただけますと幸いです。

    愛を識る人⑤以下に十分ご注意の上、危ない空気を感じた方はお戻りください。
    ・きりちゃんがかなり可哀想な目に遭いました
    ・きりちゃん総愛され気味
    ・きりちゃんの過去捏造(つどい設定含)
    ・オリジナルの城・城主設定あり
    ・本当に捏造過多
    ・解釈違いの香りを感じた方はそっとお戻りください
    ・歴史的な知識は皆無ですので、雰囲気でふわっとお読みください。
    ・時代背景に合わないものがたくさん出てきます






    光の中を歩き続けた。
    一際眩しさが増した先。目を開けていられなくて、ぎゅっと瞑る。
    そして次に目を開けた瞬間、視界に入ったのは天井の木目だった。
     
    ぼんやりとその木目を見つめて、あぁ帰ってきたのかと他人事のように思う。
    父と母の柔らかい微笑みと優しい声、兄の抱擁とぬくい手のひらの感触がまだ残っていた。
     
    小さく息をつく。ぱちぱちと二回瞬きをして首をゆっくりと右へ向けた。
     
    枕元で蹲る黒い影。深く眉間に皺を寄せて、まるで祈るように。
     
    「─────────どい、せんせえ」
     
    掠れた、小さな声だった。
    土井が肩を大きく跳ねさせて、弾かれるように顔を上げる。
    かち合った瞳。久方ぶりに目にした土井は随分と草臥れていて、痩せたように見えた。
     
    そんな顔してどうしたの、先生。
     
    まるで幽霊でも見るような目でこちらを見つめる土井に、きり丸はゆっくりと問いかける。
     
    「き、りまる…?」
     
    聞こえた声にはい、と頷いた。
     
    「あ、あぁ…────────」
     
    土井の表情がみるみると崩れていく。
     
    「せん、せ。おれ────」
     
    きり丸の口から出たのは、思っていたよりもずっと弱々しい声だった。
    身体を起こそうと視線を伏せて一瞬。驚く程強い力で引き寄せられて、視界が黒に染まる。
     
    「あぁぁぁあぁぁぁ…っ!」
     
    土井の口からもれた声は、泣き声というよりほとんど咆哮に近い叫びだった。
     
    ─────土井先生が泣いてる。
     
    抱き締められているのだときり丸が気付いたのはその後だった。ぎゅうぎゅうと腕の中に閉じ込められて苦しくて仕方ないのに、感じた土井の温度に、みるみる景色が揺らいでいく。
     
    「せんせえ、どいせんせえ…っ!」
     
    ぼんやりとする頭のまま、きり丸は繰り返し土井を呼んだ。
     
    「土井先生っ!」
    「半助!」
     
    伊作先輩、山田先生。
    視界の端に血相を変えた二人を映しながら、きり丸はまた深い眠りに落ちていった。
     
     
    ***
     
     
    「………………」
     
    薬湯を啜る自分のことを見つめる土井は、最後に目にした時よりも幾分かスッキリしている。あぁ髭がないのかと気付いて、きり丸は湯のみに残った薬湯をぐいと飲み干した。
    舌を刺激する独特の苦味に顔を盛大に顰めながら、枕元の盆に湯呑みを戻す。
    偉いな、とでも言いたげな優しい瞳がくすぐったい。
    手元の布団を握りしめて、きり丸は緩く唇を噛んだ。
     
    『そういう時はなんて言うんだ?』
     
    諭すような兄の声音が、まだ耳に残っている。
    ひどいを八つ当たりをしたのだとべそべそと泣く自分のおでこをいつかのように弾きながら。大好きだった優しい顔で。

    ぼくの気持ちなんてわかりっこない、と土井の言葉を遮った。あの時湧き上がった怒りも悔しさも失望めいた気持ちも、嘘ではない。なかったことにすることは出来ないし、今だってもやもやした思いがあるのは事実だ。

    (…………でも、)

    あんな風にぶつけていい言葉ではなかったと思う。感情のままに、心配してくれる手を振り払って。

    きり丸は伺うように土井を見やる。
    慈しむような視線に気恥ずかしくなって目を逸らした。
    静かな医務室に沈黙が落ちる。
    土井先生、と何度も呼ぼうとしては口をつぐみ、先に口火を切ったのは土井の方だった。

    「────本当に、良かった」

    独り言のような、小さな呟き。
    きり丸ははっと顔を上げる。
    土井先生。
    口の形だけでそう言う。声にならなかったその呼びかけに、土井は浅く頷きを返した。

    (土井先生、泣きそうだ…。)

    途端に鼻の奥がツンとする。
    ゆらゆらと景色が滲み始めて、隠すように俯いた。

    「きり丸」

    穏やかな声音。頬を包むかさついた大きな掌。焦がれていた温度に、堪える暇もなく涙が頬を滑り落ちていく。

    「…っ、」

    土井先生。
    そう呼びたいのに、声にならない。
    引き寄せられるまま、土井の懐に顔を埋めた。
    火薬と日なたの匂いが混ざった、嗅ぎなれた匂い。涙腺が決壊する。

    「…もし、お前がこのまま目を覚まさなかったらと、本当に———本当に、気が気じゃなかった」
    「どい、せん、せ…っ」

    すまなかった、と土井が絞り出すように告げた。ぎゅうときつく抱きしめられる。
    土井の腕の中で、きり丸は懸命に首を横に振った。
    どいせんせえ、どいせんせえ。
    そう繰り返して目の前の黒に縋りつく。

    「…っ、ごめっ、なさ」

    嗚咽が漏れて、上手く言葉を紡げなかった。しゃくり上げるきり丸の背を撫でながら、今度は土井が首を振る。

    「…お前のことなら何でもわかってやれる気でいたんだ。でも、“わかる”なんて。わかって“やれる”なんて傲慢だった」
    「ごう、まん…」
    「お前の力になりたい。どうにかして助けてやりたい。そんな気持ちばかりが先走って、お前を傷つけた」

    土井の手がきり丸の背をゆっくりと撫ぜる。

    「…だから、お前が謝ることなんて何もないんだよ」

    よく頑張ったな。偉いな、すごいな。お前は本当に、すごいやつだ。

    そう囁くように告げられた言葉は震えていた。じわりと目の前の黒に涙が染み込んでいく。

    「────何も気付いてやれなくて、ごめん…っ、」

    苦しいほどに強まる抱擁。涙混じりの土井の声。
    そのどれもが温かくて、馬鹿みたいに涙が溢れて止まらなかった。うぁ、とか、うぅ、とかそんな言葉にもならない呻き声が喉からどんどん零れ出して、堪えることが出来ない。
    ごめんなさい、ごめんなさい、土井先生。
    繰り返して、とうとう情けない甘ったれた泣き声が漏れる。
    枯れるほど泣き叫んだあの日以来の、初めての剥き出しの感情の吐露だった。

    (兄ちゃん…。)

    止まらない涙を土井の忍装束に押し付けて拭いながら、きり丸は兄を想う。

    『なぁきり丸、お前は本当にひとりか?あの日から今まで、本当にひとりだけで生きてきたのか?』

    (違った。おれ、ひとりじゃなかった……。)

    村を焼き出されたあの日から今日までずっと、自分はひとりきりだと思っていた。自分一人だけの力で、ここまで歩いてきたのだと思っていた。
    けれど、本当は。
    自分はずっと、何かに──誰かに助けられていたのだと今更ながらに思い知る。
    にいちゃん、と心の中で叫んだ。
    当たり前だ。親も身寄りもない子供が、ひとりきりで、自分の力だけで生きてゆくことなど出来ようはずもない。
    あの日自分を拾ってくれた寺の住職。痩せっぽちで薄汚れた、明らかに訳アリの子供だった自分を雇ってくれたアルバイト先の主人。腐るなよ坊主、と皺だらけの手で頭を撫でてくれた老人。凍えそうな夜に、体温を分けてくれた子犬。いっそ死んでもいいと思いながら迷い込んだ戦場跡で、握り飯と笑顔をくれた恩人。何かと可愛がってくれたお得意さん。自分にドケチ道を叩き込んでくれたおりん。忍術学園に向かう道すがら、山の中を彷徨う自分に道を指し示してくれた山伏風の男。

    どれが欠けても、きっと自分はここに居られなかった。
    優しさばかりの世界だったわけではない。辛い目にもあった。痛い目も嫌というほど見た。思い出したくない過去も、もう二度と浮き上がってこないようにと奥底に沈めた記憶もある。幸せだった記憶は日に日に薄れていくばかりで、自分はずっと───死にたかった。

    『ひとりにして本当にごめん。でも俺は、お前が生きていてくれることが何よりも嬉しいんだ』

    あの日に自分だけ生き残ったことは、罪だと思っていた。自分が一生背負い続ける咎であり呪いだと、ずっと。

    (───でも、)

    あの時、愛してる、と聞こえた声は三つ。

    (……………あい。)

    ぐす、と洟をすすって、ゆっくりと瞬きした。
    ”愛”なんて、自分とは最も縁遠いものだと思っていた。自分の”愛”はあの日に全て失ったものだとばかり。

    果たして”愛”とはなんなのか。きり丸にはまだわからない。けれど、”愛”に温度があるのなら、今みたいに温かいに違いないと思った。小さな子供のように泣き縋りながら、きり丸は心地良い体温に目を閉じる。

    (兄ちゃん、父ちゃん、母ちゃん…。)

    背を撫でてくれる土井の手に、いつかの父の、兄の手の感触を重ねた。

    失ったものは戻らない。そんな当たり前を考えるだけで胸が痛む夜もある。
    恋しさも未練も、どうしようもない罪悪感もまだ胸の底に残ったままで、この気持ちを捨てることは恐らく永遠に出来ない。
    けれど───どうしてお前だけと責め立てるあの声は、まやかしだったのだと知った。

    (そんなこと、言うはずないんだ。)

    甘く優しい記憶の中で、自分は、家族は、いつも笑っていた。何気ない日常。交わされる言葉。与えられるぬくもり。失ってしまったあの日々は、当たり前だった幸せは、きっと、恐らく───”愛”だった。

    (あいって、あったかいんだなぁ…。)

    涙を吸って随分と色が濃くなった土井の装束で、また雫を拭う。
    この熱いくらいの温もりもまた、自分に向けられた”愛”なのかもしれない。確信は持てないけれど、緩まる気配を見せない抱擁に、少しは自惚れてもいいのかも、とこっそりと微笑む。

    (おれ、おれさ…。みんなのとこにいくの、もうちょっと後でもいいかな。)

    きりちゃん、と呼んでくれる母の声。父の大きな背中。兄の優しい抱擁。
    その全てが恋しくないと言ったら、嘘になってしまうけれど。それでも自分は、終わりまでここで生きていきたい。生かされたこの命を、無駄にはしないと誓うから。

    (おれ、頑張るから。見てて。)

    ありったけのごめんなさいとありがとうを心の中で繰り返す。それから思い浮かべた言葉は、”愛してる”。
    小さく小さく、おれも、と囁く。───心の奥にぽっと明かりが灯るようだった。


    ***


    学園長先生と話をさせてください、と土井に頼みこんでから数刻。
    布団に入ったままという無作法な格好で、きり丸は大川平次渦正──学園長と向き合っていた。傍らにはヘムヘム。山田と土井。それから新野。

    調子はどうじゃという学園長の気遣わしげな声に、もう大丈夫ですと笑って返事をする。

    「…その…ご心配をおかけして…申し訳ありませんでした」

    口にした言葉は、どうにも言い慣れない。きり丸の耳にはひどく滑稽に聞こえた。
    ”心配”なんて。自分で口にするにはくすぐったくて気恥しいし、決まりも悪い。
    学園長から視線を外して俯く。心もとなげに手元の布団を握りしめた。
    呆れてため息でもつかれたらどうしよう。そんな一抹の不安がきり丸の胸を過る。

    「まったくじゃ」

    どれだけ心配したと思っとる。

    学園長の声音に、恐れていた非難や軽蔑の色はない。発した言葉に嘘はないのだと、否が応でもわかる。そんな優しい声音だった。

    「こんなに怪我をして…。寿命が縮まったわい」

    学園長の皺だらけの手が、きり丸の手をそっと握る。

    「手放しで無事とは喜べないがの。じゃが、お前がまたここに戻ってきてくれてわしは嬉しい」

    ありがとうの、と目を細めて、学園長はきり丸の手を労わるように撫でた。

    「っ────、」

    もう一生分泣いたと思っていたのに。
    あっという間に滲んでいく視界に半ば呆れながら、きり丸は零れた涙を懸命に拭う。
    帰って来れて良かった、と心の底から思った。
    すんすんと洟をすすり、きり丸は再び顔を上げる。浮かんでくる涙もそのままに、涙交じりの声で、お願いがあります、と言った。
    なんじゃ、と柔い声が返ってくる。

    きり丸はぐす、ともう一度洟をすする。
    浮かんだ涙をぐいと袖で拭って、学園長に向き直った。じんじんびりびりといろんなところが痛んだが、全部無視して姿勢を正す。

    「きり丸、」
    「大丈夫です」

    土井の慌てたような声を遮って、真っ直ぐに学園長を見た。

    「先月の授業料の支払いを、もう少しだけ待っていただけないでしょうか」

    背中がびり、と痛んだけれど、お構い無しに深く頭を下げる。

    「…遅れている上にこんなお願い、図々しいと分かっています」

    でも、どうかお願いします、と続けた。
    沈黙が落ちる。
    頭を下げたまま、きり丸は学園長の言葉を待った。

    「…きり丸、顔を上げなさい」

    学園長の声に、少し逡巡して、それからゆっくりと顔を上げる。

    「先月の授業料の件じゃが、心配することはない」
    「え…?」

    まさか、と土井を振り返りかけたきり丸に、学園長が待ったをかける。

    「事情は依頼主から説明してもらおうかの」
    「依頼主?」
    「山田先生」
    「はっ。利吉、入りなさい」
    「利吉さん?」

    素っ頓狂な声が出て、背中と頬に走った痛みに思わず顔を顰める。無理するな、と土井に支えられて足を崩した。

    「きり丸」
    「は、はい…」

    失礼します、と医務室に入ってきた利吉は、穏やかな声できり丸を呼んだ。

    「オウギタケ城とナラタケ城の城主から君宛てに、アルバイトの依頼が来ている」
    「…………へ?」
    「今度模擬合戦をするから、また弁当を売りに来て欲しい、と」
    「べ、弁当!?」
    「あの時食べた君の弁当が気に入ったそうだよ。引き受けるかい?」

    何が何だか訳も分からず、きり丸はただただ目を丸くする。
    危険なアルバイトを引き受けたことに関しては、土井と山田からお説教──というよりいかに心配だったかということを懇々と説かれ、頼むからもう二度としてくれるなと約束したばかりだった。
    正直飛びつきたい程の申し出ではあるが、舌の根も乾かぬうちに約束を反故にすることはさすがのきり丸でもはばかられる。
    手元の布団を握りしめて、恐る恐る利吉を見上げた。

    「あ、あの…せっかくのご依頼なんですが、ぼくもう合戦場のアルバイトは…」
    「それなら、特別に許可が出ている」
    「へ?」
    「合戦と言っても、今度のは名実ともに訓練を兼ねた模擬合戦だからね。休憩時間もあるから、合戦中に売り歩くようなことはしなくてもいい。私も手伝うし、上級生も力を貸す。君が引き受けてくれるなら、学園側もサポートすると学園長先生も約束してくださっているんだ。もちろん先生方も、先方の城主方も了承済みだ。さて、どうする?」

    そんなの、引き受けるに決まってる───きり丸はごくりと唾を飲み込んで、土井を振り返った。

    「ほ、ほんとにいいんすか…?」
    「…今回だけ、特別だぞ」

    少しだけ眉を寄せて、仕方ないなと言いたげに。
    その代わり、と土井がぴっと人差し指を立てる。

    「怪我が綺麗に治って、すっかり元気になってからにすること」
    「えっ、でも…」

    そんなに待ってもらえるんだろうか。そんな不安を胸に、今度は利吉を振り返る。
    目が合った先で、利吉が大丈夫だよ、と笑んだ。

    「こちらの事情は伝えてある。それでも君がいい、と仰せなんだ」
    「そんな…」

    どうして、と小さな呟きがこぼれ落ちる。
    城主なんて大層な立場の人に気に入られるようなことをした覚えなど、これっぽちもなかった。

    「うん。当然の疑問だ」
    「ぼく、なにか粗相をしたんでしょうか…?」
    「それでわざわざ私のところに”あの日合戦場で弁当を売っていた少年を見つけてくれ”なんて依頼が入ると思うかい?」
    「へ…?」

    自分を見つけて欲しいとは、一体全体どういうことなのか。まったく理解が追いつかない。
    目を白黒させていると、利吉が言葉を続けた。

    「あの日、君は陣幕の近くで誰かを助けただろう」
    「えっ?陣幕…?」

    きり丸は、ここ数日で混乱を極めた記憶を必死で手繰り寄せる。
    弁当を持って合戦場を走り回っていたあの日。利吉に助けられる少し前。混戦しているわけではなさそうだと足を伸ばした、確かオウギタケ城側の陣幕付近。向かう道すがら────。

    「あっ…」

    心当たりがあるようだね、とという利吉の問いかけにおずおずと頷きを返す。

    「その方はオウギタケの城主でね。君が助けてくれなかったら命はなかったと、大層感謝しておられた」
    「城主!?」

    確かに、助け起こしたあの男が身にまとっていた装束は他の兵よりも豪華だった。売れば一体幾らくらいになるんだろうと思った覚えがあるが、まさか城主などとは夢にも思っていなかった。

    「驚くのもまあ無理はない。あの方は少し変わった城主様なんだ。それできり丸、心当たりは?」
    「あ、あります…。確かにそういう方に手をお貸ししました。でも、そんな大したことは何も…」

    処置と言っても、乱太郎の見よう見まねでやってみただけだ。止血のために足を縛って、傷口を水で洗い流したくらいで、それが正しい処置だったのかもわからない。それに──別に、献身的な善意で行動したわけはない。明らかに合戦場の外から飛んできた矢が弁当を売っている相手に掠ったとなれば、さすがに見て見ぬふりは出来なかったという、ただそれだけのことだった。

    『こんなところで弁当売りなんて、随分肝の座った坊主だな』

    快活に笑った貫禄のある男は、一目で歴戦の将なのだとわかった。笑みの中でも鋭さを失わない眼光に足がすくみかけて、なんとか踏ん張った自分は、きっと子鹿のようだっただろう。こんな所で間者に間違われて捕えられるなんてたまったもんじゃないと、精一杯の虚勢を張って、”弁当いかがっすか?”と笑ったのだ。

    『──なかなかどうして、骨のある坊主じゃねぇか』

    しばし見つめ合って、それからニヤリと口角を上げた男に乱暴に頭を撫でられて、ではひとつ貰おう、と言ってくれた。当たり障りのない言葉を交わして、この戦をどう思う、と聞かれたことを覚えている。誤魔化しやおべんちゃらは通用しないと直感して、見たまま思ったままを話した。戦にしては、殺伐とした雰囲気があまりない気がする。怪我人も少ないし、不思議な感じがする。素直にそう言えば、目を丸くした後にからからと笑われた。

    『本当に随分と肝の座った坊主だ。伊達に合戦場で弁当売りをしていないという訳だな』

    そんな褒められ方をしたのは初めてで、返答に困ったのだ。じっと目を見つめられて、気に入った、と。

    『これはな、所謂戦の”ふり”だ。城同士の関係はややこしくてなぁ。一向に解決せんので、一芝居打つことにした』

    自分のような怪しい子供に、なんてことを話すのかと瞠目すれば、『お前が間者ならそれもまた良し』と全てお見通しのように片眉を上げた。
    なんとも豪気な人だと舌を巻いたし、こんな家臣がいる城主は、さぞかし心強いだろうと思ったのだ。
    それから二言三言言葉を交わして、立ち去ろうとした矢先。どうにも嫌な感じがして、危ない、と叫んだのは咄嗟だった。何かに勘づいた男が一閃した時に飛んだ矢尻が、足を掠めて。

    「君が思っている通り、矢尻に毒が塗ってあった。戦に乗じて始末してしまおうという計画だったようだ」
    「そんな…」
    「そういう訳で、私のところに依頼が来たというわけだ」
    「は、はぁ…」

    俄には信じられない話である。きり丸は半信半疑のまま、曖昧な返事をして利吉を見た。

    「でも、利吉さんはあの日どこか別の城からの依頼を受けて調査をされていたんじゃ…?」

    あの日、利吉は確かオウギタケ城とナラタケ城の戦の兵力を調べに来たと言っていたはず。断じて間者でないし、そんなつもりは微塵もなかったが、結果的に利吉に得た情報を横流ししてしまったのは事実だ。気に入ったと言ってくれた城主を裏切ったような、なんとも言えない心地になる。ごめんなさい、と心の中で詫びた。

    「そうだ。私は、オウギタケとナラタケの戦の状況と兵力を調べてこいという命を学園長先生から仰せつかって、あの場所にいた」
    「えぇ!?」

    さらりと忍務内容を口にした利吉にぎょっとして、きり丸は目を丸くして学園長を見た。

    「あの…そんな重要そうな忍務の内容をぼくが聞いてもいいんでしょうか…?」

    恐る恐るそう尋ねる。

    「かまわん。説明せんと話が進まんからの。利吉くんの話にあった通り、忍務を依頼していたのはわしじゃ。ここのところ、わしが出張で学園を留守にしておったのは知っているな?その逗留先が、タマゴタケ城という城でな。そこの忍組頭がわしの…まあ後輩のようなものでの。小規模な城同士、なんとかオウギタケ、ナラタケと同盟を結べないかと相談があったんじゃ。しかし、あそこの城はなかなか情報が掴めんでおった」

    ずず、と学園長が茶を啜った。
    思っていたよりも事態は複雑らしい。本当にやらかしてしまったんだろうかとどんどん血の気が引いていく。

    「きり丸、心配しなくても大丈夫だ」
    「ど、土井先生…」
    「お手柄なんだぞ」

    土井が励ますようにきり丸の背をぽんと叩いた。

    「あの日、私は兵力の調査をしていた。兵力は掴めたものの、戦の状況には疑問が残っていた。戦と呼ぶにはどこか違和感が残るような。けれど、そんな微かな勘だけを頼りに報告することはできない。それとなくそれぞれの足軽を探ってみてもボロもでなくて、どうしたものかと考えあぐねていたところに、きり丸に会ったんだ」
    「ぼ、ぼく?」
    「そうだ。あの時きり丸が戦の”ふり”だと教えてくれておかげだよ。きり丸のおかげで、あの辺り一帯はしばらくは平和になる」
    「…まさかそんなぁ」
    「嘘じゃないさ。きり丸がもたらした情報は大きい。ドクタケが戦の準備を始めているような気配もあったし、あの情報がなかったら、別の城同士の戦が起こっていたかもしれないくらいなんだ」

    あまりにスケールの大きな話過ぎて、頭が全く追いつかない。さっきまでとは別の意味で泣きそうになりながらも、とにかく自分が役に立ったらしいということだけを理解して神妙な顔で頷く。図らずも、どうやら間者めいた働きをしてしまったようではあるが、結果として悪い方向には転がらなかったのは僥倖だという他ない。

    「だから、本当に、大層感謝しておられるんだよ。それで、オウギタケ城の城主から君宛に、これを預かってきた」
    「ぼくに…?」

    懐から利吉が取り出したのは、一通の文と重たそうな巾着。微かに鳴ったチャリ、という音をきり丸は聞き逃さなかった。

    「こぜ…っ、あいた!」
    「こら、きり丸!」

    身を乗り出した拍子に痛んだ傷に、思わず声が上がる。じっとしてなさいと土井に肩を引き寄せられた。

    「さすがだな。ご名答だよ」

    利吉が掲げた上等そうな紫の巾着の中で小銭が鳴る。こと小銭に関しては尋常ならざる能力を発揮するきり丸の頭が、瞬時にその枚数を弾き出した。

    「…足りる」

    思わずこぼれた言葉に、きり丸は慌てて口を塞ぐ。
    しまった、と思いながら見上げた先で、利吉が柔く微笑んでいた。山田も、土井も、学園長も。

    「…まさか、」
    「そうじゃ。これで、きり丸の先月の学費はきっちりいただいた」

    茶目っ気たっぷりにブイサインを作る学園長の隣で、ヘムヘムが嬉しそうにヘム!と鳴く。

    「……っ、!」

    ぶわ、と止める間もなく熱い涙が頬を滑り落ちた。
    ここに居られる。居てもいいのだと、頭がやっと理解して、途端に嗚咽が漏れた。
    土井の優しい手がそっと肩を包む。涙で前もよく見えないまま、土井を振り返った。

    「ぼくっ…ここに…っ、」
    「きり丸ー!!!」

    涙交じりのきり丸の声を、元気いっぱいな呼び声が遮る。

    「まったくあいつらは…。呼ぶまで待ってなさいと言ったのに」
    「まぁまぁ父上」
    「きり丸、誰が呼んでるかわかるか?」

    土井に背を撫でられて、きり丸は何度も何度も深く頷いた。袖でめちゃくちゃに涙を拭う。そんなに擦ったら赤くなりますよ、と新野が優しい声と共に冷えた手拭いを手渡してくれる。

    「…っぅ、み、んな…っ!」

    会いたかった。ずっと。皆と一緒にいたくて、皆のことが大好きで、だから、この居場所を守りたかった。
    焦がれていた声に、涙腺はもうとうに馬鹿になっていて、返事をすることもままならない。

    会いたくて手を伸ばす。早く、と気持ちが急いて仕方がなかった。

    山田と新野が障子をそっと開ける。
    縁側にわらわらと積み重なるように、会いたくてたまらなかった十人が笑ってそこにいた。

    「きり丸っ!!!」

    みんな、と呼んだはずの声はもう音にもならない。泣き腫らした顔で、なんて格好がつかないんだろうと少しだけ後悔しながら、それでもきり丸はぐしゃぐしゃの顔を上げた。

    目が覚めて良かった。どうして泣いてるの?怪我は大丈夫?ずっと心配してたんだよ!ごめんね、ごめんね。あぁ本当に会いたかった!
    全部の声はもうすっかり涙に濡れていて、ぴーちくぱーちく、まるで大合唱だった。
    後ろで土井が苦笑する気配がして、つられて笑う。

    「きりちゃん…っ!」
    「きり丸!」

    一際大きな声が響く。
    聞き間違えるはずもない、自分をここへ呼び戻してくれた、大好きな声。

    「らんたろ、しんベヱ…っ!」

    いても立ってもいられずに立ち上がる。
    ふらつきながら歩き出した自分を、土井も新野も黙ったまま見守ってくれていた。

    「きり丸っ!」

    焦ったような声がたくさん重なって、ぎゅうと抱き締められる。香ったのは薬草と甘い菓子の匂い。あぁ、帰ってきた、と身体中から力が抜ける。
    きり丸の身体をしっかりと受け止めて、乱太郎としんベヱは深く息をついた。

    「こんなに、なるまで…っ、」
    「乱太郎…?」
    「何にもしてあげられなくて、ごめん…っ!」

    こんなふうに二人に抱き締められるのは初めてだな、とぼんやりと思いながら、きり丸は背に手を回す。
    視線を上げた先には、滂沱の涙を流すは組の皆。

    よく見ると皆ボロボロにくたびれていて、泥だらけだった。実習帰りだろうかと眉を寄せると、兵太夫と目が合う。

    「…っ、とったよ!!」

    珍しくくしゃりと笑った兵太夫が、一枚の紙を掲げてみせた。達筆で書かれた文字は、『授業料免除特別チケット<1ヶ月>』。へ、と間の抜けた声が出る。

    「ぼくたち、優勝したんだよ!」
    「は?ゆ、優勝…?」

    どういうことだよ、と二人の背を叩けば、そっと身を離して、すごいでしょ、と微笑まれた。

    「こらこらお前たち、最初から説明しないか」

    見兼ねた山田が横からそう助け舟を出す。
    庄ちゃん、と伊助が言って、庄左ヱ門が涙を拭いながら了解、と笑った。
     
    伊助から言葉を継いだ庄左エ門が、皆より一歩前に出て、きり丸と向かい合う。
     
    「さっきまで学園長先生のいつもの突然の思い付きで、学年対抗のサバイバルオリエンテーリングをやってたんだ。細かいルールの説明は割愛するけど、それぞれハンデがあって、ちゃんと難易度が平等になるように設定されてた。下級生は人数が多いから組ごとに、上級生は学年ごとにチームを組んでね。それで、僕たちが優勝したんだ」
    「優勝ってそれのことかよ!?」
    「そう。それで、上位三チームまで豪華賞品があるっていう話で、それがまあ闇鍋のくじ引きだったんだけど…。僕たちが引き当てた景品が、なんと授業料一枚ヵ月間免除のチケットだったんだ!」
    「引いたのはなんと!」
    「乱太郎でーす!!」
    「えぇ!?」
    「…きりちゃんその反応はひどくない?」
    「えっいや、だって…」

    唇を尖らせる乱太郎に苦笑して、きり丸が頬をかく。土井に鼻をかんでもらったしんベヱが、それ三等なんだよ、と笑った。

    「えっ」
    「一等と二等はね、」
     「お約束の〜?」
    「学園長先生のブロマイド…?」
    「ぴんぽんぴんぽーん!大当たり〜!!」
    「大正解のきり丸には、はい!お見舞い品を贈呈しまーす!」

    目の前に差し出されたのは、色とりどりの花束と、たくさんの菓子類、それから小さな懐紙の包みたち。

    「な、なんだよ、これ…」

    慌てて受け取りながら、ただただ呆然と居並ぶは組の皆を見やる。

    「ぼくたち、アルバイトしたんだよ」
    「アルバイト…?」
    「犬の散歩とか、子守りとか、洗濯とか、他にもいろいろ」
    「な、なんで…」

    しんベヱと乱太郎の説明に、納得など出来るわけもなく、困惑を浮かべたままきり丸は眉を寄せた。

    「ほんとはね、それできり丸の授業料を払おうと思ってたんだ」
    「……え?」
    「ぼくたちみんなでアルバイトすればすぐだって、そう思って」

    乱太郎が目を伏せる。きり丸も、かける言葉を探して、視線を落とした。
    皆の気持ちは純粋に嬉しい。その思いに嘘はない。けれど───。

    「……でもね、やめた」

    乱太郎は、何かをこらえるような表情で、けれど笑う。

    「そうしても、きっときりちゃんは喜ばないって、そんな気がしたから」

    乱太郎に見つめられて、きり丸はゆっくりと頷いた。この気持ちを上手く説明することは出来ない。もし本当にそうなっていたら、きっと素直に受け取ることなど出来なかっただろうと思うその気持ちだけが、答えだった。

    「だから、きりちゃんが元気になったら、皆でアルバイト手伝おうって、皆でそう決めたんだ」
    「皆でアルバイトしたお金は、お見舞いを買うことにしたの」

    ここのお団子美味しいんだよ、としんベヱが柔和な顔で笑う。

    「そしたら、その後にオリエンテーリングが決まって」
    「授業料免除のチケットがあるかもしれないって庄ちゃんから聞いて」
    「ぼくたち頑張ったんだよ!」
    「景品がくじ引きって聞いた時には正直もう終わったと思ったけど」
    「正直もう奇跡だよね」
    「乱太郎の不運がこんなところで発揮されるなんてね」
    「結果オーライってやつ」
    「このチケットもぼくたちからのお見舞いだから、なーんにも気にしなくていいんだよ!」
    「だからきり丸、安心して休んで」

    せーの、と言ったのは乱太郎。

    「きり丸、おかえりなさい!!」
    「…っ、」

    また涙が溢れてしまったのは許して欲しい。
    ”おかえり”。
    そのたった一言は、なくしてたまるかと思っていた居場所の象徴。何もかもを失った自分が漸く手にした、拠り所。

    止まらない涙を、土井のかさついた指が拭う。振り返ると、土井が泣きながら笑っていた。

    「ぼくっ、ここにいても…いいですか…っ?」
    「当たり前だろ…っ!」

    ここにいてくれ、と続いた言葉にまた涙が溢れ出す。

    「…おかえり、きり丸」
    「ぅ、うぅ、っ、…っ!」

    胸に広がったのは、どうしようもない安堵感。

    『帰りたい場所、思い出しただろう?』

    (うん…っ!)

    手を握って、隣にいてくれる友人。守り導いてくれる先輩。時に厳しく時に優しく、見守ってくれる先生。

    皆お前のことが大事なんだ、と土井が耳元で囁いた言葉が、今度こそすんなりと胸の中に落ちた。
     
    まだ胸の中につかえた言葉や思いは残っていて、全部を消化することはまだできない。これからもぶつかることはきっとあるし、泣くこともあるかもしれない。
    矜持は捨てられない。超えられない境界もある。差し出される手を掴むことはまだ怖いし、二の足を踏んでしまうこともある。
     
    (———それでも、)

    ここで生きていたいと思う。この先何度躓いて転んでも。
    それはきり丸の、初めての純粋な心からの願いだった。

    すっかり温くなった手拭いで、ぐいと顔を拭う。ぎゅっと一度だけ目をつぶって、顔を上げた。大きく息を吸って、一言。
     
    「ただいま…っ!」
     
    泣き疲れたせいなのか、ひどく掠れた声だった。
    目の端から零れ落ちた涙も気にせずに、にかりと思い切り笑う。

    感極まった乱太郎のしんベヱが再びきり丸に抱き着いたのを皮切りに、皆して団子になってぎゅうぎゅうに抱き締め合った。

    重い過去も、昏い記憶も、どうしたって切り離すことはできない。
    でもきっと、皆の傍に居れば自分はもう大丈夫だと、今はそんな確信がある。
    少し照れくさくて、気恥しい。格好なんてひとつもつかないし、どうにも柄ではないけれど。きっとこの気持ちは、皆に対する”愛”───なのかもしれない。

    ありがとう、とありったけの感謝を込めて告げる。皆がいたからこの場所が大事になった。皆がいるから、ここまでこれた。皆がいるなら───明日はきっと、笑える気がした。
     
     
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